今日土曜日、文芸春秋の12月特別号が発刊されて見出しが若尾文子さんの特別手記”黒川紀章とのバロックの愛”とあった。
もう一つの見出しはベストセラー”国家の品格”を書いたお茶の水女子大教授の藤原正彦氏の”教養立国ニッポン”であった。
二つとも興味があったので購入して通読した。
まず藤原教授の論旨は、予想どうり現在の経済至上主義の日本批判に始まり、構造改革は日本の国柄を破壊したと説き、歴史的に日本が所有してきた価値観や、伝統を骨抜きにしてきた裏には、アメリカの巧妙な情報戦略があったとしてその幾つかを論述している。
グローバリズムは結局はアメリカ化でその背景には、日本人自身の誇りの喪失があったと言う。
それを回復するのは経済軸とともに、教養軸が必要であると説く。
教養はまず大局観を養い人間的魅力を創るという。
目の前の生活や経済に振り回されている限り大局観は養えない。
よく考えると日本は歴史的に教養を大事にしてきたし、江戸時代には識字率は世界最高であった。
そのおかげで明治時代に世界の列強と対等に伍することが出来たが、平成のグローバリズムにはまったく手が出なかった。
個々の局地戦で成功を収めても、大局観がないと判断を誤ってしまう。
教養を重視して誇りを回復し、大局観を養い新たな出発をしようと言う論文である。
民主党の小沢一郎氏がピンチである。
小沢氏は旧経世会出身者としては珍しく原理原則を重視する政治家で、その主張は大局観に基づいたものと評価されてきたが、先の福田総理との秘密会談で、安全保障分野の局地戦で餌をまかれて危うく彼の大局を見る目を曇らされ迎合しそうになったが、土俵際で踏ん張り代表にとどまった。
小沢氏ほどの政治家でもこの大局観と局地戦の見極めは難しかったようだ。
その昔将棋の升田名人は”着眼大局、着手小局”と言う名言を残している。
局地戦ではだめで、大局的に見ること。しかし着手はあくまで小さいところから。
小さな将棋盤の中と人生とは同じようなものだと言うことか、、、
この言葉は建築設計の世界でもそのまま通用するように思う。
私が師事した黒川紀章氏は、大局観に優れた人だったと思う。
建築を設計する時に目先の条件や予算ではなく、思想によってあるいは未来を予測することによってその建物の原型(プロトタイプ)を掴もうとしていた。
したがって現地を見たり周辺の制約を知らなくても、ほぼ施主が希望する形をイメージ出来た。
あれほどたくさんの色々な種類のものをよく設計できるねと言う人が多いが、そこに彼の秘密があると思う。
但し実際の設計はやはり小さな処から着手していたと思う。
”着眼大局、着手小局”言葉で言うのは簡単であるが、その境地に達するには多くの経験と修業が必要なのだと言うことを改めて実感として思う。