木村 和美 Architect

建築家木村和美の日常活動とプロジェクトについてのブログ

●党首討論に思う

2008-11-29 13:37:39 | Weblog

 

昨日の午後3時過ぎ、夕方の打ち合わせの前に少し時間ができたのでテレビのスイッチをつけると麻生首相と小沢民主党党首の党首討論が始まったばかりであった。

 偶然の機会だったが、45分間その議論をすべて聞くことができた。

私は別に民主党シンパではないが、この議論を聞く限りどちらが総理大臣なのかわからない印象を受けた。

麻生総理の落ち着きのない目付きや表情をを見ているとこの人は、自分を本当に総理大臣だと思っているのかとも思う。

 

日本の党首討論はその場で自分の意見をぶつけ合い、議論を深めていくと言うものではなくて、はじめから結論は決まっていてその言い訳を一生懸命話しているようで、麻生総理はメモ持参の討論会であった。

自民党は再三党首討論を申し込んだが受けてもらえない、今回初めて国民の前で違いがわかったとか自画自賛していたが、最初から組織の結論ありきでは、余りやる意味はないのではなかろうか

 

その日のTVメディアはこの討論のニュースを流していたが、NHKやその他のニュースでも、議論が平行線とかどちらも疑問とか当たり障りのない解説ばかりで討論について的確なコメントをしていないことが気になる事ではある。

ドキュメントのニュース番組が増えたが興味本位のニュースと党首討論のような重要なニュースが同じような扱いのものが多いのも何か奇異な感じがしないでもない。

 

 石原慎太郎都知事は、この討論の感想を”福田総理よりは良い”と援護射撃していたが、自らの新銀行東京の参考人招致の問題があるので、援護射撃をしているとしか思えないし、いつもの石原氏らしい辛らつな意見は聞こえてこなかった。

 

 山本七平氏の興味ある著作に”人望の研究”がある。氏は古今東西の集団内におけるリーダーの資格について様々な意見を述べているが、結局人望を勝ち得る人物の要素とは、個々のテクニカルな知識や行動ではなく、それらとは違う”徳”の存在にその帰結を求めている。

それは別に難しい事ではなく基本的には自己抑制から始まる事だと説いている。

 

現状の社会の状況や、自分の身の回りの仕事を見ていて今回の党首討論を聞く限り、とても麻生総理を”徳”のあるリーダーとは認めがたく思った。

45分間の討論をつぶさに見て昨日は色々な事を考えさせられた日であった。


●今日から改正建築士法の施行

2008-11-28 23:01:17 | Weblog

 

耐震偽装事件以後建築士の資格や役割を新しく規定した改正建築士法が今日11月28日から施行された。

言ってみれば今日から法律上建築士の責任がより重くなったと言う事である。

 

その内容は、建築士の能力アップのための3年ごとの定期講習の義務付け、建築事務所の管理建築士になるための講習の受講義務、構造一級建築士、設備一級建築士制度のスタートの三つが大きなものである。

 雑誌日経アーキテクチャーで、多くの建築士にアンケートをし、この改正建築士法の現実的な効果について聞いたところその60%が否定的であったという結果が出ている。

 そもそも耐震偽装問題の起こった原因は、姉歯建築士の偽装計算を役所等の確認検査機関がまったくチェックせず通したところにあり、審査側の問題であるはずだと思う。

そこは何も手をつけず、すべての建築士が悪者のようにこのような制度を造り、建築士の側に押し付ける事に対して皆が懐疑的になっていることだと思う。

 

これに先立つ昨年6月の建築基準法の改正による確認申請の長期化、構造計算のダブルチェックシステムは、コンプライアンス不況と言う言葉と共に建築業界を不況に陥れた悪法として、A級戦犯とまで言われている。

こんなに問題があっても、なんら軌道修正もしないで進める行政とは何だろうと思う。

 

今週の水曜日管理建築士の資格講習がパシフィコ横浜の会議センター、メモリアルホール(写真)であり、私も行ってきたが朝10時から夜19時まで、決まりにより5時間の講習と1時間の試験を受けてきた。

1000人の人間しかも経験を積んだ専門家を一つの狭い劇場に入れ込んで、長時間行うことも異常であり、集まった建築士の多くの不満が聞かれたのももっともな事だと思う。

この事業は神奈川県事務所協会が主催して行ったと聞くが、それぞれの職員の方は、一生懸命でその人たちを責めるつもりはないが、そのドタバタは何か今話題となっている定額給付金と同じような中央官庁の地方への丸投げと同じ感じがしないでもなかった。

 

 このような講習会はやはり必要だとは思うが、時代は変化しているのだからもう少し行政側も、大人を扱う常識的な対応とやり方をして欲しいものだと思った。


●ムンバイの同時多発テロ

2008-11-27 22:57:42 | Weblog

 

インド西部の大都市ムンバイで、今日未明同時多発テロが起きたと言う。

今日のBBCニュースで、どこかで見たホテルが炎上している画像が流れ、はっと思い凝視するとそれはムンバイの代表的な高級ホテルのタージ・マハル・ホテルであった。(写真)

 

 インド経済はこのところ急成長を遂げ、中国に比べて政治体制も民主的なことから更なる今後の成長を見込んで、世界各国から企業がその中心都市であるムンバイに集中していた矢先のことで、日本の三井丸紅液化ガスの方が騒動に巻き込まれ亡くなられた。

 英米人をターゲットにしたイスラム過激派の犯行だとの声明も出されたが、この9月にもニューデリーで爆破テロがあり、元々根深いインドの宗教戦争を巻き込んで複雑な様相を示している。

 いずれにしても経済が急激に成長し、貧富の差が拡大し格差が広がった事への諸問題が噴出、その象徴であるムンバイが今回狙われたと言う事であろう。

 

日本の今回の厚労省次官を狙った殺傷事件も背後関係があるないに係わらず、現況社会に対する様々な不満が引き起こした事件と原理的には同じ事だろうと思う。

麻生総理は今回のニュースに接し、テロとは断じて闘うと言っていたが、軍事力や力の行使がテロの本質的な解決ではなく、それは政治や経済の安定した状況を造り出すことから始めなければならないと思う。

 

日本では年末をひかえて、又一段と景気は冷え込んできた。

早く本格的な政権をつくり、様々な世界的な状況変化に対応出来る体制を造らないと、いつか日本でもこのようなテロが起こり得る可能性を否定できないと思う。


●ボジョレー・ヌーボー  11月第3木曜日

2008-11-22 19:46:17 | Weblog

 

 

一昨日の11月20日木曜日は、ボジョレーヌーボーの解禁日で、横浜馬車道十番館で、楽しむ会があり誘われて顔を出してみた。

レストラン馬車道十番館は、山手の外人墓地の前にも洋館のレストランを所有、そこでは毎年夏にガーデン・ビア・パーティーが催される。

 十番館は、創業80年を数える横浜・勝烈庵の経営者が経営するレストランであることを、今年の夏初めて知った。

馬車道十番館はいかにも横浜らしい4階建てレンガ造りの立派なレストラン・宴会場である。

 

 その日のボジョレーヌーボーは赤と白の他 ロゼが初登場で用意され、それはオレンジ色のさわやかでフルーティな味であった。

ジョルジュ・デュブッフ ・ボジョレーロゼ・ヌーボー2008と言う。グラスに入れると黄金色に見え貴腐ワインと間違えそうであった。

 

大分前の事だが、同じ横浜の中華街近くにエクセレント・コーストというやはりレストラン宴会場があり、ソムリエの林暁男氏に誘われてロマネ・コンチを飲む会に参加したことがあった。

その時は武蔵新城で酒屋をやっていた小室さんが秘蔵のロマネ・コンチをこれは何年ものと言いながら飲ましてくれ、それは懐かしい思い出である。

 

フランス・ブルゴーニュのディジョンから南へ約50kmに渡ってコート・ドール(黄金の丘)と呼ばれる丘陵地帯があり、そこにはフランスを代表するシャンベルタンやロマネ・コンチ、モンラッシュと言った銘醸ワインのブドウ畑がある。

その南にもうリヨンに近い場所だが、昔からブルゴーニュより格安のカジュアル・ワインを生産するボジョレー地区がある。(写真)

ボジョレーヌーボーは第二次大戦後ボジョレーの醸造家ジョルジュ・デュブッフ氏により改良され、出来立てのフレッシュな美味しさを楽しめる酒となった。

そして解禁日をイベントとして楽しむことが定着、今では世界各国で飲まれる酒となりカウントダウンパーティーなどもあると言う。

 

晩秋の一夜、十番館の旬の素材を使ったフランス料理を食べながら、幾つかの新酒を楽しみ心地よい酔いに浸ってみた。


●医療問題の混迷

2008-11-21 22:53:12 | Weblog

 

今日の午前中のニュースで、佐賀県武雄市の市民病院(写真)の民営化をめぐって、市民からリコール運動が起き、市長が辞職して選挙で選択の信を問う事が報じられていた。

 

 最近医療問題を取り巻く悪いニュースが多い。

先日、都内の妊婦たらい回しで受け入れを拒否した多くの病院があり、東京都の救急医療体制の不備が露見した。

又千葉県銚子市の市民病院が経営悪化により9月末で廃院となった。

そして10月に日本病院協会が発表した経営実態調査によると民間病院の32%が赤字、東京都内では52%が赤字経営という驚くべき結果が報じられた。

 

よく知られているようにこの事態の背景には2001年小泉構造改革の一環で行われた医療制度改革がある。

具体的には診療報酬の削減、包括医療による保険料の軽減、患者自己負担の増額などで、国庫の負担減をすることが目標であるが一方で経済効率優先のアメリカ流医療改革だと批判の大きいものでもある。

今回の武雄市の場合は多少ニュアンスが違い、市長は39才の総務省OBで、どうやら行政改革の一環として、財政負担の大きい市民病院の民営化(民間医療法人への譲渡)を独自に進め、地元医師会や、市民に十分説明しなかったこともあるようだ。

 

私の日常感覚で言うと、お医者さんにかかった場合、こんなに必要かと思うぐらいのたくさんの薬をもらうし、その値段も決して安いものではない。

尚且つ開業医の先生方の経営が苦しいかと言うと、とてもそうは思えない。

大体営業活動をしなくても、お客が来る商売はそうないのだから、何故病院経営はそれほど苦しいのだろうかと素人感覚では思ってしまう。

そこにはどうも我々の知らない多くのことがあるような気がしている。

 

 医療行政の世界は、年金よりももっとわかり難く一般社会に知られていない。

聞くところによると、日本独特の高価な薬代や医療器械の流通マージンの問題などもあるようである。

 

やはり政権交代してこれらの問題点を一つづつ白眉の元にさらし、もっと明確な社会保障制度を構築していくべきだろうと思う。


●黒川紀章さんの思い出

2008-11-18 18:47:02 | Weblog

 

建築家の黒川紀章氏が亡くなってほぼ1年が経過した。

その後、特別黒川事務所のOBや、所員の人と接触を持ったわけではないから、現在の事情はわからないがご子息の未来夫氏が代表取締役につかれ、事務所もアークヒルズのオフィスから乃木坂の磯崎さんや坂倉さんの事務所の近くのマンションに移ったと聞いた。

 

上記の写真は左が黒川さんが30代前半、右が都知事選立候補のとき72歳の時のものである。

私は彼が35歳の時に事務所に入所したので、左の写真が懐かしいし目の輝きも全然違う。

当時はこの目を直接見て話すことが困難だったほど、強い視線だった記憶がある。

35歳の時点ですでに100人の事務所を抱えていたから、早熟の天才だったと思う。

事実仕事で打ち合わせをする相手は、企業の会長、社長や自治体の首長であったから、2、30歳年上の人ばかりで、そんな人達を相手に堂々と話す姿を近くで見ていてびっくりしたものである。

彼が30代から40代にかけて私は一緒に仕事をさせてもらったが、色々振り返ってみて、あの頃が黒川さんの全盛時代ではなかったかと思う。

高度成長期を持ち前の行動力と発想で駆け抜け、作品や言動は刺激的で見るべきものが大いにあったと思うし、私も仕事をしていて大きな充実感があった。

 

それ以降の黒川さんは時々会うぐらいでよくわからないが、大家になり活動も世界的になっては行ったが外から見てこれは凄いという作品はそれほど多くない。

特に晩年の都知事選や、参院選前後は昔を知る私にとって、その姿は痛々しく見えた。

 

黒川さんが最後に書いた”都市革命”と言う著書がある。

政治に参加するために書き下ろしたと言っていたが、世界各地の都市計画に参加した実績を踏まえて、国際的な視野のもとに今後の都市について提言した珠玉の一冊である。

少しづつ読んでいるのだが、頷くことが多いし幅広い提言に感心する。

 

 思うに黒川さんは余りに早く若くして偉くなり、思考は常に先へ先へと先端を目指したが故に現実に物ができるのが遅く、もどかしくて仕方がなかったのではないかと思う。

それほど急がなくてもよかったのに、、、、と思う。

 

私が在所中、いつも良い事ばかりでなく、オイルショック等の不景気もあったが、彼はそんな事はものともせず、目指すものに向かって進んでいた姿がまぶたに浮かんでくる。 

今生きてこの状況に直面していたとしても、黒川さんなら同じような態度で突き進んでいくのだろうと思たりもした。


●日本は侵略国家であったのか・・・田母神俊雄防衛省航空幕僚長

2008-11-16 20:06:05 | Weblog

 

最近物議を醸した防衛省田母神航空幕僚長の論文を読んでみた。

論文自体は特別どうとかいう話ではない。62年前の太平洋戦争時点の様々な戦時行為に対して日本側に非はないという事を幾つかの例証で明らかにし、平成7年戦後50周年の終戦記念日に時の村山総理が、先の戦争が国策を誤り侵略と植民地支配によって多くの国々の人、特にアジアの人達に苦痛を与えたとして謝罪したいわゆる村山談話に異議を唱えている。

 

 この種の話は、多くの識者によって語られており特別の違和感は感じないが、問題は、航空幕僚長と言う自衛隊の制服組のトップが、政府内閣の考え方を基本的に覆す発言を、しかも民間の懸賞論文で明らかにしたところであろう。

 

 政府は早速更迭、マスコミ各誌も一様に幕僚長にあるまじき発言としてそれを支持したが、参議院の公聴会において、田母神氏は平然と自説を展開し、政治家の誰もそれに反論が出来なかった。

浜田防衛相もうつろな目付きで明確な発言をしない。

私はここに今回の大きな問題があると思う。

 

 田母神氏の論文をよく読むと、結局言いたい事は、現在の法制度の下では、自衛隊は領域の警備も出来ない。

集団的自衛権も行使できない。武器の制約も極めて制約が多い。雁字搦めで身動きが出来ない自衛隊の現状を何とかしたいと言う事である。

 

 こんな形で問題が出ることは私はほとんど政治の責任だと思う。

色々議論があった有事法制の問題もそのまま、小泉政権の時の集団的自衛権の議論もそのまま、イラク戦争など何かあったときに辻褄あわせのことをやるだけである。

 しろうと感覚で見ると”拉致問題”などは国家の主権が侵されたのだから一種の有事ではないかと思うが、何が障害なのかよくわからないがさっぱり進展しない。

小泉訪朝後にアメリカから朝鮮銀行への公的資金の注入中止とか、かなりドライな制裁助言があったと聞くが、外務省は動かなかったと聞く。

 

 山本七平氏によると、先の大戦でもそうだが日本国は重要な決定はオープンな議論ではなく空気が決める(あるいは見えない特定の誰かが)、、、。

ここが敗北の最大の原因だと言う。

懸賞論文で世間を騒がせる前に防衛省内部のフリーな意見交換、政治家を交えた国会でのオープンな議論を通じて防衛を考えることが何故出来ないのだろう。

 

”戦争論”の著者クラウゼウイッツはその中で、我々の運命、祖国の安全を託しうるのは創造的であるよりも反省的な人物、一面的に深入りするよりも全体を概括出来る人物、熱烈な頭脳の持ち主よりも冷静な頭脳の所有者であると述べている。

 この国を託せる政治家ステーツ・マンが果たして今何人いるのだろうか?


●河口湖と大月・猿橋

2008-11-15 20:57:56 | Weblog

 

先週の土日は河口湖の私が設計した旅館、秀峰閣湖月で中学校の同窓会を行った。

 2年前の岩国錦帯橋の麓で行った同窓会の時に約束した話で参加者は8人と言う小規模なものになったが、自分が設計した旅館でこのような会合がやれるのは幸せな事である。

 

 岩国方面からの友人を新横浜でピックアップして、御殿場から東富士五湖道路を河口湖に向かったが、生憎の天候で霧が深く一寸先も見えない。

それでもトンネルを出て山梨県側に入ると遠方の空にはかすかに青空が見え、周囲も視界が広がるようになった。

今回は富士山は無理かと思ったが、夕刻の5時ごろ霧が流れて頂上を雲に覆われてはいるが、ほぼ富士の形がわかるまでに姿を現してくれた。

黄昏の富士は又一興である。

グレーの空を背景に黒いシルエットだけが近くに浮き上がるさまは、平面的なだけに一つの絵画を思わせるほどである。

 

夕刻からの宴会、別室でのカラオケ、部屋での車座になっての話、男性5人女性3人が、童心に帰っての語らいは時間を忘れて続いたようだ。

岩国の旧友が山口の銘酒を持参してくれた。精製する前の原酒でめったに飲めないものである。湖月のお刺身を肴ににごり酒を飲む幸せなひと時であった。

 

富士は余り見えなかったが、この時期の紅葉は素晴らしく美しい。

河口湖周辺の紅葉狩の後、中央道の大月の近くの猿橋に向かう。

 

 

 

猿橋は安藤広重の”甲陽猿橋の図”で有名だが日本三奇橋の一つで、桂川にかかった橋脚なしの橋。一種の斗供で両側からはね出して橋にしている。

武田信玄が戦の要衝としたところでもあるし、景勝の地でここも紅葉が見頃であった。

 

今回は20何年ぶりで会う友人もいて、懐かしい顔の中に刻まれたものや話す言葉の変わらないところに、語りはしないがそれぞれの人生が垣間見れ、それはそれで懐かしいものであった。

 

幹事として、十分なものが出来たかどうか心配だが、皆を東京駅に送り届け、雨が降り出した首都高を一路横浜に向けて走っていると、何か私にとっての2年越しの一つのイベントが終わった気持ちになったものだった。


●車社会とマイクロ・カーの未来

2008-11-13 19:42:15 | Weblog

新車の売れ行きがいま一つ芳しくないようである。

この間まで破竹の勢いだった世界のトヨタも、今後の売り上げの見通しを大幅修正すると、あっという間に株価はストップ安となった。

アメリカの状況はもっと激しくGMの国家による企業救済さえ囁かれるようになった。

車社会にとって厳しい時代となったようである。

 

先頃2009年のカー・オブ・ザ・イヤー大賞が発表され”トヨタIQ”が受賞した。(上写真)

長さが3mを切るコンパクト・カーで4人乗り。

普通車では世界最小の車で、トヨタ独自の技術に支えられこの時代を見据えた戦略車である。

 

ただこの種の車には先達がいて、2000年に発表されたダイムラーの”スマート”がある。(下写真)

EUの厳しい環境基準を受けて開発されたマイクロ・カーであるが発表当初は売り上げが伸びず評判が良くなかったが、現在は環境重視の追い風で好調のようである。トヨタIQもスマートが当面のライバルとなる。

 

 

経済危機というのは、一種のパラダイム・シフトであり傲慢な人類に神が下す鉄槌のようにも見える。

今回も様々な面で審判が下ったのだろう。

ただその中で人間の欲望、例えば動きたいと言う欲望は、過去にも様々な車の発明を行ってきた。

 

 

二次大戦後の窮乏時に発売されたBMWのバブルカー”イセッタ”、(左)

1950年代後半のスエズ危機で油がなくなり、英国で発表された”オースチン・ミニ”、(中)

元々狭い市街地でそれでも車で走りたいイタリア人が造った”フィアット500”(右)などは、その回答であり、中でもミニやフィアットなどは名車と言ってもよく今でも多くのファンに愛されている。

 

現代の若者たちは、大都市に住み公共交通が発達し、パソコンや携帯に金を使い、車などは余り興味がなくなったようで、現在の車所有者の平均年齢はなんと48歳だと言う。

今の地球環境にはそのほうが良いのかもしれないが、、、。

 

トヨタIQはこの閉塞状況を打破できるだろうか?

多分そこそこ売れるだろうが、果たして次の時代を切り開くようなヒットになるだろうか?

私見を言えばIQはトヨタらしくすべて優等生過ぎて面白い車とは思わない。

私などは、こんな状況の中でもイタリアの様々な小型車のようにユニークで楽しいマイクロ・カーが出来て移動だけでなく、車のもっと違う楽しみ方が出来る事を望みたい。

やるとすれば日本ではホンダだろうか


●金融危機を克服する

2008-11-11 20:14:31 | Weblog

 

今日のニュースで米国GMの株価がたった3ドルになったことが報じられた。

62年ぶりの安値だと言う。という事は1946年第二次大戦終了時より安いという事になる。

 

PHP研究所が出版している雑誌”Voice”12月号で”金融危機を突破する法”特集が組まれており、中々面白い記事内容となっている。

現在の日本経済にとって注目課題である、①アメリカ経済の今後、②金融資本主義の今後、③中国の成長力の今後の三つのテーマで、楽観、悲観の双方の識者の論文を対比して掲載している。

 総じて市場関係者(金融・証券関係)はアメリカと金融資本主義について楽観的であり、元モルガン銀行東京支店長でカリスマ・デイーラーと言われた藤巻健史氏は今回の問題は米国金融システムの根本問題ではなく、会計制度上の問題であり技術的問題だと極言し、米銀はまだまだ底力があると説く。

一方それ以外の学者、製造業の経営者などはそんな安易な事ではないとして悲観論を展開している。

 

 最近売り出し中のデフタ・パートナーズ・グループ会長の原丈人氏は、極めて根本的な議論で、アメリカの株主至上主義と金融工学の合体が、今回の問題の病巣だとし、会社は株主だけのものではなく又金融は企業経営の主役でなく脇役でその考えを改めない限り、新しい経済システムは生まれないとして公益資本主義論を展開している。

 

私は”サワカミ投信”を主宰する澤上篤人氏の”日本企業の将来性は買いだ”と題する論文に一番共鳴した。

氏は、スイスで資産運用の勉強をされた方で長期投資の専門家である。

一時はスイス最大のプライベートバンク、ピクテ銀行の日本代表をされていた。

彼は株式投資とは儲けのためではなく買う人の企業支援だと言う。

伸びて欲しい企業の株を買い応援することが基本で、儲けは後からついてくるのだと言う。

欧米では一般的なこの考えを日本人はまだ十分知らないし1500兆円の個人資産を銀行と郵便局またはタンスに眠らせている。

このままでは成熟した日本の経済はこれ以上活性化しないと言う。

 

氏は一方で、銀行や、証券会社の絡まない、地方の人が自分達の地域で使える”ファンド”の創設にも尽力し地域活性化も行われている貴重な人である。

  極め付けは、日本は欧米と競争する金融立国を目指すのではなく、世界最大の債権国、個人資産保有国としての立場を生かした”運用立国”を目指すべきだとの意見も大いにうなずけるものだと思った。