木村 和美 Architect

建築家木村和美の日常活動とプロジェクトについてのブログ

●ライト・ウエイト・スポーツの時代

2008-08-31 22:37:39 | Weblog

ガソリン価格の高騰で中々話題にしにくくなったスポーツカーの世界で、最近従来のリアル・スポーツに対して、マイルド・スポーツと言う言葉が使われている。

日常的な道路環境で、そこそこのスポーツ感を味わう意味での車と言う事らしいが、今まではライト・ウエイト・スポーツと言ってきた。

 ポルシェ356

フェルディナンド・ポルシェ博士は、小型の高性能車を造りたくてダイムラー社を退職し、自分の設計事務所を作ったそうだが、1948年最初に世に問うた名車ポルシェ356は1300ccの今で言うライト・ウエイト・スポーツカーであった。

この356は今でも健在で、先週久し振りに西麻布方面へ出かけた時日赤通りで、特徴のあるエンジン音を響かせ走っているのを見かけた。

 トヨタMR2

日本のライト・ウエイト・スポーツの代表は今は製造中止されたトヨタMR2だと思う。日本最初のツー・シーター ミッドシップ・エンジンは、本格的な大衆スポーツカー時代が来るかと思われたが少し先取りしすぎたか2代目で姿を消してしまった。

しかし運転してみると、軽くてハンドルの切れが抜群のミッドシップ・カーは日本の高速道路を走るには最適であった。

 

     ロータスセブン            ロータス・エラン         ロータス・エリーゼ

ライト・ウエイト・スポーツの本場はやはり英国で一時期のロータス社が出していた、スーパーセブン、エラン、ヨーロッパなどは、そのキットも簡単でしかも軽く若者でも気軽に購入でき、モーター・スポーツの普及に一役買ったと思う。エランは日本のグランプリ・レースで一時期のヒーローであった浮谷東次郎の愛車でもあった。

紀宮さまと結婚された黒田さんも、このロータスのエリーゼを所有していると聞いた。

   ホンダOSMオープン

日本のスポーツカーの雄、ホンダが7月22日に待望のライト・ウエイト・ニューモデルのホンダOSMを発表した。

時代を反映してハイブリッド・エンジンでツーシーター・オープンモデルである。

1300ccであるが、ゆうに2000ccクラスの走りが可能と言う。S800、CR-X、ビートと技術を積み重ねたホンダらしい楽しい車になりそうだ。

 団塊の世代も退職時代を迎え、様々なライフスタイルの変化が見える中で、いよいよ日本でもツーシーターのライト・ウエイト・スポーツの時代が来るような気がして仕方がない。


●パラダイム・シフト

2008-08-29 18:55:02 | Weblog

バラック・オバマが大統領候補に指名された民主党大会が昨日から大きく報じられているが、この秋の選挙に向けて共和党のマケインとの支持率争いに劣っているとはいえ、ものすごい盛り上がりようである。

ヒラリー・クリントン自らがオバマ候補の支持を呼びかけるシーンなど熱狂的な映像で、アメリカ政治のパラダイム・シフトを予感させる。

このような転換期に建築のデザインや空間についてもそろそろ革新的なパラダイム変化が起きても良いのだが、、、、と思う。

 

 

左写真はサンフランシスコのシェラトン・パレス・ホテルのガーデンコートである。マーケット・ストリートに面したクラシックホテルで出来たのは1920年代であるが、私が初めてアメリカへ行った時に宿泊したホテルですごく思い出が深い。

ガーデンコートは大きなガラスのトップライトに覆われたレストランでちょっとローマ帝国風の雰囲気があった。

右写真はアトランタのリージェンシーハイアットのアトリウム空間で、建築家ジョン・ポーツマンが設計し、その巨大なアトリウムの魅力で以後のハイアット・グループのテーマになったものである。それぞれ一時代を築いた空間であった。

 

 

左写真は最近のプチックホテルで有名になったホテル・モーガンズ、右写真は同じくホテル・ロイヤルトンのインテリアである。

昨今のニューヨークのホテルインテリアはこのような内装を小奇麗に処理するものが多く、大きな変化のない時代を反映してきたように思う。

 

世は、アメリカの一人勝ちの時代からヨーロッパ、ロシア、中国、インド等々それぞれの勢力圏がしのぎを削り、自己主張を繰り返す変化の激しい時代となりつつある。

その中でアメリカの大統領選は、これからの世界の流れを決める注目すべき選挙となるだろう。

このようなパラダイムシフトの中でまづアメリカの先端的なデザインや、空間のスタイルが変化してくるだろうことを期待したいと思う。


●シュリンキング・シティ

2008-08-27 21:52:22 | Weblog

 

建築家ザハ・ハディドのワンノースマスタープラン   その中の黒川さんのビル計画

 

今日は一年ぶりに千葉県佐倉の常磐植物化学研究所にお邪魔してきた。

以前佐倉商工会議所の皆さんとTMO活動を通じてまちづくりを行ってきたところであるが、その後は特に目だった活動は見られないようだ。

旧市街地の主な人達のその後の状況を聞いてみるが、首都圏の歴史ある土地とはいえ、昨今の景気動向を反映して厳しい状況であると言う。

 

都市のシュリンキング・ポリシー(縮小政策)について、数年前から議論が盛んである。元は日本と同様に都市の人口減少が起こっているドイツの都市政策である。

空き家になった住宅や建物を緑の公園にしたりして、都心の豊かさを回復する政策であるが元々高密度なヨーロッパの都市と日本の都市を同一では論じられないと思う。

 佐倉の旧市街地などもすでに緑がいっぱいで、これをどう変えていけばよいのだろうか?

 

 黒川さんの都知事選の時の映像をインターネットで見た。その時盛んに自著の”都市革命”なる本を宣伝していたので改めて読んでみたがその中で都市のシュリンキング・ポリシーについて書いてある。

黒川さんの持論の創造性産業を集約していく事を述べ、実験都市としてのシンガポールのワンノース地区の自らのコンペ入選作フュージョン・ポリスを説明している。(写真)

創造性産業と言っても、日本の地方都市で今まで様々な事を試みてきたが私には創造的と思えることほど地元の反発が強かった苦い記憶がたくさんある。

黒川さんは都市革命の中でくどいほど労働力としての人口から創造的文化を造る人材への発想の転換を訴えるのだが、まだまだ基本は常識的な経済力であることを痛感する。

 

一年ぶりの佐倉の街を車で回りながら、緑豊かなその表面からはとても見えてこない困難な都市の課題についてひと時考えてみた。


●熟年ベンチャー 三澤千代治

2008-08-22 20:24:40 | Weblog

ミサワホームの創業者で、2003年バブル期の経営責任を取って退任した三澤千代治氏が、新たにミサワインターナショナルという会社を立ち上げ、長年の氏の住宅観を集大成した”200年住宅”(写真)を引っさげ再度上場を目指すと言う。

齢70、古希にしての挑戦と話題になっている。

そういえばつい2,3日前書店の店頭で三澤さんの新しい本”200年住宅の誕生”を見かけたがと思い、今日早速購入して読んで見た。

 

 氏は今までの自らの住宅開発の経験をベースに、今日の地球温暖化をめぐる環境問題等を考え、国のこれからの政策を踏まえるとこの”200年住宅”こそが日本のこれからの住宅像だとして、その実現に熱い思いを語っている。

現在の日本の住宅は寿命30年しかない事。先進諸外国と比較してそのストックが著しく劣り、結果的に国民の富を減少させている事を反省しつつ、これからの住宅を作るために三つの理念を掲げている。

それは1.住まいは子供のためにある。2.住宅建設が資産形成になること。3.日本の住文化の継承をしたい、、、である。

そしてそのブランドを”HABITA”と名付けてすべて国産の材料を使用、特徴は大断面の木材を使って耐久性を確保する事を骨子としている。

 

写真はそのインテリアであるが、ほとんどの柱梁材を隠さず表面に出し、木材を呼吸させていることが特徴である。更に部分的に集成材を使って湿気に対応し、耐久性を増している。

 

氏は20年程前から、長持ちする住宅の研究を続けてきたと語っている。

下記の写真はドイツ・フロイデンベルグの築350年の木造家屋の密集した街であるが、ゲルマン系の木造建築はイギルスでも、スイスでも200年、300年のものが数多く残っているし、日本でも古民家などは300年程度のものが多くあり、それはいずれも地元の木材を使用した建築であると言う。

 

 

更にいかにも三澤氏らしく、この200年住宅計画は疲弊した地方の活性化のために、地元の材料で、地元の工務店、設計事務所の人材をを使ってやる事が重要だとし、自らはノウハウの提供に意を注ぐ事を明言している。

そして200年住宅にはファイナンスも100年ローンなどが必要で、金融機関と話していることも明かしている。

 

一度は日本最大の住宅メーカーを育てた氏のプロジェクトはその実現性においても強い説得力を持っており、新たな住宅革命が期待されるところである。

我々もこの熟年ベンチャーを見習い、元気を出して志を新たにせねばと思った次第である。


●スイス・リゾートに涼を求めて

2008-08-21 22:06:22 | Weblog

さすがにお盆を過ぎると心なしか日差しも柔らかく涼しくなったように感じるが日中はまだ暑い。ここ数年は都心の仕事が多く中々山や高原の涼しい場所で過ごす機会がなくなったと思う。

リゾート開発をやっていた頃は、山中湖や軽井沢、八ヶ岳、清里と忙しく飛び回り暑さを感じる暇もなかったことが懐かしい。そして今日は以前訪れたスイスのリゾートを思い出し、少しでも涼しさを感じたく思う。 

 

 

写真はヴァリス・アルプス、ツエルマットの”ガルニ・デュフォー”30室程度のペンションである。PSDがリードしていた日本のペンション開発でモデルにしていたもので、客室やレストランも狭く質素である。スイスのホテルは質素ではあるが清潔感は抜群でその自然と共に一番の売り物である。

ツエルマットで食べたチーズ・フォンジュの熱かったこと。ただマッターホルンは美しく迫力があった。

 

 

サンモリッツのバドラット・パレスホテルである。オードリーヘップバーンの”シャレード”の舞台となったホテルとして有名で、スイスを代表する高級ホテルである。とんがり帽子が特徴でデザインも全体的に東欧的色彩が濃い。

ここのダイニングルームはただレストランと呼ばれ、どこかで見た人が多く出入りする贅沢な場所である。

スイスではないがすぐ近くの北イタリア、コルチーナ・ダンペッツオにあるミラモンテ・マジェスチックホテルは007”ユア・アイズ・オンリー”ロジャー・ムーア主演の映画の舞台となったホテルでこれも外観は東欧風、インテリアは木をふんだんに使った高級ホテルでコルチーナの特徴ある山々を背景に繰り広げられたアクションは特筆ものであった。

 

ミラモンティホテルの写真がないのが残念だが、上記のコルチーナ・ダンペッツオの街の写真で雰囲気を想像してもらいたい。

 

 インターラーケンを中心とした中央アルプス、ベルナーオーバーランドは、スイスリゾートのもう一つの中心である。グリンデルワルドはアイガーやユングフラウへの登山の基地であるが、この地域は山と言うより私にはアルプの平原とブリエンツ湖、ツーン湖の対照的な美しさが記憶に残った町であった。

山岳リゾートはやはりスイス・オーストリア、北イタリアに股がるヨーロッパアルプスにとどめを刺す。ほとんど19世紀豊かになったイギリス人が開発したものだが、その自然と環境が圧巻だと思う。

それらに包まれて食べる朝食の味も又格別で懐かしい。

スイスの施設をモデルにしながら、設計した山や湖畔のホテルのことを思い出し、それらのその後が又心配になった夜のひと時であった。


●いつの間にか秋の花

2008-08-18 23:24:42 | Weblog

鎌倉円覚寺のタカサゴユリ

先週末は、田舎のお墓参りに行って来た。照りつける日差しの下で、何を語りかけたらよいのかとにかく手を合わせ冷たい水を掛けて来ただけであるが、日本人の常かいつもその日を境に心の何かが変わるように思う。

そのせいかこの日曜日は曇り空で雨が降り、気温も上がらず一日涼しく穏やかでその分余計な諸事を考えた日であった。

 

今日の休み明けは、恵比寿の住宅の家具搬入に立会う。アールヌーボーのクラシック家具。長かった設計や施工の期間を乗り越えてやっと引越しの日を迎えるが、これも引渡しとなるとなにやら一抹の寂しさを覚えると同時に色々と面倒を掛けた人達の顔を思い浮かべて改めて心の中で感謝した。

家具のレイアウトをしてみて幾つかの課題有り、もうしばらくこれは暑い日が続きそうである。

 

今年の夏は世間は北京一色で、すべてが振り回されているが今回は中々メダルの数が増えないようである。例によって色々な人が敗因の分析を行っている。北島は特別で、スポーツの世界で同じ人が2回も出れる方がおかしい気がする。夏が過ぎれば秋が来るのが当然の事である。

 

夕刻に新しい仕事の話を伺うが同時に業界の状況についても情報交換、様々な話のデッド・ロックをあわせて聴く。残暑見舞いの中でも悲観的なことを口にする人が多い。

オリンピックで隠蔽されて状況の対処が遅れつつあるのが恐ろしい気がする。

少し気分を入れ替えて又新しい事に取り組む必要があるようだ。


●文芸春秋に世相を読む

2008-08-14 18:58:50 | Weblog

昨日今日とお盆休みで久し振りの休日である。テレビなどのメデイアは一日中北京オリンピックの報道ばかりで大騒ぎの様子だが、私は今日は静に雑誌を読んで過ごした。

文芸春秋9月特別号は、芥川賞の発表の他中々面白い記事が並んでいる。これ一冊を読めば、今の社会の状況が十分把握できるのではないかとさえ思う。

トップ記事は北京オリンピックと、日中間の諸問題を議論する座談会、日本側は評論家の櫻井よしこ、田久保忠衛、中国側は精華大と中国人民大の教授二人であるが、チベットやウイグル地区の人権問題や、中国政府の報道規制について鋭く切り込む日本側に対して中国の教授は共産党政府の公式見解を繰り返すのみである。

なるほど一党独裁というのは怖いものだと思う。

同時に掲載された芥川賞受賞作品の”時が滲む朝”は初めての中国人作家楊逸氏(日本在住)の作品で、中国の民主化運動に参加し天安門事件で挫折を強いられる学生とその周辺の出来事を綴った作品である。内容はともかくこの作家の辿ってきた過去に中国人の逞しさを感じる。

 

次は、経済関係で3つ面白い記事がある。

いずれも霞ヶ関官僚機構の内幕を暴き現在の問題点を指摘する内容である。

一つは堺屋太一氏の”恐慌的スタグフレーションが来る”

これからの日本経済の内憂外患について、外患はドル安、原油高問題、内憂は官僚機構の退廃である。象徴的なのは官製不況と言われる、建築基準法の改正と金融商品取引法の改正だと言う。

二つ目は”霞ヶ関埋蔵金”を暴露する高橋洋一氏の論文、50兆円はひねり出せるそうである。

三つ目は今度32歳で財務省を退官した村上正泰氏の”医療費削減の戦犯は誰か”その中で、官僚は専門家ではなく政策実施のプロセス専門家と言い、霞が関文学の専門家と言う。いずれにしても我々の知らないところで色々驚くべきことがあるものだと思う。

 

その他で関心を持った記事が3つ

”日本から漁師が消える日””20億円寄付した私の人生””インテリジェンス交渉術”

昨今の原油高で漁師のストが報じられたが、問題はそれだけでなく漁業には構造的な問題が存在し、それを取材を通じて明らかにしている。

 

上記の多くの諸問題の解決に必要なのは、やはり政治の活性化以外にはないのだろう。一人一人が出来る事は余りにも小さい。

様々な事を経験した英国では国の経済が低迷するとその理由を常に政治の力のなさに求めるのが通例だそうだ。

突破口は何なのだろうか?


●佐島マリーナと湘南の海

2008-08-12 22:10:24 | Weblog

今日は故あって三浦半島の葉山方面に出かけてみた。ガソリン価格の高騰のおかげか、以前は夏のこの時期、海沿いの道路は車が数珠繋ぎでのろのろ運転が当たり前だった記憶があるが、今日はスムーズに車が流れ気持ちのよいドライブが出来た。 .

もうかれこれ10年ぶりに小和田湾に浮かぶ佐島マリーナを訪れた。以前はよくここを訪れヨットにも乗ったものだが建物は当時のままでも内装は綺麗に一新されレストランなども随分広くなった様に感じる。

よく知られているようにここは森繁久弥氏が始めたマリーナで、日産がそれを引き継ぎ経営をし、一時期いろいろな問題があったが現在も日産が管理運営をしていると聞く。

 

もう時効だから良いだろうが、大分前私はこのマリーナ周辺の再開発に参画したことがあった。海の開発の際の一番の問題は漁業権の問題だが、それを信託し新しい組織で海の管理をする計画があり、そのハードプランを提案した。

 フランスのコートダジュール、サントロペの近くにポール・グリモーというハーバー付き別荘村がある。そこはフランソア・スポエリというフランスの建築家が構想しデザインした、ヴェネツイアを模した街が出来上がっているが日本でも一時期大いに話題となった。 

写真のように3階建ての縦割り長屋を連続させハーバー付きとしたもので、各々の家から直接船に乗れ、集中した艇庫やマリーナは置いてない。それぞれを分譲、賃貸して採算が合うものとしている。これをこの小和田湾にも適用しようとしたが、バブルの波に消されてしまった。

 

今日佐島マリーナを訪れ当時の記憶が色々よみがえってきた。そして日本のマリン・スポーツはなぜ限られた一部の人しか出来ないのだろうと言う思いも、、、。

フランスのラングドックルシオンには労働者を対象にした恵まれたマリンリゾートエリアがあるし、アメリカの西海岸には小さな都市でもマリーナがあり、普通の子供がある規模のヨットを楽しそうに操っている。この格差はどこに原因があるのだろうか

私にはその理由がある程度わかる。久し振りに湘南の海辺とマリーナを見てまったく変わらない、いやむしろ後退しているその状況に憮然としつつ流れに任せてハンドルを握り続けていた。


●ロンドンのホテル研究

2008-08-09 23:28:06 | Weblog

昨日北京オリンピックの開会式があったが、4時間にも及ぶ政治ショーでいささか呆れてしまい、途中で見るのをやめた。

気は早いのだが次回のロンドン・オリンピックに思いを馳せ、建築の勉強をかねてロンドンのホテルを研究してみたいと思う。

 

 

私があちこちのホテルを泊まり歩いた頃は、他の都市と比べロンドンの高級ホテルは格式が高く中々利用するのが難しかった。

写真は左からクラリッジズのロビー、サボイホテルのラウンジ、リッツホテルのティー・ラウンジ”パームコート”である。

 

サボイホテルは近代ホテルの始まりと言われ、20世紀初頭のロンドン社交界をリードしたホテルで、貴婦人が連れ立って利用できる最初のホテルといわれた。そのラウンジで供されるアフタヌーンティーは特に有名であった。

クラリッジズは日本のホテル・オークラがオープンするとき参考にしたホテルで同じようにエントランスからはフロントが見えない。そして”アールデコの宝石箱”と言われそのインテリアは一品である。

やはり20世紀初頭パリ・リッツの成功を受け、同じ建築家とインテリアデザイナーでロンドン・リッツがオープンした。パリ・リッツ同様これは英国国王エドワード8世(ウインザー公)お気に入りのホテルであった。

 

これらの高級ホテルは現在皆、対外ホテルグループに買収されており従来とは違った路線を進んでいるようで、少し気軽に利用できるようになったかもしれない。

中でも私が特に気に入っている現在のクラリッジズのレストランと客室インテリアの写真を下記に掲載。

 

 

 

他の都市と比較しロンドンでは小さな高級ホテルがたくさんあるのが特徴である。

代表的なものを3つあげると下記左からザ・レーンズボロ、コンノート、デュークスホテルが上げられる。

皆伝統的なバトラーサービスを特徴としており、今後の高級ホテルのモデルであろう。

 

 

これらは日本の料亭のように一見さんお断りであり、それぞれ以前のマナーハウスを利用した90室程度のホテルで、コンノートはレストラン、デュークスはバー、レーンズボロはバトラーサービスで世界一のものを所有しているのが売りである。

 

 以上は簡単に泊まれるホテルではないかもしれないが、とにかくロンドンはホテルビジネスという観点からは最右翼の都市である。

日本で言う高級ホテルなるものは軽く100軒を超えるだろう。

それとあらゆるタイプのホテルが存在しこれからの日本のホテルの動向を予測するにも重宝すると思う。


一級建築士問題のその後と周辺状況

2008-08-07 19:56:14 | Weblog

 相変わらず暑い日が続いているが、来週からお盆休みのところが多く、そろそろ世間は夏休みモードに入ったようである。 

昨日 新・建築士制度普及協議会からはがきが届き、それは改正建築士法に基づく新しい建築士制度についての解説の案内であった。

暑い夜ではあるが少し頭を冷やして建築士の問題について考えて見たいと思う。

 

 耐震偽装事件以来、一級建築士や確認申請制度を取り巻く諸問題について様々な議論がされて来たが、具体的には確認申請のしくみが変更になった。これは官製不況の一番の原因として評判が悪いものであるが一部見直しがあったもののそのまま現在も続いている。 

もう一つは今回の改正建築士法で今年の11月から義務付けられるであろう、建築士の定期講習義務制度、設計再委託の禁止(丸投げの禁止)、建築主に対する重要事項説明義務等である。

又構造や、設備に関しては、構造設計一級建築士、設備設計一級建築士でなければ平成21年5月以降は確認申請が受理されない事となった。以上が要点である。

 

私の身近な話で言うと、新しい確認制度で構造の審査基準が厳しくなり構造設計者が仕事の選択をし、小さな仕事をしなくなったことがある。

構造設計の人間からいえば当たり前の事であるが、これである程度の規模の話しか進まなくなった。総体としてはかなりの縮小になるだろう。

ある時以前の施主から既存RC建物にエレベーターをつけたいとの相談があったが、こんな小さな話に新しい基準のやり方でやろうとすると無駄な時間と費用ばかりがかかる。もっと柔軟な対応が出来ないかと思うが、構造設計者にとって今は追い風であるから余計な事はやらないとなる。

 

最近あるマンションデベロッパーの施主から現在、外観やインテリアのデザインはいわゆるデザイナーと呼ばれるジャンルの人間がやり、建築士は法規的なチェックと間取りをやってくれればいいんだという話を聞いた。

その方が商売として良いと言う事らしく、建築士の方も割り切ってやれば経営採算的にはその方が良いらしい。

 

私は小泉改革を否定する立場ではないが、以上の状況はやはり急速すぎる規制緩和のもたらしたものが大きいと思う。バブルの時の金融緩和と同じであるがその上手なコントロールはどうやら現在の中央集権制度では難しいのではないかと思う。今回の新しい建築士に対する規制もどうも的を得たものとは思えない。

 

私の現在の主な仕事は新建築確認制度や、マンション設計とは違うところなので、直接被害を受けてはいないが、幾つかの仕事で間接的に係わることがあり、少し異常ではないかと感じることが多い。

建築家になるため教育を受け、多くの研鑽を積み、勉強してきた立場から言うと上記の建築士が置かれている状況は大変おかしな事だと言わざるを得ない。

とは言っても出来る事は自らの周辺の仕事で、自分の信じる道を少しでも広げていく以外に方法はないのだが、、、。

 

制度は一度造るといつも人間をおいて一人歩きをしてしまう。限られた一部の人間が制度を造るシステムを改め、もっとフレキシブルな対応が出来る仕組みが出来ないものだろうか?

これは建築の世界だけではなく、今様々な分野で言えることではないだろうか。

ここはやはり政権交代をし、地方分権を少しでも推し進める以外にないのかとも思う。