木村 和美 Architect

建築家木村和美の日常活動とプロジェクトについてのブログ

権力と闘う

2008-01-30 21:51:09 | Weblog

 

この前の日曜日に母の一周忌で、久し振りに田舎に帰ってきた。

私の田舎は山口県岩国市のそばの小さな町であるが、岩国市は現在米軍基地の受け入れ問題で紛糾していた。

先回の住民投票で移転反対の民意を得たとされた井原岩国市長が今窮地に陥っている。

市側が米軍基地を容認しないために、国は現在建設中の岩国市庁舎建設の補助金をストップしていると言う。

このため容認派が多い議会と市長が対立のままこの2月3日の市長選告示を迎えるという。

井原市長は元労働省の官僚で、国の出方を良く知っており最後は福田首相との直談判をも辞さないと言っていると言う。

 

今回の帰郷で色々な意見を聞いてきたが、地方経済の停滞の状況下で地元経済界をはじめとして、基地を受け入れお金をもらい経済振興に役立てる方が得策だと判断している容認派が比較的増えていると言う。

もと市長の参謀で基地反対の会長だった人まで、今は転向し賛成派に廻っている状況だそうだ。

それにしても、国は岩国市周辺の自治体に容認すれば予算を増やすと持ちかけ、それらをほぼ賛成派として外堀を埋めているとも聞く。

国家権力に抗して闘う井原市長のバックは生活者、女性が大半だと聞いた。

 

我々の仕事を振り返ってみると、設計や計画の仕事はほとんど組織的にも資本的にも通俗的に強者から依頼されるケースの方が多い。

受注仕事と言うものはほとんどそのような形ではないかと思う。

お互いの信頼関係のもとうまく仕事が進めば良いのだが、得てして利害が対立しトラブルが発生した場合はどうしても受身となり振り回されることもたくさんある。

こんなことを幾度も経験し、どのように処したら良いのか考えてきた立場からすると井原市長が今後権力に対しどんな手を打ってくるのか興味を持って見守りたくなる。

 

 歴史をさかのぼると権力に抗して自らの立場を守ってきた人物は多く存在するが、最も有名で典型的なのはフランス革命時のタレイランとフーシェではないだろうか。

当時は、何かあると即刻ギロチンであるから、大変な緊張感があっただろうが両名ともナポレオン帝政下で大臣を務め、その後ナポレオンの失脚に加担、恐怖政治の世を乗り越え数々の混乱をしぶとく生き抜いている。

 

彼らの生命力の源泉は時流に対する鋭い嗅覚つまり情報力、仲間作りのための人間的魅力、そして不遇や困難に耐える類まれな忍耐力であったようだ。

人間の生き様を含めて仕事や事業には大きい小さいを問わずこの種の問題が必ず横たわっているように思う。

 

マルクス流に言うと支配と生存との抗争となるのだろうが、権力や強者に翻弄されないためには決して喧嘩せず粘り強く時間をかけて辛抱し、時期を待つことが第一に必要であるようだ。


心の置き場所

2008-01-25 23:01:10 | Weblog
先週から、住宅と店舗の設計企画に腐心していて、短期的な仕事なのですばやい作業が求められるのだが中々思うように進んではくれない。
時節柄段々と一つの建築物を設計することが少なくなり、短期的な改装や企画の仕事をして居るのだが、一つはまったく新しく実験的に始める店舗で、もう一つは半ば趣味のような住宅である。しかも両方とも施主が個性的と来ているので、私の思うようには行かずストレスが溜まりつつある。

最近マンションの設計をした人に話を聞くと、確認申請の事前説明手続きに4ヶ月かかったとか、どうでもよい細かいところまで書類を作成させられたと相変わらずの話を聞いた。昨年の11月に多少は基準法が緩和されたがそれはある程度の変更修正を認めただけのようで、全体の作業はまだまだ滞っているのが実態であろう。

しかも昨年のサブプライム問題が本格化してきて、不動産の好況を煽って来た不動産ファンドも後退気味で動きが悪くなってきた。
こうなってくると右も左も建築設計の仕事は大変な状況であることに変わりはない。
今取り組んでいる店舗の設計では施主からは備品類は商品を殺さないよう目立たなく、しかし全体は雰囲気よくなどと難しく勝手な注文を受けしかも安く上げてくれと言うことになると設計とはなんだろうとも思うことがある。
又最近の住宅は、設備機器類に新製品がたくさん出て来て場合によって施主の方が我々より情報に詳しい場合が多々ある。下手をすると我々は新商品を施主に代わって探しアレンジするだけの役割になるかもしれないと恐ろしくなることもある。

施主と言うものは皆我儘で、気まぐれなのが当たり前と昔から教えられてきたがそれでも最近の状況は少し違うと思う。そんな状況を悲観的に捉えるときりがなくなるので、こんな時は”心の置き場所”を変えることにしている。

私の場合は、経営者の方々の苦労話の本を読むと随分と気持ちが変わる経験が多い。松下幸之助氏は流石に経営の神様で、自分の思い通りにならない状況の潜り抜け方についてすぐに解答を授けてくれる。ああまだまだ自分は修業が足りないなで終わりである。

ホリエモンの時のホワイトナイトで名を馳せたソフトバンクSBIホールデイングの北尾吉孝氏は大変な古典の読書家で、幾つかのヒントを与えてくれる。
論語に言う”徳は孤ならず、必ず隣あり”世の中は90%は自分の思い通りにならないことだけれど、怯まず取り組んでいれば必ず理解者が現れると言うことだそうだ

この時代、この時期を乗り越えるためには様々な心のコントロールが必要なこと、しかし余り神経質にならず余裕を持って心の置き場所を探ることが肝要だと思う。


一週間のメモランダム

2008-01-20 19:36:18 | Weblog
この月曜日が成人の日で火曜日から始まった週であるが、なにやかやであっという間の一週間であった。少し整理して振り返っておきたいと思う。

休日の月曜日は新木場の北三のショールームへ行く。多分樹種の種類では世界一と自負する会社であるが北三のムク材のフローリングは有名で指定する人が多い。
今日はそれ以外の新しい製品を見てきた。壁見本のワンダー黒檀の模様がシュールな感じで素晴らしく是非どこかで使用してみたいと思った。どうも最近は木材らしくない木材が人気があるようだ。

火曜日は錦糸町のマンションの調査を行った。錦糸町は両国のゆ・江戸遊を設計した時にはよく来た街であったが、それは駅前だけでよく知った町ではない。表通りからわずかに入ると歓楽街が密集しているのは吃驚した。その近くのかなりな規模のマンションである。墨田区は今年の3月にマンション指導要綱が条例化され、厳しくなるのかと思ったがむしろ緩和されるようである。駅前の商業施設に入居している喫茶店も満杯で混雑しており余り雰囲気は良くない。

夕刻に新宿パークタワーにある建材ショールーム”オゾン”へ行く。お目当ては輸入壁紙を扱っている”テシード”(写真)。イタリア製の壁紙の見本を見るが納期にこだわらなければ随分興味深い壁紙がある。お値段もそれほど高くはないと思いきや、イタリアの壁紙は規格が53cm×10mでリピート53cmと短く結構ロスが出てその分やはり高くなるようである。
私がイタリア製にしては地味な柄を選ぶので派手な柄を扱いなれている店の人は、不思議そうな顔をしていた。昔イタリアのアルベルゴ(安宿)に泊まった時に天井から壁からこれでもかと言う装飾柄であったことを思い出し懐かしかった。

水曜日は熱海で日本ジャンボー株式会社の50周年記念パーティがあった。熱海は久し振りであるが、やはり全体的に照明が暗く感じる。その中で熱海後楽園ホテルだけが多くの人で溢れている。約700人の大パーティであった。高橋弘会長は立志伝中の人物であるがその創意溢れる経営で会社を上場企業にし、又新規事業の温浴施設・万葉倶楽部も順調にその業績を伸ばしている。私も昨年6月にお目にかかって以来折に触れ多くの教示をいただいているが今日の盛大なパーティも様々なことを教えてくれた会合であった。

木曜日は、溜池の全日空・インターコンチネンタルホテルへ行った。別棟のアーク森ビルには現在黒川さんの事務所が入っている。生存中に一度訪れる予定ではあったが今はもう無理である。それにしてもセキュリティが厳しい。全日空ホテルも新年会シーズンで結構人が多く混雑していた。
帰りに以前事務所を置いていたすぐ近くの赤坂のマンションへ寄ってみる。当時は周辺は今ほどビル化されていなく、私の事務所の向かい側の高台には大昭和製紙の会長斉藤英了さんの緑に覆われた家があった。近くには大島渚監督が良く来ていたレストラン”ボン・アトレ”や有名な焼き鳥屋”たつみ”日本料理の”海舟”などがあったが今は皆なくなってしまい楼外楼飯店だけが残っている。夜近くで事務所をやっている旧友と蕎麦屋で旧交を温め他の知人の動向にしばし耳を傾ける。

金曜日は平塚の大型店舗の調査、夕方から麹町で住宅の内装の打ち合わせ。平塚と東京は思いのほか遠い。平塚駅前の宝町通りは、以前私がその道のデザインを担当したが今はどうなっているのか行ってみる時間もなかった。
土曜日は恵比寿ガーデンプレイスで、新規ショップの打ち合わせと近くのショールームアビターレで、キッチンセットの調整。となんだかいつの間にか時間だけが過ぎていった一週間であった。
来週はもう少し落ち着いて取り組んでみたいと思う。

ウィーン・ゼツェッシオン

2008-01-14 23:58:07 | Weblog
連休はじめの土曜日の夜にNHKテレビの番組で”世界遺産ウイーン”の特集でウィーンの世紀末芸術について放映をしていた。
何故世紀末ウィーンに新しい芸術運動(ウィーン・ゼツェッシオン)が起こったのかを、現地の建築物や絵画を紹介する中でわかり易く解説をしていて中々興味深い番組であった。

1870年代と言うと、産業革命の影響でそれぞれの国の経済が発展し様々な問題が発生していたが取り分けハプスブルグ家のウィーンは立地的に多民族都市であり、その統治に工夫が必要であった。
皇帝は有名なリング・ストラーセ周辺の街づくりを行うことで大衆の支持を得ようとし、城壁を壊して劇場や国会議事堂等の施設を建設したがそれらはギリシャ・ローマのまったくの模倣であり、新しい技術や材料を手にしていた若い芸術家達にとっては大きな不満であった。
彼らはそのような過去の様式から分離する意味でウイーン分離派(ウィーン・ゼツェッシオン)と呼ばれ、絵画のグスタフ・クリムトを中心に、エゴン・シーレ、建築家のオットーワグナー、ヨーゼフ・ホフマンなどが参加して、ここに新しい芸術活動が始まったのであった。
興味深いことには、これらの運動を支えたのはカール・ヴィトゲンシュタインに代表されるユダヤ人実業家であった。

日本で、1980年代の末から起こったバブル経済と同じような金余り現象がヨーロッパ各地で当時起こったが、時の為政者達はこの余分な資金を全部豪華な建築物に変えている。ハプスブルグ家のウィーン、ロシアのサンクト・ペテルブルグは代表的な都市であるが、同時に上記のような大きな文化芸術活動も起こっている。これらは一部その贅沢さの故に退廃的な世紀末芸術として括られてはいるが、日本のように土地や、株券に投資して後に何も残らないよりは余程マシだろう。と同時に日本のバブルはどれだけの文化活動を起こしたのだろうかと思う?

当時新しい芸術運動は、ヨーロッパの各地で起こり、ドイツ工作連盟、アーツ&クラフト運動等で、いずれはコルビュジェなどに代表される近代建築、インターナショナル建築へと結びついていく重要な芸術運動であった。その過程で我々になじみの深いアントニオ・ガウディのサグラダファミリア教会やマッキントッシュのヒルハウス、ハイバックチェアなどの名作が生み出されていく大きな変化、濁流のような時代であった。
ウィーンは又1914年に起こったオーストリア皇位継承者のサラエボでの暗殺事件をきっかけに第一次世界大戦の発端を開いた激動の都市でもあった。

高度情報化、工業化社会における現代の建築は多くは管理化された組織によって行われているが、多くの問題を抱えるこの地球のどこかで、又新しい文化芸術運動が今起きつつあるのかもしれないと、ウィーンの素晴らしい建築群を見ながらしばし楽しい想像を巡らして見た。

"イタリアン・グレース" なインテリア

2008-01-11 23:27:28 | Weblog

今日で新年の仕事始め一週間が過ぎました。

住宅の改修工事の打ち合わせで恵比寿ガーデンプレイスに行く。

ガーデンプレイスは地上を歩いていると良くわからないが、地下通路を歩くと魅力的な商業施設が整っていることを実感する。

先日初めてグラス・スクエアのパティオを利用して、ミーティングをしたが天井高も高く自然光の入るティールームで、心地よい空間であった。

 

懸案の住宅の改修工事もやっと内装の仕上げ材の打ち合わせに入る。

キッチンセットと飾り棚をアンチーク材を使用したイタリアのマルケッティ社の製品に決めたので、壁紙やカーペットもそれなりのものを選択しなければならなくなった。

そこでこの住宅のインテリアコンセプトを”イタリアン・グレース”にしてはどうだろうかと思っている。

写真はベニス、ジュデッカ島の先端にある高級ホテル、チプリアーニの一室である。

いかにもベネツィアらしい壁の色と全体の雰囲気がイタリアのクラシックな優雅さを醸し出している。

テーブルの上の照明器具はきっとベネシャングラスだろう。

この雰囲気にもう少し、北西ヨーロッパのティストを加味するといわゆるクラシックモダン、イタリアン・グレースなインテリアが出来るだろう。

 

イタリア製の壁紙を探してみたが、中々日本で扱っているところがない。

雑貨や小物、ファブリックは結構あるのだが、、、、。

トミタで扱っている海外製品しか見当たらない。

メジャーな製品ではなくもっとマニアックなものが欲しいと思っているのだが、、、。

カーペットも無地でなく、うっすらと花柄模様が入っているものが良いと思う。

フォアベルグのカーペットなどはどうだろうか?

 ドアも部分的にアルミのキャスト材を使用、クラシックなモールデイングも木ではなくアルミを使うとまったく狂いがなく綺麗に出来る。

取っ手もイブシ銀のレバーハンドルを使用する。

日本のメーカーでも心棒の形が統一されてなく簡単には交換することが難しい。

 

リビングダイニングだけでなく、寝室や子供室もそれらしくまとめたいと思う。

色彩の選択がポイントだろう。

壁紙とカーペットの上手なコンビネーションも検討してみたい。

アンチークな木材のテクスチャーと色、それを生かす背景としての壁の模様と色彩、家具、カーペットの柄、そして照明器具、、、一歩足を踏み入れると気分が一新するような空間にしてみたい。

そのためにあらゆるディテールをおろそかには出来ないと思う。

 

やっと工事がスタート出来るがこの住宅は計画づくりにもう1年半もの時間が掛かっている。

一緒に付き合ってくれている内装の担当者と、帰途グラス・スクエアのパティオで乾杯。 

工事の進捗と”イタリアン・グレース”が思い通りに表現出来てくれることを祈りながら、、、、。


2008年 天気晴朗なれど波高し

2008-01-07 21:16:32 | Weblog

 

一般の会社では本日から仕事始めのところが多いのではないだろうか? 

暦の関係で長い冬休みが取れたようである。

天気もよく電車に乗っても何だかまだお正月気分の人が多くのんびりした雰囲気が漂っていた。

 

ところが日本が休んでいる間に原油はどんどん値上がりし1バレル100ドルを超えて120ドルになろうかとしているし、東証の株価は新年早々数年ぶりの下げ相場となったと言う。

昨年の暮れから何となくおかしなムードがあり、今年のお正月は久し振りに戦史に関する本を読んで何かのヒントを得ようと思った。

一つはリデル・ハートの”戦略論”もう一つは京都大学教授中西輝政氏の”大英帝国衰亡史”である。

 

二つともイギリスに関係した本であるが、前者は古代から現代までの戦争の歴史を概括し、その中で重要なことは直接的な戦闘よりも、間接的な駆け引きや謀略、心理戦の方が戦争を勝利に導く可能性が高いとして、それを戦略としてまとめた本である。

後者は英国の繁栄から衰亡までの約400年を検証した書物だが、興味深いのは大英帝国が隆盛を極めたのはイギリスのリーダーの精神的要素に拠るところが極めて大で、それは直接的な力の行使ではなく、知恵の勝利、情報戦、間接的アプローチに拠るものであると結論づけているところである。

 

近代戦争(経済戦争を含む)で敗北していない民族はアングロサクソンだけであることを考えると英国の研究は様々な角度からもっと検討され、参考とされてしかるべきと思う。

日本海海戦(写真)の東郷平八郎元帥も若い時イギリスに留学し、英国海軍の薫陶を受けている。

 

今年我々の身近なところを見渡すと、昨年の建築基準法改正の余波がどれだけあるか見通せないし、マンション業者や建設会社の苦境も聞こえてくる。

又昨年前半は好況といわれ地価も上昇し、バブル再来といわれていたが後半に入るとサブプライム問題が起こり、世界的なペーパーマネーの下落、信用不安を受けて資金は投機的商品へと向かい不動産マーケットも若干停滞気味であるようだ。

 

 経済環境はグローバルな影響を受けて大きく変化するが、実体経済はこれとは又違うサイクルで動いている。

国内でのさまざまな改革が必要であることも事実であろう。

身近な問題を解決することと同時に視野を広く持ち大きな流れを読み取ることをせねばならないより困難な年であるような気がしている。

 

 物事が不確定さをまし、先行き不透明な時には時に過去の戦史を振り返り、危機の時人間のとる行動を探ってみることが心のよすがとなるような気がしている。


東急文化村 オーチャードホール

2008-01-04 20:17:24 | Weblog

今年も正月三が日があっという間に過ぎてしまったが天気が良く穏やかなお正月だった。

二日には東急文化村オーチャードホールで行われた東京フィルハーモニー交響楽団のニューイヤーコンサートを聴いてきた。

東京フィルは女性のヴァイオリニストが多く、それぞれ色の違うドレスに身を包んで華やかな舞台であった。お正月らしくオペラに題材をとり例の荒川静香のバックミュージック、プッチーニのトゥーランドットやドイツのオペラ王ワグナーの曲からはじまるが、一部の最後は日本の民謡をアレンジした楽曲で終わる。

 

 オーチャードホールは日本有数のコンサートホールであるが、確か建築家の三上祐三氏の設計だと記憶している。

三上さんはシドニーのオペラハウスを設計したデンマークの建築家ヨルン・ウッツオンの事務所で修業した人で、ホールの随所にきめ細かなデザインを見ることが出来る。

オーチャードホールは現在サントリーホール、東京オペラシティのタケミツ・メモリアルホールと並んで日本の三大コンサートホールと言われている。

 

コンサートホールにはシューボックス型(長方形)とワインヤード型(ぶどう畑)がありオーチャードホールはシューボックス型、サントリーホールはワインヤード型の典型と言われている。

ワインヤードはアリーナ型とも言われ舞台を客席が取り囲む形を言う。小沢征爾氏が指揮者を務めるウイーンフィルの本拠のウイーン楽友協会のグロッサーザールがシューボックスの代表で、カラヤンが指揮を取っていたベルリンフィルのコンサートホールはワインヤードの代表格である。

 

ベルリンのホールは表現派の建築家ハンス・シャロウンの設計、五角形のプランで外観も熱っぽいもので建築家にはなじみの深い魅力的なものである。

サントリーホールはカラヤンの意見を取り入れワインヤード型を採用したと言うが日本には圧倒的にシューボックス型が多い。

私は音響的にはともかくワインヤード型の方が座っていて楽しく好きである。

 

オーチャードホールは素晴らしい施設だが、2300席ものホールとしてはそのアプローチの空間やホワイエ、そして幕間の休憩所となるビュフェのスペースがどうしても狭く感じられ、百貨店の一部の土地を利用した限界が見られるのは残念である。

もう一ついつも感じるのだが、演奏する側はブラックスーツやドレスに身を包んで正装であるが、聞く側はラフな服装の人が大部分である。気軽に音楽会を楽しむことで良いのだが、女性はともかく男性がなんとなくだらしなく見える。

コンサートホールが幾ら立派でもいささか台無しだと思うのは私が建築設計を業として居るせいだろうか?

 

後半はヴァイオリニストの古澤巌の演奏。これもスケートの浅田真央のバックミュージックのチャルダッシュから。オーケストラをバックとしたソリストの迫力ある演奏を堪能した。

ユニークな服装と巧みな演奏の裏にソリストとしての孤独な戦いを見る思いがして感慨が深かった。ポピュラーな演奏会ではあったが、新年に相応しく気持ちの改まるコンサートであった。


2008年 ジョルジオ・アルマーニの美学

2008-01-01 13:16:03 | Weblog

 

年末から新年にかけて関東地方は大変良いお天気である。日本海側や、東北地方、中国地方は雪が降り大変な天候のようではあるが、、、、。

年の瀬の数日、ファッションデザイナー、ジョルジオ・アルマーニの評伝を読んで過ごした。

日本経済新聞社から出版されレナータ・モルホというエリトリア生まれの女性のファッション評論家の手になる初のアルマーニについての評伝である。

 

秘蔵の220点の写真を収録した単行本であり、その写真を眺めているだけで華やかなデザイナーの世界を十二分に感じ取ることが出来る。

彼女によるとアルマーニの魅力とは、1.ユニセックスなデザイン 2.グレージュカラー 3.従来の構造を崩したソフトジャケット の3点に集約されるという。

 

評伝を読んでいくとそれぞれが彼の日常生活と密接に結びついているように思えて興味深い。

ユニセックスなデザインは、彼がホモセクシュアルな生活を送っていたことと無関係ではなく、原色をさけグレーとベージュ(グレージュ)で、独特な世界を表現する彼の感性も母親の影響や、育った環境が大きく影響を与えたと言う。

 

私自身はもう随分前に、東急百貨店に女性のカラーリストがいて、その人が最初に勧めてくれたのがアルマーニのネクタイであった。

他の商品に比べて柔らかい生地と淡い色彩でインパクトはそれほど強くはなかったが、しばらく眺めていると何種類かの色彩の組み合わせが独特で、不思議な魅力があったように記憶している。

まだアルマーニのショップがどこにもなかった頃である。

 

本を読んで、銀座にアルマーニ・タワーが出来たことを思い出し早速どんなものか見てみたくなり、大晦日の夕暮れに銀座に出かけてみた。

銀座はいつもの混雑はなかったが、四丁目の交差点から容易にアルマーニタワーを見つけることが出来た。

ディオールショップの隣である。イタリーの建築家がデザインした竹をモチーフとしたファサード。入口では他のスーパーブランドのショップと同じように、黒服の男性が恭しく頭を下げる。

 

1階はショールームとバッグの売り場、商品の数は少ない。

すべての壁がガラス製、階段もエレベーターもガラス張り、これはよく基準法がクリヤーできたなと下衆なことを考えながら3階のアルマーニ・メンズの階まで上がってみる。

もう商品を売ると言うより、なじみの顧客だけに好きな商品を選んでもらうと言う感覚のショップである。

インテリアデザインはほとんどがガラスでその中にモノトーンに近いアルマーニ商品が陳列してある。値札などまったくついていない。

このビルはファッション以外にスパやオフィス、そしてレストランが入っていると言う。

 

アルマーニのあの独特のカラーや、シルエットの商品を見たいと思って行ってみたが、イメージが違った。

アルマーニはもうデザイナーではなくてキングになったのだろう。

 

銀座はとにかく外国人が多くなった。

アジアの銀座、そして世界の富裕層を相手にしたショップが出来ているのだと言う。

銀座伊東屋の後にブルガり・タワー、松屋の中にルイ・ヴィトンその正面にカルチェ、そしてシャネルとスーパーブランドのオンパレードである。

いずれにしても、現代ファションで銀座にタワーを建てれるのはアルマーニだけである理由がなんとなく理解できた。

 

記号論のマーシャル・ブロンスキーは”アルマーニはメンズファッションに革命を起こした。

知識人ではないのに思想を操ることに長けている”と賞賛している。

 

評伝をよんでファションデザインを武器にして自らの日常を思想へと昇華した努力の跡を見出すことが出来た。

アルマーニ・テアトロを設計した建築家安藤忠雄もまえがきを寄せている。

 

 新しい年が明けました。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。