木村 和美 Architect

建築家木村和美の日常活動とプロジェクトについてのブログ

住宅インテリアの素材,色,ディテール

2007-02-26 23:41:22 | Weblog
懸案の住宅がやっと着工できることとなった。しかし部分的な着工で、肝心の居室は大分先、まずクロゼットと洗面室、洗濯、乾燥室と言ったサーバントスペースを先行する事とした。

いつも思うのであるが図面の段階や頭で考えている時は、色々なアイデアやイメージが沸いて来て楽しく仕事が進むのだが、具体的に材料を決める時は既成のカタログの中から材料を選択する事になるので急にイメージが貧困になってしまう。壁や天井はクロス張り、床はカーペット敷き、またはフローリングとなると、毎回定食を食べるような感じで食傷気味となる。

ホテルのルームデザインは、建築と言う固定資産はそこそこのコストでスタンダードにまとめ備品を立派にすることで、イメージアップを図る資産設計の典型的なものである。写真はペニンシュラ香港の客室インテリアであるが、床、壁、天井を淡いベージュで押さえ、家具や備品をそれより濃い色で選択して無難なインテリアにまとめている。

住宅はホテルの客室と違い、住む人の個性と生活感覚が溢れるものにしたいと思う。そのために長い時間を掛けて検討し設計をしているのだから、、。インテリアの構成要素は素材と色とディテールとはよく言われるところであるがあまりに特殊な素材やディテールを用いると、今度は施工する人が限られてくるしコスト高になる。

そこで、素材の選択はある程度妥協し、その色の組み合わせに特色を出してその人らしさを表現してみようと思う。更に部分的なディテールに工夫をし少しでも空間に彫りの深さを創ってみよう。たとえばドアやその枠、幅木、廻り縁など、可能なら造り付け家具のディテールにも。

今回考えた事は、サーバントスペースはモノトーンの白からグレイで、1階のリビングダイニングは、ベージュ系の色を背景に家具、ドア、備品を濃い色で、2階は寝室などをオリーブや、赤茶系の色を使用して見ようと思っている。一つの住宅インテリアで多くの色を使用するのは中々難しいと思うが、ディテールや備品の選択でまとめてみたいと思っている。

ここで言うディテールとは、建築的な収まりのことではなく生活感覚のことである
素材の表面処理、木の材質感、クロスの織り方、灯りの色等に細かい気配りをすることにより、豊かで個性的なインテリア空間が出来るものと思う。




桜新町サザエさん通り

2007-02-23 23:32:04 | Weblog
今日は雨の中、世田谷の桜新町でマンションの調査を行った。時間の調整に手間取り、少しばかり空きが出来たので良い機会だから周辺を散策してみた。
田園都市線桜新町駅周辺は、世田谷の良質な住宅地らしく綺麗な街並みが続いている。メインロードの桜並木に直行する通りがサザエさん通りと言い、サザエさんの作者の長谷川町子さんの美術館へ通じる道である。

この通りはこの地区の商店街があり、ユニークな店舗が多く並んでいる。陶器を扱う店や家庭料理の店、魚屋、音楽教室等々。建物の高さも3階程度で揃えて綺麗な街並みを構成している。サザエさんの漫画が各所に貼ってあり、温かみを感じさせる通りとなっている。

しばらく歩いた住宅街のはずれに、赤いレンガ造り2階建ての美術館が見えてきた。周囲は大きな樹木に囲まれた立派な住宅が並んでいる地域である。せっかく行って見たのだが今の時期は休館中で中に入れなかった。サザエさんの庶民的な感覚とは相違して立派な美術館であった。隣地には小規模な世田谷区民の家もありこの地区の小さなコアとなっている。住宅街の中にこのような公共的なスペースがあることがこの周辺の魅力を高めていると思う。

この桜新町界隈はサザエさんのおかげで随分とまちづくりがやり易く、活性化したのではないだろうか
又少し歩いてみると、二本の大きな木が植えてある白い壁面の家が目に入った。良く見ると、本物の木の根元を戯木で、装飾がしてあり完全なオブジェとなっている。なんだろうと近づいてみると生け花の勅使河原和風会であった。歩いて楽しい光景がたくさん目に入り発見することの多い町である。

まちづくりは小説を読むように、歩いて巡って楽しさを感じ自分のコレクションにしたいと思わせるようなことが出来れば成功だと思う。
それぞれの地域の中で、パーソナリティの発見をして小さくても楽しい公共スペースを作っていくことが大切なことではないかと思う。

黒川紀章氏の都知事選出馬表明に思う

2007-02-22 23:02:50 | Weblog
昨日ブログで黒川氏のことを書いたが、今日の新聞に黒川氏が都知事選に出馬する記事が出ていた。ここしばらく会ってもいないし、噂話を聞くだけで良く事情がわからないが、石原都政に物申したいと言うことらしい。

黒川さんは建築家ではあるが、多方面に渡る活動家でありリーダーでもある。私は9年間事務所にいたので其の多才ぶりは良く知っている。学生時代から建築家学生会議を主宰し国際会議にも多く出ていたので、物事のコーディネートや取りまとめが抜群に上手であるしどんな難しいプロジェクトの打ち合わせでも30分程度で見通しがついた。氏のことを政治力で仕事を取ると揶揄する人も多いが、海千山千の政治家を説得するのは生半可な力では無理である。
更に中学時代から弁論部で鍛えた其の弁舌と声はプレゼンテーションの時は大きな武器であった。同じようなプランでも、彼が説明すると素晴らしい案に見えてくるから不思議であったしそのような場に居合わせたことが何度もある。
加えて常に旬の人との接触を保つよう努力していたので取り巻く人脈も多彩であったと思う。従って元々変な政治家よりははるかに優れた政治感覚の持ち主であり政治力のある人だと言って良い。

1975年石原さんが美濃部さんの対抗馬として都知事選に出て敗れた時、確か黒川さんは石原さんの参謀を務めていたし石原さんも何度も事務所に顔を出していた記憶がある。それが又どうして突然の対抗出馬となったのか、黒川さんのホームページによると15の公約がうたわれている。
要は現在の石原都知事の独裁と東京の都市づくりに対する異議申し立てである。
確かに最近の石原都政は何かおかしい。大向こう受けを狙うことばかりで、堅実な政策がおろそかにされているように見える。また東京の都市計画については今のままの一極集中を続けていては東京だけが繁栄し、しかも金融や投機がリードする街づくりで、必ずしも東京にとっても良い結果が出るとは思えない。オリンピックは其の象徴かもしれないと私も思う。それとたくさんの県知事の顧問をしてきた黒川さんとしては、最近の多くのタレント知事の誕生についても、苦々しい思いがあったのかもしれない。 知事と言う職業は大衆との接点がなければいけないが同時に又都市のあるいは行政のプロでもなければならない。日本では其の両方を兼ね備えた人が少ないのが現状であろう。

西欧社会ではリーダーを説得すれば大衆はそれについてくる。ところが日本ではリーダーを説得しても反乱する大衆が別の潮流を作ってしまうことが多いと日本的大衆社会について、以前黒川さんから聞いたことがある。そこに日本独自の大衆社会の構築の可能性があるとも言っていたが、、。
どのようなことになるのか元弟子としては今のところ期待半分、心配半分と言ったところである。


友との邂逅

2007-02-21 21:22:50 | Weblog
最近はデスクワークが多く、忙しかったせいもあって中々友人と語らう機会が少なかった。今日は久し振りに旧友と銀座で会食し、取りとめのない話しをしたが広い範囲の議論で、刺激を受けることが多かった。

私の先生の黒川紀章氏の展覧会が今六本木の国立新美術館で開かれている。この機会にOB会をやり、旧交を温めようという話しが進んでいる。今はメールであっという間に連絡が取れるので、それぞれの消息もわかり人数の把握もし易いようだ。
かなり多くの参加者があるだろう。
友人との話しも其のあたりのことから始まるが、一つの大きな建築を創ると言うことは、出来上がるまでに様々な出来事やドラマがある。それは建築プロパーの問題だけに関わらず、ましてや国立の美術館となると多くの物語があるはずである。

黒川氏が牛尾治朗氏と一緒に作った社会工学研究所というシンクタンクがあった。
今は活動を休止しているが、私も様々な接触があり研究所を通じて各方面の人の知遇を得た。照明器具のウシオスペックスとの関係もここが始まりである。聞くところによるとウシオ電機の株価は今絶好調で、長年の蓄積が花開いているようである。一般向けの電気器具ではなく、ニッチを狙った戦略が当っているとの事である。

建築に限らず、広い範囲の議論をして楽しい時間を過ごした。照明器具の議論をしたので、俄かに今懸案となっている住宅のシャンデリアを探して青山のルミナベッラというショールームに行って見た。ここではイタリーのデマーヨというメーカーのシャンデリアを輸入している。ムラーノ島のヴェネシャングラスを使用したもので、ボヘミヤのシャンデリアのように華美でなく一味違うものがあるような気がしている。

友との議論は、たとえ他愛ないものであっても様々な刺激やヒントを与えてくれるものである。遠慮のないフリーディスカッションが予想もしないところに連れて行ってくれることも多々あるものだと思った次第である。

仙台駅前のひと時

2007-02-18 00:15:50 | Weblog
一昨日仙台に出張。久し振りに東北新幹線に乗る。やまびこ,こまち,はやてなどの東北らしい列車の名前でプラットフォームの雰囲気も何となく違う。東北へ行くのはやはり上野発でないとと勝手なことを思いながらシートに腰を下ろすが、東海道新幹線と違ってビジネス客はほとんどいない。団体客が多くしばらくすると宴会が始まる。

郡山を過ぎたあたりから外は雪が降り始める。東京の市街地は今年は雪が降らないかもしれないというのに気温も下がっているようだ。仙台駅に着くと雹となる。

もう彼此10年前になるが、仙台の郊外に山万アーバン・リゾートという会社が開発した錦が丘ニュータウンと言う町があり、角田興業の谷社長が仙台の営業拠点を兼ねて自社のプール付社宅を造られ其の設計を行ったことがある。スパニッシュスタイルの白いスタッコとスペイン瓦の瀟洒な住宅であったがそれ以来の仙台である。駅周辺にも高層ビルがたくさん出来ている。雪の中を駅から一番町の目的地まで歩いたが、屋根の架かっている通りは商店街の一部だけで駅前地下街も少ししかない。
札幌や仙台のような寒くて雪が降る都市こそ地下街が豊かであってほしいと思うが、仙台の地下街は見るべきものが余りないようだ。私が知らないのかもしれないが、、、、。どこも同じように高層ビルばかりというのも味気ない。東北独特の表情がある町を創って欲しいと思う。

大学の研究室にいた頃、都市計画の資料集めで東北6県の市役所を車で尋ねて巡回したことがある。都市調査隊と称して7名程度で行く先々の役所を訪れ又民家に泊まったり3週間程度の地方行脚をしたが、当時は今と違い各々の都市に他と違う味があったし個性もあった。交通の便が良くなりほっておくとすべてが均質化していくのだろうか。久し振りの仙台も駅前だけの接触ではあるが福岡や札幌と変わらない。

経済が発展すると言うことは、外見が似て来ると言うことであろうか?特徴のある町を造ることは、経済的に不合理で採算の合わないことであろうか。過去には経済的な成功を収めた都市はいずれも歴史に残る町を創ってきた。ヴェネツイアしかり、パリしかり、現代の日本の中堅都市はどうなるのだろうかと帰りの列車の中でしばし思った。




家族とその一生

2007-02-11 00:25:17 | Weblog
 落葉風何処かで逢いし人に逢う
俳号を由規と称した私の亡父の晩年の句である。私の家の菩提寺である山口県和木町の安禅寺という曹洞宗の寺の石碑に彫ってある。
以前私はこの句を、親父が若い時に好意を寄せた女性を思い出して詠んだのだろうとばかり思っていた。 しかし最近になってこれは寺の石碑に彫ってあるところを見ると自分の母のことを言っているのかとも思い始めていた。

この2月6日に私は母を失った。昨日葬儀を済ませて今日帰京したばかりである。先週の出張に合わせて病院に見舞った時は、さすがに衰弱していたが私がそばで体をさすったり話しかけたりすると俄かに意識が回復し又私のことを心配する言葉を発したりするのにはこちらがびっくりする始末であった。

通夜と言うのは、いつもは遠い家族や親族を改めて呼び寄せ一族のつながりを確認しあう儀式のように思える。関係はあっても様々な恩讐を抱える一族を今日だけは胸襟を開いて語り合わせる一夜である。
ここ一週間は何も手につかず、母の5年にわたる介護生活とそれ以前の思い出が頭の中をめぐってばかりいた。考えてみると私の母の時代は戦争ばかりで、又戦後の困難な時期を子育てに追われると言う、現代の若い女性とは比較にならない苦しい青春時代を送っていると思う。子供のため家族のために自分を捨ててすべてをささげて来た時代ではないだろうか?精神的に強くなるのが当たり前のように思える。事実つい最近まで私は母から小言を言われていたし叱られてもいた。
ただ残された若い時のアルバムから察するとそれなりに楽しい時期もあったように思え、着ている物は軍服や粗末なものであっても伝わってくる雰囲気は今よりも余程豊穣なものに見える。

父が他界してから何年かは自分なりの人生を送れたと思うが、介護生活に入ってからは又苦しい日々が続いたのであろう。体のこともそうだが様々な状況や家族関係が精神的に疲れを倍加させただろう。

人の一生とはなんだろうと改めて思う。苦楽の連続の中で一瞬の涅槃を求めて生きる以外方法はないのだろうか 
父の死とはまったく異なる母への思いが人生への戸惑いを感じさせた数日であった。

山陽路の旅と神戸、大阪

2007-02-06 00:01:10 | Weblog
先週の週末から今週にかけて、広島・神戸・大阪と廻って来た。旅に出ると色々なことを考える。広島は私用、神戸大阪はマンションの調査の仕事であった。
広島からローカル電車に乗り、外の景色を眺めながら沿線にマンションが増えたことに驚く。市内には超高層マンションも出来ている。

高度成長時、全国的に都市化現象が激しく中でも地方中核都市への人口集中がすごい勢いで進んでいた。福岡や、札幌、仙台などはある程度其の地方の代表的な施設が立地しイベントも行われていたが、広島は九州と阪神の間で中途半端な都市であった。
其の影響かこの間の都市化現象に上手に対応できたのか疑わしい。それが周辺地域の住宅建設に現れていると思う。マンションのデザインも余り感心しない。コンクリートのマッシブなものばかりで軽快感が感じられない。首都圏ではデザイナーマンションが増えたが、この面でも格差を感じさせる処である。

久し振りの神戸であったが、夜中に着いたので特にどこにも行けなかった。北野から夜景をと思ったがこれもかなわず翌日の仕事となった。新神戸駅前の地区に投資向けのワンルームマンションが多く出来てきたようだ。
三宮から阪急神戸線で梅田に向かう。この沿線の風景はいつ見ても整った街並みを見せて気持ちの良いものである。電車の中も混雑を感じないし、乗客の人たちの顔からも首都圏の電車で感じるようなストレスを感じない。

大阪梅田は混雑はしているが、活気が戻ってきた感じがする。淀川の流れを見下ろす高層マンション。高層部は眺望も良いが、低層部は近隣の家屋が迫り、プライバシーに難がある。大阪は日照権トラブルなど最近はないのかとさえ思う。

全国的なマンションラッシュを見ていて様々なものが置き去りにされているような感じがするのは杞憂であればよいがと思う。
丹下健三氏は、かって日本の文化の特殊性としてバラック性と私性を挙げ、これを克服するところに日本の課題があることを言っていた。生活環境をバラックでよいのだと考える意識があることと、私性が強く文化遺産に公共的な物が少ないことが公共心を育てることを阻害して結果的に街並みが綺麗にならないことを述べていた。

マンションをバラックと言うとお叱りを受けるが、精神的には共通点が無いとは言えないだろう。今も様々な変化に対応するのに精一杯、中々自らの思うところに従って生きることが困難な昨今である。首都圏を離れて地方を見てみると感じることが多い。時流に流されず、こだわって生きることを心掛けたいと思う。