木村 和美 Architect

建築家木村和美の日常活動とプロジェクトについてのブログ

丹羽宇一郎氏とマックス・ウエーバー

2006-08-27 22:10:23 | Weblog

 

久し振りに田原総一郎氏のサンデープロジェクトを見ていたら伊藤忠商事の丹羽宇一郎会長が出て話をしていた。

丹羽氏は社長時代4000億円の不良資産を処理し、伊藤忠を再建した人物として有名であるが、むしろ歯に衣を着せぬ率直な物言いで評判の人で、今日もテキパキとした明確な回答でいつもの番組と違う面白さを感じさせてくれた。

 

其の中で、以前楽天の三木谷氏に財界の先輩としてマックス・ウエーバーを引き合いに出し、強引な株式買収を批判しているビデオが紹介されたが、やはり学生運動出身らしい正義感あふれる論法で、今のIT長者の輩に聞かせたいような骨のある内容であった。

 

マックス・ウエーバーといえば、”プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神”の中で近代資本主義の発展の基礎は、禁欲的な職業倫理のエートスが存在したからでありむしろ営利を否定した宗教的倫理観だからこそ、資本蓄積が可能であったという逆説を展開した近代社会科学の祖であるが、こんな言説があることをIT企業の人たちはどう思うだろうか

 

 私に経済学をはじめて教えてくれた先生は、黒川事務所企画部時代に社会工学研究所と仕事をした時、研究計画委員長をされていた元一橋大学教授の坂本二郎氏であった。

学生時代から経済学の講義はあまり面白い物ではなかったが、坂本二郎氏の話しを聞いて、目からうろこが落ちる思いであった。

国鉄所有地の有効利用のプロジェクトに関連しての話であるから、学問が実践活動にこんなに説得力をもつものかと吃驚した。

それからは坂本教授に教えを請いアダム・スミスから勉強した。

 

もう一人の先生はペンション事業で協力したペンション・システム・デベロップメント社長であった小杉恵氏である。

彼はコロンビア大学で、スィージー、ドップといったマルクス経済学の先達に学び、マックス・ウエーバーに私淑する経営者であったが、そのあたりの話しをよく聞かされた。

おかげで専門ではないが、経済的な事象に興味をもって接することが出来るようになった。

 

テレビを見ていて丹羽氏のような、経験も積み人の痛みがわかり、グローバルな感覚を持ってしかも歴史認識がある経営者がリードしていけるような社会に早くならねばならないと思った。


ホスピタリティとホテルの今後

2006-08-25 21:57:59 | Weblog
今日は私の敬愛するホテルマンの一人、ザ・ホテルヨコハマの創設メンバーで、総支配人をやられた橋本忠昭氏と久し振りの逢瀬と議論を楽しんだ。
氏は、先頃まで新潟当間高原リゾート ホテル・ベルナティオの総支配人をされ、一方で亜細亜大学で、ホスピタリティを講義しホテルマンをめざす学生諸君の指導にも尽力されている。
多くの経験や、豊富な人脈と情報による的確なホテル業界の状況分析を聞いていて、いつも多くの示唆を受けてきたが、本日もこれからのホテル業界についての
率直な意見にうなずくことが多かった。氏はこれからは都市ホテルよりリゾートホテルにより多くの可能性を見ているようであった。
昨今の外資系高級ホテルの進出ラッシュ、多くのビジネス系ホテルの乱立、都市計画の立場から見ていると、東京及び首都圏のホテルラッシュは異常である。
いずれはここで淘汰されそれなりの形に収まるのであろうが、大きな傷跡にならぬことを祈るのみ。誰がコントロールしているのかわからない(あるいはほんの一握りの人が進めてる)ビッグプロジェクトが進むことも良いが、もっと身近なレベルのミディアム・デベロップメントの中でホスピタリティや、ホテル施設の議論がしてみたいし必要だと思う。
橋本氏と久し振りに話をして、又若いときに議論し追い求めたホテル像をもう一度追ってみようかとほのかな思いに駆られたひと時ではあった。


インテリアデザインとその施工

2006-08-24 20:33:26 | Weblog
昨日インテック・プロジェクトの並木氏と打ち合わせ。これも久し振りの再会。
彼はインテリア業界の老舗明和工芸の出身で、飲食を専門とする施工屋さんである。ほぼ20年前私が門前仲町に初めて設計したお鮨屋さんのインテリアを施工してもらってからの長い付き合いである。
この店は、銀座でお店をやっていた小島涼子さんの息子さんのために設計した物であり、並木氏のおかげでモダンな店が出来たが、あの地域独特の気風があって商売的には厳しかった経験がある。
私がインテリアデザインに興味を持ったのは谷内田孝氏(グラフィックデザイナー)と独立当初に知り合ったことが大きかった。それまで建築デザイン一本できた私にとって、より密接に人の気持ちやふれあいを投影してデザインを進めていく彼のスタイルは大きな刺激であった。
それまで経験した建築デザインの世界は、黒川事務所時代は大きな恵まれた仕事が多くそれほど意識はしなかったが独立してからの仕事は想像以上にコストや法規、構造等の制約条件が大きくデザインする部分が殆どなかった。そんなことも当時の私の気持ちに影響していたと思う。
彼の紹介で多くのアーティストと知り合い刺激を受けた。インテリアデザイナー原兆英、富樫克彦、イラストレーター宮内ハルオ、舟橋全二、カリグラファーの進藤洋子、テキスタイルデザインの根津りえ等々
特にホテル・レストラン、旅館のような仕事で協力したことは大きな収穫だったと思う。
前述の並木氏は商業建築が専門であるが、一度住宅のインテリア施工をしてもらったところ施主の高い評価を得た。特に塗装の仕上がりや、木や金属、ガラスの収まりなど普通の工務店とは比べ物にならない施工精度の高さを持っている。やはり人の目を引く商業建築の施工は違う物だと感心した。見せる施工と言うのだろうか

これからこだわる人の住宅インテリアを一緒にやってみようかと思う。
二人とも色々経験を積んで又新しいコラボレーションが出来れば面白いなと思っているところである。


処暑

2006-08-22 23:24:21 | Weblog
明日は23日処暑である。涼気が伝わってくるとは思えないほどの暑さが続く。
今年のお盆はゆっくり出来ずあわただしく過ぎてしまった。
大石氏からの電話から、湯河原の旅館の協議、Pホテルの管理問題、札幌出張
九州出張、そして来週も北海道 千歳空港に降りた途端ひんやりと24℃であ
ったが市内に行くと32℃、東京と変わらない。
黒川事務所在籍中の夏休みに、北海道を車でめぐった楽しい思い出がある。
やはり、阿寒湖、釧路、摩周湖あたりが北の地域の雰囲気があって楽しかった。
当時の仲間もバラバラになって音信もない。あの頃の旭川や札幌は、いかにも
地方都市らしいテイストを感じさせる風景や人がいたものだが、今はそんな風
情もなく気候と同じで東京と変わらない。
ポスト小泉の論調は行き過ぎた改革の是正?地方振興の政策が又出てきそうな気配があるが、個性ある風景や人を作るのは大変なことだ。
昨年久し振りに博多に行った時、其の変貌ぶりに驚いた。やはり黒川事務所時代 福岡銀行本店、福岡県庁の設計を担当し当時の印象が強かった私には福岡は都会になったと言う実感と同時に風景や人が垢抜けて東京と変わらない印象がした。
1日や2日の仕事でなくもっと入り込んで仕事をすれば違うのであろうが、出張の楽しみが減った。
処暑に際して忙しくても頭を冷やし、少し熱い心で身を処したいと思う。

山本七平・日本の敗因21ヶ条

2006-08-13 22:03:58 | Weblog

 

昨日からお盆休み。あと二日で15日の終戦記念日である。

この間から山本七平氏の ”なぜ日本は敗れるのか”敗因21ヶ条という本を読んでいる。

ちょうど良い機会なので、私なりの感想をまとめておきたい。

 

山本七平氏は、ミリオンセラー"日本人とユダヤ人"の作者としてつとに有名であるが、戦争体験者としての著述、聖書に関する該博な知識、其の上で一人出版社としての山本書店の経営者という多彩な顔の持ち主であった。

私は随分前に彼の著書”孫子に学ぶ参謀学”なる本を読んで、山本氏の存在を知った。

私が関係があった社会工学研究所のパーティーで直接其の謦咳に接したこともあった。

 

昨年の冬季オリンピックの無残な結果、今年のW杯での日本代表の惨敗等々。

一般的なことに限らず、北朝鮮他との政治的な外交折衝、あるいはバブル崩壊後のマネー敗戦等なぜか歯軋りしたくなるような日本の対応の稚拙さ。

これらはどこに其の原因があるのだろうと其のたびに切歯扼腕しながら思ったことがたびたびであったが、山本氏の今度の著作はある程度その原因を明らかにしてくれると思う。

 

氏は敗因21ヶ条を、戦争の同時期フィリピンの戦線に技師として派遣された小松真一氏が書き残した希少な記録をベースに氏自身の体験をそれに重ねるように著述を展開している。

それを私なりにまとめてみると三無主義に集約されると思う。

1.無責任2.無思想3.無物量の上での無理な戦いだから負けが当然の結果である。

3は明瞭であるが、1と2については、若干の解説が必要だろう。

 

1の無責任とは、他人に対する態度のこと。

戦争を展開した現地たとえばフィリピンでいかに戦争とはいえ現地の人を巻き込む状況の中で支持を得なければ勝利は望めないが現地の人に対して余りにも無責任な行為が多すぎたとのことである。

これは今なおアジアの国々に対して謝罪を余儀なくされる状況が示している。

米軍はある種の責任ある態度を戦中も戦後もとったと言う。

2番目の無思想が私にとっても一番わかりやすい理由である。

何のために戦うのかが明白でなかった。指導層には明白だったかも知れないが一般の兵士には国家のため天皇陛下のため以外何もなかった。

 

米軍の兵士たちは戦争に負ければ個人の生活が破壊されると思って戦っていたという。

自分のため家族のために戦う人が勝つのが当然であろう。

それを醸成するのは教育ではなく教養あるいは常識コモンセンスであるという。

 

教育水準から言えば、日本の兵士の方がはるかに勝っていたと言う しかし基本的な価値判断、人間としてのコモンセンスにおいて米軍が勝っていた。

 

七平氏はこの三無主義を克服するすべを自由に求めている。

自由な談話フリートーキングの欠如こそが、日常的な価値を基準とした思想の形成を阻害するという。

様々な近年の出来事を見て私も理解できることが多い。

 

ジーコに代わったオシムは、日本人の特徴を生かしたサッカーを目指すという。

借り物ではなく、我々独自の教養、コモンセンスの上に根ざした意志、思想を醸成し、主張しそれなりの社会的責任を果たしていくことの重要性をこの本は教えてくれる。

 

身近な私の仕事の中でも、思い当たることが多々あるし、襟をただすことが多い。

 

 多くの奇怪な出来事が起こる中であるいは激動の時代の中での自衛論議等これからの世代のための教育論議がこれからも増えてくると思うが日常的なコモンセンスに根ざした考え方、思想の上で展開して欲しいと私も思う。


夏は思い出の季節

2006-08-12 22:18:15 | Weblog
今年も暑い夏である。今日は日航機の御巣鷹山事故から21年目。昨晩は又灯篭流しが行われていた。原爆記念日はついこの間の八月六日と九日。そして終戦記念日がやってくる。私の従兄弟の子が齢41で、膠原病に倒れたのは昨年の八月十三日明日である。お盆は霊が帰ってくると言うが、霊が霊を呼ぶように暑い夏に色々な出来事が繰り返す。思い出の季節とでも言うべきか。
NHKテレビの番組で、思い出のメロデイーをやっていた。なつかしいフォークソングの歌声から加山雄三まで、坂本九からザピーナッツへとポピュラーな歌が流れていた。
今日は音楽プロダクションをやっている大石氏の新しい住宅の件で打ち合わせ。
しばらくご無沙汰で思い出したように電話があったのが昨日のこと。引越しをして新しい住宅を改装しているがうまくいかないのでちょっと見てくれと。毎度同じことかと思いながら行ってきた。今度はクラシックなヨーロピアンで行くつもりらしい
彼の注文が難しいのか、業者の力が足りないのかわからないが、例によって余り良い出来ではない。又色々な意味で難題と取り組んでみるかと思う。
暑い夏は新しい世界を広げようと積極的に出るときではなく、越し方を振り返り、自らの振る舞いを反省し、縁のあった人に感謝し、新しいエネルギーを蓄える思い出の季節なのかもしれないと思った。

住宅セミナー

2006-08-06 21:35:46 | Weblog
昨日、旧知の家づくりセンターの山根氏から連絡があり、住宅のセミナーをやるので、講師をお願いしたいとの事であった。 家づくりセンターは、世田谷、杉並、渋谷区を中心として、戸建て住宅の建設を斡旋しているところであるが、過去に私も、何件かの話にお付き合いしたことがある。建築家の参加を求めて、家を建てたい人にコンペ形式で紹介し、成約すれば建設することをメインの業としている。
渋谷区上原に事務所を構え、近隣の顧客と密接に連絡を取り合うため住宅セミナーなどを企画しているのだと言う。
さて私は何を話せばよいのでしょうと聞くと、先生は照明の使い方がうまいし、目黒でやられた改装工事はインパクトがあるのでその辺の話を中心にとのこと。
目黒の住宅とは、デンジャークルーの大石氏の住宅の改装のこと。あれは特殊なケースだし、一般の住宅需要者にはどうかと思うが、とにかく普通の話をしても、顧客が魅力を感じなければ意味がないとのこと。 しかし考えてみれば私の長い住宅設計の跡を振り返ってみると、いわゆる普通の住宅はあまりやっていない。個性的な人の難しい設計ばかりやってきた感がある。道理で採算が良くなかったと今思っても後の祭り。
これなら、かなり話せそうだ。テーマは”こだわる人のための住宅設計”サブテーマは、素材の選択と照明計画あたりでどうかと思っている。
敬愛するルイス・カーンはすべての建物は住宅だと言って、どんなに忙しくても住宅の設計を欠かさず、住宅を設計することが彼の設計トレーニングの基礎だったと言う。
そんな心境には中々なれないが、久し振りに彼の作品集を紐解いてみた。
例によってコンセプチュアルな作品の数々。浮世の複雑さに流されていると、忘れがちな原則の世界に引き戻される。
やはり常に原点を忘れず、取り組んでいく姿勢を持つために又過去の作品を振り返って見ようと思った。


リスクマネージメント その2

2006-08-05 10:14:09 | Weblog
先立ってパロマガス湯沸し器のとき考えたリスクマネージメントのことを
今日も考えてみたいと思う。
先日来、埼玉県のプールの少女事故死の問題が議論を呼んでいる。
公営プールの管理問題が明らかになり、管理業者が下請けに丸投げして
結果的に誰もきちんと管理していなかったと言う。
ではこれが民営のプールであればきちんと管理できていたかというと、
公営よりはまだましと思うが、これも完全とは言えないのではないかと思う。
私が関係している建物の管理状況を見ていると、一般的に民間だから事故等があると会社が潰れるから注意してやっていると言うが、残念ながらそう楽観出来ないと言うのが実感だ。
建物管理とは、基本的には設備管理、機械管理である。
その扱いにはある程度専門的な知識と経験が必要であるが、通常は何もなく動いているから、常時専門家が張り付いている必要はない。
今、大規模なビルは別にして中小ビルの管理の実態はかなりずさんなものではないかと想像する。いわゆる不特定多数の人が集まる特殊建築物の場合は、最終的にはお客がその被害を蒙る事となる。
現実には建物管理はそれなりのお金が必要であるから経営や、今までの付き合いや、様々なしがらみの中で、進行しているのが実態であろうが私は前線で物を見ている建築、設備技術者の危機管理能力、簡単に言えば職業に対する倫理観と日常的緊張感にすべてを期待するのは難しい時代ではないかと今思い始めている。
やはり企業としての取り組み姿勢が問われているように思う。
それだけ管理、メインテナンスということが重要な経営問題となってきたと言える
従って今回のプールの事故も下請け会社の責任問題のみに帰することではなく、管理者としての官公庁の姿勢、関連する人々の日常業務の積み重ねに問題があったのだと言って良いと思う。
改めてリスクマネージメントの基本を教えてくれた故大谷勝美氏の言葉と顔を思い出している日々である。