木村 和美 Architect

建築家木村和美の日常活動とプロジェクトについてのブログ

●チリの大地震

2010-02-28 14:47:15 | Weblog

 

南米チリで、27日にマグニチュード8.8と言う大地震が起こった。

今年1月にはカリブ海のハイチで、マグニチュード7.0の地震が起こり死者約22万人を出している。

南アメリカでのだび重なる地震が続いている。

チリの海岸沖に、海側のナスカプレートと陸側の南アメリカプレートが重なっており、ここは1960年にもマグニチュード9.5と言う世界最大の地震の被害に襲われている。

そのときは死者1700人、日本にも津波が押し寄せ142人が死亡、行方不明になったとされている。

 

チリの建物は南米ではトップクラスの耐震性を持っており、ハイチのように街全体が崩壊するようなことはないとのことだが、これから徐々に被害が広がっていくだろう。

日本の耐震設計は、1981年に新耐震設計法が施行され、関東大震災級の地震に耐えるよう保有水平耐力という概念の基、塑性設計法を採用、神戸の震災でも倒壊したものは多くは旧設計基準のものであり、新耐震設計の有効性が証明された事となった。

 

昨年暮れから、耐震設計や構造計算の問題で議論することが多かったが、姉歯事件以降まだまだこの問題に対する世間の不信感が払拭されたわけではない。

耐震設計や、耐震補強と言う言葉も現実に出来上がった建物を後から補強することなどは、そこに住んでいたり、営業している人が多いと不可能で、多くはそのままとなっているケースが多いのではないだろうか。

私が改修に携わった建築でも、第二次耐震診断を行い、最悪のケースでも倒壊や人命に被害は及ばないと言うシミュレーション結果を踏まえて、すべての補強は断念せざるを得なかったことがある。 

 

 と言う事で地震国日本の建物の危機管理も、十分とは言えないが幸い神戸以降大きな地震が襲ってこないことで表面化していないと言える。

 

天災は人災であるとよく言われる言葉だが、建築に関係ある立場から言うと日々の業務や仕事の進め方に、今一度注意深くかつ慎重に取り組まなければと思うことしきりである。

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●韓国スピード・スケートの実力

2010-02-22 20:36:10 | Weblog

 

 

バンクーバー・オリンピックが佳境に入って来て、連日熱戦が繰り広げられているがお隣韓国勢の勢いが止まらない。

スピードスケート男子と女子の500メートルはいずれも韓国勢モ・デモム(男)とイ・サンファ(女)が制した。

 

昨日、日曜日にショート・トラックの競技を見ていたら、1000メートルと1500メートルの両方とも韓国のイ・ジョンスが金メダルを取ったが、これも抜群の強さであった。

合計9個のメダルは、今のところアジア・トップである。

 

何故韓国はこんなに強いのだろうか? 

大方の見解はこれらの選手は1988年ソウル5輪の年かその後に生まれていて、その雰囲気とその後の経済成長の恩恵を受けている事、又政府による手厚い援護、メダル獲得者には終身賞金まで出るという。

さらに特別な養成施設の存在とサムソン等財閥のバックアップを上げている。

 

フィギャアスケートのキム・ヨナも1990年生まれで同様な世代。

スケートばかりでなく、今ゴルフでもサッカーでも国際的に日本は韓国勢の後塵を拝するようになった。

 

経済成長と若者の元気に関係があるとすると、確かに日本はここしばらくの低迷で、2%からマイナス成長を行き来しているのに、韓国は中国ほどではないにしても5%前後の経済成長を続けているからわからない事ではない。

もう一つあえて言えば中国との関係で、このところの韓国の中国との貿易は急成長であり文化的な人材の交流も激増と聞く。

政治的にも日本のような中国脅威論はなく、そのつながりは益々増えていくようである。

 

改めて地図を眺めてみると、韓国と中国は黄海を挟んで一体であることが良くわかる。

近代の地政学で言うと、明治以降の帝国主義の時代は日本はアングロサクソンと組んだ時のみうまく行ったという岡崎久彦氏のような意見もあり、アジア諸国との協力関係が単純でないところだが、今後はより関係を深めていかざるを得ないだろう。

 

 しかし、スポーツの強さまでお金や政治が左右するというのは何となくやりきれない気持ちである。

それが現代だと言ってしまえばそれまでだが、”参加する事に意義がある”という言葉の発端は、かのクーベルタン男爵が、祖国フランスがワーテルローで英国に敗れたとき、その原因はパブリック・スクールに於ける心身の鍛錬の違いにあることに気づき、スポーツによる訓練を目的に近代オリンピックを創設した事と聞く。

 

 ”自己を知り、自己を律し、自己に打ち克つ事こそがアスリートの義務であり、最も大切な事”という彼の言葉と、その結果勝利の女神が微笑む事を、今信じたい気持ちで一杯である。

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●肉体の蹉跌

2010-02-18 00:17:59 | Weblog

 

しばらく続いたデスクワークの仕事も少しブランクとなり、今週は外に出て人に合う機会が多くなった。

2月らしく寒い天候とはなったが、コートの襟を立てて混雑した街角を歩く毎日である。

 

しばらくご無沙汰だった人達に会うが、まずは健康の事、体のことが話題となるのは仕方のないことである。

基礎となる肉体に懸念があると、どうしても精神的に消極的になるようである。

メタボだの、やれ痩せただのと言う前に、常日頃から少しづつでも体を動かす事を心がけ、特に足腰を鍛錬しておくことが必要だと思う。

 

おりしもスポーツの祭典である、冬季オリンピックがバンクーバーで開かれており、連日ハードな映像や、優雅な姿が送られてくるが見ていて躍動する若い肉体を支えるものは、その人の強靭な精神力であり、その優劣でメダルが決まるような気がしている。

 

それとは逆に、年齢を重ねてからは精神力と言うよりも、過去やあるいは現在に鍛えられた肉体がその人を支えてくれる事を実感する。

 

 昨日も旧友と久し振りに杯を酌み交わし、取り留めのない話をしたが結局年をとるごとに増えてくる様々なプレッシャーに負けないためのフィジカルな大切さに帰ってくる。

本日も、夕方知人と今回の”オバマ・ショック”について議論。投資銀行やヘッジファンドに足かせを掛ける政策で評判の悪いものである、、、、。

いつもは明確な結論を聞かせてくれる友人も今日は多少体調を崩し、薬の副作用とやらで論旨が行ったりきたりして不安定であった。

 

こちらもしばらくぶりのコミュニケーションで、会話も時折チグハグとなり話は一段と混乱してしまう始末であった。

 

”平常心是道”とは禅宗の教えであるが、肉体とか精神とか言う前に、落ち着いて相対した人と和やかに話ができるよう心掛けることが余程大切な事ではないかと図らずも思う。

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●アーティストの啓示

2010-02-13 21:17:48 | Weblog

 

文章を書き続けていると、それほど苦労することなく言葉が出てくるのだが、しばらく書かないで居ると、何となく書くのが億劫になってこのブログも1週間振りである。

 

先週の週末、マーヴェリック・ディー・シーという音楽プロダクションの社長をしている大石氏の誕生パーティが麻布十番のF・barというスペースであり、出席をしてきた。

元はデンジャー・クルーという名前のプロダクションで、今、バンクーバーオリンピックのテーマソングを歌っている、”ラルク・アン・シェル”の所属プロダクションである。

 

 F・bar(写真左) というのは、世界でチェーン展開しているクラブらしいが、ファション、音楽、食事を楽しめるクラブのようだ。

私は初めてだったが長いカウンターバーがあり、コーナーに幾つかテーブル席が置いてある。

デザインも斬新で中々のインテリアだが、何分にも狭いスペースに150名ばかりの人間が集まって凄い雰囲気であった。

ロック・アーティストらしき人も、多く見受けられたが演奏はなく背景には当日のディスクジョッキーの選曲で音楽が流されていた。

 

 ”詩人は時を知らせる”と言ったのは、ヘルダーリンだったが、現代の潮流の一端をロック・アーティスト達が作っているのは確かだろう。

私もあるスタジオでラルクの録音風景に居合わせたことがあるが、演奏前の緊張感は大変なものだった。

たくさんの人に支えられて、これからのプロダクションの隆盛を祈る次第である。

 

ファッションデザイナーの、アレクサンダー・マックイーンが亡くなった。

ニュースに拠るとどうも自殺だったらしい。 4年程度前には、抜群のセンスでアバンギャルドなデザインをし、いかにもジバンシーのチーフデザイナーを勤めた人らしいエレガントさで好感を持ったが、少し前からどうもそのデザインにおかしな雰囲気を感じていた。(写真中、右は2009年のコレクション)

 

急にバランスを崩したデザインだったり、エスニックな異様なパターンを取り入れたり、奇妙な感じだったが、今回の出来事でなんとなく背景が理解できた感がある。

繊細なデザイナーに特有な予言能力を持ち、チャールズ皇太子の服装にクレイムをつけたりで、デザイン界をリードした人だった。

 

黒川紀章さんも、予言能力やコンセプトを実際のデザイン以上に重要視する人だった。

目に見えるものより、その背景にある見えないもの、思想により価値を認める人だった。 

最近の建築界にはどうも少なくなったタイプのような感じがしている 。

もっとも多くの建築が組織によって創られている時代ではやむをえない事かもしれないが、、、。

 

アーティストの創る作品は、その人のほんの一端が現れるだけでその背景には積み重ねられた多くのものが、海を流れる流氷の底部のように存在しているのだろう。

思うにアーティストによる啓示はそんなところから滲み出てくるものではないのだろうか。

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●軽井沢と菅平の雪

2010-02-05 21:58:23 | Weblog

 

           軽井沢                      菅平

 

今週も何かとあわただしく過ごした週だったが、久し振りに信州の雪を見る機会に恵まれた。

もう10数年前には日常的に訪れていた軽井沢周辺の町も、ここ数年はすっかりご無沙汰で今回は懐かしい道の思い出を辿りながら、雪のある信州でハンドルを握ってきた。

 

軽井沢の駅周辺も随分と変化したが、今回は旧軽井沢にはまったく寄らず、一路中軽井沢へと向かう。

長野オリンピックの前と後では18号沿線の風景も様変わりしたように感じる。

軽井沢でペンションの設計をしていたころは、まだ軽井沢全体が鄙びた印象があり、車でどこへ移動してもリゾート感覚を感じたものだが、今の18号沿線周辺は市街化した普通の町である。

 

レイクニュータウンや、塩沢湖など知らない道に紛れ込んでも何時の間にかたどり着いた記憶があるが、今は案内板に沿っていかないととんでもないところへ行ってしまう感じがする。

信濃追分近辺の浅間山の麓にもかなりな別荘地が広がっている。

もう御代田に近くこのあたりは以前は軽井沢とは言わなかったと思うが、今はカラ松林や白樺に囲まれてかなりの別荘地となっている。

雪はそれほど積ってはいなかった。

 

ある小さなホテルを訪れてきたが、いかにも軽井沢らしいアンティークな西洋風なインテリアの建物であった。

本日中に菅平へ行って帰る予定で、すぐ上越高速道佐久インターへ向かう。

上越高速から見る周辺の山々は、まったく雪がなく太陽が照り付けて春を思わせる天候だった。

 

上田菅平でおり、144号線を菅平へ、 余りのよい天候にスキー場の経営は大丈夫かと心配になるが、菅平の交差点近辺へ来るとやはり雪がある。

菅平は寒いときは北海道より気温が下がると聴いた。

日本で一番寒いとこだとも言う人がいる。流石に雪の上を歩くとひざまで雪の中である。

こんな雪に会うのも久し振りで、眩しい真っ白な雪景色を十分に堪能してきた。

 

夕刻に近づき道路も段々と凍り始めてきたが、エンジンブレーキを使いながら菅平から降りてくる。

昔、黒川さんの事務所にアメリカ製のジープがあって、山に出張する時はジープで出張した。

ある時、厳冬期の鬼押し方面まで行ったところが、路面が凍結していて四輪駆動のジープといえどもあっという間にスリップし、危うく崖に落ちそうになったことがある。

 若いときの危険だが、楽しく懐かしい思い出である。

スイスのシンプロン峠などクローズした道を通り抜け、山越えをするドライブもスリル満点の物だったが、ガードレールのない細い山道を、ローギアでゆっくり上っていく。

眼下には凍りつくような氷河の谷底、、、、。

 

そんな思い出には比較すべくもない安全な道のドライブだったが、懐かしい町並みや山を眺めながらのドライブは、本当に忙中閑で安らぎのひと時を与えてくれた。

旧碓井バイパスの入り口に設計した、私の最初の鉄骨造ペンションを見て帰りたかったが時間がなく、駅前に広がるプリンスホテルの広大な土地の風景と若者向けのショッピングモールの建物を眺めるだけとなってしまった。

 

軽井沢の雪のある心象風景と駅前の現実とのギャップに、経ってしまった時間の空白を思わず感じたものだった。

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