木村 和美 Architect

建築家木村和美の日常活動とプロジェクトについてのブログ

共同幻想論 吉本隆明を読む

2006-10-29 22:27:00 | Weblog
最近の人には詩人・評論家 吉本隆明というより、吉本ばななの父親と言った方が早いと思われるが、私達が学生時代には吉本隆明は神様のような存在であった。
”言語にとって美とは何か””擬制の終焉””自立の思想的拠点”と次から次へと問題作を出す吉本は、其の難解さと裏腹に時代の寵児であった。

共同幻想論の骨子は、人間の観念世界の構造を明らかにすることである。
それは社会や国家についての共同幻想、個人としての自己幻想、そして其の中間に男女・家族関係としての対幻想という三重構造を設定し、其の関係を考察することで観念の世界が解けると主張するものであり、社会と個人の中間に対幻想を設定するところが独創的であった。

わかりやすく言うと、社会の中での仕事を取り巻く状況(共同幻想)と、恋愛関係や家族関係で成立する世界(対幻想)は違う位相を持っている。それは多かれ少なかれ矛盾する。そしてそれぞれは密接に係わり合い、社会の現象を形作っていると言うのだ。其のことを古事記(国家の起源)までさかのぼり、歴史の中で検証していく作業が共同幻想論である。

そんな吉本隆明も80才を目前にして、”家族のゆくえ”と題する本を今年出版した。対幻想の解説本である。太宰治の”家庭の幸福は諸悪の根源”というアイロニーを引き合いに出しながら、観念的な彼にしてはめずらしく具体的な彼の家庭環境を例に挙げて対幻想の世界を記述している。性としての関係を象徴する対幻想の世界は、男にとっては母親との関係から始まること。そして姉妹、兄弟との関係と広がり、長じるに従い別の女性との関係に移るとともに新しい家族が出来る。
この対幻想における個人は、社会の中の個人あるいは自由な人間としての個人の世界と太宰治が言ったように矛盾する。 ここが現在の様々な子供や社会を取り巻く諸問題の原点だと言うのである。 最近の幼児殺害事件も介護問題も含めて、、、、

私も故郷に年老いた母を抱えている。ただ面倒は兄が見ているので束縛はされないが常に気になる存在である。多くの人がそれぞれの環境の中で、このような矛盾を克服しようと努力し生活している。共同幻想と対幻想についての吉本の試論は難解ではあるが私達の日常生活にとっても本質的なことを突きつけてくるように思う。

黒川紀章氏の文化功労者受賞を祝う

2006-10-27 23:26:14 | Weblog
今日の夕刊に文化勲章、文化功労者の受賞者が発表されていた。文化勲章に瀬戸内寂聴さん他5名、文化功労者には高倉健さん他15名が選ばれた。建築界では黒川紀章氏が文化功労者に選ばれている。黒川さんは師の丹下健三氏が文化勲章を受章しているので、功労者では不満かもしれないがとにかくおめでたいことである。
私は24歳の時から9年間黒川さんの事務所にお世話になった。私が入所した時は事務所は、青山タワービルの10階にあった。当時の青山では一番洒落たビルで吉村順三さん(芸大教授)の設計で音楽ホールを付設していた。若かったから毎晩12時頃まで仕事をしていた。当時黒川さんは35歳である。高度成長期の眩い時代で何もかもが発展していくと思ったメタモルフィックな時代であった。振り返ってみるとこの9年間の修業の時期に良いことも悪いことも含めて私の基礎がほぼ出来上がっていることを感じる。
数多くの設計の体験も貴重なものであったが、よく黒川さんのカバン持ちであちこちに同行し、色々な人に会ったことが一番記憶に残っている。福岡銀行を設計した時当時の蟻川五二郎頭取にホテルオークラで最初の模型を見せたこと。福岡県庁舎の設計で当時の亀井光知事にプレゼンテーションしたこと。日本赤十字社の本社コンペで、東龍太郎社長(元東京都知事)にご挨拶したこと。三井不動産の坪井専務(後社長)と葉山ニュータウンの設計で激論となった時。ブルガリア・ソフィアのホテルプロジェクト(ホテル・ヴィトシャ・ニューオータニ)で、当時のニューオータニ岡田専務と議論した時。品川の御殿山計画で森ビルの森稔専務(後社長)と計画を練った時等々。皆20台後半から30台前半の経験である。今考えると信じられない。当時は日曜日もなく毎日事務所に出勤する日々であったが、夜中とか、休日に黒川さんがふらっと現れ、其の時にする会話が計画を進める上で非常にヒントになった。黒川さんは色々毀誉褒貶ある人ではあるが、若い時に接した私の経験で言うと、とても才能のある魅力的な人だと思う。それと陰の努力も見ているので、大変な努力家だとも思う。一番新しい作品のナシヨナル・ギャラリー(国立新美術館・写真)が六本木に出来上がって評判を呼んでいる。一般公開は来春になるそうだが見るのが楽しみである。

自分自身が易きに流れようとする時、あるいは日常性に埋没しそうな時、いつも黒川氏のひたむきな姿を思い出し自らを叱咤してきた。今回の慶事に際し改めてわが師のこれからの一層の活躍を祈念したいし、私も現在を少しでも乗り越えたく思った次第である。

座間のまちづくり回想

2006-10-24 23:09:40 | Weblog
今日久し振りに座間市の相武台前に行った。そしてパーキングビルの調査を行った。3年ほど前座間市商工会に知人がいた関係で座間市の商工振興と街づくりに協力したことなどを思い出した。
相武台前駅のそばに鮮の庄という海鮮料理のチェーン店があり、当時オープンしたばかりで海鮮の盛り合わせが中々美味な店であった記憶がある。今日久し振りに其の店で昼食を食べてみた。店舗も大分年季が入って様変わりであったがメニューは海鮮料理以外のものが多くなりハンバーグ定食があったのにはびっくりした。相武台前に一般的な外食のチェーンレストランが少なくやむをえない事かと思った。

座間市と言うと、米軍のキャンプ・ザマと日産の工場があったところで有名である。元々県央の工業都市として発展したが、近年の旺盛な住宅建設に伴い、首都圏近郊の有力な住宅都市として成長しているまちである。当時の問題は発展の要因である工業と住宅が混在し環境悪化を招いてるところから、産業振興面から街づくりに協力、提案していこうと言う趣旨で始まったと記憶している。

私が提案したのは、座間エコ・タウン構想であった。農業、工業、商業の各分野で初歩的な環境・リサイクル産業を育成し、まちづくりもそれに併せてクリーン座間を唄ってキャンペーンを張ることを考えた。座間にもセントラルパークがある。知る人は少ないが市の中心に大きな神奈川県所有の公園があり、環境都市のシンボルには打って付けだと思った。当時日産の工場跡地も博物館構想が出たり、既存工場群の集約団地構想もあり、先端的な環境産業の育成を試みるには面白い都市だと思った。

キャンプ・ザマのFENでは、ヒサノ・ヤマザキという日本女性が、首都圏の週末のイベント、催し物をほぼ毎日放送している。けれども地元の座間のことはほとんど出てこない。
いままでの切り口と違うアプローチで、楽しくまちや公園のことを議論したり、商業や製品のことを考えたりする仕組みや、組織がなんとか出来ないものかと思う。

ロバート・ルービン回顧録

2006-10-22 00:19:42 | Weblog

日本の財政赤字は今どのくらいだろうか?約1100兆円である。

5年前に記憶では550兆円と言っていたから、5年でちょうど倍増と言うわけだ。

インターネットで財政赤字カウンターというペ-ジがあり、一秒に20万円づつ増えている。

 

このところ、アメリカのクリントン政権の財務長官をやったロバート・ルービンの回顧録を読んでいる。

1992年にクリントン政権が誕生した時のアメリカの財政赤字は約500兆円で2000年時点の日本と同じである。

これをクリントンは5年間で建て直し、現在のアメリカの経済好況の基礎を造ったと言われている。

その経済政策を支えたのはルービン財務長官だと言われてきた。

果たしてどんなことをやったのだろうか? 本を読むきっかけは以上のことであった。

期待して読んでみるとどうも特別なことは何もない。

 

彼はユダヤ系でゴールドマンサックスの会長を経て政治の世界に入るのだが、ホワイトハウスに入ってすぐメキシコの経済危機、続いてタイに始まるアジア危機、そしてロシア、ブラジル危機と次々と経済金融危機に見舞われている。

当時やっとグローバリゼーションと市場主義が各国に浸透しつつあり、当事国の経済政策の失敗もあったが、多くはアメリカの投資マネーが原因であった。

当時の金の流れと投資家の心理について証券マンである彼が一番良く知る立場にあり、自分が適任であったこと、財政赤字の削減については、クリントンの意志と政治力に尽きることを本の中で述べている。

 

しかし大国の財務長官の任務は厳しいものらしく、其の時々の決断をベースにある人生哲学を披瀝しながら記述しているくだりは彼の人となりを感じさせて興味深い。

この本の原題はIn an Uncertain World である。

”不確実性の世界に生きて”とでも訳すのだろうか 確かなものは何もない すべて蓋然性の中で決断する。

そのためにより多くの知識と理解を身につける以外にないという金融マンらしい、あるいはユダヤ人らしい懐疑的な考え方を述べている。

本の中で日本の経済体制に触れている箇所もある。

政府や役所が経済をコントロールする、あるいは出来ると思うところに異議をとなえている。

それとリーダーが正面から問題解決に取り組まない不思議さについても、、、。

 

 この本を読んでいると日銀の福井総裁の不祥事などが恥ずかしくなってくる。

民主主義と自由主義経済に対する強い自信と社会への洞察力、其の上で人間性の持つ不確かであいまいな部分を許容しながら未来の可能性を追求していく思慮深さ,,

少し時間を置いて又再読をしてみたいと思った本である。


ヨコハマ駅前東西戦争

2006-10-20 21:53:55 | Weblog
ここ3年ばかり横浜を中心として仕事をしているので、横浜駅前の施設を利用して過ごすことが多い。最近は特に東西の連絡通路の混雑ぶりがすごく一時の新宿を思い起こさせる。 試みに2005年のJR東日本の駅乗降客数を調べてみたら、一番がやはり新宿で、池袋、渋谷と続き四番目が横浜で次が東京駅である。
東口にそごう百貨店西口に高島屋を持ち、その他多くの商業業務施設を抱えているので当然であろうが東京駅より多いのには驚いた。その理由の一つかどうか
西武と提携してからのそごう百貨店の健闘ぶりは注目に値すると私は思う。紀伊国屋書店の誘致、LOFTの開設、ダイニングパークと呼ぶレストラン街のオープン、スカイビルとの空中連結、新しいベイクォーターヨコハマとのコネクション。大きなスペースだけでなく、各階の小さな喫茶室も気が利いている。中国茶の上海茶語、羊羹の虎屋が経営する虎屋茶寮などなど。
東口はウォーターフロントへの広がりと建設可能な土地の存在がその将来性を示唆するのか、2年後の開港150周年に向けて、日産本社の移転と東京芸大の開校等楽しいイベントが目白押しである。周辺の超高層マンションが完成すれば、多くの新住民が住み又新しい雰囲気が生まれるだろう。欲を言えば良いホテルが一つ欲しいところであるが、、。

これに比べると西口の最近は若干停滞気味である。三越の跡にヨドバシカメラが入居し人の数は増えているが東口と比較すると特徴のあるスペースが少ないし、施設が老朽化してきている。又再開発の機運が起こってくるのかも知れないが、東口とは違う横浜西口の伝統を受け継ぐようなまちづくりをして欲しいと思う。

新横浜ダウンタウン

2006-10-17 23:15:32 | Weblog
今日は新横浜のオフィスビルの調査に行ってきた。新横浜周辺は行く度にどんどんと風景が変わっているような気がする。駅の上空に鉄骨が上がっているので何かと思うと新横浜駅ビルの建設である。遅かれ早かれ駅ビルが出来ると思ってはいたが平成20年完成と書いてあった。完成図をみると特に特徴のない板状の四角いビルで、オフィスとショッピングが入るのであろう。新横浜周辺は日産スタジアム(旧横浜国際スタジアム)や横浜アリーナのようなイベント会場を持ち、ラーメン博物館のような商業施設も出来て、面白い町になるだろうと思っていたが歩いてみて今ひとつの感がある。こんどの駅ビルもそうだ。私は昔新横浜駅が出来て周辺整備が行われる時、すぐ近くの日吉に住んでいて、いい町が出来れば新横浜に住みたいと思ったことがあった。私の当時の勝手な思い込みだが横浜はなんとなくサンフランシスコのイメージがあって、駅の周辺にシスコのノッブヒルやツインピークスのような住宅地が出来ないかと思っていた。現にすぐ近くの菊名、大倉山は横浜の高級住宅地であった。
ところが、地価の上昇がすさまじくあっという間に駅前はビル群で埋まってしまった。飛鳥田市政の末期であったからどうしようもなかったのであろう。もう一つは新横浜プリンスホテルの問題である。良いまちの中心には必ず良いホテルがある。そして其の周りには良い住宅が出来る。かってのプリンスは各地で其の役目を果たしていたと思うが、大変残念だが今は其の面影もない。

現在は、飛鳥田さんもなく、堤さんもいない。しばらくは経済原理で町が出来ていくのを見守るしかないのであろう。しかし新横浜に名のある建築家の作品がないのも残念なことだと思った。

バングラデッシュの草の根融資と日本の金融

2006-10-15 22:42:04 | Weblog
06年のノーベル平和賞がバングラデッシュのグラミン(農村)銀行と創設者のムハマド・ユヌス氏に授与されることになった。ユヌス氏はフルブライト留学生としてアメリカで経済学を勉強したが、74年のバングラデッシュの大飢饉の惨状に接し、経済理論と現実の乖離に失望、農村に足を踏み入れマイクロ・クレジット(少額融資)という貧困層向けのシステムを創設、現在アジア、アフリカの発展途上国でその開発手法は注目を浴びていると言う。 担保をとらず、焦げ付きは地域社会が返済の連帯責任を負うというが、其の返済率は9割に上るそうだ。援助と言う形をとらず融資と言う形をとることについて、ユヌス氏は言っている。”返済が伴わない援助は人間の尊厳を傷つけ、人々は自助努力や自己責任を忘れがちになる”と

昨今の日本の消費者金融の実態やバブル前後の金融界、官界の状況を見てきた私は金融はそれを行う人によってこうも違うものかと今更ながら思う。
日本でもバブル崩壊後、コミュニテイビジネスとかエコマネーという言葉が出てきて従来の流れを変える方向にはあるが、まだまだ少数派である。
構造改革とやらで、公共投資も削減され補助金も減ってきた地方は今瀕死の状態であるが、ユヌス氏の言葉に勇気づけられ、自助努力で頑張る契機としてはどうだろう。行政は補助金を出すだけではなく、そうなった場合のお金の調達に知恵を貸す。金融機関も地域振興のための融資を考える。そんな流れに早くならないかと思う。

ユヌス氏のマイクロ・クレジットは前米大統領のクリントン氏が其の信奉者であったそうだ。今のアメリカの経済好況はすべてクリントン時代の政策のおかげといって良い。其の彼が一方で世界の貧困の問題に強く関心を持っていた。
ユヌス氏とクリントン、この二人の成功はそれぞれその強い意志と実行力の成果であると思う。日本の政治家もテレビで顔を売ることばかりでなく実質的な活動、行動で其の実力を示して欲しいと思う。

まちづくり雑感 美しい国日本

2006-10-13 22:17:10 | Weblog
佐倉商工会議所のお手伝いをして佐倉中心市街地の活性化に努力したの
はもう3年前の事である。今日会議所からクロス・ポイントと言う会議所
ニュースが届いた。ご無沙汰していても毎回資料を送っていただいている。
佐倉のTMO活動(タウン・マネージメント・オーガニゼーションの略)は全国でも注目された事業であったが、昨今のまちづくり三法の改正等により従来と違う方向性が見えるとの危惧が会議所ニュースにも述べられている。 従来の中心市街地活性化法(平成10年)が制定された動機は一種の外圧であった。大規模小売店舗法で大型店が規制され、同時に外資の参入も規制されていた。これを緩和すると同時に従来の小売業振興を促進させる(アメを与える)施策として制定されたものであった。動機はどうあれこの法律の最大のメリットは商業振興(通産省)と公共投資(建設省)を一緒に施策として進めていくところにあった。当時私はうまくいけば画期的なことだと思った。
佐倉では当時の立崎会頭がこれを商工会議所の重要プロジェクトとして位置づけられ、キャンペーンを張られたので大きな動きが起こったのも事実であった。私もほぼ5年間この活動に協力させていただいた。市役所と協力はするが会議所(民間)が独自にはじめてまちづくりに乗出したことは地元に大きな反響を呼んだし意義のあることだったと思っている。
しかしながら、全国的にはこの法律によるまちづくりの評価は決して高いものではない。従って今回のような改正法の内容になったのだろう。
私はそうなった理由の第一はこの法律の趣旨を正確に理解し実行しようとしたリーダーが民間に少なかったことだろうと思う。更に行政のほうも民間主体と言うこともあってその取り組み方に戸惑いがあったとも思う。しかし一番大事なことは少しでも参加したい住民が増え、従来の枠にとらわれず議論できる雰囲気をどれだけ作れるかだったと思う。

安倍新政権が発足し、美しい国日本と言うスローガンが掲げられているがまちづくり、国づくりは美辞麗句だけではうまくいかない。リーダーだけが良くてもうまくいかない。結局一人一人の行動、見識の総和が表出するのだと思う。早くムード国家、劇場国家を脱皮して常識的な思考、行動が出来る市民、国民にならなければと思うし、それから少しでも希望のもてるリーダーの出現を望みたい。

リバティヒル・クラブと大手町界隈

2006-10-11 22:55:31 | Weblog
自由が丘にリバティヒル・クラブというスポーツクラブがある。目黒通りに面した環境の良い立地にある英国調のスポーツクラブである。オーナーの栗山氏が英国のクラブ・ライフを自由が丘に再現したく造ったものだと言う。この周辺は良好な住宅地であり、会員もそれを反映して富裕層が多い。残念だが建築の設計は私ではなく芦原義信先生の息子の太郎氏が基本設計をしたと聞いた。施工は前田建設工業である。私は3年ほど前駐車場と付属の管理小屋を建設する時に協力してからのお付き合いである。
本日は久し振りにテニスの名コーチ東専務に会い、クラブの状況を聞いた。運営自体はトラブルもなく良好に推移し、現在テニススクールを都内の各地に開業しており、この10月2日も有明のスクールをオープンしたばかりで忙しそうだった。現在の需要層の動き、これからの動向について見通しを聞く。私も近況をお話し最近の建築、住宅事情について説明した次第である。

夕刻は大手町で打ち合わせ。大手町での打ち合わせは久し振りなので、東京駅から目的地まで歩いて見た。新しいビルがかなり建っている。ほとんど金融機関のビルである。村野藤吾先生の旧日本興行銀行ビルが現在みずほコーポレート銀行の本社となっているが、カーブした石張りの先端部分をアルミパネルで、石と違う色で貼ってある。名建築もこんなことをすれば形無しである。以前は大手町を歩くと重厚感を感じたものだが、今日はなんとなく軽い印象を受けた。三井物産ビルの1階にコンビニ(セブンイレブン)が入居し堂々とあの看板を出している。コンビニを悪く言うつもりはないがそぐわないと思う。

大手町界隈は今軽さと重さが混在し妙なアンサンブルを奏でている。今の日本の姿を象徴しているようだ。其の向こうには皇居の緑と大手門が相変わらずの佇まいを見せ周囲を睥睨するように存在していた。

男と女 そして思想

2006-10-09 01:01:52 | Weblog
建築設計や都市計画をしているものにとって、思想はかなり重要なものだと私は思っている。何故なら物を作るときにまず自分自身で納得する必要があることとそれを他人に説明、説得しなければならないからである。絵だけでは中々人を説得できないし言葉が必要なことは漫画をみればよく理解できる。
最近女性の社会進出が激しく様々な職業についている女性が多くなったが、思想家、哲学者の女性と言うのは比較的少ないのではないだろうか?
サルトルの愛人であったボーボワールや、ジュリア・クリステバぐらいしか浮かばない。そして日本ではそんな人をあまり聞かない。女性は頭で考えることが好きではないと言うと失礼だが観念的に色々こね回すより目の前の現実が重要なのだと思う。
先日久し振りに知り合いの女性が茗荷谷の駅前でキモノをリメイクして洋服を作る
ショップをオープンしたので訪ねていった。以前から商才のある女性ではあったが
何人かのデザイナーを抱えてセミオーダーでリメイクをしている。中々個性的で面白いショップである。彼女は二人の子供の手が離れたので自らのショップをオープンし10年間この仕事をやり、後は親の介護に専念しなければならないからどうしてもこの7,8年が勝負なのだと私に言う。色々アドバイスをしたのだが其の後いささか限られた時間について考えてしまった。、、、

思想を大事にした建築家では有名なルイス・カーンがいる(写真)。彼の息子が製作した父の作品をめぐる映画が先頃公開された。カーンには愛人が二人いて其の一人の息子が父と対話するために造った映画である。
こんなに愛されたカーンも、最後は1974年インドからの帰路にペンシルバニア駅のトイレで死んだまま3日間放置されていたと言う。73才だった。
女性に面倒かけない死に方なのか、あるいは自分の観念に沿った死に方なのかわからないがさびしい最後だった。ルイスカーンを研究し敬愛していた私は彼の物を作る思想の力強さを生き方にも貫いて欲しかったと当時思った。
今日は自分はどのように思想と向き合えばよいかを又考えさせられた一日であった。