木村 和美 Architect

建築家木村和美の日常活動とプロジェクトについてのブログ

●坂倉準三展・・・神奈川県立近代美術館

2009-06-28 17:23:20 | Weblog

 

先週の週末は、レストランを新規開業したい人の相談で鎌倉に行って来たが、休日でもないのに、鎌倉は大変な人出でそれも小・中学生が多かった。

幸いな事に天気がよく、子供達の黄色い声と外人のカップルの雰囲気で、狭い江ノ電の中はリゾート気分で一杯であった。

 

歴史的な観光地はどこもそうだが、道路が狭いので車はノロノロ運転、そこに車と人の共存が出来て、レストランの運営にも好都合であると思う。

 

今、鶴岡八幡宮に近接する神奈川県立近代美術館で建築家坂倉準三さんの展覧会が開かれている。(写真)

坂倉準三さんは、前川國男さんと共にフランスの建築家ル・コルビュジェの弟子で、日本の近代建築の先達であり、その代表作には新宿西口広場と小田急百貨店、渋谷の東横百貨店、神奈川県庁舎、そして先日世界遺産登録からもれた上野の西洋美術館などがある。

 

鎌倉の近代美術館も氏の初期の作品であるが、中庭のあるコルビジエ風のモダニズムの作品で、物資の乏しい1951年の竣工、鉄骨も細く外壁材もボード仕上げであり、中に入るとカビの臭いがして歴史を感じさせる。

 

展示の最初のコーナーは、氏がコルビュジェのアトリエで担当した作品である。

そこには学生時代に見慣れたコルビュジェそのものの図面があった。

 

黒川事務所に在所中、出張した時や、打ち合わせの帰りの車の中で黒川さんが、よく坂倉さんや前川さんの話をしてくれたことを記憶している。

黒川さんも若い頃には坂倉さんに大変お世話になったようで、両巨頭についての黒川評を楽しく聞いた思い出がある。

 

当時は三井不動産と藤沢ニュータウンの仕事をしていて、坂倉さんの大きい声とその実行力・行動力の話をしながら、三井との打ち合わせの進め方などを聞かされたものだ。

 

そんな事を思い出しながら、展示の作品群を眺める。

クライアントとの親密な関係の中で個人の建築家が、オールマイティで仕事を進める事の出来たよき時代。

坂倉さんの事務所には優秀な人材が集まり、現在もお弟子さんたちが多くの優れた作品を生み出している。

 

とは言え展示会の作品の中で、坂倉さんの個性が出ている作品はそれほど多くはない。 

ル・コルビュジェはエスプリ・ヌーボー(新精神)のもと、新しい建築空間を造る事を提唱し実践した。

 

組織の時代となった今日、個人の出来ることは余りに小さくなってしまったが、坂倉さんの残された資料や作品を見ながら、少しでも、時代精神を感じさせるような仕事をこれからも心掛けたいと思った。


●マイケル・ジャクソン フォー・エバー

2009-06-27 11:47:15 | Weblog

 

世界的なエンターテイナー マイケル・ジャクソンが死んだ。

思い出したように各メディアがいっせいに追悼番組や、過去の彼の業績を放映している。

ここ数年は歌手活動よりも、様々なゴシップで世間を騒がせ、今年7月にラストコンサートをロンドンで開く事になっていたようだが、それも流れもう永遠にあの歌声とキレのあるダンスを生で見ることは出来なくなった。

 

改めてマイケル・ジャクソンのビデオを見てみた。

彼が活発に活動を始めるのはやはり1980年代である。

あの”スリラー”のヒットとムーン・ウオーク。 

ビリー・ジーンのビートの利いた歌声とそのステップ。

 

1980年代は、日本はバブルの時代であるが、アメリカは段々と経済にかげりが見え勢いがなくなってきた時代である。

それに伴う黒人社会の台頭。そして何らかのスターが求めれられた時代背景ではある。

当初は日本でも同じ黒人歌手のプリンスの方が人気が先行していたようにも記憶している。

 

マイケル・ジャクソンの成功の秘密。

その一つはトランスフォーメーションにあると思う。いわゆる整形である。

ビデオを見てみると、もうボーカルとして独立してまもなくの”オフ・ザ・ウォール”の頃から、目元が明らかに違う。

そして曲ごとに、少しづつ表情が変わっていくのがわかる。

これは彼個人の意志なのか、ひとつの神として支持者やファンの意向がそうさせたのかわからないが、、、。

神としての矛盾したつらい日々だったかもしれないと思う。

 

とりわけマイケルのステージを見ていて思うのは、観客と共有する異常な恍惚感、エクスタシーであろう。

音楽だけでは感じられない、身体のパフォーマンスを通した愉悦、それ故彼も自らの体にメスを入れることを厭わなかったのかも知れないとも思う。

 

アーティストとして、当然だが音楽家は神経質な人が多いと思う。

縁あって、ある著名なヴィジュアル系バンドのボーカリストの住宅の相談に乗ったことがあるが、住まいに関してもやはり繊細であった。

絵画やデザイン関係の人たちの方が、よほどタフな感じがしたものだった。

 

マイケル・ジャクソン  50才。

 

人は早すぎた死と言うかもしれないが、繊細な音楽芸術家の一生としては、十分長かったとさえ、彼自身は思っているかもしれない。

神にさえならなければ、それほどのトランスフォーメーションも必要なかっただろうに、、、。


●不動産の状況と政治の貧困

2009-06-25 16:47:48 | Weblog

 

昨日、不動産売買の仲介をしている知人に久し振りに会い、今の不動産取引の状況について話を聞いた。

一時は活況の主役と言われたJリート、証券化による不動産投資信託も有力投資法人の倒産などでダメージを受け、この5月の新規取得物件はたった1件などと言う報道もされた。

流石に最近政府も、Jリートに対する助成を発表したが、資金繰りのため所有物件を売却する話が多いようである。

 

資金が豊富な企業や人は今が買い時で、大きなチャンスらしい。私も先日信じられない話を聞いたばかりである。

 

東国原宮崎県知事の衆院選出馬問題で、何か馬鹿馬鹿しい騒動が起きている。

このような話をする当事者同士の常識を疑うが、それをマスコミが連日報道しているのを見ると、この国の政治の貧困もここまで来たかと言う感が強い。

 

”沈黙は軽蔑の最大の表現である”とは辛らつな評論で名を馳せた英国の劇作家バーナード・ショーの言葉だが、日本のマスコミや評論家はこれとは逆の事を行っている。

 

テレビや、メディアを通しての人気や影響力は、一種の虚構であり現実の政治はそれとは異なるものである事を、当然東国原知事は心得ていると思ったら、本気で国政に参加するつもりらしく、これは如何ともし難い感じである。

こんな自民党政治にここしばらくの不動産や金融は振り回されてきた訳である。 

 

日本の政治が茶番を繰り返しているうちに、ゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーなど米国金融機関大手10社は1年も経たない内に公的資金を返済したと言う。

そしてシティ・バンクではあるレベルの人材の基本給を50%アップすることを検討しているというニュースまで流れてきた。

 

世銀の予想では、日本は2009年の成長率はマイナス6.8%で、先進国中最悪だと言う。

具体的な将来ビジョンも描けず、15兆円の補正予算の中身も怪しげなものだとすると、これは大きな問題だろう。

 

結局経済などはすべてがアメリカの後追いで、政治は政治家のエゴばかりが目立つ現状では、心ある人ほど政治から離れるか、海外に逃避する事になるのだろう。

 

今度の選挙の政権交代で、もっとまともな政治状況が出来る事を祈る他ないと思う。


●植物、植栽との共生

2009-06-23 12:06:30 | Weblog

 

一般向けの建築デザイン誌の”カーサ・ブルータス”を見ていると、植物と暮らしの特集をしている。

このところグリーン・ニューディールや、環境革命が言われて段々と我々の日常生活にもかなりな変化が現れてきたようだ。

 

建築家・妹島和世の大倉山集合住宅で、植物をどのように扱い取り入れたかの記事、女性らしい繊細な植物の選び方である。

そして有名な英国の環境再生プロジェクト”エデン・プロジェクト”について、建築家のニコラス・グリムショーが解説をしている。(写真)

 

エデン・プロジェクトはかなり前の2001年の作品であるが、英国の西南端、コーンウォールの環境再生によるまちづくりである。

経営主体はエデン・トラストといいうチャリティ団体だが、バイオームという温室に熱帯植林や、砂漠の環境を再現して一種の観光地としている。

年間700万人が訪れ、しかも建設はほとんど大手業者のボランティアだそうだ。

フラードームを思い出させるようなグリムショー デザインの透明フィルムによるバイオームが注目の的である。

 

私自身は、比較的早くから建築や都市設計の中で植物を扱ってきたと思う。

黒川事務所在所中の藤沢ニュータウンでの横浜国大の宮脇昭先生との出会い。

福銀や和木町庁舎でのシンボルツリー”ホルトの木”の植樹と造園。

ランドスケープ・デザインを通じた多くの仲間達との付き合い。

 

ただ今までのそれは建築や町を引き立てるものとしての植栽の考えが強かったように思う。

ある時、平塚駅前のショッピングモールのデザインをしたが、友人のアドバイスでバイオ技術で培養された黄色い花が咲く”ハンカチの木”を使ってみた。

しかし、残念だが瞬く間に枯れてしまい結局すぐにクスの木に替えられてしまった。

 

自分の事務所にも過去にたくさんの観葉植物を置いて見たが、メンテナンスが悪かったのかこれもほとんどが枯れてしまった。

 

カーサ・ブルータスの中で、語られている人々と植物との生活を見ると、それはもっと密接で係わりの深いものとなって来たようだ。

極端に言うとペットの扱いにも似ている。

 

建築や都市の中での植物や、植栽の扱い方もこれから大きく変化していくのだろうと思う。


●歌謡曲と昭和の時代

2009-06-20 23:18:59 | Weblog

 

この1週間は何となく体調を気にしながら過ごした感じだが、週末中小企業のコンサルティングをしている知人の話を聞いた。

政府発表では景気は底打ちとのことだが、現場ではまだまだ問題が多く特に建設業は支払いをめぐるトラブルが多いそうで、大本営発表の感ありである。

 

ただそろそろ、経営者の代替わりも進んで新しい経済感覚の人も段々出てきたことを聞く。

そういえば私の知る範囲でも、子息の代に変わりつつある企業や商店が増えてきた。

 

今日夕刻テレビをつけると、美空ひばりの没後20年記念番組を放映していた。

昭和と言う時代もすでに遠くなりつつあるが、少女のひばりが敗戦後の不安を抱える人たちの希望の星として、歌に生きる姿を古いフィルムは流し続けている。

10歳をわずかにこえる少女が”りんご追分”や”悲しき口笛”などのヒット曲で当時の人の心に入り込む。

今聞いてみても歌唱力が子供とは思えないほど素晴らしい。

 

昭和と言う時代は、歌が生活の糧と言うとオーバーだが、密接な結びつきがあったような気がする。

 

 私の学生時代、研究室のアトリエと称する屋根裏部屋で、長期間図面書きや論文執筆で、つらい時期もあったがその時は高倉健や鶴田浩二の任侠歌謡曲を歌いながら、気持ちを奮い立たせた記憶がある。

”唐獅子ぼたん”などまだよく覚えている。

えてして修行時代ほど、心の支えとなった歌謡曲があるものだ。

そして、何かの弾みに口ずさむと周辺の物事が一緒に蘇りカタルシスとなる。

言ってみれば、それが青春と言う事なのだろうか。

 

さすがに独立してからは、よすがとするような歌謡曲もすぐには浮かばない。

カラオケで歌う程度では中々心に刻まれないのかもしれない。

 

美空ひばりのあの美しい歌声も昭和と言う独特の時代背景を持ってこそのものだろうと思う。 

貧しさや不安と一方でそれゆえの生きるエネルギー。

現代の若者がひばりの歌を聞いて、何を感じるか聞いてみたいものだと思う。

 

しかし、豊かになったとは言えこの混迷の時代、現代の新しい歌が芽生えてくるような気がすることも事実である。

私も又これからの生活や行動のバックボーンとなるような歌を何とか見つけてみたいと思う。


●大井町駅前の十数年

2009-06-17 16:38:26 | Weblog

 

超高層マンションの上階は下層階に比べて日射が比較的強いのであろうか、よくわからないが、日射しが強すぎて不具合と言う話があり、遮熱フィルムを貼ることにした。

環境問題が言われだして、最近は塗料メーカーも遮熱塗料やフィルムにかなり力を入れているようである。

大井町駅前の日本ペイントの事務所で打ち合わせをする。

 

大井町の駅を出ると、阪急のデパートがあった場所が、解体中で何もなく、看板を見ると、ここに31階建ての超高層マンションと超高層ホテル、低層部に商業施設が入ると言う定番の駅前再開発である。(写真)

 

昨年から解体工事に入り、平成26年に完成するという。

大井町駅前は、今は駅ビルはあり、区民センターあり、イトーヨーカドーありで、都市施設が充実した地域となっているが、十数年前はまだ未整備で、駅前にかんべ土地の看板が並び、阪急のホテルとデパート、そして周辺の商店街があるのみであった。

ここに埼京線の延伸計画、イトーヨーカドーの進出、国鉄宿舎の跡地計画が勃発、一挙に流動化して開発が進んだ経緯がある。

 

私は当時、地元商店街を束ねていた中小企業診断士の高久さんと一緒にこの津波をどう受け止めて延命を図るかの計画を立案して品川区役所と打ち合わせをしたことがある。

かなり大胆な提案をした。それは、線路上に公共広場を造って商店街連合体がそれを共同管理する提案だった。

 

それが出来ると各商店街が全部連結され、駅前の主要商業施設とも連結される、大規模店舗と地元商店街の一体化案だったが、自画自賛で終わってしまい、徒労感だけが残った記憶がある。

振り返ってそのリアリティについて、もっと粘り強く協議すべきだったと思う。

 

今大井町の駅前を散策して、ビルばかりは大きいのが並んでいるが決して心地よさを感じない。

商業施設も軍艦のようなタイル張りや吹き付けの外壁ばかりが目立ち、入ってみようと言う気も余り起きない。

 

今度の阪急の駅前再開発はこの雰囲気を変えるものになるかどうか

 

大林組の設計施工だそうだが、もうそろそろ自分の敷地だけでなく、周辺との繋がりを考慮するデベロッパーや設計者が出てきてよい頃だと思う。


●梅雨を過ごす

2009-06-16 13:26:09 | Weblog

 

曇り空の毎日で、それほど雨は降らないが何となく、うっとおしい日が続いている。

先週の末に自分で料理したものがおかしかったのか、胃腸に異変を来たしここ数日は、デスクワークで大人しくせざるを得ない状況となった。

 

昨日は、久し振りにホームページを更新してみた。

しばらくそのままにしていると扱い方の勘が中々戻って来ず、IBMに問い合わせたり、プロバイダーに確認したりの作業が大変で、当初の苦労を思い出す始末。

やはり定期的にメンテナンスをする必要性を痛感した。

 

梅雨は東アジアに特有な季節と言うが、あのスイスでも結構雨に降られた記憶がある。

10月の季節だったが、しとしとと何日も続き、美しい山も見えなくなり、仕方なく買い物に行って気分転換をした思い出がある。 

そこで買ったコールテンのハンチング帽をかぶり、笠もささずに雨の中を歩いてみるとそれはそれで楽しい雨の日であった。

 

思い出して昨日は午後から横浜駅前のジョイナス地下にある、クイーンズ・伊勢丹へ行ってみた。

結構な人出であるが、よく見ると覗いている人が多く実際に買っている人は少ないようだ。

ただ明るく斬新な店舗が連続し、商品の陳列にも趣向が凝らしてあるので、見るだけでもリフレッシュしてしまう。

やはり若い女性のシェアが多いように感じる。

 

先週の土曜日も横浜そごうの10階のダイニングパークを昼間覗いてみると、ほとんどの店が10人程度席待ちをしている。

洋食関係が健闘しているようで、不景気風などどこ吹く風であった。

 

ただこの季節柄、身の回りでも親族が体調を崩したり、知人の訃報が多かったりで、わずらわしい話題が多くなったのは仕方がないが、梅雨や体の調子と一緒で、うまく静に付き合うことも大切なことだと思う。

 

庭の草木の一枚の葉に留まる雫のなかに、風流を感じるような気にはまだ中々なれないが、それを眺めて多少は心が落ち着くようにはなれる気分である。


●ひと工夫ふた工夫の幕開け

2009-06-12 20:09:02 | Weblog

日本大通りのオープンカフェ                スーパーホテル横浜関内

 

 

株価がやっと1万円台を回復したというニュースが新聞の一面を飾っていて、段々と景気回復の兆しが見えかかってきたが、この先どうなるか 、、、、

 

今日は、午後から山下公園前の産業貿易センターで、家具メーカー・オリバーの商品説明会に行ってきた。

オリバーの製品は、近くはヨコハマプラザホテルのリノベーションで客室の家具に使ったし、古くは秀峰閣湖月のレストランなどでも使用したが、コストも妥当で製品も信頼できる。

 

最近の商品は様々な工夫が凝らしてあり、クロスをグラスファイバーで、ラミネートした椅子テーブルセットや、仕上げ交換が簡単な造り付け椅子などのユニット家具も段々とレディメイドから、イージーオーダー化して、顧客の細かい注文に応じられるような製品が増えてきた。

 

 

昨日も自由が丘のリバティ・ヒルスポーツクラブの東専務にお会いし、近況を聞いた。

スポーツクラブもただ建物が立派で、器具や設備も最新式と言うだけでは顧客ニーズからずれて来て、もっと肌理細かいイージーオーダーのサービス提供の必要性を聞いた。

同じような事だろう。

 

山下公園まで関内駅から横浜公園を抜け、銀杏並木の日本大通りを歩いてみた。

入り口に、2年前にオープンした”スーパーホテル横浜関内”が今日は目に付く。

スーパーホテルチェーンは最近かなりの勢いで店舗数を増やしているが、ビジネスホテルのコンセプトとして、安心、清潔、ぐっすり眠れるを掲げ、料金は4900円で、朝食は健康志向の食材提供と、従来のビジネスホテルにロハス志向の要素を加味したもので興味深い。

そしてビジネス系にはなかったかなりきめ細かなサービスアイテムを作成している。

 

日本大通りは、4月よりオープンカフェが通りに設置され、日本最初の西洋式街路の雰囲気を更に濃くした感がある。

この通りには有名なレストラン”アルテリーベ”や、新聞博物館、横浜情報センターなどが並び、ちょっと異色の風景を形作っている。

 

この不況期ではあるが、景気回復をにらんで多くの人達が、各々の製品や生活に、様々な工夫を凝らし努力を続けている。

 

これらの弛まぬ努力が実を結ぶ日が、やがては必ず来る事を予感させる、今日の横浜の風景ではあった。


●ニヒリズムと建築・・・Y150はじまりの森

2009-06-10 20:57:38 | Weblog

 

梅雨に入りどんよりとした天候が続く中、今日横浜馬車道に行ったので、近くで開催されている横浜開港150周年博”ベイエリア”地区を覗いてみると、入り口に”Y150はじまりの森”と称する建築家みかんぐみの作品がある。

 

ハイパーポロイドフレームという、パイプをクロスに組み合わせ、逆円錐形をつくりそれを地面に突き立てたユニットを連続させ、既存の樹木を組み合わせながら、その中にパビリオン機能やレストランをレイアウトしている。

 

白色で統一されたその全体はユニークな形態が連続し、開港博のエントランスの役割を十分に果たしている。

仮設建築だから、近くに寄ってみると随分荒っぽい造作なのはやむをえないが私にはもう一つこの建築が何を目指しているのかよくわからなかった。

 

 ”ニヒリズム”とは19世紀の思想家ニーチェにより語られた言葉だが、人間の理想や価値が喪失したところに起こる感情と言われた。

ニーチェはそれまでの近代的思惟に対し反旗を翻し、それが現代思想の源流としてドウルーズ・ガダリやデリダ、ミシェル・フーコーなどに大きな影響を与えたと言う。

建築の世界もその影響を受け、脱構築とかポストモダンとか言われた時期もあった。 

 

しかしそれで何が変わったのだろう。

このはじまりの森もその流れの中にあるように思う。

 

相変わらずニーチェが予言したように、現在も世界は理想や価値を失ったニヒリズムの只中に漂流しているように感じられる。

 

 

 

 

墨田区の葛飾北斎館のプロポーザルコンペに妹島和世案が採用となった。(写真)

幾つかのブロックを組み合わせて、変形させ外部から見える部分と見えない部分を対比させている作品だがこれも何が北斎館なのかどうにもよく理解できない。

理解できないから入賞したとも言える。

 

ニーチェはニヒリズムの先に”力への意志”を見た。

わかりやすく言うと可能性に生きると言ってよいかもしれない。

 

現代は建築に限らず、それぞれの人生を自らの可能性にかけて生きざるを得ない時代なのかもしれない。

そして若い建築家の最近作を見ながらそんな時代がしばらくは続くのだろうと思った。


●建築修業回想 その2・・・ケビン・ローチの作品

2009-06-07 21:07:48 | Weblog

フォード財団ビル:ニューヨーク

 

昨日までの雨も上がり、今日は初夏を思わせる天気のよい日であった。

気分転換を兼ねて、横浜元町商店街を散歩した。

何時にもまして凄い人出であったが、他の商店街では見られないゆとりを持った歩道にベンチや、大きく後退した店舗の前面スペース、裏道整備による回遊性の促進など先端的な試みの多い空間が心地よい。

 

現代建築で、このような空間的なゆとりや環境志向を取り入れたのはおそらくケビン・ローチ設計のフォード財団ビルが最初だろう。(写真)

ケビン・ローチは西海岸のオークランドにも、屋上が全部緑で覆われているような丘状の有名な美術館を設計している。

フォード財団ビルは、建物の中のアトリウム(吹き抜け)が緑で覆われているがサッシで外部と遮断されているので、外からは余り見えない。

ニューヨークに行った時、入ってみたが植栽は管理が悪く枯れていて、ただ見るだけの緑の塊であった。

 

大学の研究室を出て、黒川さんの事務所に入所してすぐ福岡銀行本店のプロジェクトに携わり、ほぼ3ヶ月間基本設計に没頭した。

この時は都市の屋根(アーバン・ルーフ)をテーマに直方体を抉り取り、吹き抜け(高さ30m)を創り下部を緑化された広場とした。これはフォード財団の吹き抜けと相違して、一般市民に開放できる水と緑そして彫刻のある公開の空地であった。

 

  福銀本店の軒下空間

 

形の問題で言うと、私は当時ローチの作品が好きだったので、スケッチしていて自然に格好がフォード財団ビルに似てきてしまい、後々色々な人から言われたらしく黒川さんには申し訳なかった。

黒川さんはスプレッケルセンが設計し、自分が審査したパリのテト・デファンスのビルの通り抜けの出来るような形をイメージしていたが、機能的にうまくまとまらなかったのである。

 

この吹き抜け空間は、黒川事務所で当時中間体と呼んで、日本の建築の縁側空間、外でも内でもないグレーゾーンとして、新しい建築のテーマとしていた。

表層の小奇麗なデザインや、ディテールにのみこだわる風潮が余り好きではなかった当時の私には魅力的で新鮮な考え方に思え、この縁側空間の設計に懸命に取り組んだ思い出がある。

 

和木町庁舎の中庭・縁空間

 

福岡銀行本店の次にすぐ私の故郷、山口県和木町庁舎の設計に取り組んだ。

この作品も、左右に行政棟と議会棟を分離して、真ん中に中庭を配した構成で建物の中に空間が取り込まれている。

建物の内部の設計に倍する時間とエネルギーをこの中庭の設計に注ぎ込んだものだった。

実はこの案も、ケビン・ローチのある作品を参考にして創った私の模型を黒川さんが気に入り、それをベースに進めたものであった。

 

福銀本店と和木町庁舎の設計過程で繰り返し学んだケビン・ローチの小気味のよいデザインの裁断と黒川さんの空間を創る思想は共に私の心を強く支配し今も一つの原型となっている。

 

最近の新しく建つ多くの建築を見て、建築家の作品は表面のデザインや、新しい材料の選択、変わった形態に興味が集中し、空間を作り出すような勢いのある作品が少ないことを大変残念に思う。

 

初心を忘れず、空間を創っていく事をこれからも目指したいと思う。