学生時代に西大寺に友人が住んでいて訪ねた時の記憶では、駅周辺がまだいにしえの趣を残していた印象があるが、今の近鉄線の大和西大寺駅はまったくそれを感じさせず、其の周辺は開発整備された近代的なものであった。
近鉄奈良駅から商店街を歩いて三条通りへ出る。商店街もきちんと整備された観光地の商店街で、長く抱いていた奈良の印象と違う。興福寺の猿沢の池から、古い町並みの続く今御門、下御門周辺を散策する。趣のある旧市街地なのだが、なんとなく今風の街並みで残念であった。もっとも細い路地だが車が通っているので、私の思いの方が勝手なのかもしれないと思った。
あくる日の早朝、JR奈良駅前に行って見たが近鉄奈良駅前と相違して雑然とした印象を拭えない。昭和9年に建設された相輪の塔を抱いた旧奈良駅舎が辛うじて奈良駅前であることを実感させてくれる、普通の都市の駅前である。駅の西側にシルクロードタウンのシンボルとして、磯崎新氏が設計した奈良市民ホールの軍艦のような建物が目に入る。駅前からペデストリアンデッキで連結されているが、これが奈良駅前に相応しい建物なのか不思議に思う。
京都駅舎の建物もそうだが、日本の現代建築家は相変わらず技術志向、未来志向が強く、歴史との調和をどう考えているのか疑問である。
黒川さんが奈良駅前の整備に市長のブレーンとしてコミットしていたことがあり、彼の設計で奈良市営のコミュニティ住宅もすぐ近くにあるのだが、これも良い建築とは余り思えなかった。
市街地の状況に失望し、奈良公園に足を踏み入れ東大寺の大仏様を訪れてみた。市街地との余りの環境の違いに愕然としながら、広い境内を汗をかきながら歩いたが日本人よりは外人しかも中国から団体のお客様が多いのには吃驚した。
古いとは言っても、現伽藍は江戸時代の建立、南大門でも鎌倉時代である。これも私の中にある奈良のイメージとは相違して、物足りなく感じたものだった。
私の心にあるものは、もっと南の斑鳩や明日香の方かもしれないと思った。
今は奈良の中心となっている東大寺、興福寺のある奈良公園周辺も平城京の時代は東のはずれであったことが復元図をみるとよくわかる。
近鉄線の西大寺と新大宮の中間に、平城宮の復元された門や回廊が見えるが、新しく建設された物なので、何となく周辺から浮き上がり歴史の断絶を感じる。
日本の伝統の継承は西洋のように形そのものが現存・連続するのではなく、原型や仕組みの伝承で、姿かたちは新しいものとなる。伊勢神宮の遷宮のように、、、
それだけに出来た形と環境により気を使わないと、中々伝統がうまく継承されていかないのではないかと思う。形を扱うことを仕事としている私たちはこのような伝統と対峙する時、歴史を深く意識して設計や計画に取り組むことが必要ではないかと改めて思った。