木村 和美 Architect

建築家木村和美の日常活動とプロジェクトについてのブログ

●自然の脅威とリスクマネージメント

2011-05-30 14:52:02 | Weblog

 

 

昨日沖縄に台風が接近し、石垣島や那覇市の強風に翻弄される映像が報道されていた。

幸い本州への直撃は避けられたようだが、昨日は大雨が降り、震災被災地では十分な復旧が出来て居ない時に又季節はずれの台風で困ったものである。

そして今日の関東地方も雨はやんだが風ばかりが異常に強い状況である。

 

5月の台風というのは、記録が残っている1950年代からでも7例しかないという。

それだけ珍しい自然現象で最近では2003年5月以来だそうだ。このところ東北地方の余震もかなりの数が発生しており、こんな時は余程の注意が肝要である。

何故日本だけがこんなに大変なのかと思っていたら、アメリカでも先日来オクラホマ州でトルネードが発生し(写真左)家屋が破壊され、犠牲者が多く出てオバマ大統領が現地へ向かった事も報道された。

アメリカのトルネードは、南部から東部地域にかけて度々発生して被害をもたらしているが、カリブ海の熱帯性低気圧が原因だともいう。写真右は2007年フロリダ州の海上で発生した竜巻である。

 

これらの自然の脅威で災害が発生した場合、日本ではまず国が被害を査定しそれに従って復旧費用を予算化するらしい。 ところが東北の各地では2ヶ月が経過した今もまだ国の担当者が調査に入っていないと聞いた。

ある漁協では、国の対応の遅さに痺れを切らし、漁協の会員自らがツイッターで義捐金を募集して1億円を集め、設備投資を行い、牡蠣の養殖を再開した痛快な出来事が報じられもした。

 

様々な損害や障害に対応するためのリスクマネージメントという言葉を初めて聞いたのはもう随分前になる。

物を作ることに価値をおき、前ばかり見ていた当時の私には、何故かそれは後ろ向きで非生産的な業務に見えた記憶もある。

六本木の国際文化会館で定期的に行われていた勉強会に参加していたが、建築上おこるトラブルや損害を事前に予測して、そのヘッジを考えておくなど、うまくやればそんな事は起こらないとまで思っていた時もあった良い時代だった。

その内ジャパン・バッシングが始り、金融のビッグバンがおこり、グローバルな競争に不動産、建設業界もさらされるようになると、我々の仕事でも妙に世知辛さが感じられ、トラブルばかりが起こるようになったのもついこの間のことではある。

 

昨日、久し振りに現実を離れ長期計画なるものを考えてみた。長期と言っても3年から5年ぐらいのスパンでやりたいことや状況をシミュレーションしてみた。 

阪神淡路の震災の時は3年であらかた復興の目処が付いたよう聞いているが今回の場合はそんな簡単ではないだろう。

しかし少しでもモチベーションを上げるべく時には長期の事に思いをめぐらすことも必要だろうと思う。

 

ただどんなにリスクをヘッジしても、自然界の脅威は言うに及ばず人間の社会でも、事が起こる時は起こるものである。

結局、メンタル面を上手にコントロールして事態に対処する方法を身につける他はないと思う。

 

 


●フクシマ・シンドロームと復興会議

2011-05-24 15:44:19 | Weblog

 

 

今日の東京電力の発表で、2号機、3号機とも既にメルトダウンを起こしていたことが報道されたが、特に異常ある事態ではないという事だった。

常識的にメルトダウンと言うと大変なことで、チェルノブイリではその後爆発が起こり、大気中に放射能が撒き散らされのは良く知られた事だが、その割には今頃平然と発表する事も信じられない。

又それを許容している原子力保安院、経産省そして事故発生後海水注入云々を誰が指示したかなど責任転嫁に身をやつす政府にもいささか幻滅を禁じえない思いである。

 

私の仕事の地震関係の調査が一段落した事もあり、その後の東北地方の震災後の状況や対応等をひとしきり新聞やニュースなどで読んでみたが、ガレキの撤去や義捐金の分配等はなかなか進んでいないようである。

そして最大の問題の原発事故の収束工程表もいい加減な希望的観測であることが段々明らかになってきた。

 

しかし素人目だが、菅政権はなぜ、早くこの震災の復興担当大臣を決めてしかるべき処置をとらないのだろうか不思議で仕方がない。

震災復興会議なるものを造ったり、今日は原発事故検証会議などを造ったようだが、あたかもこれらの会議が責任を持って事を行うように報じられるのも不思議な事である。

事が起こった時には、短期にすぐやるべきことと、長期的に行うことを区別して的確な指示をし、その間のプログラムを示しながら、様々な手当てをしていくことがトップリーダーに課せられた仕事だと思う。

短期的なことは行政のプロ=官僚、政治家に任せればよいと思うし、長期的なことは復興会議の有識者等でスケジュールを区切ってやればよいと思うが、報道によると現在は復興会議で税金の話をしたり、基本的な哲学が出てきたりおかしな事ばかりが伝わってくる。

 

復興会議のメンバーに建築家の安藤忠雄氏が入っており、震災地に”鎮魂の森”を作ろうと提案している。

あるテレビ番組で、そんな事は後でやりますから、早く今困っている人の生活と雇用を何とかしてくださいと批判されていた。

復興会議には日本を代表する各界の著名人が入っているが、復興会議の位置づけが曖昧だから議論の焦点が絞れずこんな意見が出てくるのは当然だろうと思う。

 

原子力発電の歴史を見ると、これも日本が弱い外圧の一つかとも思う。

フクシマの原発はGE製で、アメリカ側に買わされ非常用電源の位置に疑問があっても日本の技術者は何もいえなかったとか、、、。

高度成長期の道路や新幹線の次は原発が唯一の地方振興策で、時の自民党政権とタッグを組み原発交付金と一緒に全国へ展開したことなど。

現在でも日立とGE,東芝とウエスチングハウス、三菱とアレバ(フランス)は深い関係にあるそうだ。

 

私も1980年代初頭、浜岡原発のまち御前崎の電源三法交付金によるまちづくりに参加しことがあるが、当時は何もなく貧しかった町をこれで豊かにしようと色々議論したものだった。

1978年にスリーマイル島の事故が起り、ジェーンフォンダ主演の映画チャイナシンドロームが公開されて反原発の機運が出てきた頃だが、その当時は浜岡で原発に反対する意見は少数意見だった。

と言うか生活の向上の方が優先されたということだろう。

 

様々な経緯に包まれた伏魔殿のような原子力発電を取り巻く状況、その上に未曾有の東日本大震災である。

とにかくもう少し早く、物事が進むような政治体制になって欲しいものである。

でないと又違う外圧が知らないうちにわが国をメルトダウンに追い込むような気がしている。 

 

 


●地方行脚と先行き感

2011-05-21 19:09:32 | Weblog

 

 

先週は久し振りに京都に行った。

四条烏丸交差点の近くのビルの調査で行ったのだが、計画停電のない関西のまちの雰囲気はいささか華やいで見えたのは気のせいだろうか?

四条通りの裏の錦小路市場近くで、同行した知人の所望で京風九条ねぎラーメンを昼食に食べてみたが例の赤を強調したインテリアの店舗も活気に満ちたものだった。

食後に近くの通りを散歩してみたが、それぞれの店舗前の京都らしい宣伝広告の巧みさがやけに目に付いたのも仕方のないことだと思う。

 

先々週は、千葉、成田、水戸と今度の地震の被害調査で回ってみたが建物はともかく外構工事、地盤の沈下に伴う被害の大きさを実感する。

中には不同沈下で家屋が傾斜しているところさえある。道路の側溝や縁石も沈下の影響で損壊し、修復のための公共予算の確保も結構な金額となるのではないだろうか

とにかくまだ余震が続いており、その影響で外壁のタイルなどにもその都度ひび割れが発生し、修理のタイミングも難しい事を聞いた。

5月に入ったというのに、これらの地方行脚はすべて雨に降られ、京都など時折土砂降りで残念ながら気持ちの良い出張とはならなかった次第である。

 

ソフトバンクの孫社長が、メガ・ソーラーの計画を提唱しているという。

全国10箇所に用地確保し自治体と協力して太陽光発電を進める意向らしいが、その詳細は良くわからない。

5月のこの時期でも晴天の日が少ない状況の中で、果たして現実に何時、出来るのだろうか?

孫さんと創業期から親しい関係にあるシャープが東南アジアで、国家的で大規模な太陽光発電を受注している事を聞いた。

シャープはフルターンキーで受注しており、開発から維持管理までのノウハウを相当蓄積しているという。(写真右)

毎日報道される福島の原発のネガティヴな報道と政治の対応の稚拙遅滞さを見るたびに、可能性はともかく希望の持てるアドバルーンが必要なときだろうと思う。

 

先週は山梨は甲府にこれ又久し振りにお邪魔してきたが、甲府駅前の目抜き通りでもシャッターが降りている店舗が多くなった。

聞くとビルの上階はもっと空いているのだという。

堅実さで有名な甲府商人の膝元にも震災の影響はかなりあるようだ。旧知の人たちと今後の展開可能性に付いての議論。

 

今日土曜日横浜の駅前は、いつもに倍する人出で混雑していたが混雑イコール消費盛況とは言いがたい。

パナソニックが国内で約14000人のリストラ策を発表した。世界全体では4万人に上がるという。

これから他の企業も追随することだろう

 

”ビジネス アズ ユージュアル” 

まだしばらく先行き不透明な状況が続くだろうが、我々は今までと同じように毎日の仕事を少しづつでも積み重ねていく他ないだろうと思う。

 

 


●経済古典に学ぶ

2011-05-05 19:12:53 | Weblog

 

ゴールデンウイークも後半に差し掛かり、今日はこどもの日でまだ土日が続くのだが、なんとなく連休の最終日のようなものである。

結局この連休はほとんど家に閉じこもり仕事をする羽目になってしまった。仕事をしてる最中でも常に頭にあったのは、やはり東北の事だった。又一から再出発をしなければならないが、中々軌道に乗らないニュースばかりが聞こえてくる。

色々議論はあるのだが、先立つものはお金である。復興計画を議論するより先に東電の賠償金の話しの舞台裏がリークされ顰蹙を買ってはいるが、それも人間の弱さを表しているものだろう。

 

この連休、仕事漬けとは言いながらそれでも少しの時間を見つけて、お金の問題を扱う経済学について考えてみた。 

そして一冊の本 竹中平蔵著”経済古典は役に立つ”を書店の店頭で買い求め通読してみた。

学者を好き嫌いで判断してはいけないが、竹中慶応大学教授はその言動や柔ちゃんに似た顔立ちから私は余り好きなタイプではなかったが、その表題につられ読んでみると、極めてポイントをついた解説に感心して読み進んでしまった。

 

アダム・スミスの見えざる手から始る経済の古典の系譜を氏は楽観主義の系列と悲観主義の系列に分けてわかりやすく解説している。

楽観派として、アダム・スミスとケインズ、シュンペーターを上げ、悲観派として、マルサス、リカード、マルクスを取り上げて、時代の流れと共に自由放任、市場主義から政府や企業が関与する経済発展の歴史を振り返る。

その中でもケインズの影響が最も大きく現代は、ケインズ批判としてのハイエク、フリードマン、ブキャナンというノーベル賞受賞経済学者の議論に問題が集約される事を指摘している。

それは”資本主義と自由”の問題につきるのだが、現在の低成長、デフレ、財政赤字はその中ですべて議論されている。 そして現在の民主党菅政権のやっていることは、先達の教えに反する事だらけという結論が導かれることになる。

 

20数年前、坂本二郎一橋大学教授の話を聞き”寺小屋講座・蘇れ人間経済学”を読んだ時の新鮮な感動が未だに忘れられない。

今では坂本教授の事を知っている人や話す人等誰もいなくなってしまったが、当時の地域開発、都市開発について氏の発言や行動は大きな反響を呼んだと思う。

この寺小屋講座も、アダムスミスから始まり、マルサス、フリードリッヒ・リスト、マルクス、マーシャル、シュンペーター、ケインズ、ボールディングを取り上げ、それぞれの人間性や生い立ちから学説、政策提言のなかに、日本の未来を見ようというものだった。

 

マルクスが喝破したように、経済は人間の意識の下部構造として常にその行動を制約している。

しかしその法則を我が物として主体的に運用できた時は又計り知れない幸せを人間に与えてくれるのも事実だろう。

これらの経済の古典は、人間がその弱さを克服し勇気をもって生きていくことが大切な事を改めて教えてくれるように思う。