今年の夏は異常に長く、また暑かった夏だったが、私の仕事もここ数か月は結構忙しく、締め切りに追われる日々の連続jだった。
この涼しさの訪れとともに、やっと一段落をし、昨日今日という週末は部屋の片づけや、身の回りの整理をする時間を作ることができた。
ふと気が付いてみると、世の中は中国国内のデモに発した領土問題の議論で沸騰している。
先ごろ行われた次期総理を決めるという自民党総裁選も、この議論でもちきりで、この問題に強硬派の安部総裁、石破幹事長という組み合わせで決着した。
政治もそうだが経済もこの数週間の様々な事件のおかげで、結構なダメージを受けている。
中国に三顧の礼で迎えられたパナソニック松下電器の工場も大きな被害で、他の企業も含めそれぞれの生産調整を余儀なくされる状況だ。
このような状態が我々のような小企業には影響ないと思ったら、大きな間違いですべてがつながっていることは、あのバブル崩壊と失われた20年が教えてくれたところである。
さて今後どのような展開になっていくのだろうか?
多くの評論家や識者が様々なことを言っているが、私はこの週末、元外務省、駐アラビヤ大使で、多くの国際政治に関する著書がある岡崎久彦氏の”21世紀をいかに生き抜くか”近代国際政治と日本という本を通読してみた。
この本は氏が最近、超党派の若手議員の人たちに、例のキッシンジャーの”外交”上下二巻をテキストとしてレクチャーをした結果をまとめた本で、氏の親アングロ・サクソンに基づく意見も開陳され、私のような素人にもわかりやすく響いてくる。
キッシンジャーの”外交”は、ウエストファリア条約以降の350年間の近代国際政治の駆け引きを集約したもので、今後の国際問題の解消はそれらの教訓に負うほかはないと結論付け、その一つは”バランス・オブ・パワ-”の原則だと言っている。
岡崎氏のこの含蓄に満ちた小冊の結論を一言でいうのは極めて困難で、危険なことかもしれないが、
今後対中国問題が日本だけでなく、世界的に重要な問題であることを言い、様々なアナロジーに基づいた分析の結果、それは20世紀初頭の英国とドイツの関係、また歴史をさかのぼり17世紀末のルイ14世包囲網の時代に対比される状態であることを述べている。
そして日本はこれからもアングロ・アメリカン世界の中で生きていくべきであり、具体的な方策としては集団的自衛権の行使が必要であるとしている。
つい先頃、1960年代アメリカの全盛時代に輝いたポピュラー歌手のアンディ・ウイリアムスがなくなった。 あのオードリー・ヘップバーン主演の”ティファニーで朝食を”ファースト・シーンを魅力的なムーン・リバーという主題歌で飾ったあの歌手である。
その美しい音楽や映画に接してわたくしたちは”自由と民主主義”というものを体感したようにも思う。
いま中国は、経済力と軍事力は確かに日本を凌駕するものとなりつつあるが、果たして自由と民主主義以上のものを持つことが出来る国になれるのだろうか、、、、?