木村 和美 Architect

建築家木村和美の日常活動とプロジェクトについてのブログ

古都奈良の印象

2007-06-29 00:10:32 | Weblog
昨日から大阪、奈良方面へ出張した。奈良はしばらく行く機会がなく久し振りなので、どんな状況か楽しみであった。特に2010年の平城京遷都1300年を記念して計画された、JR奈良駅周辺の区画整理事業(シルクロードタウン)の進捗を見ておきたかった。

学生時代に西大寺に友人が住んでいて訪ねた時の記憶では、駅周辺がまだいにしえの趣を残していた印象があるが、今の近鉄線の大和西大寺駅はまったくそれを感じさせず、其の周辺は開発整備された近代的なものであった。

近鉄奈良駅から商店街を歩いて三条通りへ出る。商店街もきちんと整備された観光地の商店街で、長く抱いていた奈良の印象と違う。興福寺の猿沢の池から、古い町並みの続く今御門、下御門周辺を散策する。趣のある旧市街地なのだが、なんとなく今風の街並みで残念であった。もっとも細い路地だが車が通っているので、私の思いの方が勝手なのかもしれないと思った。

あくる日の早朝、JR奈良駅前に行って見たが近鉄奈良駅前と相違して雑然とした印象を拭えない。昭和9年に建設された相輪の塔を抱いた旧奈良駅舎が辛うじて奈良駅前であることを実感させてくれる、普通の都市の駅前である。駅の西側にシルクロードタウンのシンボルとして、磯崎新氏が設計した奈良市民ホールの軍艦のような建物が目に入る。駅前からペデストリアンデッキで連結されているが、これが奈良駅前に相応しい建物なのか不思議に思う。
京都駅舎の建物もそうだが、日本の現代建築家は相変わらず技術志向、未来志向が強く、歴史との調和をどう考えているのか疑問である。
黒川さんが奈良駅前の整備に市長のブレーンとしてコミットしていたことがあり、彼の設計で奈良市営のコミュニティ住宅もすぐ近くにあるのだが、これも良い建築とは余り思えなかった。

市街地の状況に失望し、奈良公園に足を踏み入れ東大寺の大仏様を訪れてみた。市街地との余りの環境の違いに愕然としながら、広い境内を汗をかきながら歩いたが日本人よりは外人しかも中国から団体のお客様が多いのには吃驚した。
古いとは言っても、現伽藍は江戸時代の建立、南大門でも鎌倉時代である。これも私の中にある奈良のイメージとは相違して、物足りなく感じたものだった。
私の心にあるものは、もっと南の斑鳩や明日香の方かもしれないと思った。

今は奈良の中心となっている東大寺、興福寺のある奈良公園周辺も平城京の時代は東のはずれであったことが復元図をみるとよくわかる。
近鉄線の西大寺と新大宮の中間に、平城宮の復元された門や回廊が見えるが、新しく建設された物なので、何となく周辺から浮き上がり歴史の断絶を感じる。

日本の伝統の継承は西洋のように形そのものが現存・連続するのではなく、原型や仕組みの伝承で、姿かたちは新しいものとなる。伊勢神宮の遷宮のように、、、
それだけに出来た形と環境により気を使わないと、中々伝統がうまく継承されていかないのではないかと思う。形を扱うことを仕事としている私たちはこのような伝統と対峙する時、歴史を深く意識して設計や計画に取り組むことが必要ではないかと改めて思った。

一戸建て住宅の設計

2007-06-26 23:27:26 | Weblog

 

私が学生時代は、戸建て住宅こそが建築家が取り組む最大のテーマで、当時の一流の建築家の出世作は、ほとんど自邸の設計であった。

丹下健三さんの成城の自宅、菊竹清訓氏のスカイハウス、吉阪先生の百人町の自宅、清家清教授の私の家、黒川さんのK邸計画等々

 

私も独立した当初はたくさんの戸建て住宅の設計を行った。

しかしいつの間にか戸建て住宅は、建築家が取り組むメインのテーマから外れてしまったように思う。

その理由は二つあって、一つはハウスメーカーの躍進であり、もう一つは都市型住宅として、集合住宅の比率が増えてきたことであろう。

更に言えば、建築家が設計する家は実験的な要素が多く、高いお金を出して土地を購入し、更に建築家に頼んでという奇特な人が少なくなったこともあるだろう。

 

今久し振りに戸建て住宅の設計に取り組んでいる。

施主の意向を聞きプランニングをし、これから建築に仕上げていくところである。

経験を積めば積むほど戸建て住宅の設計は難しい。

アメリカの建築家ルイス・カーンはどんなに忙しくても必ず年に一つは住宅設計に取り組んだことは有名であるが、なんとなく理由がわかるような気がする。

写真は有名な彼の傑作ペンシルバーニアのフィッシャー邸である。

正方形を二個並べ一方を45度ずらしてくっつけたカーンらしいコンセプチュアルな作品である。

杉材を外壁に使った繊細な設計である。

 

日本の建築家の中では、私は芸大教授であった吉村順三さんの住宅が一番好きであった。

レーモンドに学びアメリカでも修業され、インターナショナルな感覚の上に、日本的な品格を備えた氏の設計は評価が高く、アメリカの富豪のロックフェラーの自宅も設計されている。

ニューヨーク郊外の”ポカンティコヒルの家”という和風の住宅で、いろんな意味で参考になる作品である。

変に理屈っぽくなく、伸びやかで自由な氏の作風は、特に別荘建築でファンが多く軽井沢、山中湖、熱海に多く作品が残っている。

弟子の宮脇壇さんも多くの住宅を設計した優れた建築家であるが、氏の自由な作風には、今ひとつ及ばない。

葉山の海辺に歴史家の羽仁五郎氏の自宅も設計されているし、山中湖には亀倉雄策氏の別荘、もっと言うと皇居の新宮殿の基本設計をされたのも吉村順三氏である。

 

思えば氏の伸びやかで洗練された作風は、色々な人との交流の結果が自然に滲み出てきた物かもしれないと思う。

 

そろそろ私も人の作品を参考にするばかりでなく、自分自身の個性を生かした作品を創りたい。

それには多くの経験と技術的な蓄積、施主との信頼関係とコミュニケーションが必要なことを改めて判りかけてきたこの頃である。


騎士道と経営道

2007-06-24 23:31:56 | Weblog

 

一昨日初めて横浜のドン・キホーテに買い物に行った。うわさに聞いていたほどの圧縮陳列はなく、驚きはしなかったがそこに集まっている若者はちょっと異様な感じがした。

 

今日の日曜日、テレビは企業の不祥事のニュースばかりを流している。

グッドウイル・グループのことや、ミート・ホープの偽装牛肉のことである。

社保庁の年金問題も無茶苦茶で、最近は官民ともに何を考えているのだろうと思うことが多い。

経営というのは、安く買って高く売ることで利益を上げるのだからそこに、若干の詐欺的要素があることは否舐めないしそれほど上品なものでないことは理解できるが、それにしても最近の不祥事はレベルが低すぎる。

 

時代の転換期には、ちょっとしたことから金持ちになったり寵児になったりすることが可能で仕方のないことかもしれないと思う。

又日本のように長いものに巻かれる風潮だと勢い其の流れを助長するのかもしれない。

 

資本主義発生の国、英国が長い間世界に君臨できたのは、イギリス人の精神的な要素に依存することが多いと聞いたことがある。

それはバランス感覚と反骨精神だと言う。BBCのようにおかしいものは国家権力でもおかしいといい、そして体制自体も異質な個性・キャラクターを認める寛容の精神を持っていたという。

 

ほぼ100年前に書かれ日本でもベストセラーとなったサミュエル・スマイルズの”自助論”を読むと英国人の生活態度をよく理解することが出来る。

天は自ら助くるものを助く”という自助の精神の中にごまかしは発見出来ない。

 

セルバンテスのドン・キホーテは社会批判・風刺の書であったが、日本の経営者はいつから其の矜持を失ったのであろう。

政治家や経営者だけの問題ではなく、我々一般人全体の問題かもしれないと思う。

 

色んな状況をみていると、教育再生などと先のことを言っている猶予はなく今すぐ何かをするべきだと思う。

この状態に活を入れるのはやはり参議院選挙で与野党逆転することではないかと思う。


温浴施設 スパ・リゾート考

2007-06-22 23:28:25 | Weblog

 

ここのところ連日、渋谷のスパ爆発事故の報道が続いている。

まだ日本でスパ・リゾートなどの言葉もなかった20年程前にドイツの湯の町バーデンバーデンを訪れたことがある。

其の時は温泉よりも森の国ドイツの”黒い森”と呼ばれていたシュバルツバルトを見たくて行ったのだが、バーデンバーデンの整備された町の姿に感心した。

ホテルは後のアトリウム型ホテルのモデルとなった”バディッシャーホッフ”へ泊まった。

夜はカジノへ繰り出そうというので、ネクタイを締めて出かけたが中部ヨーロッパを代表する観光地のカジノは其の歴史を感じさせ風格のあるものであった。

カジノに隣接してクア・ハウスがある。

中には入らなかったが周辺は綺麗に整備され、町全体が癒しの空間となっている。

近くのバーデン・ワイラーにもモダンなクアハウスがあり、其の設備の充実した内容と豊富な緑にスパ・リゾートを実感した。

 

 しばらくして、日本でも温浴施設ブームが起きた。

丁度バブルの崩壊を境目に癒しが求められてきた時期に符合している。

私も両国に”ゆ・江戸遊”というアクアハウスを設計した。

両国周辺は古くからの良質な住宅街と相撲部屋をはじめ豊かな旦那衆の存在で知られるところであるが予想通り繁盛した。

今では江戸遊はチェーン店を4ヶ所経営していると聞く。

 

横浜周辺では、駅前の”スカイ・スパ”が著名である。

駅から近いので多くの顧客を集めており私もよく利用している。

ここの長所は14階という高さからの眺望であろう。

サウナからの眺望、寝湯からの眺望、加えて種類の豊富なジェットバスが清潔な洋風インテリアと共にお客の評価を得ているものと思う。

 

こんな横浜のみなとみらいに和風の味を歌った”湯河原温泉・万葉倶楽部”がオープンしてしばらく経つ。

先日機会があって行って見たが、外観の平凡さに比較して内部は中々ユニークなものであった。

まずエレベーターで最上階に行き受付は7階、そこに浴槽と露天風呂があり、その他のサービス施設は階段で1階ごと降りて、マッサージルームやレストランが設置されている。

民芸調のインテリアで、木も黒く塗ってあり多少暗い感じがしないでもないが、微妙な雰囲気があり癒しを感じる人も多いかと思う。

比較的高い年齢層であるが、若い女性の姿も見かけられた。

ただ何か一つバーデンバーデンで感じたシンボルとなる空間がほしい気がした。

 

横浜のハマボウルの跡地に”後楽園ラ・クーア”が進出することが決まった。

西口にはこの種の施設がなかったからタイミングの良い出店だと思う。

性格の薄かった西口のビジネス街もこれで一段と整備が進むことと思う。

 

日本のスパ・リゾートもようやく色々な淘汰を経て、リゾート空間と呼べるものを建設できる時期に来たように思う。 

こんな時期に松涛のような事故は嘆かわしい限りであるが、リゾートマネージメントと同様、施設設備管理の面でもより一層の努力が求められる時でもあろうと思う。


松涛のスパ爆発事故

2007-06-19 23:14:07 | Weblog
夕刻のニュースで、渋谷区松涛にある女性専用高級スパで爆発が起こり、女性一人が亡くなったとの報道があった。ボイラーが爆発した可能性があるとのことだった。
何度かスパの設計をし、業界に関係がある身としては他人事ではない。
現時点での最新の情報では死者3人となり、原因はボイラーの爆発ではなく、地中のメタンガスに何かが引火して爆発が起こったとなっている。業務上過失の疑いもあるとのことだ。

最近は建築に関する問題事が多い。 耐震偽装で構造の問題が取り上げられたと思ったら、今度はエレベーターのワイヤーの耐久性、其の前にはエントランスの自動ドアの事故、エレベーターの誤作動の問題等々、付け加えるとジェットコースターの事故、建築設備の問題が大半を占めている。
建築基準法では昇降機や各種設備の検査報告義務があり、消防設備については毎年のように点検が義務づけられている。
今回のエレベーター・ワイヤーの件は過去破断事故があったにもかかわらず報告されていなかったという。
法律でいくら決めても、コストの掛かる話は中々前に進まない。又現行の定期報告制度も違反箇所を指摘するだけで、実効があるとは思えない。

結局は、最終責任を取る企業の代表者の態度だと思うが、今回の女性専用スパの経営状況はどうだったのか、公表は難しくても明らかにすべきことだと思う。
過去に私の設計した建物でも、色々問題が起きたことがあった。原因を究明していくと必ず其の会社の経営上の問題に突き当たる。大企業といえども例外ではなかった。

今又建築のコストが上昇している。話しによると3割がた上昇しているところもあるようだ。東京の地価上昇も激しい。中国の過剰投資に始まってボーダレスな資金需要がコストプッシュをしているのだろう。ゼネコンも人手が足らなくて困っているようである。

経済は又激変の時代へ、政治もますます混沌の時代へと移って行くだろう。経営の手綱さばきを間違えないよう情勢を見極めることが重要な時期だと思う。




有楽町とザ・ペニンシュラ東京

2007-06-14 23:21:19 | Weblog
昨日、有楽町で友人と会合。オープンを今年の9月に控えたザ・ペニンシュラ東京の近くに行ったので、完成間近のホテル周辺を歩いてみた。建物はほぼ出来上がっており、外構工事とインテリアの最終段階のようである。

三菱地所の設計で全体にクラシック調でまとめてある。第一印象は完成予想図でみたものと比較してインパクトが弱い。そして全体的にデザインが不安定に思え、特にエントランスキャノピーのそれが何となく安っぽい。
ホテルの良し悪しは建物と関係ないとは言っても、ペニンシュラのクラスとなるとそうも言えないだろう。周囲の植栽計画にしても今一つでこれからオープンまでのブラッシュアップが望まれるところだと思う。

ザ・ペニンシュラ東京が建つ場所は、もと日活国際会館があったところで上層階に日活ホテルがあり、当時はスノビッシュな場所として有名であった。
有楽町は元々朝日、毎日新聞の本社があり、読売も別館を所有して都内でも有数の情報センター(新聞街)であったし、周囲は丸の内オフィス街、日比谷劇場街、そして銀座に繋がる一等地である。このすぐ近くにフジサンケイグループの持ち株会社で、ホリエモン事件で有名になった”ニッポン放送”の本社もある。私は九段一口坂の新村ビルを設計する時、テナントにグループのポニーキャニオンの本社が入ることになり、打ち合わせでよく有楽町へ来たが、当時のニッポン放送は破竹の勢いであった。

又京急平和島の競艇場”テレ・トラック”の設計を行ったとき、全体をコーディネートした”NKB・日本交通文化協会”のオフィスも有楽町にあった。情報システムに敏感な企業で今は”ぐるナビ”の会社として著名である。瀧久雄社長はペア・碁を提唱したり、アートにも造詣が深くユニークな才人であるが当時は随分お世話になった。

近くの有楽町電気ビルの20階に外国人記者クラブがある。旬の人を招いて記者会見することで知られているが、先日来日した台湾の李登輝氏がここで講演を行い300人の記者に感銘を与えたという。とにかくこの周辺は情報密度が高く、多くの重要人物が集まり、より高度な経済、文化活動が出来るところであることは間違いない。
このような場所にザ・ペニンシュラ東京はオープンする。帝国ホテルよりもっと大手門に近い場所となる。
成功することは疑いないと思うが、私はこのような建物の中でどんなサービスが行われ、どんなドラマや出来事が起こるのか期待して待ちたいと思う。

輪廻転生

2007-06-11 23:45:29 | Weblog
昨日の日曜日、踊り子号に乗り三島に行ってきた。踊り子は熱海で下田方面と修善寺方面に分岐する。雨の中を三島駅頭に立って、25年前初めて富士市の仕事でこの地へ来たことを思い出した。其の時は駅前の土地にビジネスホテルの計画を行ったのだが、今はどうなっているのだろうか

三島に大場川という川があり、15年ほど前に河川周辺の産業振興や開発整備の手段として川辺をどのようにしていけばよいかという競技設計があった。私は三島は伊豆の入口であり、三島大社の存在もあって川を神秘的な、神聖なものと考え修景していくことで、シンボル化し、あわせて観光化することを提案した(テーマは水の妖精とした)が入選は難しかった。
昨日見た大場川は以前と余り変わりなく同じように流れていた。

輪廻転生とは、肉体は滅んでも、魂はなくならず次の世にも何らかの形で蘇ることを説いた仏教の教えの一つである。唯識仏教に言う深層心理としてのアーラヤ識が
遺伝子として継承されていくこともよく似た考え方であるといってよいだろう。
伊豆に行くとこのような考えがごく自然に見えてくるから不思議なものである。

一昨日の朝日新聞に、昭和32年の愛新覚羅慧生さんと八戸の大久保武道さんの天城山心中のことが掲載されていた。これは元満州国皇帝溥儀氏の姪御と八戸の資産家の子息との心中がおよそ800年前の青森県・椿山心中の輪廻版だと話題になった。
椿山心中とは、源義経が衣川で死なず、北上する際にある女性に産ませた鶴姫と八戸の豪族阿部七朗との悲恋伝説だが、かなわぬ恋故に二人は椿山で心中する。
満州国は清朝につながり、其の先は元朝につながる。ここで源義経のジンギスカン説が再浮上するという物語も語られたものだった。

我々の人生の中でも、思いもかけぬことが現実に起こり、やはり事実は小説より奇なりを実感することが多い。どこかに輪廻のDNAが作用しているのだろう。

私の建築人生の中でも箱根や富士、三島、伊豆半島方面の仕事が契機となって物事が好転した事が多かった。やはり神々の宿る土地なのだろうか。この出会いを大切にして育てて生きたいものだと思った一日であった。

ミース・ファン・デル・ローエとマンションリフォーム

2007-06-06 22:52:11 | Weblog
しばらくミース・ファン・デル・ローエという建築家は余り気に掛けてこなかったが、最近高層マンションのリフォームを機に其の作品集を紐解くことが多くなった。ミースはコルビュジェや、ライトと共に現代建築の三大巨匠と呼ばれるが
私はこの三者の中で一番モダニズムの表現を直裁に行ったのはミースではないかと思う。

写真は、1929年に行われたバルセロナ万博のドイツ館で、通称バルセロナ・パビリオンと呼ばれているミースの代表作であるが、この作品は後年のユニバーサル・スペースと鉄骨架構へとつながっていく原型を表現していて建築界に衝撃を与えたものである。単純な直線的構成が比類のないほど美しい。
同年ミースはチェコに、ユダヤ人財閥のトゥーゲンハットのために同じようなユニバーサルな広い居間を持つ邸宅を設計しているが、クロームメッキの十字柱とオニックスの壁を大胆に使用したもので、同じ頃建設されたコルビュジェの有名なサヴォア邸の10倍のコストが掛かったことで有名になった。この住宅は世界遺産となっている。

マンションの部屋をリフォームするとき、まず気になるのは元々間仕切りが多く一つ一つの空間に豊かさを感じないことである。だからどの間仕切りを取っ払うと効果的かをいつも考え、結果的にユニバーサルスペースを造っていることに気がつく。
ミースの場合は広いスペースに、効果的に部分壁を挿入し部屋を造らず、流動的なワンルームを構成しているのだが、こちらは間仕切壁を部分的に壊しながらワンルームを造っていると言う事になる。

インテリア空間に限らずシカゴのレイクショア・ドライブ・アパートや、ニューヨークのシーグラムビルなどは、鉄とガラスの典型的な造形を表現し現代の高層建築を語るのに欠かせない作品となっている。
草月流の家元で、映画監督だった故勅使河原宏氏とある会合で酒を飲みながら建築談義をしたことがある。草月会館は丹下さんの設計で、ミラーガラスの作品だが、勅使河原さんは相当丹下さんに感化されていたのか、ミースのシーグラムビルを絶賛していたのが強く印象に残っている。

ミースはコルビュジェや、ライトと相違して寡黙な建築家であった。職人の息子だったから、黙々と自らの考えを具現化したのかも知れないが、其の造形の迫力はすさまじいものがある。家具も材料の特性を生かしたバルセロナチェアーなど秀作が多い。
豊穣の時代に忘れていた”レス・イズ・モア”を振り返り、其の持つ意味を考えることも必要かと思う。

文化と政治

2007-06-03 23:29:59 | Weblog

 

昨日久し振りに上田宗箇流の茶会に出席した。

上田流は広島を拠点とする茶道の流派である。家元が私の高校の同級生であり以前お手前の指導を受けたことがあったが、色々な事情でしばらくお休みをしていた。

先頃、遠鐘クラブの茶会のお誘いを受け宗匠にも会いたかったので出席をした。

 

 少し汗ばむ気候であったが快晴で、白金畠山記念館の緑の庭園に囲まれた明月軒で、久し振りに緊張して濃茶を頂いた。

広島から持参された織部から宗箇へ送られた書状を織り込んだ掛け軸をはじめ、花入や茶杓などを眺めてひと時を過ごした。

宗匠も、変わらず元気で多方面に活躍をされているようであり、多くの人の集まりの中で上田流の隆盛を感じることが出来た。

 

その夜、テレビのドラマで”テレサ・テン物語”が木村佳乃主演で放映されていた。

私は彼女の歌は聴いたことがあったが、当時の北京政府の民主化抑圧に抗議するなどの政治的活動については、まったく無知であり引き込まれて最後まで見てしまった。

歌に生きた一人の女性が、其の影響力故に当時の中国の政治的情勢の中で翻弄され個人の人生をも崩壊させていく展開に、文化と政治の強い関連を感じないわけにはいかなかった。

茶の湯の天才であった利休も、秀吉との葛藤の中で自らの生き様を処理せざるを得なかったが文化は経済と共に人間社会の中で信じられない大きな力を持つものだと思う。

 

都知事選に敗れた黒川さんが、今度は若尾文子さんと一緒に参議院選挙に立候補するという。

行動がどんどんエスカレートする感じもしないではないが、色んな人に立候補の要請をしていると聞いた。

昔の人脈とは相違して、芸能関係やタレントが多いという。

 

文化が政治的な力を持ってくるのは結構なことだが、ムードだけでなく政治は一方で大衆の実利と生活を保護するためのものでもあり、対話や討論に基づいた開かれた運営が必要である。

 

情緒的な最近の政治のポピュリズム化がいつか来た道を又辿りそうな心配が脳裏を掠める昨今である。


フランク・ロイド・ライトの建築

2007-06-01 23:13:24 | Weblog
コルビュジェのロンシャンの礼拝堂は1955年に完成している。同じ頃一方の天才建築家フランク・ロイド・ライトによって、ニューヨークにグッゲンハイム美術館(写真)が1959年に完成している。この建物は完成は遅かったが、計画自体は1943年に明らかになっているから、コルビュジェはこの計画案をおそらく知っていたであろう。二人の天才建築家が同時期にフランスとアメリカで同じような彫塑的な作品を残しているのも、時代を表しているのだろうか?

ライトの一連の作品に比較して、グッゲンハイム美術館は少し趣を異にしている。彼の多くの作品に見られる装飾が、この作品には見当たらない。その代りに大胆なキャンチレバーの構造システムと最上階にエレベーターで上がり、自然に斜路を歩きながら作品を眺めて降りてくるという卓越したアイデアが盛り込まれている。
有機的建築を標榜し、近代建築に異を唱えていた彼が、突然相手の武器を使って敵陣に殴りこみを掛けた衝撃的な作品であると思う。

私自身は、好き嫌いで言うとコルビュジェの方が好きであった。ライトの余りの過剰な装飾がついていけない感じがして参考にしたいと思わなかったが、ニューヨークで、この美術館を見た時はさすがに感心した。其の時はケビン・ローチのフォード財団のアトリウムを見たり、メトロポリタンセンターの劇場空間を体験したりしたのだが、この美術館の空間が一番印象に残った。

黒川紀章さんは、コルビュジェよりライトを評価していた。ライトの帝国ホテルが休止される時、熱心に保存使用を提唱していたと言うし、帝国のインペリアルタワーが出来る時何とか自分が設計をしたいと、執拗にアプローチしていたのを記憶している。思想的にもライトに近い考え方をしていたように思う。

芦原義信先生が、銀座ソニービルを設計した時、このグッゲンハイム美術館を参考にしたと話されていた。ソニービルも傾斜路ではないが、最上階にエレベーターで上がり、ステップフロアーで、自然に降りてくる計画になっている。

日本では一般的に帝国ホテルの設計者として、コルビュジェよりライトの方が良く知られた建築家かもしれない。帝国以外にもライトの作品は日本に結構あるようだ。遠藤新、楽氏などにより、ライトの作品と言ってもおかしくない作品が残っている。

今ライトの最後の夫人となったオルギバンナ・L・ライトが書いた”ライトの生涯”という本を読んでいる。それに拠るとライトは装飾を毛嫌いし、室内装飾を出来るだけ排除して建築と一体化しようとしたと述べている。
これはもう少しライトを勉強し直す必要があるかもしれないと思って読み進んでいる。