木村 和美 Architect

建築家木村和美の日常活動とプロジェクトについてのブログ

参院選と政治の季節

2007-07-31 01:01:18 | Weblog

 

色々と物議を醸した参院選も予想通り民主党の圧倒的な勝利で終了した。

この数ヶ月の自民党の凋落ぶりは、十数年前の細川政権誕生を思い起こさせるものであった。

年金と言う身近な問題は庶民の懐を直撃したし、赤城農水相などの度重なる不祥事と能天気な表情は、いくら政治に関心が薄いと言ってもノーと言うに十分な所作ではあった。

大衆的な反乱の象徴的なことは、岡山の出来事であろう(写真)

 

 考えてみるとバブル景気から崩壊の時に、政治も経済も文化もあらゆる転換点があったと思う。

あの時に世界的には冷戦構造が崩れ、多極的な社会、グローバルな情報社会が始まり、アメリカがいち早くITフリーウエイを構築し、様々な技術革新を行った。

其の中であらゆる国々が、固有の政治経済体制とグローバリズムの調整に苦労したが取り分け文化的に異質なアジア社会、特に日本は対応に苦慮したように思う。

其の中で様々な調整を行ってきたのがこの十数年間であったように感じる。

 

そのような流れを熟知し、其の先端で活躍してきた黒川さんが政治に挑戦していることに、私は非常に興味があった。

都知事選に立候補した時は、よく理解出来なかったがこれほど執拗に取り組むには何か期する所があるのであろう。

昔なら私も必死で謎解きをしたと思う。

ただ二十余年も遠ざかっていると、人間が変わったのかとも思う。

私が知る黒川さんは狙ったものは必ず手に入れたものだが、最近テレビで見る其の表情や、意見は何となく昔日のものではない。

 

人間社会では表面に現れてくることと、深いところで流れている真相とが必ずしも一致するものではない。

ただそれは人間の体のように内部的な問題はいつかは表面化してくるものである。

十数年たってやっと様々な矛盾が露呈して、一般大衆がそれを肌で感じるようになったと言うことだろう。

 

多くの新しい人々の登場で政治の様々な状況が見え、其の中で生活に直結する問題が議論されていく事を期待したい。

やっと本当の意味での政治の季節が到来しつつあるのかもしれないと思う。


偉大なるオブセッション/フランク・ロイド・ライト

2007-07-27 23:13:08 | Weblog
本日週末の金曜日、六本木の国際文化会館でフランク・ロイド・ライトのドキュメンタリー映画の会があった。
知人から誘われた会合で、知人の都合が悪くなったがせっかくの機会なので私だけが参加してきた。

国際文化会館は、建替えの話もあったが其の保存改修工事が建築学会賞を受けるなど緑豊かな環境ともども貴重な存在となっている。私は何度かこの地に足を運んでいるがほとんど変わらない環境とサービスに感心している。
私が学生時代に吉村順三氏の新建築のコンペがあり、我々の案は佳作入賞でここ国際文化会館でレセプションがあったことはもう遠い昔のことである。
又リスクマネージメント研究会に所属していた頃、富山大学の武井教授の会合によばれて出席したのもここであった。
この建物は、前川國男、坂倉準三、吉村順三氏三者の共同設計と言われているがほとんど吉村さんが実施設計をされたのだろう。そして前川さんと吉村さんはライトの弟子で日本の建築界に大きな影響を与えたアントニン・レーモンドの弟子であり、ここ国際文化会館は今日のライトの催しに相応しい舞台であった。

このドキュメンタリー映画はキャリン・セバンスと森晃一による脚本、編集、製作、監督の作品である。(二人は夫婦だと思う)セバンスさんはシカゴ生まれで父が建築家、ライトに以前から興味があったという。音楽はカーチス・パターソンによる箏の演奏のバック・ミュージック、主としてライトと日本の関係にスポットを当て、帝国ホテルの完成にまつわる挿話、彼を取り巻く日本の経済人や建築家の関係を通してライトの人間性を浮き彫りにしている。

帝国ホテルのプロジェクト(写真)はライトが50歳の時、日本に約6年滞在して完成させた作品であるが、其の前に彼は大変な災難に見舞われている。施主の妻と不倫をし、新たなスタートを切るために創ったタリアセンイーストで、火災が起こり召使に新しい妻と弟子7名を斧で殺害されたと言う。其の直後のプロジェクトが帝国ホテルであった。その後は良く聞かれている関東大震災における高い評価、其の影にある遠藤新をはじめとする日本人建築家の献身的な協力、これらを映画は淡々と綴っていく。
私は其の時の帝国ホテル支配人林愛作がライトの大きな力になったことを初めて知った。彼は以前からニューヨークに住みライトとも知り合い出会ったことが大きな力になったそうだ。
又自由学園の羽仁夫妻との出会い。帝国ホテルの保存運動と同様に自由学園の保存運動も日本と米国のライトに関係する絆を強くしたようである。
アントニン・レーモンド夫妻は帝国ホテルの設計にはそれほど協力していないようだが彼らのそれ以降の日本建築界に与えた影響は大きく優れた人材をたくさん育てていることは周知の事実である。
現在ライトの作品はアメリカ以外では日本だけしかないそうだ。

今日は色々なことを感じた夜であった。一人の建築家の情熱がこれほど大きな影響を後々まで与えることの偉大さと素晴らしさ。しかしそのエネルギーは想像も出来ない人間としての災難、苦痛に遭遇しそれを乗り越える過程で出てくる不条理。類まれな素晴らしい作品は多くの人間を動かし、映画さえつくらせ、このような文化的な催しを可能にしてくれる。
箏の演奏、照明にライトアップされた庭園の夜景の美しさと共に心に残る会合ではあった。

吹き抜けと階段のデザイン

2007-07-24 22:36:02 | Weblog

 

吹き抜けは空間を演出する手段としてよく使われる要素である。

最近の建築は表層と言うかテクスチャー、材料にこだわる建物が多く、以前に比べると空間を創る姿勢が薄れてきたように思う。

最近戸建て住宅の設計をする機会があり、住宅における吹き抜け空間と階段について再度考えるようになった。

 

改めて色々な住宅のそれを調べてみたが、有名建築家の中でもこれはうまいと思えるようなデザインは少ない。

住宅作家と言われた宮脇檀氏の数多い作品の中でも吹き抜けと階段を組み合わせてデザインをしている作品はほとんどなかったと思う。

フランク・ロイド・ライトなども多くの住宅作品を残しているが、吹き抜けで空間演出している作品はこれ又ほとんどなく驚いた。

ライトは草原住宅と言って水平性を強調した作品が多いので当然かもしれないが、、

 

 以前鹿島出版会が刊行していた都市住宅という建築雑誌があった。

今は休刊となっているが、このバックナンバーを見ると"吹き抜け"を特集している号がかなりある。

当時住宅作家と言われた、鈴木恂、東孝光、山下和正、黒澤隆、原広司などの作品や論文が掲載されているが、理論が先行し今見るとこれも魅力的な空間だと思えるものは少ない。

空間の断面形状を変化させ、変わった空間を創っているものはあるが、階段と組み合わせて柔らかく美しいものに昇華させている例はなかった。

 

このような空間を求めるにはやはり古典、クラシックの世界を探索するほかはないだろう。

エレベーターもエスカレーターもない時代の縦の動線、空間を演出するには階段と吹き抜けは大変重要な要素だったのだろう。

ヨーロッパのマナーハウスや、宮殿、そして近代になってからのクラシックホテルをみると、その魅力的な空間をいたるところに見ることが出来る。

日本ではやはりそれらを歩猟し尽くした村野藤吾氏に行き着く。

写真の吹き抜けと階段は住宅のそれではないが、柔らかい曲線で空間を演出できるテクニックは、氏の独壇場である。

 

近代あるいは現代建築家は、直線で階段をデザインすることが多くこの流れるような空間をなかなか創れない。

現代の代表的な建築家槙文彦氏が階段についての本を出版されており、それを見てみるとほとんど直線のデザインである。

レベル差を付け、流動的な空間を創ってはいるが、触覚的に柔らかく流れるようだとは言い難い。

 

現在特に戸建住宅などの、スケールが小さくなるほど曲線をうまく使って吹き抜けと階段の空間演出をすることが求められているように思う。

新しい材料や、テクスチャーで数奇な印象を与えるよりも、古くて新しい課題の空間の質を追求することを又試みてみようと思う。


松島と日本三景

2007-07-20 23:55:39 | Weblog

 

今日出張で宮城県の石巻へ行って来た。仙台から仙石線で一時間、其の途中に日本三景の一つ松島がある。

生憎の曇り空ではっきりしない天候であったが、車窓から身を乗り出して松島湾を眺めてきた。

松島は260もの島々からなる風景が絶品だと言うことであるが、水深10mと言う浅瀬の海は、まったく波がなく静寂な海原でゆっくり見物すると味わい深いところであることが容易に想像できる。

結構混んでいた仙石線の電車も松島海岸で、ほとんどの人が降りてしまった。

 

日本三景といえば、後は安芸の宮島、丹後の天の橋立であるが、この二つはすでに見ているので、今日の松島でやっと全部を見たことになる。

天の橋立は、学生時代に丹後半島の漁村の調査で訪れた際に見た。

宮津湾と阿蘇海を分断する細長い島であるが、見た印象はそれほど強いものではなかった。

もっとも其の時は近くの丹後半島の伊根浦でみた船小屋の強烈な人工美に圧倒された時だったので、記憶に残らなかったのかもしれない。

 

安芸の宮島は私の故郷のすぐ近くで何度も行っている。

ここは自然の風景と言うよりも、厳島神社を中心とした様々な歴史と自然の綜合された姿が美しいのだろう。

加えて源平の戦の舞台として雅な世界も窺えるところである。

 

残念ながら今日は観光を目的に行ったわけではないので、海の景色を見ただけで終わってしまったが、この程度の風景なら全国に結構あるのではないかと思った。

新潟県の村上市の近くにある笹川流れも日本海の風景として私には記憶に残るものである。

以前校倉造りのスイス・シャレーを設計した時、村上にある白沢工務店さんにお世話になり、木材のプレカット工場を見学に行ったことがあった。

村上市は鮭が南下する最南端の場所として有名であるが、近くの笹川流れと呼ぶ海岸も美しいものであった。

石川さゆりの”日本海”を口ずさむような繊細な風景の海岸が連続して目を楽しませてくれた思い出がある。

 

松島は芭蕉が奥の細道で語っているようにどうしても来たかった場所のようである。

しかし文中で”松嶋の月まず心にかかりて”と言いながら余りの美しさに「いづれの人か筆をふるひ詞を尽くさむ」とここでは彼は句を残さなかったと言われている。

 

東北地方は、確かにたくさんの自然景観や風光明媚な場所を所有しており今日も多くの観光客のグループに出会った。

 

団塊の世代の大量退職で、第二の芭蕉が出てくるご時世かもしれないが、私はまだまだ仕事の合間にわずかな時間を見つけて物を見、文章を書くこんな生活が続くのだろうしその方が楽しく性にあっていると思った。


パンパシフィック横浜ベイホテル東急

2007-07-17 23:11:43 | Weblog

 

今日は横浜みなとみらいにあるパンパシフィック横浜ベイホテル東急で、旧知のホテルマン橋本氏に会った。

このホテルの客室支配人の陣内氏を紹介される。

氏はやはり昔のザ・ホテルヨコハマ時代の仲間だそうだ。

 

私はこのホテルに来たのは初めてだが、アプローチも中々ユニークで楽しいホテルである。

ホテルのスタッフも、アロハに身を包み太平洋ポリネシアンムード一杯の雰囲気を醸し出している。

 

ロビーフロアーにあるレストラン・カフェ”トスカ”で昼食をとる。(写真)

窓際に席を取ると2階分の高さのガラス窓からベイサイドの風景が展開する。

気持ちの良いトロピカルムードの中、低アルコールのビールを飲み、パスタに舌鼓を打つ。

 

橋本氏とは久し振りなので、議論もホテル業界のことから住宅、大学、政治経済のことなど一回りして、またホテル、リゾートの最近の状況の話に戻る。

 

氏がついこの間まで、専務取締役総支配人をしていた新潟の当間高原リゾート”ホテルベルナチオ”も話題になる。

今又かの地を地震が襲い大変な状況らしいが、そのオペレーションを色々と気にされる様子に今日も氏のリゾートホテルに対する熱い思いを十二分に感じることが出来た。

大学で観光学科の学生にホスピタリティを講義されてかなりの年数が経つそうだが段々とリゾートのホテルマンを目指したいと言う若い人が増えてきたそうで喜ばしいことである。

 

日本で中々リゾートが根付かない理由の一つに公共料金の高さが上げられる。

ヨーロッパなどは高速道路料金は無料だし光熱費なども随分安い。

優れて政治の課題だろうし構造改革が望まれるところである。

リゾート感覚=ホスピタリティは今後様々な分野で必要とされてくることだと思う。

 

以前は何かと言うとホテルを使うことが多かったが、最近は余り利用しない。

バブルの崩壊後、ホテル業界もガタガタになったし外資系のホテルの急激な進出がそれに拍車を掛けたような気がする。

それもここへ来て少しは落ち着いたのだろうか?

 

ただカフェ・トスカで、周りを見渡すとほとんど女性ばかりで男性が相変わらず少ない。

もっと男性の多様なホテル利用が増えてバランスのとれた姿になって欲しいものだと思う。


建築設計のアフターケアー

2007-07-15 22:47:17 | Weblog
大型の台風4号が列島を直撃し、昨日の夜から今朝にかけて大変な雨であった。これだけ降るとどこかで雨漏りがしているのではないかとの予想が当って以前設計した目黒のフラワーショップから電話があり、雨が漏っているので見てほしいとの連絡であった。

今までかなりの数の建築を設計してきたので、完成後も色々な形でこれらの建物と関わることが多い。多くは設計をした人間がアフターケアーをすると言うより、担当した施工会社がそれを行っているケースがほとんどであるが、中には施工の出来栄えが良くなかったり、金銭的にトラブルがあった場合などは、私のところで新たな施工会社を紹介してメンテナンスを行う事もある。

ある程度の企業であれば、アフターケアーを一つの業務として展開できるのであるが、個人の設計事務所がこれに取り組むのは経済的にも結構大変であるしその他の問題も多い。
建築の場合、建設業四会連合約款と言うものがあり瑕疵責任を2年間と決めており、それを過ぎた場合はすべて実費精算を原則としている。ただ雨漏りなどは大分時間が経ってから出てくるので其の判断は微妙である。
特にバブル期に竣工した建物などは、職人不足で施工程度に欠陥があるものが多く
かなりのトラブルがあった。

アフターケアーは工事に関係あるものばかりでなく、最近20年程度前に設計した建物を施主が残念だが売却したいとの話しがあり、色々な理由で検査済証を取得していなかったことで売却に支障をきたすことがあり奔走した。昨今の法令順守の通達で金融が厳しくなっているおかげである。

データーの電子化はつい最近のことで、過去の設計の資料は膨大なファイルで保存していたが、これも数年前大分整理してしまった。建築の場合は20年程度たって色々問題が起こってくるので、処分した途端に構造計算書がなくなっていたり、肝心のことを記入したメモがなくなっていて大変苦労した経験がある。
役所にしても、この間まで確認申請の正本の保存は5年を限度としていたようだ。
これからは、データーで保存できるのでそんなこともなくなるだろうが、、、

データー保存が出来るようになったからには、設計者は施工とは又別に独自に各種のデーターを保存する必要があると思う。今まではアフターケアといえば施工会社におんぶにだっこの状態であったが、そうする事によってアフターケアーへの取り組みも新しい局面が出てくるような気がしている。

作法是宗旨

2007-07-13 22:08:01 | Weblog

 

最近はデスクワークが多く、人前で話したり会議に出たりすることが少なくなった。

昨日は久し振りに会議があり、議論をしたり人を批判したりもした。

若い時は忙しく会議の連続だったりして、今話したことや議論したことを反省する間もなく又次の話に夢中になったものだが、最近はすぐ振り返り自分の意見を反芻して見ることが多くなった。

 

 作法是宗旨とは、曹洞宗開祖の道元禅師の言葉であり、日常の一挙手一投足が即ち修業であり、これをきちんと行うことこそ仏法の極意であると説く。

 ”人間は見た目ではなく心が大事である”とはよく言われる言葉であるが、古来仏教は表面に現れた物事よりその背景にある心を重視するものが多い。

法相宗の教学である”唯識論”などはその代表的なものである。

其の中で、表面的な形や作法を重視する道元禅は異色である。

 

最近私が会議のあと振り返るのは、自分が話した内容ではなく話し方、相手に対する態度などの作法を気にすることが多くなった。

今日の自分は相手に対して失礼ではなかったか、話し方はあれでよかったのかなどと内容などより形のことばかりが気になる。

そして不思議なことにはっきりと淀みなく話せた時には、意見がちゃんと伝わったように感じるものである。

 

参議院選挙がいよいよ告示されスタートした。昨日などはニュースは各党党首の揃い踏みといったところで、同じ顔や同じ話を何度も見て聞くような羽目になった。

安倍総理の饒舌ではあるが落ち着かない表情、小沢党首の説得力はあるが愛想のない仏頂面、公明党や共産党の如何にも其の政党らしい話し方。

どれも余り魅力を感じる顔や声ではない。

最近ではこのほど引退したブレア英国首相の演説、其の前のサッチャー元首相の演説などは、やはり聞く人を引き込む魅力を持っている。

クリントンの演説も聞かせるものであった。

 

やはり日々の日常生活の積み重ねが大事で、それが自ずから表情や立ち振る舞い、話し方や、ひいては人間性までも吐露してしまうものではないかと思う。

心して服装や話し方、字の書き方についてまで気をつけて行動しなければと思う。

 

『正法眼蔵』「洗浄」巻 に言う

しかあれば、身心これ不染汚なれども、浄身の法あり、心法あり。

ただ身心をきよむるのみにあらず、国土・樹下をもきよむるなり。

国土いまだかつて塵穢あらざれども、きよむるは諸仏之所護念なり。

仏果にいたりてなほ退せず、廃せざるなり。その宗旨、はかりつくすべきことかたし。

作法、これ宗旨なり、得道、これ作法なり。 と 


本物とフェイク

2007-07-11 22:58:16 | Weblog

 

最近のアーキテクチュラル・レコード誌に、ル・コルビュジェの遺作と言われある事情で工事がストップしたまま20年以上も放置されていた”フィルミニの教会”がやっと完成したというニュースが掲載されていた。(写真)

 

フィルミニの教会のイメージを伝える軽快なコルビュジェの最初のスケッチを私は学生時代に雑誌で見た記憶があるが、今度完成したものはそれとは似て非なるものだと思う。

当時コルビュジェのスタッフだった人間が中心になって実施設計をまとめたそうであるが、コルビュジェが最後までやればこうはならなかっただろうと言う気がしている。

 

 東京の上野にある国立西洋美術館もコルビュジェの作品と言われているが、計画をコルビュジェがつくりそれを日本の弟子達、前川國男、坂倉準三、吉阪隆正氏らが協力して実施設計を行ったと言う。

プランも形もそれほど特異でなくシンプルなものであるからあまり違和感はないが、フィルミニの教会は形が特徴のあるものだけに、まとめ上げるのは難しかったのだろう。

 

コルビュジェの作品は、幾つかの例外を除いてプランは非常にシンプルで論理的である。

しかしそれが立体的な形となった時、プランのシンプルさからは考えられないシンボリックな形態となるところがコルビュジェのすごいところだと思う。

この教会などは典型的なものであろう。

 

最近のニュースは、フェイク、まがい物のことばかり報じているような気がする。

ミートホープの社長はついに鳥肉や、豚肉をまぜた方が美味しいとまでのたもうたそうだ。

かと思うと北京では水道水を入れた天然水ペットボトルが出回って、専門業者も区別できないと言うひどい話が報じられている。

 

日本の政界も似たようなもので今度の赤城農水相の事務所費の答弁も一国の大臣とは思えない恥ずかしいものである。

現代情報化社会はコピーの文化であるとはよく言われるところである。

ボードリヤールのシミュラークルであるが、言葉やコミュニケーションは変容しつつ毛深い文化を創っていくが、一方で安易な商品のコピーやごまかしは人間の感性をどんどん低下させていく。

 

本物に感動する豊かな感性を失いたくないものだと思う。


スモール・イズ・ビューティフル

2007-07-08 22:19:08 | Weblog

 

今日日曜日、夕方からソーセージとジャガイモをつまみにベルギービールを飲んだ。

オルヴァルと言うビールで、ベルギーのトラピストビール(トラピスト修道院で作るビールの意)の一種である。

ベルギーには小さなビールの醸造所が120もありそれぞれ独特のビールを造っている。

 

数年前ローレライの麓の古城で地元のビールを飲んだが、ビットブルガーという名前で、日本でもドイツ料理のレストランでたまに見かけるがこれも美味しいビールであった。

我が国でも地ビールがたくさん出来て来たが、大手メーカーの力が大きすぎ多く飲まれるまでは中々行かないようである。

 

”スモール・イズ・ビューティフル”はイギリスの経済学者のエルンスト・シュマッハーのベストセラーであり1973年に出版された。

同じ頃出版されたローマクラブの”成長の限界”と共に、高度成長経済に警鐘をならし方向転換を促した有名な書である。

大きいことは良いことだと多消費型の社会が進行しつつあった時に、バランス型社会の人間経済学を唱えスモール・イズ・ビューティフルは流行語にさえなった。

 この言葉が一人歩きして当時たくさんのスモール・ビジネスが誕生した。

それらは多くベンチャービジネスであったが、重厚長大から軽薄短小への移り変わりが行われた。

基本的には今でもこの状況は変わらないと思う。

 

ただスモール・ビジネスが成功し伸びていけるのはごく限られたものだけで多くは大企業、大組織の壁に阻まれて消えていったものは数限りない。

成長する過程で現代経済の論理に翻弄されてしまうのだ。

 

シュマッハーは英国石炭公社の研究員としてビルマに派遣され其の地の経済振興に取り組む過程で仏教経済学なる言葉を創造し物質文明としての現代経済を批判している。

必要なのは先端技術ではなく地域にあった中間技術の発明であることを看破し、それに取り組む人材の育成を唱えている。

 

建築設計の世界は、元々スモールビジネスであったが建築は不動産とリンクしており、現在の状況下でビッグプロジェクトに参加している個人の建築家も多い。

組織としてのスケールは小さくても、自らの創意工夫によって仕事の領域を拡大できる可能性も大きいと思う。

 

其の時でも”スモール・イズ・ビューティフル”の精神を忘れずに取り組むことが必要ではないかと思う。


東京発の上越新幹線で新潟へ

2007-07-05 23:14:49 | Weblog

 

横浜で活動していると新幹線はほとんど新横浜から乗車することが多く、東京駅には最近余り足が向かないが、今日は新潟出張なので横須賀線のホームから地下通路を通って上越新幹線のホームへと向かった。

 

途中に”銀の鈴待ち合わせ場所”がある。(写真)

有名な場所であるが、この待ち合わせ場所は、過去に何回かデザインが変わっている。

現在のデザインは建築家の鈴木エドワードに依るものである。

ご覧のようなモダンデザインで、床と壁がガラス張りでその下に古い東京駅近辺の地図が張られている。

一部がフロストガラス、地図のあるところが透明ガラスとなって全体の印象を浮遊感のあるものにしている。

 

このような形になったのは確か3年ぐらい前で、其の前のデザインはかく言う私がデザインしたものだった。

丁度10年ぐらい前にJRの関連設計会社でJRE設計という組織があり、そこから銀の鈴のスペースデザインを依頼された。

其の時は3案を提案、一つは丸の内側東京駅の煉瓦のファサードを壁面に再現した案、二つは八重洲口の近くの日本橋を意識した和風の案、三つは航空機のインテリアに近いウルトラモダンな案であった。

 

当時の雰囲気でやはり東京駅の煉瓦ファサードを壁面に再現する案が採用された。

結構長い間其の形であったからご記憶の方もおられることと思う。

 

今日久し振りにここを通過して見ると、又一部を改装をしているようだ。

モダンデザインは、最初は面白いのだがやはり単調でアキがくるのが早いのかとも思った。

 

上越新幹線のホームは、東北、信越新幹線と一緒なのでいつも雑然と混みあっている。

東海道新幹線とはエライ違いだ。今日は特に人が多くどこがどの電車の列なのかさえはっきりしない。

列車に乗って更に驚いたのは、1階の席で通路より客席の段が一段上がっていることだ。

また帰りの自由席では両側に3席あり、横一列6人座れる列車も初めてでこれも新しい発見であった。

 

私は新潟の市街は好きな町のひとつである。

駅から信濃川を渡って中心地に近づくというアプローチが良い。

何か地方都市には珍しく広々とした印象を受ける。

川に掛かる万代橋の風景も中々のもので橋の袂に大河の信濃川に橋を掛ける積年のドラマの記述があるが昔は大変なことだったのだろう。

 

今日は古町通りのビルの調査。このあたりは飲み屋街で細い路地に黒塀の見越しの松が見れる処もあり風情を感じさせてくれた。

 

JR新幹線を利用していてよく思うのだが、民営化後しばらくたち経営も軌道に乗って来たのだろうから、どこに行っても同じ駅舎ではなく個性的な駅舎を作ることをそろそろ始めてはどうだろうか、、、。

そして商業施設のように短期間に改装するようなことをやめて、50年ぐらいは同じ風情で持つものを作ってはどうだろうかとも思った。

かってのローマの終着駅のように、、、