木村 和美 Architect

建築家木村和美の日常活動とプロジェクトについてのブログ

●価格競争

2009-10-31 21:09:17 | Weblog

 

今は価格競争の時代である。

ジーンズの安売りが注目を集めているようだが、ドン・キホーテが690円のジーンズを売り出したと聞いた。

何故ジーンズなのか、やはり確実に売れるからだろう。

 

先日すかいらーくの店舗がすべてローコストのガストに変わったニュースを聞いた。

私は数年前すかいらーくグループの和食部門の藍屋や夢庵のコンサルタントをしていたので、感慨深いものがある。

外食産業の革命店もその名前が消えていく時代である。

 

良い物をどんどん安くをスローガンに躍進したダイエーも今はもう実質的に存在しない。

スーパーという業態も現在決して安いとは言えないようだ。

黒川さんのところで、ダイエーの最盛期、熊谷店の設計をした時のダイエーの侍達の凄いエネルギーを懐かしく思い出す。

 

私が関係していたペンション業界も、当初は一泊二食4000円で当時の旅館やリゾートホテルの常識からは考えられない価格で成長したが、これも現在は新しい動きは見られない。

 

今日ポカポカ陽気となった渋谷の喫茶店で不動産関係の知人に会い、不動産の価格革命は起こらないかどうかを議論したが、そろそろ起こって良いではないかという話になった。

原因は、日本的金融の性格にもあるような意見だった。

 

私達のような仕事でも今の時代当然だが価格競争がある。

この消費不況で皆財布の紐がしまり、廻りまわって影響が出てきているデフレの時代、この中で唯一下がらないのが借入金の返済金額である。

亀井大臣の声が又大きくなりそうである。

日銀はもう少しマネーサプライを増やしても良いのではないか、、、。

 

企業にも人間と同じで寿命がある。

以前良くワン・ジェネレーション25年から30年が企業の寿命だと言っていたが、そんな目で見ると何となく今でも当たっているかと思う。

 

何時までも同じ考え、同じやり方で通用する方がおかしいので、自らの身に起こった価格競争を教訓に常に違うものを追求する事、昔懐かしいメタモルフォーゼと言う言葉を思い出した次第である。


●晩秋の雨模様

2009-10-26 19:29:23 | Weblog

 

先週末から愚図ついた天候だが、今日は台風の接近で本格的な雨模様となった。

気温も一気に下がりセーターを着て出掛ける様な一日であった。

 

先週の土曜日は、私の甥の結婚式が乃木会館であり夕刻から出かけてきたが、小雨模様の天候で、本格的な神社の雅楽に導かれての式であった。

ホテルの結婚式とは又異なった雰囲気だが、屋外なので今の時期でも結構寒い。

神式の結婚式も幾つか出たことはあるが、舞台の様な神殿で多くのスタッフを従えた神主の様々な所作を見るのは初めての経験であった。

 

 この乃木神社と乃木会館は、建築家大江宏氏の作品である。(写真)

丹下健三氏と東大建築科で同期で法政大学教授を勤められた。

先生の父君も建築家で、明治神宮や神田明神などを手がけている。

寺社建築はお手の物と言ったところだろう。

 

乃木会館は私達の学生時代に完成している。

建築雑誌に載った記事を私も記憶があるが、当時は丹下健三さんに代表される前衛的な現代建築が隆盛で、その陰でひっそりとした扱いだった記憶がある。

建物の外観の最上階に特徴的な意匠があるが、それもプレコンを使ったり、列柱があったりのクラシックとモダンが混在したようなものである。

父君から受け継いだ伝統的なDNAと、当時の流行の技術表現を混在させた微妙な表現を感じたものだった。

 

甥は、オートバイのハーレーダビットソン・ジャパンに勤務していて、父親の会社の関係で、幼少期をフランスで過ごしているのに、何故神社で式をと不思議だったが、かえってそんなものかもしれないと思う。

宴会場や料理も和洋折衷で、新郎新婦の入場も雅楽風の音楽だったり、吃驚したが楽しい結婚式だった。

 

あくる日の日曜日は、葉山の森戸神社で地元の商工会のビッグマーケットが開催され誘われて出席した。

これも小雨模様で、よくよく神社と雨に縁のある週末だと思いながら、海のそばの会場で気持ちよく過ごしてきた。

 

草津の商工会も毎年協賛参加するようで、草津の山采をてんぷらにして乗せたうどんは大人気で、行列が出来る程だった。

私は、手作りビールを片手に、モッツアレラチーズをサンドイッチした揚げピッツアを食べた。

その上地元の名産の魚を煮込んだ葉山鍋を食べさせられ、美味だったがこれも和洋折衷で、昨日に続き私の胃もさぞかし吃驚した事だろうと思う。


●良くわからない郵政民営化

2009-10-22 20:35:13 | Weblog

 

日本郵政の社長に、もと大蔵事務次官の斉藤次郎氏が内定し、民主党政権の脱官僚のキャッチフレーズに疑問符が付いている。

しかし、あれほど大騒ぎした郵政民営化とは一体何だったのだろうか?

色々聞いても良くわからないところが多い。

 

小泉純一郎元首相は、かって郵政民営化は行政改革の本丸だと主張して、2005年の衆議院選挙を圧勝したのだが、あの後、行政改革が進んだとはとても思えないし、民主党政権によれば又組み直しをするような情況だ。

 

財政投融資の資金源だった膨大な郵便貯金や簡易保険を国の管理から、民へと移し合理的な経済活動に使用することによって社会を活性化する趣旨は誰もが賛成するテーマだった。

しかし、その方法論をめぐって余りにも政治的な動きが多く、当時日本を席捲したグローバルファンドの思惑も絡んでズタズタになったように思う。

竹中平蔵氏のような人物の存在もそれに拍車をかけたのだろう。

 

振り返ってみると当時郵政民営化反対を叫んで自民党を脱藩した、亀井久興氏や城内実氏の意見の方が全うなように感じる。

私も簡易保険の配当金の受け取りで、民営化以降の窓口で不快な思いをしたこともあるし、何かおかしいと思ったことも何回かある。

 

アメリカなど諸外国では、主要閣僚やそれに次ぐ役職に民間の経営者がなることがよくあるが、彼らが在任中出身母体の会社に便宜を図ったり、その人脈で仕事をすること等を余り聞かないし、まずありえない。

今回の日本郵政の西川社長は、側近を三井住友出身者で固め様々な便宜を出身母体に図っていたと言うが本当だろうか? 

株式会社とは言え、まだ国が株式を100%所有している情況ではもう少し公人としての行動様式が必要だったのではないだろうか?

さらに少し前の鳩山邦夫元総務相との諍いも、よく理解できないことが多い。

 

中曽根政権の行政改革をリードした土光敏夫氏のような私心のない経済人はもう今の日本にはいないのだろうかと思う。

 

今回の斉藤次郎氏の人事は、多分批判も多く民主党に吉と出るか凶と出るかわからないが、郵政ファミリーの人ではないし、金融や保険のことがわかり、尚且つ公的な部分も多い郵政を束ねるには意外と適任なのかもしれないと思う。


●二子玉川・マンハッタン

2009-10-19 18:30:48 | Weblog

 

本日田園都市線で溝の口へ行く途中、二子玉川駅の至近距離で鉄骨が組み上り、大きな建築が出来ることを想像させてくれた。

いよいよ、二子玉川の市街地再開発事業も佳境に入ると言う事だろう。

以前からⅢ街区と呼んでいた住宅地には、すでに3棟の超高層マンションが立ち上がり、多摩川沿いの新しいスカイラインを造っている。

 

1970年に高島屋SCがオープンするまでは、この地には二子玉川遊園地があり、多くの人たちで賑わっていた。

東急東横線の多摩川園と同じような家族向けの遊園地だった。

その遊園地の跡地を中心にして、約8haに及ぶ全国でも最大の再開発事業が組まれたのが1985年ごろだと記憶する。

 

田園都市線は、多くの優良な住宅地を抱え、東急大井町線とも乗り入れる二子玉川駅周辺は、その開発可能性から、瞬く間に郊外型一等地となってしまった。

駅前に建てられた野村不動産のプラウドタワーは東京でも五指に入る人気物件だと聞いた。

 

閉塞感に包まれたわが国の景況感の中で、このような大規模再開発事業が結構進んでいる。

公共事業の先行きが期待できない今、日本の建設業の数少ない光明だと言ってよいのではないだろうか?

 

雑誌”Voice”11月号の景気回復特集号の中で、大前研一氏の”爆発的に経済成長する方法”と言うオーバーな題名の論文を読んだ。

例によって、日本の景気刺激策を国際的なマネーの動きの観点から酷評している。

氏の論はいつもそうだが、グローバルなホームレス・マネー、いわゆる投機資金のうまい扱いに尽きる事を述べている。

具体的には川崎から横浜間の、京浜工業地帯の再開発事業で、この世界的なホームレスマネーを呼び込むことを提言している。

 

様々な事業の中で、今高い利回りを保証出来るものは、東京の大規模再開発事業ぐらいしかないと言う事なのだろう。

 

バブル期に黒川さんなどが提唱していた東京湾の人工島構想も同じような事で、投機資金の吸収法を事業化し、それで多くの資産や安価な住宅をつくり、長期的には地価を安定される方法である。

 

先般最近の東京都のマンション価格を見る機会があったが、あれほど投売りとか言われた割には、その価格が下がっていない。

自民党ではなく、民主党政権の下で、閉塞感の打破と、投機資金の呼び込み、産業の活性化、住民福祉、環境改善をあわせて解決する方法として、大規模再開発事業を真剣に考えてもよいのではないだろうかと思ったりもした。


●先手必勝と観見の術・・・武蔵の五輪書

2009-10-17 10:30:52 | Weblog

 

新政権が発足して約1ヶ月がたち、新聞はじめジャーナリズムの各大臣に対する論評が姦しくなってきた。

前原国交相の、数々の発言が注目を集めている。

就任早々の八ッ場ダムの中止発言をはじめ、JALの再建問題、沖縄基地問題と続き、最近では羽田空港のハブ空港化についての議論が物議を醸しだしている。

 

 一連の発言を聞いていて、前原国交省の発言には一つの筋が通っているように思う。

情けないのは新聞、テレビに代表される大手マスコミの対応で、羽田のハブ化など日本の空港の問題点は数年前からわかっていたにも係わらず、航空行政に対して正面からの批判を避けてきたように思う。

 

前原国交相は、元々安全保障の専門家として知られ、困難な課題の解決のためには先手をとって進めていく事が大切な事を承知しているだろうし、有名な宮本武蔵の五輪書も読んでいるだろうと想像する。

 

最近ある人から”五輪書”の素晴らしさを教えられ改めて目を通してみた。

その人曰く、武蔵の強さの根本は”観見”にあるという。

勝負と言うは敵に勝つ事にあり。

勝つためには、観と見の両方で敵の動きを判断する事が大事だと言う。

見は近くの目で、剣の動きを見ることをいい、観は敵の心と全体の動きを目ではなく、我が心で見ると言う。

 

敵の心がわからない時は、”陰を動かす”即ち自分からまず強く動いてみろと言う。

これがわざと先手を仕掛けること。

もう一つ”影をおさゆる”敵から掛かって来た時は、その勢いを押さえるような強い調子を見せる事、敵が驚き、戦法を変える。

その瞬間こちらも戦法を変え又先手を取る事を説いている。

このように常に先手を取る事で優位に立つことを繰り返し述べ、そのことが敵を客観的に見る、即ち敵の心を読むことに繋がると言っている。

 

五輪書最後の”風の巻”であれほど先手を重要視する武蔵が、剣さばきについて”剣さばきが速い事を尊ぶのは正しい道ではない”と言っているのは大変興味深い。

早く進めば転ぶ事もある、道には荒地や沼地もあるだろう。

上手のすることはゆっくり見えてしかも間がぬけていないことだと。

兵法において早いと言う事は良くない事だと断言している。

 

先手先手と発言している前原国交相の前にはどんなことが待ち受けているか、焦らず慌てず物事を進めて欲しいと思う。

よく考えてみると、自らの身近な仕事に思いを馳せても、当てはまる部分が随分多い教えだと思う。


●上野の森の温泉シンポジウム

2009-10-16 21:47:51 | Weblog

 

本日は、上野の東京文化会館の会議室で、NPO法人”健康と温泉フォーラム”が主宰する、”新・湯治文化の実現に向けて”なるシンポジウムがあり、知人の温浴コンサルタントの吉川昭二氏がメインパネラーを勤めるので、誘われて参加してきた。

 

 久し振りに上野の森の改札口を出ると、そこには緑一杯の公園風景が広がり、多くの人が秋の日を一杯に浴びて散策し、あるいは大道芸に見とれて楽しんでいる様は、この上野の文化の森ならではの独特の風情を感じさせてくれる。

 

コルビュジェの国立西洋美術館のシンプルなデザイン、その前庭のデザインが以前とやや変わった印象を受ける。

周辺の道の舗装も木のブロックを使用し、何となく公園の雰囲気も違う感じを受ける。

変わらないのは、大きく背の高い樹木の集積、季節を感じさせるケヤキの落葉とそこで休息する多くの人々の姿。

 

吉川氏の話は、彼がプロデュースした後楽園”スパ・ラクーア”の苦労話から始まった。

ラクーアは、若い女性、特に働く女性をターゲットに成功した温浴施設だが、今日の主題は、苦戦する各地の温泉地の活性化のために、そのノウハウが生かせるかということらしい。

題して”OL御用達の温泉地づくり”

 

 30数名の参加者の多くが、温泉にかかわりのある人たちであるが、最近の若い女性は特に温泉地へ足を向けないそうだ。

コストの問題もあるだろうが、ラクーアのような日帰りスパが多く出来たせいで、交通費を払い、ただ風呂に浸かって食事して帰るという行為は、極めてコストパフォーマンスに劣る行動だとの事。

 

今各地の温泉地では、本格的な温泉保養地作りを目指した多くの活動がスタートしているという。

私がペンション事業に参画していた当時20数年前は、2泊3泊の連泊可能な旅行形態を目指していたし、宿泊費用は4000円/日程度で、うまく進めば日本でもヨーロッパ並みのリゾート生活が可能かと思ったが、その後の金融不動産バブルがすべてを壊したと思う。

 

個別の旅館やホテルが単独に取り組んで、本格的な温泉保養地が出来るわけではなく、そこには行政を含めたいわゆるまちづくり活動をする必要があるが、その前提として、連泊可能なシステムづくりができるかどうか、、、、?

 

最近の経験で、私の身近なところでそのような実験を行っている企業や、自治体がある。

やはり、ある程度資本力のある企業と、アイデアに富む長を得た自治体に先取りのチャンスがめぐってくるのはやむをえない事だろう。

 

高速道路の無料化や、様々な公共料金の見直しが予想されるこれからは、地方の温泉地にとってある意味、新たなチャンスの時代かもしれないと思いながら、パネラーの人たちの意見に耳を傾けてきた。


●ビジネス・リゾート・・・ホテルコンセプト

2009-10-14 18:43:41 | Weblog

 

本日横浜関内に行ったので、近くのリッチモンドホテル横浜馬車道に寄って見た。

最近稼働率等の成績が良く、評価が高いホテルであるが駅方面から馬車道を入ったすぐ左手の好立地のホテルである。

関内周辺は、横浜駅前と共に横浜のビジネスホテルの主戦場であるが、この近くにアパホテル、コンフォートホテル、東横イン、ルートインなどのチェーンホテルが軒を並べている。

 

 リッチモンドホテル横浜馬車道は、この前まで大和ハウスのロイネットホテルと言う名のホテルだったが、どんな理由かロイネットホテルは山下公園の方へ今年年末に新規オープンしこの場所はリッチモンドグループが運営する事になったと聞く。

 

周辺の他のホテルに比べて、馬車道のホテルらしい雰囲気で成功していると思う。

低層部に、ダイニングレストラン”モディッシュ”、タリーズ・カフェ、そばの高田屋が入居し、外壁はグリーンの石張りでモダンな感覚である。

レストラン”モディシュ”にはバーコーナーが付設してあり、インテリア壁面の一部はスコテッシュ・バーでよくやる赤色のクロス貼りで、外部の道路からスリット窓を通してそれがうっすらと見えるところなど、中々演出にも工夫が凝らしてある。

丁度私がホテルへ行った時に、中年の男女のカップルが二人でバーカウンターに並んで席をとったが、いかにも馬車道のホテルらしく様になっていたように思う。

 

数年前から、私はビジネスクラスのホテルのコンセプトを”ビジネス・リゾート”と呼んでいる。 

単純にウイークデイと休日の両方に対応し稼働率を上げるための造語とも言えるし、ビジネスホテルでもリゾート感覚のものが欲しいと言う目標でもある。

 リッチモンドホテル馬車道は、このコンセプトをほぼ完璧に近い形で実現しているホテルだと思う。

 

標準以上のハード・ソフトでしかもリーゾナブルな料金、その上での恵まれた周辺環境、馬車道は多くの観光施設や店舗が並び、横浜でも有数な美しい道である。

私も、タリーズ・カフェの馬車道に面したテラス席で、道行く人を眺めながらしばし、深まっていく秋のさわやかな風に吹かれてみた。


●中国の現代アート・・・アイウェイウェイの作品

2009-10-10 18:34:51 | Weblog

 

中国の現代美術家として注目を集めているアイウェイウェイ氏の個展が、六本木の森美術館で開かれていると聞いて、今日その作品に直接触れてきた。

数ヶ月前、ミズマ・アートギャラリーを主宰している三潴末雄氏が、中国の草場地にギャラリーをオープンした話を聞き、その場所に最初に住宅とギャラリーを建てた中国の有名な詩人を両親に持つ、特異な現代アーティストがいることは承知していた。

 

しばらくして、雑誌”pen”でアイウェイウェイ氏の特集記事が出て、古木や、日常的なものを使って自らの思想を表現する反体制派の芸術家という紹介記事であった。

氏は昨年の北京オリンピックのメインスタジアム、鳥の巣にもスイスの建築家ヘルツオークドムーロンと協同したが、基本的にはオリンピックには反対で開会式にも出なかったというような噂話も聞いたことがあった。

 

もう一つ、最近私は海老名さがみ野の桜並木のあるまちづくりに参加する機会があり、寿命が来て倒壊した事件が起きたと言う、樹齢60年の桜の木を切る話があった。

切って何もなくなるよりはその痕跡を残す工夫を、残材をアート化して出来ないかと言う、思いつき発言をしたことが気になっていたこともあった。

 

どんな作品なのか、とにかく解説も読まず最初は展示されたものだけを見ようと白い美術館の中を歩いてみた。

予想どうり私には何の感動も伝わってこない。

再度入り口から、今度は作品の解説を読みながら作品を再び一つづつ丹念に見る。

最初は中国茶のプーアール茶をブロックにし、積み上げて立方体にしただけの作品、じっくり見るとお茶の香りが微妙に伝わってきてテクスチャーにも感心する。

 

次は天井に蛇のような連続する布のユニットがとぐろを巻いている。

これは例の四川の大地震で被害にあった中学生の多くのリュックを発掘し、それを集めて長く連結させアート化したものだと言う。

そう聞くとなるほどと納得しその行為と発想に感動する。

 

氏はアーティストと言うよりは、確かに社会思想家であると思う。

日常性をアート化した現代美術の祖と言われる、マルセルデュシャンの手法に似ていると言う人もいるが男性用便器を泉と名付け、世に出したデュシャンの作品はそれはそれで今見るとアートの香りを多分に含んでいた。

 

様々な矛盾を含んで発展を続ける中国現代社会。

その只中に身をおき、幼少期から政治的な出来事に翻弄された過去を持つ氏の発想は、芸術と言えどもすべからく社会の改革へと向かう。

”アートは結果ではなく始まり。基本的な構造や枠組みを提供する事だと思う”と。

 

アートには心の自由や社会を変える力があると信じる氏の作品は、白い美術館の中に納まるものではなく、もっと大きな自然や日常性の中でこそ、本当の息吹を放つものだろうと思った。


●中秋の長雨

2009-10-07 15:27:38 | Weblog

 

今年の中秋の名月は10月3日、先週の土曜日だったと言う。

せっかくの名月も曇り空でよくわからないうちに過ぎてしまったが、今日も雨で台風もきているらしく、しばらくはこんな天気が続くようである。

 

先週末から又地方出張、月曜日は海老名のまちづくりの会合で夜中までと、落ち着かない日々で、今日やっと片づけが出来るようになった。

 

日曜日には元財務大臣の中川昭一氏の訃報が伝えられて吃驚した。

私も参加した佐倉市の中心市街地活性化事業の時、経産大臣をやられていて佐倉商工会議所に来訪された事もあった。

お父上の中川一郎氏が、黒川さんと昵懇で帯広空港などの仕事もやったことがあり、注目を集める保守政界の旗手だったが、最近の様々な出来事で心身に異常を来たしたのであろう。

 

様々な失敗に遭遇したときの孤独感、あるいは孤立感は順調に生きて来た人ほど激しいものだろう。

しかしそれは誰でも何回かは経験するもので、ましてや高齢化社会の現在は、益々多くの人がそんな感情に襲われる機会が多いのではなかろうか ?

 

忍耐力とユーモア感覚。 アングロサクソンの価値観の中でもっとも尊重されてきたものは、こうした苦境の時期を括り抜ける過程で育まれて出来たものだという。

日本でも、利休や芭蕉に代表される”ワビ・サビ”の思想は、同じように不如意の出来事、突然の変化に対応する気持ちや処正術を鍛えるものだったと聞く。

 

以前、新聞で見た話だが、世界各国の15歳の少年の意識調査で日本では日頃孤独を感じている少年の割合が3割で、もっとも高率だった。

英国などでは5%程度であった。

大人の世界も同じ事だが、これは多分に集団行動を取る日本と個人主義の強い西洋の違いで、日本人はその所属集団において、時として疎外感や孤立感を感じやすいと言う事だろう。

 

我々の建築設計のような仕事は、考えてみれば孤独が友達のようなもので、皆でワイワイやるより、一人で考えている時間の方が圧倒的に多い。

むしろそういう時間を楽しむ事ができる様になりたいとも思う。

 

月曜日の夜は、久し振りにまちづくりの会合で、色々議論した後古い友人としばし旧交を温めながら杯を傾けた。

前向きの議論と懐かしい世間話はことさら美味しい酒の肴ではあった。

 

天候もすぐれず、景況感も今一の情況の中で、ペーシャントリーに生活をし、時にめぐってくる楽しい会合を糧にして、この時代を乗り越えて生きたいと思う。


●国際派雑感

2009-10-03 23:36:58 | Weblog

 

今日の午前中に2016年オリンピックの開催地がリオデジャネイロに決まったことが報じられ、東京での開催は夢と終わってしまった。

ほぼ3年に渡った招致活動と150億円にも上る費用が一瞬のうちに消えてしまった事になる。

石原都知事は、記者会見で久し振りによい戦いをして清涼感を覚えたと語っていたが、公の立場と個人的な感傷を混同しては困り物だと思う。

 

いささか強引なオリンピック招致の発案だったと思うが、当初から極めて困難な課題であることは皆わかっていたと思う。

それなのに、IOC総会が開かれたコペンハーゲンでのロビー活動でも各国に比べて決定的に後れを取っていたと言う。

いつもながらの外交下手、人脈不足で国際交渉に弱いところが露呈したと言う事だろう。

 

2012年オリンピックがロンドンに決まった時に、時のブレア英国首相はどんな手を使ったのか、圧倒的なパリ優勢の情況を逆転して自国開催へ漕ぎ着けたと聞く。

ヨーロッパの社交界、あるいは国際関係は基本的には、組織や国の力ではなく個人的な人間関係で成立してると言う。

それはある面極めて限られたセレブな人間関係かも知れないと思う。

 

日本では、昔から”平家、海軍、国際派”と言う言葉があり”源氏、陸軍、国内派”が主流を占め、前者はいわば傍系と言われてきた事から、中々優秀な国際人が育たなかったのかもしれない。

今までは自民党の派閥に代表されるように、内向きで群れを成すほうが島国では効果的な事だったのかもしれないと思う。

 

若い頃、この人は素晴らしい国際人だと思う何人かの人に知遇を得たことがあるが、個性的で魅力的な人であるほど、国内ではほとんど少数派で不思議に思ったこともある。

渡辺昇一氏など、日本は相続税を廃止して、金持ちを作らないと国際的でセレブな人間関係の中にとても入れないと極論を言う人もいる。

 

今回のような出来事に遭遇すると、オリンピックはともかくとして、日本人の中の国際化と言う言葉が極めてむなしく感じるのは、私だけだろうか

 

海外へ出て行くことだけが国際化ではなく、ひょっとして極めて日常的な行為や考え方の中に国際化へのヒントがあるのではないかと思う。