連休前半の今日は初夏のような天候であった。
休日も仕事をしたので気分転換をしようと思い鎌倉へ行った。
横須賀線はさすがに混んでいて、リュックを背負った夫婦連れらしき人が多い。
いつもは閑散としている北鎌倉の駅も今日は人ごみで混雑し、中々改札口を出られないほどである。
久し振りに東慶寺の山門を潜る。
東慶寺は元々北条時宗の妻覚山尼を開山とした尼寺であるが、江戸時代に女性の駆け込み寺、縁切り寺として有名になり、近くは禅を世界に広めた鈴木大拙ゆかりの寺としても著名である。
私はある機会から禅の勉強をするようになり、アメリカ女性と結婚し世界に禅を説いた鈴木大拙に興味を持った。
彼の言う”即非の論理”は早くから知っていたがよく理解したわけではなかった。
色々調べてみると彼は鎌倉円覚寺で修業し後渡米、請われて禅の英訳をする内米国女性と結婚する。
又金沢の同郷の経済人安宅弥吉(安宅産業創設者)の多大な援助を一生にわたって受け、著名な財界人との親交も深い。
滞米中の活動でアメリカの文化人にも大きな影響を与え前衛音楽家ジョン・ケージの無音の音楽会などは、大拙の影響が大きいと聞いた。
晩年は日本と米国を行き来しながら講演活動を行い、娘以上に年の離れた岡本美穂子さんと言う米国生まれの日本女性に身の回りの世話をしてもらいながら、ここ東慶寺にて95歳で大往生をする。
さらに驚くことは彼の日本語のベストセラー”禅の思想””日本的霊性”は皆70歳代の著作であることだ。
それもこれも常識から逸脱した哲人であることが私の興味をそそる存在である。
東慶寺には文化人のお墓がたくさんある。
大拙の友人の哲学者西田幾多郎をはじめ和辻哲郎、谷川徹三、安部能成、小林秀雄など経済人では出光佐三、岩波茂雄等々、石畳の参道を歩いていると我々の見聞きした有名な人たちの墓をあちこちに見ることが出来る。
松岡宝蔵の裏手の山に鬱蒼とした竹林があり、それに囲まれた百数十段の石段を上ると大拙が収集した仏教書を収めた松ヶ岡文庫がある。
大拙師はこの石段を毎日上り下りしながら思索に耽ったのであろうか。
初夏の東慶寺は樹木や花々が大変綺麗である。
参道に面した小庵では茶会が開かれ人出も多かった一日であった。
帰りはそこから鎌倉街道を八幡宮を抜けて鎌倉駅まで歩いた。
小町通りは大変な人出でまったく前に進まないほどの賑わいである。
ここへ来て初めて今日は休日であり、鎌倉は観光地であることを理解したような訳である。