木村 和美 Architect

建築家木村和美の日常活動とプロジェクトについてのブログ

●バランス・オブ・パワー

2012-09-30 11:19:07 | Weblog

 

今年の夏は異常に長く、また暑かった夏だったが、私の仕事もここ数か月は結構忙しく、締め切りに追われる日々の連続jだった。

この涼しさの訪れとともに、やっと一段落をし、昨日今日という週末は部屋の片づけや、身の回りの整理をする時間を作ることができた。

 

ふと気が付いてみると、世の中は中国国内のデモに発した領土問題の議論で沸騰している。

先ごろ行われた次期総理を決めるという自民党総裁選も、この議論でもちきりで、この問題に強硬派の安部総裁、石破幹事長という組み合わせで決着した。

政治もそうだが経済もこの数週間の様々な事件のおかげで、結構なダメージを受けている。

中国に三顧の礼で迎えられたパナソニック松下電器の工場も大きな被害で、他の企業も含めそれぞれの生産調整を余儀なくされる状況だ。

 

このような状態が我々のような小企業には影響ないと思ったら、大きな間違いですべてがつながっていることは、あのバブル崩壊と失われた20年が教えてくれたところである。

 

さて今後どのような展開になっていくのだろうか? 

多くの評論家や識者が様々なことを言っているが、私はこの週末、元外務省、駐アラビヤ大使で、多くの国際政治に関する著書がある岡崎久彦氏の”21世紀をいかに生き抜くか”近代国際政治と日本という本を通読してみた。

この本は氏が最近、超党派の若手議員の人たちに、例のキッシンジャーの”外交”上下二巻をテキストとしてレクチャーをした結果をまとめた本で、氏の親アングロ・サクソンに基づく意見も開陳され、私のような素人にもわかりやすく響いてくる。

 

キッシンジャーの”外交”は、ウエストファリア条約以降の350年間の近代国際政治の駆け引きを集約したもので、今後の国際問題の解消はそれらの教訓に負うほかはないと結論付け、その一つは”バランス・オブ・パワ-”の原則だと言っている。

 

岡崎氏のこの含蓄に満ちた小冊の結論を一言でいうのは極めて困難で、危険なことかもしれないが、

今後対中国問題が日本だけでなく、世界的に重要な問題であることを言い、様々なアナロジーに基づいた分析の結果、それは20世紀初頭の英国とドイツの関係、また歴史をさかのぼり17世紀末のルイ14世包囲網の時代に対比される状態であることを述べている。

そして日本はこれからもアングロ・アメリカン世界の中で生きていくべきであり、具体的な方策としては集団的自衛権の行使が必要であるとしている。

 

つい先頃、1960年代アメリカの全盛時代に輝いたポピュラー歌手のアンディ・ウイリアムスがなくなった。 あのオードリー・ヘップバーン主演の”ティファニーで朝食を”ファースト・シーンを魅力的なムーン・リバーという主題歌で飾ったあの歌手である。

その美しい音楽や映画に接してわたくしたちは”自由と民主主義”というものを体感したようにも思う。

 

いま中国は、経済力と軍事力は確かに日本を凌駕するものとなりつつあるが、果たして自由と民主主義以上のものを持つことが出来る国になれるのだろうか、、、、? 

 

 

 

 

 


●初秋の候、キチンと、、、、。

2012-09-15 18:48:13 | Weblog

 

 

9月も中旬を過ぎるというのに、暑い毎日が続いている。

今週も暑い中、熱い話ばかりでいささか疲労し、きょう土曜日午前中は久しぶりにテレビを見て過ごした。 見るとどこの放送局も自民党総裁選の番組ばかりで、5人の候補者が同じようなことを何遍も話しているのを聞くと時間が3年前に逆戻りする印象を受けた。

その中で、繰り返し聞かせられるフレーズで、キチンとやらねばならないとか、そこはキチンとおさえてとか、、、。

やたらこの言葉が頻発するのに軽い抵抗感を覚えながら、そんないい加減なことばかりが、日本の政治状況で起こっているのだということを改めて実感した次第である。

私が若いころの修業時代は物事はキチンとやるのが当たり前で、それ以上の事がどれだけできるかで評価の対象が変わったような記憶があるが、今昔の感を禁じ得ない。

 

現代は、物事は適当で良い加減なのが普通であり、だれもそれ以上を望んでいないという国民感情が世間を覆っていて、それが社会一般の停滞感や沈滞ムードを支配しているように感じる。 

従って興味の対象は、勢いオリンピックや、サッカーの選手たちの活躍に溜飲を下げる方向や、お笑い番組へと向かい、経済活動ではマネー経済の隆盛へと向かう。

現在私の廻りのビジネスで、極端に言えば、マネー経済に関係しているところの仕事は猛烈に忙しく、実体経済に関係している仕事は進み具合は遅いし、金は回らない。本来の私の仕事である建築設計の仕事についてこんな状況では非常に厳しい状況だといえる。

先日書店で、”新建築”という建築界では有名な建築雑誌を手に取ったが、以前の半分以下の厚さで、企業の広告も減り、内容も貧弱なものとなってしまい残念な気持ちではある。

こんな状況を日本の政治は打開できるのだろうか?

 

この間から、時間を見つけてドイツの女性バイオリニストの”ユリア・フィッシャー”の音楽を聴いている。 youtubeだと演奏の映像も見れ、その美貌とテクニックに感心しながら、癒されている。

オーケストラをバックにバイオリン・ソロの音色が美しく響いて、3歳から始めたという完璧なまでの技巧と自信に満ちた演奏が、幻想的な世界に誘ってくれる。

パガニーニのバイオリン協奏曲”ラ・カンパネラ”などは、ラテン系のリズム感を取り入れた名曲で、静かなクラシック音楽の中にアクションのある演奏スタイルを取り入れて見せてくれ、彼女の音楽の魅力を倍増させている。 

この時代、音だけでなく、表情や演奏のスタイルでその印象が大きく変わる現代を象徴するようなバイオリニストであると思う。

 

同様に政治の世界でも、以前はその演説ひとつで、国民を熱狂させる政治家が多くいた。

今回の総裁選、同じような意見と表情の自民党の政治家の皆さんを見て、”美人コンテスト”を思い出した。

つまり、その人の実力如何に関係なく、大多数の人が良いと思うひとが総裁になるのだろうと、、、。

 

きちんとした仕事をした人が報われるような社会の到来は、なかなか遠い道のりのようだと思う。