木村 和美 Architect

建築家木村和美の日常活動とプロジェクトについてのブログ

●勝ち組と負け組と・・・

2009-05-28 23:22:31 | Weblog

GMキャデラック・スポーツ

 

ゼネラル・モータースGMがいよいよ難しい状況になったらしい。

今日の報道によると過剰債務の圧縮を債権者から拒否されたらしく、破綻へのカウントダウンに入り、今週中にも破産法の申請があるかも知れないという。

日本の企業へも様々な影響があるだろう。

 

今週は、身近な人に会ったり話をしてみたが、内需向けのサービス業や小規模な受注業種などは、堅実に事業を伸ばしておりいわゆる勝ち組である。

一方で金融や不動産の人からは、まだ明るい話や表情が見えてこない。

 

勝ち組企業はやはり、”明確な企業メッセージ”や”こだわり商品”を持っている。

一昨日会った人などは、自分の事業の事ばかり喋って私の言う事など聞こうともしない。

それだけ今進めている事業に自信があり一生懸命だと言う事だろう。

流石に別れる時にお詫びを言われた。

 

この3月期の企業決算が発表になったが、飲食関連の業種に成績のよいところが多い。

サントリー、マクドナルド、餃子の王将、ワタミ、グルナビなど、コンビニも含めればかなりのパーセンテージを占める。

私の良く知っているところもあり確かに皆強い商品を育てる努力をしている。

サントリーなどビールは45年間赤字続きだったが、今年やっと黒字化したと言う。

 

建設業は相変わらずパッとしないが、勝ち組企業と比較して自分の商品を強くする努力をどれだけしているのだろうか?

アセンブル業だけに難しいだろうがやり方はあるのではないだろうか。

設計業については、商品は設計図やレポート、プレゼン資料だから特別なものを創るのでない限りこれも工夫次第だと思う。

むしろ仕事の開拓力の方が課題だと思う。

 

 セゾン・グループの創設者堤清二氏が、辻井喬の著書名で”叙情と闘争”と言う回顧録を出版した。

文学者と経営者と二つの顔を持ちつつ往来した半生の記述である。 

セゾングループの解体で事業家失格と言われた氏が、初期の様々な苦闘を振り返り、自らの心の中の”経営と芸術あるいは文学の相克”について語っている。

 

読んでみると、勝ち組、負け組などと言う一面的で皮相な見方から、多少なりとも自由になれるのではないかと思う。


●五木寛之”人間の関係”

2009-05-25 23:39:31 | Weblog

 

以前”禅”と言うものを多少勉強した時期があった。

庭に咲く花を生ける際に、禅の修行を積んだ人はたくさん咲く花のうち、自分を切り取ってくれと花が語りかけてくるのがわかるという話を聞いたことがある。

何となく怪しいと思ったがあり得る話かもしれないとも思った。

 

 昨晩遅く、近くのコンビニの文庫本書棚をぼんやり見ていると何となく目に飛び込んできた本があった。

五木寛之の”人間の関係”。

私は五木寛之という作家を特に好きなわけではない。

 

若い時、氏の”風に吹かれて”というエッセイを読み、偶々病弱で入院していた知人を見舞った時、プレゼントした本である。

内容は忘れたが、不思議とそのような気にさせる本だった。

 

最近私の周りで色々な出来事があり、このところ改めて人間関係について悩んだり考えたりする事が多かった。

仕事上のことは勿論、個人的なことまで、これまでの自分の行動や考え方を振り返えったり、頷いたりふと不安になったりの繰り返しであった。

 

五木氏は、いかにも氏らしく相変わらずの軽い筆致で、人間の悩む物事を淡々と書き進めていく。

文学者の考える人間関係と、我々の生きる現実世界は違うのだと言う軽い反発を感じながら読んでいく。

しかし一般的に現在、親子、兄弟、夫婦、友情、恋愛、人脈すべてに大きな問題があることは氏も認める事実である。

 

五木氏の作品はどこか個人的な過酷な体験を洒脱な表現でオブラートする印象があったが、今回初めてプライベートなことも含めて告白し、自身が明日に生きる力を見出したいとこの本を書いたという。

 

別に私が悟ったからこの本と出合ったとは思ってないが、多くの本の中からこの一冊が読んで見てと私に言ったことを信じたい気持ちではある。


●映画”グラン・トリノ”を観る

2009-05-23 11:36:56 | Weblog

 

 

クリント・イーストウッド監督・主演の映画”グラン・トリノ”を観た。

どうしても観たいと思ってみたわけではなく、シネマコンプレックスで、丁度時間的に都合のよいものを消去法で選んだのだが、これは中々含蓄のある映画だと思った。

 

 クリント・イーストウッドは最近の”硫黄島からの手紙”などの監督作品を通じて社会性の強いテーマに取り組む人と言う感じはあったが、我々にはなんと言っても”ダーティ・ハリー”や”夕陽のガンマン”の無骨な西部劇のヒーローの印象が強い。

 

映画グラントリノは、退役の堅物軍人が妻に先立たれ、フォード勤務時代の自身の組み立てた車グラントリノと、軍人時代のライフル銃を身近におき、余生をおくる姿を描く。 

子供や孫達は自分の残すであろう財産だけに関心があり、中々コミュニケーションがうまく行かない様は日本の家庭でもよく見られる風景だが、それを上手に描いて行く。

 

そこへアジア・ラオスの少数民族”モン族”の一家が隣へ引っ越して来る。

ふとしたことから付き合いは始まり、肉親よりはこの異民族の姉弟との付き合いの中で愛情を感じ、段々と心を開いて自らを再発見していくようになる。

 

やがて彼らの民族同士の諍いに進んで乗り出し、逆に一家に打撃を与えた事を悔やんだ主人公は、自らの死を持って彼らの永遠の平穏を作り出すというストーリー。

彼の命であった名車グラントリノは子供や孫ではなく異民族の若き友人”タオ”に贈られる。

 

ラオスの少数民族”モン族”はベトナム戦争時、多くはアメリカの反共部隊の側で戦った人が多かったが、その人達は、その後ラオスに社会主義政権が成立した時は、アメリカなど外国へ移り住まざるを得なかった。

 

2年ほど前、横浜中華街で悟空茶荘の曽社長に、中国茶をご馳走になった時、初めて中国茶のルーツである雲南省とそこで暮らす少数民族のことを知った。

ラオスでいうモン族は、国境を接する雲南省ではミャオ族といい、山岳地帯で生計をたてているが、長閑なその風景とは別の政治的な厳しさがそこに存在する。

 

アメリカのよき時代の象徴フォード”グラン・トリノ”、今もイスラム・テロ勢力などとの確執に苦労するアメリカの政治と国際関係、その影で暮らさざるを得ない少数異民族への関心、変わりつつあるアメリカの家族関係、そして変わらないキリスト教の教えへの傾倒。

 

現代アメリカが抱える悩みと、それらを自らの体験を踏まえて一つの作品へ纏め上げたクリント・イーストウッド監督のこれは確かに秀作であろう。

 

様々な功績に対して、日本国からも”旭日中綬章”を受賞したと言う 。


●車のデザインとチャレンジ精神

2009-05-22 16:09:38 | Weblog

 

今年も1月のデトロイト自動車ショーを皮切りに各地でモーターショーが開催されているが、小型車やエコカーに話題が移ってしまい、大型車やスポーツカーのジャンルは何となく低調である。

 2,3年前から感じていた事であるが、車のデザインがどうも感心しないし、どこも似たようなデザインでつまらない。

 

写真は、この1月の北米自動車ショーの車で、左からアストン・マーチン、ジャガー、アウディだが、どれも何かズングリしてもう一つピリッとしない。  

環境重視の風潮でこれらの車は、チャレンジャブルな課題をなくしてしまったのだろうか?

 

合併問題でゆれる、ポルシェは今年のほとんどのモーターショーに出展をしないと聞いた。

 

 

 

私が過去に出会った車の中で、これは美しい車だと思ったのが上記の2台である。

左はベンツ230SL。

1960年代の車でハードトップであるが、屋根をパゴタ・ラインと言って凹面になった独特のものである。

私の知人がこれを所有しており、自宅を設計したとき、駐車場の天井にこのハードトップを吊り上げる機械を設置しようと色々大事だった。

フロントグリルやランプ、流れるような車体はツートンカラーのものが特に美しい。

 

もう一台は、アストンマーチン・ラゴンダというアストンの4ドアスポーツセダンである。

1970年代後半に発表され、一見ジウジアーロデザインのロータス・エスプリを髣髴とさせるモダンデザインである。

この車の出現により、経営難だったアストンは一時期立ち直る。

一般のアストンマーチンと多少イメージが違うのは、ラゴンダはアストンに戦後吸収合併されたメーカーだからである。

 

シマ・クリエイティブハウスの青山本社のパーキングで、これを見たことがある。

島崎社長の愛車だと思うが黄土色のハッとするような美しい車体であった。

 

もう短いとは言えない車の歴史の中で、優れたデザインがたくさんある。

それらは皆当時の困難な課題に挑戦してしてきたデザインの歴史である。

 

何事も同じだろうが、チャレンジ精神を忘れては中々人を感動させるものは生まれてこないのだろうと思う。


●川崎チネチッタ

2009-05-20 21:55:52 | Weblog

 

川崎駅前に用事があり、行くと駅のコンコースは大変混雑していた。

何事だろうと見ると川崎駅ビル”川崎BE”の今日が改装プレ・オープンで、プレス関係へのお披露目と言う事だった。

西口のラゾーナ一体の街づくりも着々と進んで、以前と見違えるような川崎の駅前となってきた。

 

東口駅前の既存の店舗群はどんな具合だろうと商店街を歩いてみる。

さいか屋の裏側に、古くからあった映画街が”チネチッタ”と名前を変えて随分たつが、私は最初の頃のチネチッタしか見たことがなく、今は物販店や様々な施設を廻りに造り全体を”チッタ・デッラ”と呼んでいるそうだ。 

入り口から石畳のイタリア風の雰囲気が連続し、特徴的な黄土色や、オレンジの外壁を持った建物群が現れてくる。

 

チネチッタを経営しているのは、大正時代から映画館を経営してきた美須興行、今はカワサキ・ミスと言うが福岡のカナルシティなどをデザインしたアメリカのJPI社に設計企画を依頼して、イタリア風の町並みを作り上げたと言う。

古くからの経営とは言え、地元資本としてよくここまで出来たと感心した。

 

バリアフリーの斜路を歩いて自然に上れる店舗構成になっていて、上部のカフェの屋外テラスで休憩した。

囲まれたテラスから外の町並みは見えず、カンツオーネが聞こえてくると、イタリアン・ムードが一杯になるが、残念な事に建物のディテール、スチール・ドアや手すりはフラットバーなどの現代物なのでいささか興ざめである。

 

私見だがイタリアの町の最大の特徴は、何時までもそこにいたい気持ちを起こさせる事ではないかと思う。

ローマの”トレビの泉”やスペイン階段の噴水周りは、とにかくいつも夜遅くまで人が佇んでいる風景がおなじみである。

初めてトレビの泉を見た時は、薄暮の時間で自然光と照明の程よいカクテル光線は、彫刻と泉をこの世のものではないように美しく見せてくれた思い出がある。

 

 

そこまで望むのは無理にしても、川崎チッタデッラは良くできた街づくりだと思う。

線路側の、丸井とオフィスがある部分は、随分前に通称”Kプロジェクト”と称し私がいた黒川紀章さんの事務所で計画を練ったビッグ・プロジェクトであった。

当時目標としたコンセプトは”クラリティとラビリンス”明快さと迷路のような二面性を持つまちづくりであった。

 

今その場所に出来ている施設は、黒川氏の構想とはまったく異なるものではあるが、その向い側の映画街チネチッタが、このような一種のラビリンスをもつ建物群を作っているのをみて、私にはいささか感慨深いものがある。

 

色々な素晴らしいアイデアも、天の時、地の利、人の和が揃わなければ中々思うように現実化しない、ある種建築家の業を見るような思いではある。


●カール・マルクス・・・未来の開拓者

2009-05-18 22:24:10 | Weblog

 

景気動向を少し落ち着いてきたとして、秋には底をうち今年中には回復の兆しが見えるという人が増えてきたが、今直面する経済状況はまだまだ悲観的な材料が多い。

今日も何人かの人と話をしてみた。

現実にトータルな数字が半減しているので、中々よい話は聞けないが、それでも幾つか元気のよい話が聞けたことは見つけ物であった。

 

元共産党委員長だった、不破哲三さんが今度小冊子”マルクスは生きている”を出版した。

この閉塞期の行く末に何か見えるのだろうか、また一人一人の経済生活に何かヒントになることがあるだろうかと思い、購入して通読してみた。

 

学生時代、マルクスの著書を夢中で読み漁ったことがあった。

科学的社会主義、共産党宣言、経済学哲学草稿、資本論等々。

唯物史観や弁証法と言う社会認識の手段を学ぶことによって、この世界が正しく認識される事を頭では理解できた。

 

マルクスの論理の中には、人間の攻撃的精神を社会的な目的、社会の再建と言う創造的な目的に転換する論理が秘められており、特に若くて純粋な学生の心に強く訴えてくるものがあった。

”造反有理”と叫ぶ学生たちの心のバイブルでもあった。

 

社会に出て現実社会の中での設計活動や事業活動の中では、知識としてのマルキシズムは役に立たず、押し寄せる諸問題に翻弄され、時間と共に生きる事で精一杯であった。

しかし、この魅力的な”夢と、社会を変革する破壊と、新しい社会を造っていく創造の三つを巧みに組み合わせる学説”を忘れたわけではなかった。

 

戦後の混乱期、マルクスを読んで一生を共産主義の運動に捧げようと誓ったと言う不破さんはこの小著で、マルクスを、唯物論の思想家、資本主義の病理学者、未来社会の開拓者の三つの側面から捉えようとしている。

現在なおマルクスを未来の開拓者と捉えるところはいかにも共産主義者不破哲三らしいが、現実に中国やアジア・アフリカの社会主義政権が経済的にも発展し、台頭してきている状況はまったく無視できるものではないだろう。

 

マルクスの長期マクロ予測は、古今どの経済学者よりも当たっており恐慌の分析も行っている。

 

私も自らの未来を開拓するために、又弁証法的唯物論を紐解き自己の内部矛盾について、考えてみようかなどと思ったりした。


●美女と野獣 ジャン・コクトー

2009-05-16 20:33:41 | Weblog

 

麻生首相を野獣呼ばわりするつもりは毛頭ないのだが、昨日2009ミスユニバース日本代表が表敬訪問した折の写真が公開された。

選挙が近いので、代表の選考方法などを色々聞いて参考にしたのだそうだ。

 

”美女と野獣”は元は18世紀フランスの童話である。

民を愛さない王子様が魔法によって醜い野獣に変えられ、その野獣がふとした機会に城を訪れた一人の少女によって愛を教えられ、やがて元の凛々しい王子様に帰って行く。

そして少女と結ばれハッピーエンドになると言うもの。

 

一躍有名になったのは、1945年フランスのマルチ・アーティスト、ジャン・コクトー監督、主演男優ジャン・マレーによって映画化され、戦後すぐ日本で最初のフランス映画として公開され多くの反響を呼んだ。

 

ジャン・コクトーは詩人であるが、舞台芸術や小説、戯曲、デッサンなどに多くの作品を残し日本の作家にも大きな影響を与えている。

三島由紀夫などは彼を”形の詩人”と呼びライフ・スタイルまでまねをしていたそうだ。

”午後の曳航”や”仮面の告白”などは最も影響の強い作品だと言う。

 

コクトーは流石に建築には手を染めていないが、1920年頃の激動の新芸術運動の中で、ピカソやココ・シャネル、ディアギレフ、エリック・サティなどの交流から頭角を表して行った。ラディゲやデルミットなどの若い天才も仲間とし育てたと言う。

 

 

コクトーのデッサン;ピカソなどの影響が強い

 

当時のヨーロッパを席巻していたのは”ダダイズム”や”シュールレアリスム”であるが、大量殺戮を始めて経験した第一次世界大戦が彼らの思想や行動に大きな影響を与え、それまでの人間行動をすべて否定するところから新精神は芽生えていったようだ。

 

ただジャン・コクトーはこれらの運動とは若干距離をおきながら、彼独自の世界を作り上げていく。

 

彼は幼くしてマルセル・プルーストなどがいたサロンに出入りしていたと言うが、色々あっても最終的にはよき時代のロマンティシズムに憧れがあったのだろう。

”美女と野獣”の映画化の時に”今はすべてが破壊されて行く時代だが、おとぎ噺が自然に天国につれて行ってくれた少年の時の信頼感と素直さを取り戻したい”と語っている。

そのとおり、その映画はファンタジーに満ちたものとなっている。

今、劇団四季がこの作品を上演中だと聞いた。

 

麻生首相も、美女に見とれているばかりでなく、野獣のお面でも被って一緒に並ぶぐらいのエスプリがあれば、政権交代などいくらでも阻止できるのであろうが、、、、。


●顧客志向と独創性・・・箱根天成園の新築

2009-05-14 22:43:06 | Weblog

  天成園現場                        天成園アプローチ・パース

 

昨日、万葉倶楽部の高橋弘会長から最近の活動を知らせる経済紙のコピーと箱根天成園の完成予想CGのDVDが送られてきた。

先日私が自分の作品のパンフレットをお送りした返事なのか、いつもながらの丁寧さと素早さに恐縮しつつ感服する。

 

会長が建設をリードされている箱根の天成園も来年一月のオープンを目指して、工事が急ピッチで進んでいる。

いつの間にか鉄骨が上がり外壁の一部も取り付けられているようだ。

送られてきたCGには、施設のウオークスルー画像が入っており完成した建物の中を歩く感じでバーチャルな映像が楽しめるようになっている。

一昨年様々な意見を戦わせながら計画を練った事を楽しく思い出す。

 

高橋会長は元は写真のDPE事業をやられ日本ジャンボーを創立、これを業界最大手にし上場、関連事業として”万葉の湯”を創設、これも現在隆盛で全国8箇所にチェーン展開していると言う、類まれなアィデアマンで有数の事業家である。

天成園の計画でも、幾つかの新しい試みや独創的なアイデアが盛り込まれており、どのように顧客に受け入れられていくか完成が楽しみである。

 

誰もやらない事、誰も真似の出来ない商売、差別化がなければ事業はうまくいかないという経営哲学を明確にして議論をされるので、話していて極めて明快である。

その上、細かな顧客の動向や意見にも繊細に耳を傾け常に改善を心掛けておられるので、万葉倶楽部なども今日の繁栄があるのだろうと思う。

経営データで一杯になった大きい鞄を何時も抱え、時間があれば目を通される姿にアイデアや独創性というものは、弛まぬ努力と積み重ねの上に出来てくる事を実感として思う。

 

本日久し振りに横浜駅前のベイシェラトン・ホテルへ行ってみたが、いつもは満席で、人が並んでいるラウンジのカフェ”シーウインドウ”に空席が目立つ。

ただスタッフは黙々といつもどうりの作業を繰り返している。

バー、ベイ・ウエストのサイドロビーでお茶を飲みながら様々な事を考えた。

 

顧客志向や独創性というものは、考えて出てくるものではなく良い時も悪いときも変わりなく行動し、試行する積み重ねの中でこそ出来てくるものだと思う。

 

いつも感じるジンジャエールのほろ苦さが今日は一段と舌に強く感じたひと時ではあった。


●建築修業回想 その1・・・磯崎新の作品

2009-05-12 21:32:28 | Weblog

           大分医師会館                大分県立図書館

 

今日本経済新聞の文化欄、私の履歴書に建築家の磯崎新氏が回顧録を執筆中である。

私の履歴書に記事を連載する事は、その分野の第一人者と認められたことで、磯崎さんも大家となったと言う事である。

現在10回目で、氏の故郷大分県の数々の建築について書かれている所であるが処女作の大分医師会館、福岡相互銀行大分支店、建築学会賞を受賞した大分県立図書館などを設計した時期のことである。

 

私は、学生時代に雑誌”建築文化”などに掲載された磯崎氏の建築論文”プロセス・プランニング論”を読んで、磯崎氏に興味を持った。

ちょうどその時は、黒川紀章さんや菊竹清訓さんなどがメタボリズム運動を始めたころで、要するに高度成長期を迎え、時代が変化していく中で、変化に対応できる建築、即ち成長できる建築をどう造るかが課題となった時代である。

増築や将来予測がテーマとなった時代風潮のなかで、磯崎氏のその論文は、未来予測を断念することを主張しており大変興味深いものだった記憶がある。

 

私の兄が当時博多の九大医学部の研究室におり、偶々ある時兄弟二人で休日を別府温泉で過ごした事があった。

よい機会だからと大分市に寄り、磯崎さんの建築を兄と一緒に見て回ったことがある。

私は色々記事にもなった作品を感激しながら見たものだが、素人の兄の意見は、何だか皆同じような感じで感心しないと言うものだった。

建築にまったく興味のない人の意見と、我々とは随分違うものだとその時は思ったが、振り返ってみて、建築家の思考過程というものはどうも難解なものが多いようである。

 

黒川さんなどは極めてその辺は如才なく、一般の人には平易な言葉で話したし、施主との話に同席していても、感心するほど施主受けが良かった。 

勢いデザインもある時は迎合しすぎて陳腐なものもあったりはしたが、、。

 

磯崎さんは、作品としては小さなスケールの物の方が氏らしくて私は好きである。

大きな作品、例えば奈良の駅前のホールにしても、静岡の会館にしても、どうしても丹下さんの影響が強すぎるのかスケール・オーバーのような気がして仕方がない。

 

 黒川さんが、よく磯崎さんの事を彼はアーティストで建築家ではないと言っていたがわからないでもないし、色々な意味が含まれていると思うと面白い。

 

学生の頃読んだアンビバレントで矛盾に満ちた”プロセス・プランニング論”の鮮烈な印象が脳裏をかすめ、内容はまったく記憶にないものの、ある時代の断面を懐かしく思い出させてくれた次第である。


●和をもって尊しとなす

2009-05-11 21:45:52 | Weblog

 

本日の夕刻に民主党小沢代表の辞任記者会見のニュースが飛び込んできた。

連休中に熟慮した結果、自らが引くことが民主党の政権交代のために一番大事なこととの思いに至り、挙党一致で取り組む事を訴えての辞任記者会見であった。

 

夕刻のニュース解説によると、小沢代表の西松事件の説明なしに辞任する事を取り上げ、金権批判を繰り返す解説者が多いように見受けられたが、小沢氏の存在の何足るかの前には小事のように私には思える。

 

 昨日NHKの大河ドラマ”天地人”では織田信長”本能寺の変”が放映されていた。

天の時、地の利、人の和の天下を治める三要素のうち、光秀に裏切られるように”人の和”を欠いた信長の敗因を亡き上杉謙信が諌める場面があったが、信長は一笑に付し人の和では革新的なことは出来ないと嘯いていた。

 

小沢代表もどちらかと言うと、これまで人の和を優先してきた人ではなく、自らの考えに反する人を容赦なく切り捨ててきたし、民主党の人でも小沢代表を好きで支持している人は少数派で、多くは彼のブレない政治的パワーに期待した人が多かったと思う。

 

 ”和をもって尊しとなす”と言う日本古来の伝統的な収め方で、事態の収拾を図った小沢氏の戦略は民主党や、政界の今後に吉と出るか、凶と出るかはわからない。

私には昨日の”本能寺の変”に似て、政権奪取を目前にして自民党や検察の突然の焼き討ちに合い、後退する小沢氏の後に、果たして豊臣秀吉や徳川家康が出るのだろうかと言うようなドラマを想像してみた。

 

 歴史に”もし”と言う設問は禁句であるが、もし織田信長があの時死なず織田政権が誕生していたら、信長の進取に溢れた改革で日本は西洋諸国をいち早く凌ぐ近代国家となったかもしれない。

小沢代表が、退く事によって民主党は力強い政党になれるのだろうか心配である。

 

 変革期に必要なのは人の和と言うよりは、強い個性と信念でありそれを理解し支持できる大衆の存在ではないかと私は思う。

日本的集団情緒主義が、ここで又ボタンの賭け違いをするような気がして仕方がない。