木村 和美 Architect

建築家木村和美の日常活動とプロジェクトについてのブログ

●ある建築家の一生とその家族

2009-08-04 20:46:41 | Weblog

 

先週の土曜日の午前中に、デューデリゼンスの仕事で協力していた建築家の天野正和氏の訃報を聞いた。

金曜日の午前中に、彼と話した人から聞くとまったく元気で変わりない声だったと言うが、その午後、仕事中椅子に腰掛けたまま倒れていたとの事である。

死因は心筋梗塞だった。

 

ここ1年ばかりは、デューデリゼンスの仕事は少なくご無沙汰で電話で話すだけだったが、その前の2,3年はいわゆるファンドの隆盛で、仕事は山ほどあり南は沖縄から北は北海道まで、日曜日も休まずこなす状況だった。

 

天野さんは、いち早くデューデリの世界をリードしたハイ国際コンサルタントの加藤氏と、設備担当の昌和テクノ丸山氏と3人で、この仕事の基礎を作った先達である。

 

突然の訃報を聞き、多摩プラーザにある氏の自宅に行き面会をする。

奥様と娘さんお二人であるが、急の事で痛々しい。

元々心臓に疾患があり、大事にされてはいたのだが仕事のストレスも大きかったのであろう。

 

出棺となりお世話になった分、思いをこめて抱えさせていただく。

仕事も仕掛中のものがあり、仕事仲間で彼のオフィスにも行く。

綺麗に整理された仕事場は、氏の几帳面な性格そのままに資料類はきちんと整理され、まるで死ぬ事を予測していたかのような佇まいではあった。

 

式は、お別れ会という形の天野さんの好きだった音楽が流れる中で行われたが、長女の方の”父への言葉”に一瞬、建築家と言う職業を考えさせられる。

 

それは、彼女が幼い時、休日も仕事をする父に対する不満の回想から始まり、反発、そして我侭、長じての現在、父の気持ちが理解出来かけた時の突然の死に対する戸惑いと後悔のアンソロジーが、同じ娘を持つ私の心を痛いように挿して来た。

 

高度成長時はともかく、低成長に入ってからの建築界を取り巻く状況は極めて厳しい。 

式の後の会合では天野さんの思い出と共に、我々の業界の話になるが、建築を専攻しようという学生も少なくなったと聞く。、

もう少し安定した職業にならないものかとしばし議論。しかし厳しくとも、家族を残して急に亡くなるのは何とか避けたいものだ。

 

昨日までそばにいた人が、今日はいなくなりそれでも気丈に挨拶をする奥さんの姿を見ながら、この残された家族に何らかの神のご加護をと願わずにはいられない。

そして改めて天野さんのご冥福をお祈りします。