えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

おじいちゃん家の田植え

2006-05-17 | 日記
 今年もおじいちゃん家の田植えを手伝ったんだよ。
もちろんワタシも一緒に行った。
これは、keikoさんが Aくんも Kちゃんもずっと、ずっと小さかった頃から毎年手伝ってきたことなんだ。だから、もちろんワタシも一緒。
田んぼは入れないけど、ワタシは周りをうろうろしながらカエルや虫と遊んだり、みんなの働いているところを眺めたりしていると、とても嬉しくなっちゃうんだ。
だって、み~んな仲良しでとってもいい雰囲気なんだ・・・。
家族っていいなぁって思うんだ・・・。
syoujiさんももちろん一緒だよ。日程が合えば必ず行ってくれてる・・・。

 実は、keikoさんの弟・Eくん(41歳)が5年前の四月に癌で亡くなったんだ・・・。
おじいちゃん達と一緒に住んでたんだけど・・・。
あの時は本当に悲しかった・・・。
みんなが泣いた・・・。
おじいちゃんもおばあちゃんもあまりの落胆ぶりで、本当にかわいそうだった・・・。

 ちょうど田植えの時期になってたんだ。
Eくんのいなくなった悲しみをみんなで堪えながら田植えをしたんだ・・・。
そして、この田植えは、syoujiさんにとっては初めての「田植えの手伝い」だった。
keikoさんにとっても2年ぶりの・・・。
何故って、
keikoさんはsyoujiさんとの結婚を認めてもらえず「勘当」されていて、実家の敷居をまたぐことを許されていなかったんだ・・・。

 忘れもしない。Eくんが急変したあの日の朝、syouiさんは誰よりも早く病院へ駆けつけてくれていた。

病院から遺体を連れて帰るとき、おじいちゃんがsyoujiさんが言ったんだ。
「sakurai君、済まないが家まで来てくれないか」って・・・。
keikoさんもsyoujiさんも耳を疑った・・・。

 Eくんも初めはkeikoさんたちの結婚を反対していた。
だけど、両親が出席しないという「結婚を祝う会」に、keikoさんの説得で兄と一緒に出席してくれることになった。
 そう、そうだ!思い出した!
Eくんの「癌」告知はあの祝う会直前だった!
手術の日がちょうど「祝う会」の二日前に決まったんだ。
Eくんは「姉の結婚式に出るので手術日を遅らせて欲しい」とDr.に言ったんだ・・・。
keikoさんとsyoujiさんの「祝う会」は、本当に「あったかい感動いっぱい」の会となった。
Eくんもお兄さんも「出席してよかった」ってきっと思ったと思うよ。
苦労は多いかもしれないけれど、たくさんの仲間に祝福され、支えられて行くだろう二人の姿を多分予想できたんじゃないかな・・・。
 そして、Eくんの1回目の手術は「祝う会」の翌々日に行われたんだ・・・。

 手術を繰り返し、入退院を余儀なくされてEくんのその後の生活は一変した。
syoujiさんは、何度もEくんを見舞ってくれた。
keikoさんも姉を頼って、姉の勤めている病院を選んだEくんのためにできる限りのことをした。
だから、きっとsyoujiさんとEくんとkeikoさんの気持ちは通じ合えたように思うんだ・・・。

 Eくんは亡くなる前に、おじいちゃん達に言ってくれていたんだ。
「もう、あの二人、許してやってもいいんじゃないか」って。
後でそのことを聞いたkeikoさん・・・泣いた、泣いた・・・
syoujiさんも泣いた・・・。

 今年、田植えの日、syoujiさんは、いつものようにEくんが病室で毎日読んでいた「スポーツ新聞」を仏壇にあげ、お線香を上げて、それから田んぼに向かっていった・・・。

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