この前の日曜日に母の一周忌で、久し振りに田舎に帰ってきた。
私の田舎は山口県岩国市のそばの小さな町であるが、岩国市は現在米軍基地の受け入れ問題で紛糾していた。
先回の住民投票で移転反対の民意を得たとされた井原岩国市長が今窮地に陥っている。
市側が米軍基地を容認しないために、国は現在建設中の岩国市庁舎建設の補助金をストップしていると言う。
このため容認派が多い議会と市長が対立のままこの2月3日の市長選告示を迎えるという。
井原市長は元労働省の官僚で、国の出方を良く知っており最後は福田首相との直談判をも辞さないと言っていると言う。
今回の帰郷で色々な意見を聞いてきたが、地方経済の停滞の状況下で地元経済界をはじめとして、基地を受け入れお金をもらい経済振興に役立てる方が得策だと判断している容認派が比較的増えていると言う。
もと市長の参謀で基地反対の会長だった人まで、今は転向し賛成派に廻っている状況だそうだ。
それにしても、国は岩国市周辺の自治体に容認すれば予算を増やすと持ちかけ、それらをほぼ賛成派として外堀を埋めているとも聞く。
国家権力に抗して闘う井原市長のバックは生活者、女性が大半だと聞いた。
我々の仕事を振り返ってみると、設計や計画の仕事はほとんど組織的にも資本的にも通俗的に強者から依頼されるケースの方が多い。
受注仕事と言うものはほとんどそのような形ではないかと思う。
お互いの信頼関係のもとうまく仕事が進めば良いのだが、得てして利害が対立しトラブルが発生した場合はどうしても受身となり振り回されることもたくさんある。
こんなことを幾度も経験し、どのように処したら良いのか考えてきた立場からすると井原市長が今後権力に対しどんな手を打ってくるのか興味を持って見守りたくなる。
歴史をさかのぼると権力に抗して自らの立場を守ってきた人物は多く存在するが、最も有名で典型的なのはフランス革命時のタレイランとフーシェではないだろうか。
当時は、何かあると即刻ギロチンであるから、大変な緊張感があっただろうが両名ともナポレオン帝政下で大臣を務め、その後ナポレオンの失脚に加担、恐怖政治の世を乗り越え数々の混乱をしぶとく生き抜いている。
彼らの生命力の源泉は時流に対する鋭い嗅覚つまり情報力、仲間作りのための人間的魅力、そして不遇や困難に耐える類まれな忍耐力であったようだ。
人間の生き様を含めて仕事や事業には大きい小さいを問わずこの種の問題が必ず横たわっているように思う。
マルクス流に言うと支配と生存との抗争となるのだろうが、権力や強者に翻弄されないためには決して喧嘩せず粘り強く時間をかけて辛抱し、時期を待つことが第一に必要であるようだ。