木村 和美 Architect

建築家木村和美の日常活動とプロジェクトについてのブログ

初夏の鎌倉・東慶寺

2007-04-30 23:29:33 | Weblog

 

連休前半の今日は初夏のような天候であった。

休日も仕事をしたので気分転換をしようと思い鎌倉へ行った。

横須賀線はさすがに混んでいて、リュックを背負った夫婦連れらしき人が多い。

いつもは閑散としている北鎌倉の駅も今日は人ごみで混雑し、中々改札口を出られないほどである。

 

久し振りに東慶寺の山門を潜る。

東慶寺は元々北条時宗の妻覚山尼を開山とした尼寺であるが、江戸時代に女性の駆け込み寺、縁切り寺として有名になり、近くは禅を世界に広めた鈴木大拙ゆかりの寺としても著名である。

 

私はある機会から禅の勉強をするようになり、アメリカ女性と結婚し世界に禅を説いた鈴木大拙に興味を持った。

彼の言う”即非の論理”は早くから知っていたがよく理解したわけではなかった。

 

色々調べてみると彼は鎌倉円覚寺で修業し後渡米、請われて禅の英訳をする内米国女性と結婚する。

又金沢の同郷の経済人安宅弥吉(安宅産業創設者)の多大な援助を一生にわたって受け、著名な財界人との親交も深い。

滞米中の活動でアメリカの文化人にも大きな影響を与え前衛音楽家ジョン・ケージの無音の音楽会などは、大拙の影響が大きいと聞いた。

晩年は日本と米国を行き来しながら講演活動を行い、娘以上に年の離れた岡本美穂子さんと言う米国生まれの日本女性に身の回りの世話をしてもらいながら、ここ東慶寺にて95歳で大往生をする。

さらに驚くことは彼の日本語のベストセラー”禅の思想””日本的霊性”は皆70歳代の著作であることだ。

それもこれも常識から逸脱した哲人であることが私の興味をそそる存在である。

 

東慶寺には文化人のお墓がたくさんある。

大拙の友人の哲学者西田幾多郎をはじめ和辻哲郎、谷川徹三、安部能成、小林秀雄など経済人では出光佐三、岩波茂雄等々、石畳の参道を歩いていると我々の見聞きした有名な人たちの墓をあちこちに見ることが出来る。

 

松岡宝蔵の裏手の山に鬱蒼とした竹林があり、それに囲まれた百数十段の石段を上ると大拙が収集した仏教書を収めた松ヶ岡文庫がある。

大拙師はこの石段を毎日上り下りしながら思索に耽ったのであろうか。

 

初夏の東慶寺は樹木や花々が大変綺麗である。

参道に面した小庵では茶会が開かれ人出も多かった一日であった。

 

帰りはそこから鎌倉街道を八幡宮を抜けて鎌倉駅まで歩いた。

小町通りは大変な人出でまったく前に進まないほどの賑わいである。

ここへ来て初めて今日は休日であり、鎌倉は観光地であることを理解したような訳である。


美人・麗人・佳人 現代女性考

2007-04-27 23:25:55 | Weblog

 

今日連休前の一日、打ち合わせを兼ねて女子美術大の先生をしている知人と最近の女性について語り合った。

昨日丸の内の新丸ビルがオープン、この前は六本木のミッドタウンがオープン、名所がたくさん出来上がり、彼の奥さんはほとんど行ってこのあたりの情報に大変詳しいと言うところから話は始まった。

 私も、この間古い知人と旧交を温めようと久し振りに食事でもと思い、最近出来た国立新美術館にポールボギューズが出店しているので、少し変わったところでどうかと話したら、友人がそれは自分の家内がすでに行っており、このようだったと言うのを聞いて吃驚した。

 

 私自身のことで恐縮だが、休日に家族でランチでもと思い家内に任せたら、横浜ローヤルパークホテルの鉄板焼きを予約していた。

私はもっと近くのこのホテルの方が良くないかと言うと、そこはもう行ったし評判があまりよくないというのを聞いて少々唖然としたものである。

 女性がこのような情報に詳しくなり、活動的になることは大変結構なことであるがまてよと言いたくなるのも男として素直な気持ちではないだろうか。

 

昔から女性を賛美する言葉に美人、麗人、佳人という言葉があるが、最近残念ながら美人にお目にかかることが余りない。

まして麗人、佳人を意識することなど皆無になった。

我々の同年輩のことはさて置いて、女子大の先生をしているその友人に最近の若い女性はどうかと聞くと、すぐ切れる女子学生が多くなり教える方からすると大変困るとのことだった。

わたしの独断だが、男は女によって造られる。子供は母親によって造られる。

つまり女性次第で世の中は変わると言って良いと思うが如何であろうか。

 最近さかんな政府の教育論議を見ていて、このことを直裁に指摘する識者がいないのに驚く。

 

英国はさすがに大人の国で、このことに16世紀ごろから気づき女性の教育に力を入れてきた事実がある。

その結果がエリザベス、ヴィクトリアの女性君主を生み、最近のマーガレット・サッチャーを生み、そして大英帝国を造った。

英国の経済学者アルフレッド・マーシャルは、その事実を踏まえて一国の盛衰は女性の素養に左右されることを述べているほどである。

 

写真は、女優の上戸彩さんであるが彼女も母親の一途な思いが現在の地位を築いている。

歌手の宇多田ひかるもそうで、古くは美空ひばりなど典型的な例である。

私の身近なところで、美人以上の麗人、佳人と呼べる人が何人かいるがそれは姿、形の美しさではなくその立ち居振る舞い、心の持ち方に魅せられるのである。

そしてそれぞれ美しい女性であり強い母親である。しかし残念ながら皆私より年上の人ばかりである。

戦後の教育の問題もあるのかもしれないと思う。

 

これから、美しい国を造るためには、麗人、佳人を多く造ることだと思うのは男の身勝手な言い草であろうか?


水の都・ヴェネツィア

2007-04-26 23:03:08 | Weblog

 

今日浅草橋のビルの調査をしていたら、ヴェネツィアの事を久し振りに思い出した。

写真は、ヴェネツィアの表玄関サンマルコ広場とドゥ・カーレ宮殿である。

有名なショーンコネリーの名作”007・ロシアより愛をこめて”のラストシーンをテーマ音楽とともに飾った名所である。

 

浅草橋は神田川に架かる、中央区と台東区を結ぶ橋で屋形船の基地として昔から有名である。

今日の神田川は昨日の雨のおかげで水も余り綺麗ではなかったが、何隻かの屋形船が係留されて其の威容を見せてくれる。

船宿も兼ねているようであった。随分前になるが、神奈川県商工部のコンサルタントをしている時、仲間と屋形船で、夕刻の一時を過ごした事があった。

その頃は風情を楽しむ心境よりは、酒や料理の方が先で、しかも動いている間は障子も閉めていたので周りの風景はそれほど記憶に残っていない。

 

ヴェネツィアのゴンドラには一人で乗った。

ゆったりと周りの風景や建物を観察できたし、眺められても特別意識はしなかったが、値段の高かったことだけ記憶に残っている。

リアルト橋の近くにアッラ・マドンナというトラットリアがあり、自由に小魚を選んで料理してくれる店でワインを飲みながら舌鼓を打った。

銀座にあったヴォーノ・ヴォーノというイタリアンレストランのシェフが教えてくれたので探していってみたが思いがけぬ美味であった記憶がある。

 

路地のショップでブルゾンを2着買った。

臙脂色の裏地にバックスキンが使用してあるものとシルク地の薄手の物である。

もう随分前のもので一着は仕事着として愛用し、ボロボロになったがそのままとってある。そのデザインと生地の色は今でも新鮮である。

店員が”エレガンス”とさかんに勧めるので買わされたが買ってよかったと思っている。

 

浅草橋の屋形船の風情は昔と変わらないのだろうが、周りの風景は様変わりで屋形船に乗ったら戸を閉めて船の空間に浸りきる方が利巧なことが判る。

このあたりは人形の問屋が多くひしめき、テレビでおなじみの人形の久月、吉徳などの店が並んで雰囲気を残してはいるが景観は現代のものである。

 

最近水辺ルネッサンスで、東京や大阪でも川や海辺の整備が多くされるようになってきた。

ただ見てみると川辺に植栽を植えたり歩道を整備する事業が多いように見える。

本当は水辺の風景を左右するのは周囲の建築であり人間の行動であるのだろうが。

 

景観造りはすぐやる課ではなく、長期的なスタンスでじっくり考えてやるべきだと浅草橋の上で思った。

なぜかヴェネツィアのことを思い出しながら、、、


博多駅前の今昔

2007-04-23 22:30:53 | Weblog
今日は福岡に出張し、博多駅前のビルの調査を行った。久し振りの博多駅前であるが、現在博多駅ビルが建設中でかなり周りは混雑している。博多駅の正面に赤茶色のインド砂岩を貼った西日本シティ銀行本店(写真)が聳えている。

この建物は旧福岡相互銀行本店で建築家磯崎新氏の作品である。1972年の建物であるからかなり時間が経過して砂岩の表面に汚染などが顕著である。
当時私は黒川さんの事務所に在籍中で、福岡銀行本店の計画に没頭していた。
最初のミーティングで、この赤茶砂岩の建物を意識していた黒川さんは、これとまったく反対のことをやりたいと言って、福岡銀行のスケッチを始めたのを覚えている。
当時磯崎氏は丹下さんの下で行ったスコピエ計画(ユーゴスラビア)で展開した曲線や斜線を多用したデザインで注目を集め、この福岡相互銀行本店ビルでも色んな形態や細かなディテールを外観に使用していた。

当時たまたま福岡に出張した時、この建物は工事中で竣工直前であったが私はかまわず建物の中に入って行ったら、磯崎氏がいて挨拶をしたら建物の中を見せてくれた。各室のインテリアまで見てみたが様々な材料や、細かいディテールが多用してあり、ちょっと懲りすぎかとも思った記憶がある。磯崎さんもとにかく一人で全部設計したから大変だったと其の時言っていた。

ただ今再び見てみると、当時の流行のデザインではあるがなんとなく色褪せて見えるのはやむをえない。コルテン鋼のカーブしたデザインと砂岩の取り合いもちぐはぐな印象を受ける。 ただ赤茶色のインド砂岩の外壁だけが奇妙な存在感を持って建っている。

黒川事務所の福岡銀行本店が完成し、しばらくして福岡県庁舎の設計の話しが興り私は今度は福岡に常駐して計画を詰めたことがあった。其の頃事務所の宿舎が博多駅に近いマンションの一室にあり、駅前のこのあたりを良く行き来したものだ。今はもう建て変わって事務所になっているのだろう。

主要都市の駅前の中でも、博多駅前は広さと言い、建物群のスケールといい有数のものである。新しい駅ビルの主要商業施設は阪急百貨店に決まったと言う。博多鹿児島間の新幹線の開通も間近と聞く。
九州全体の駅前にふさわしい姿で出来上がるのが楽しみである。






六甲の山並みと海

2007-04-20 22:41:11 | Weblog
今日は神戸の六甲に出張、久し振りの良い天気で快適な出張であった。
新大阪から、JR神戸線で六甲に向かう。天気のよさに加えて私の好きな沿線の風景を楽しみながらの旅である。こちらの電車はほとんどベンチシートで、お互いの顔を見なくてすむし混雑も余りない。適度な人口密度で快適である。

西宮、芦屋を過ぎて六甲の山並みが見えて来た。中腹にマンションがたくさん出来ている。安藤忠雄の有名な打ち放しコンクリートの集合住宅が見える。其の周辺にもマンションが増え、電車から見るとこの名作も其のマンション群に埋没していた。それにしても建物が増えたものだ。

この海側には、神戸市がポートアイランドと共に、21世紀の街として造った六甲アイランドがある。もう随分前になるが安田信託銀行と付き合いがあった頃、この六甲アイランドのプランの事業コンペに応募したことがあった。ポートアイランドが外側のみで、海に接しているのに対して六甲アイランドは、島の中に水を引き込んで街を造ることを提案した。
要は当時夢中になっていたヴェネツイアのような街を作る案だったが、コストがネックであったようで入選にはならなかった。ただその骨格は採用され現在の中心交通網となっている。そんなわけで六甲アイランドはポートアイランドのように一般的に注目された計画とはなっていない。
当時は人工島が流行した時代であったが、その後関西新空港のオープンとその後の問題の顕在化、バブルの崩壊と地価下落を受けて、そのころたくさんあった人工島の計画も今はほとんどなくなってしまった。結局この神戸の二つの人工島が残っているだけである。大切に街づくりをして欲しいと思う。
至近距離で山と海の魅力を両方味わえるのは神戸を除いてそれほど多くはないのだから、、、。

六甲や芦屋地区は、大阪とも神戸とも少し違う独特の雰囲気を持った地域である。神戸の震災で大きな被害を受けたが、今はほぼ元通りに回復し美しい街並みを形成しているし、そこに住む人たちも魅力的である。
今日の出張で改めてそのことを感じ取ることが出来た。


日本橋界隈

2007-04-18 23:30:02 | Weblog
昨日日本橋大伝馬町に出来たマンションの調査を行った。デューデリゼンスの仕事を始めてから、この周辺の浜町、人形町、蛎殻町、茅場町あたりへ来ることが多くなり、改めて密度の高い街並みに感心している。
以前はどうしても山手方面に仕事が集中しがちで下町は縁が薄かった。

改めて都市計画図を見てみると中央区のほとんどは商業地域で容積率は500%以上である。投資効率が良いわけだから、整ったビルが出来て当然だろう。加えて江戸時代からの商業活動の中心地だから様々な施設が立地している。大伝馬町の町を歩いていると、すぐ向こうに新しく出来たホテル・マンダリンオリエンタルが入る三井タワーが見える。こんなに近いのだとびっくりしながら、街の成り立ちについて思いを馳せた。
小伝馬町、大伝馬町と言うのは読んで字のごとく幕府の伝馬役がいたところで結果的に、旅の宿が集中していた場所である。隣の馬喰町も同じように宿場町として発展して来た。もう一つ伝馬町は吉田松陰が投獄された牢獄があったことで有名であるがこれは明治の初期に移転されている。その後繊維関係の問屋が集中して商業活動によって発展した。
私の親戚が子供服を扱うメーカーをしていたが、その人が本社を造るのに浜町界隈にこだわったことが今となっては良くわかる。何も知らない当時の私は、原宿を勧めたものであった。
隣接する人形町も味のある街である。明治座で有名であるが元々人形作りの職人が多く住んだ由来がある。良く知られた甘酒横丁に創業年間を誇らしげに書いた名店が並んでいるがここは以前路地の研究をしたときにモデルにした地域でもある。
私が子供の頃プロレスの力道山がイベントを行っていたリキ・スポーツパレスも人形町にあったと聞いた。

そういえば小伝馬町には、私が本社ビルを設計した佐倉市の常磐植物化学研究所の東京営業所があった。今は発展して東京支社となり、三井タワーの斜め向かい側のビルに入居されている。立崎社長にこの辺りの珍しい飲食店でご馳走になったことも懐かしい。

その他小網町、小舟町、本町、室町などこのあたりの地名はみな其の前に日本橋が付く事に改めて感じ入っている。まさにお江戸・日本橋である。日本橋地区を貫通する中央通りは、江戸時代からこの方、それこそ日本の目抜き通りであったのだろう。
そしてこの通りに店を出すことが、当時の商人の大きな夢であったのだろう。
新宿、池袋、渋谷などのターミナル商業地にのみ目を奪われやすいが、長い歴史に培われ成熟した街がこのあたりに厳として存在することを忘れてはならないと思う。



湯河原の宿

2007-04-16 23:08:52 | Weblog
今日は旅館の活性化の議論で久し振りに湯河原に行った。昼から雨が降り出し冬のような肌寒い日になったが、早川あたりの曇り空に浮かぶ相模湾は、何も見えない故に一層の荒涼感を漂わせる風情を感じさせてくれた。

首都圏にも様々な温泉地があるが、ここ湯河原は古くから温暖な気候と由緒ある別荘地としての名残のおかげで、ランクの高い温泉地として評価を得ている。ただ其の多くは奥湯河原のイメージに引きずられたものが多いが、駅前から千歳川に沿っても、かなりの旅館が並んで湯の町を形成している。

私が湯河原に宿泊施設を設計したのはほぼ10余年前になるが、JR湯河原駅の真裏の小高い地に眺望山荘(ホテルガルニ湯河原)という室数8室のオールスイートホテルであった。(写真)
この周辺の土地を所有されていたオーナーは、その後眺望露天風呂や、展望台等を自分で計画施工され、今は複合化されたホテル眺望山荘となっている。

当時から比べると、それほど変わらないと言いながら旅館街は違う様相を呈している。温泉地ではあるが、保養所や各種団体の保養施設が多い市街地温泉街であるから、時の経済変動を受けやすく変化を受け入れざるを得ないのだろう。
温泉地として戦略的にまちづくりを進めたのは小佐野常夫町長率いる河口湖町であったと思う。ハーブをテーマにした町おこしと従来からの富士山と湖の景観、加えて、与勇輝や久保田一竹をはじめとするテーマ館の建設で心にくいほどの集客であった。

湯河原も現在町長選の最中である。温泉町ではあるが産業は観光業ばかりでなく、漁業、農業、商業と多彩であるから観光最優先とも行かない事情があるようだが対外的には、やはり湯の町湯河原であるから其の振興によって各産業に波及効果が出るような街づくりをして欲しいと思う。

街の推移を10何年かではあるが見てきたものから言えば、湯河原はイメージと現実のギャップを埋める努力をもっとすべきだと今日改めて思う。

東京デザインセンター・アーサーブレットの家具

2007-04-13 20:20:56 | Weblog
風邪が長引いてこの一週間は思うような活動が出来なかった。
今日は原宿の神宮前交差点の近くにある、ファッションビルの調査を行った。
街の雰囲気は、集まる人種に左右されると言うが、ここ原宿はやはり独特のものがある。朝早くから青山通りなどとは又一味違った種類の人たちの顔を見ることが出来る。表通りは、新しいビルがたくさん建ち見違えるようであるが、一歩通りを中に入ると、細い路地が続き昔懐かしい商店街があるのも原宿ならではのことであろう。

調査を終えて、五反田の東京デザインセンターに行った。オープン以来久し振りの訪問である。雰囲気も大分変わったようである。
デザインセンターという名称はインテリア・マートを意味し、メーカーやデザイナー、コーディネーターと一般ユーザーの間を取り持って、インテリア・マーケットの核となる事を意図して作られたものであるが、現況はどうであろうか?
各メーカーのオフィスがかなりの部分を占め、一般ユーザーが回遊しながら、商品を楽しめる構造になっていないような気がした。しかもフロアー面積がそれほど広くないので、限界があるようだ。

今日の一つの目的は、ここに入居している英国のクラシック家具を扱っているアーサーブレットの商品を見ることであった。(写真)
英国のジョージアンスタイルの高級家具メーカーである。ここはほとんどが注文家具で、ショールームに置いてある商品をこれをくださいと言って買えるものではないようである。
商品を見ていると、鳥羽さんと言う代表の方が由緒ある製品の説明をしてくれた。
アフリカマホガニーを使用した飾り棚、細い手作りの金具類、可動棚の独特の仕組み、話を聞いてるとデスクに案内され、かれこれ1時間程度講釈を聞くこととなった。鳥羽さんはいわゆる英国風の紳士で、伝統ある英国家具を扱ってきた雰囲気を感じさせる。日本の建築家のクラシックな家具への興味のなさについて嘆いておられた。
この周辺は池田山や島津山など、高級住宅地を控えているので休日は結構な人でにぎあうそうだが、認知度はもう一つと言う。
クラシック家具に本当に興味を持ってくれるのは40代後半からと話しておられたが
私はこれから随分と変わると思う。

ショールームも高級家具と照明で快適な雰囲気を漂わせ、ゆっくり話を聞いていると私に初めてインテリアデコレーションを教えてくれた大谷勝美氏を思い出して懐かしい気持ちになった。このようなクラシック家具をもう少し手軽に購入できると良いなと思ったが、希少価値ゆえに存在するものはやはり高額なのであろう。
少しづつ、買える範囲で揃えていく人が増えているようである。

ビジョナリー・カンパニー

2007-04-09 23:15:30 | Weblog
昨日から風邪気味で今日は昔から掛かり付けの青山の病院に行った。
いつもこの時期にのどをやられて風邪を引くことになる。昨年も一昨年も同様で人間の体とは不思議なものだと思う。

頭がぼんやりしているので、通常の業務は諦めてここしばらくの自分の仕事振りを反省することにする。病院で待つ間に経営コンサルタントが書いた”会社を経営すること”を読む。ジェームス・コリンズの永遠のベストセラー”ビジョナリーカンパニー”を引用して、経営にはビジョンと理念が必要なことを述べている。

横浜に帰ってからのこの3年間、自分はどのようなビジョンを持って行動してきただろうか?ビジョンなどより日々の生活を成り立たせるために仕事をしているのが実態である。 しかしそうは言っても其の仕事に自分なりの意義を見つけなければ
其の過程で起こる色々な困難を乗り越えられないことも事実であろう。
どんな仕事であろうとそこに自分を見つけることが出来ること、それがビジョンだと思う。

そんなことを考えながらもう一度”ビジョナリーカンパニー”を読んでみようと思い本屋に行くと新版”ビジョナリーカンパニー パートⅡ飛躍の法則”が出ている。早速購入して帰りの電車の中で通読、これは面白い本である。
アメリカの飛躍的に株価を伸ばした企業と、同業の企業の比較分析を通して其の原因を摘出している。 私には新鮮な結論であった。
飛躍的な企業は何も特別なことをしているわけではない。又ジャーナリズムでもてはやされる企業でもない。 適正な人のグループ、規律ある企業文化、事実に基づく意思決定、それらの上に堅固な成功への確信が生まれて飛躍的な企業が出来上がると言う。

言葉で言うと簡単であるが、現実に行うことは大変なことであろう。成功を確信できるためには、それぞれの構成員が日々の納得いく積み重ねと自分の発見が必要だからである。
成功へのゆるぎない確信と最も厳しい現実を直視すれば、自分を元気付けてくれる夢は必要がなくなると著者は言っている。
それが普通の会社が優良会社に変身する条件の一番重要な部分だそうだ。



ウオッシュ・ボウルのデザイン

2007-04-07 21:02:04 | Weblog
本日はウオッシュボウル、洗面化粧台の打ち合わせを行った。当初はTOTOに洗面室のデザインをお願いしていたが幾つかの問題がありINAXに変更となった。
INAXの製品は最近の新築マンションなどを見ると、色々な試みがされておりデザインも斬新である。4月から新製品が出るとのことで、新宿のショールームで打ち合わせを行ったが、デザインも品質も残念ながらもう一つという結論となった。

旧山手通りにクッチーナというキッチンその他の家具を取り扱うショールームがある。モーリ・コーポレーションと合併して様々な商品を扱っている。洗面化粧台は機能も勿論重要であるが、その扉のテクスチャーやデザインが部屋の雰囲気を大きく変える事は当然である。TOTOやINAXの大手メーカーは其のあたりに一考の余地があると思う。クッチーナの扉の種類は30種類以上ある。それも注文によってテクスチャーは変えられるとのことだ。
ひとしきり議論して、扉の仕様、天板の素材、収納の機能、鏡のデザイン等をほぼ決めて図面の作成を依頼する。
化粧品や小物類の収納場所がポイントであるが、様々な部品の組み合わせが可能との事だった。
クッチーナは元々キッチンセットについては定評のあるメーカーであったが、最近は様々な周辺の製品を製作しているようである。こだわる人には楽しいショールームであると思う。天板にしても金属、大理石、新素材と豊富である。又説明してくれるスタッフも確かな知識と経験を感じさせて心地よい対応であった。

少し前なら我々が図面を書き家具の職人か大工に製作してもらうことも考えられるが、引き出し金物や表面塗装などの仕上げ材の処理の仕方などが特殊なものになるので、一括してメーカーに任せたほうが良いように思う。又以前なら任せようと思う職人もいたが最近は残念ながら少いし、いてもコスト高になるような気がしている。

旧山手通りと言えば、ヒルサイドテラスをはじめ、各国の大使館や、店舗の並ぶハイセンスな街で有名であり、周辺の住宅地も青葉台、南平台と高級住宅地を控えている。このような通りに住宅の各種製品を扱う店がもっと多く出店してくれるようになると良いのだがと思いながら帰路に着いた。