えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

東京・夜の街で

2007-11-30 | 日記
 「証人尋問」が終わって記者会見も済み、支援者の皆さんと遅い夕食をした後、私たちは守る会事務局のYさんと3人で「もう1軒、行こう!」と有楽町駅近くの店に入った。
 
「証人尋問」の状況は、夫は「想定内のこと」と私に言った。入廷を認められなかった私は、「そうなんだ・・・」と思うことしかできなかった。もう少し、明解な結果が出るものかと思っていたが、そこまでに至らなかったようだった。

 記者会見の席上で、夫はすでに気持ちを切り替えていた。
これまでと同じように、「全力でやれることをやりきるだけ」・・・と。
だから、店に入っては3人でたわいのない話で盛り上がった。
私は、Yさんの存在を大きく感じた。女性だけど、客観的に冷静に物事を判断できる人で、夫と私にとってとても大切な人だと感じた。
短い時間だったけれど、「証人尋問」で確かな前進を勝ち取れなかった悔しさを、いつしか平常心に戻してくれた貴重な時間となった。

 クリスマスのイルミネーションで華やぐ有楽町の街を歩きながら、私は「2007年11月30日の夫の一日」を思った。東京高裁が職権で行った「証人高取健彦氏の尋問」のあった日、夫のそばで同じ時間を過ごすことができてよかった、と思った。私たち夫婦にとって、闘いのひとつひとつが大切な時間であり、嬉しい時は勿論、怒りや悔しさでいっぱいになったその時も、それを共有できたことがさらに明日への活力となって行くのだと信じたいから・・・。

 たたかいはまだまだ続く!そう思って気を引き締めなおす、そんな夜となりました。
                         keiko

東京へ

2007-11-29 | 日記
 明日は、東京高裁で「証人尋問」(非公開)が行われます。
おそらく、これが最終の証人尋問の場となり、あとは『決定』にむけて進んで行くだろうと言われています。

「公開の場でやって欲しい」という要望も、
「せめて家族だけでも入廷を認めて欲しい」という要望も
認められないまま行われます。
午後いっぱい時間を費やして
裁判官、証人、弁護人、検察官、請求人(当事者)だけの法廷が行われるのです。

 守る会の皆さんは、昼から宣伝行動を行い、夜の弁護団の記者会見、報告会に参加してくださいます。

私も、午後から休暇を取り「日弁連」の記者会見場に向かいます。
法廷に立ち会えない分、自分の目で、しっかりと事実をありのまま認識しておきたいから・・・。
できるだけ夫と共通の認識でいたいから・・・。
                     (keiko)

無事に終わって

2007-11-27 | 日記
「やっぱり、行事の後は一緒にいたいなぁ、そんなことを考えながら帰って来ました。切ないなぁ、いつまで続くのかなぁ・・・」

 全国集会&全国現地調査が、これまでにない21都道府県からの参加者を迎え、無事終了した日、私は水戸へ帰る車中の心境を夫にメールした。

 あの日、参加くださった皆さんをお見送りし、事務局の皆さんと遅い昼食をとった。
自宅に向かう車の中で、
「少し疲れたね。あんたも疲れたろう?ご苦労様でした。」そう言って夫は私を労ってくれた。
「お疲れ様でした。さあ!私はこれからお墓に行って来るわ!」と私。

 「疲れているのに無理することない」と夫は言ってくれたけれど、私は、どうしてもお墓に眠る夫の両親に集会の成功を報告したかった。

「少し横になるから」という夫を残し、ひとりお墓に行った。
お花は、集会で夫がいただいた花束の一部を少し分けて持って行った。
雑草を取りながら、お花をあげながら、生前の両親を知らない私だけれど、墓前で集会の成功を報告できる自分が嬉しかった。もちろん、手を合わせながら『お願い事』もしっかりとした。

 食料品を買って家に戻ったら、夫は「少し楽になったよ。気持ちよかったなぁ」と起きだして来た。
そして、
「水戸へ帰る」という私を見送ってくれた・・・。

・・・・・

「そうだよな。あんな後は一緒にいたいよな。おれも思ったよ。」

メールの返事にはそう書かれてあった・・・。

                   (keiko)

季節がかわって

2007-11-21 | 日記
 木枯らし1号が吹いて、一昨日までの秋があっという間に遠い所に行ってしまい、季節の変化に追い付いていけない私は、呪文のように

「モウ、フユダヨ。
 フユガキタンダヨ・・・」

なんてつぶやきながら、カレンダーの残りの日数を見つめています。
歳を重ねると、若かった時代より、時間の早さを何倍もの速さで感じると言われますが、本当にそうだなぁ、と実感しているこのごろです。(keiko

霧が晴れるように

2007-11-13 | 日記
 昨日は救援会水戸支部の総会の日。
どういうわけか「役員」となってしまっている私は、責任の重さについ押しつぶされそうになってしまうことがしばしばで、余裕のない1年を過ごしてきた。でも、こんな私を支えてくださっている方たちが、これがまた「大物?」ばかり。すっごく偉い人たちばかり・・・。無理を言って、私が「力を貸してください」と言ってお願いした人たちだから、私が逃げ出すわけにはいかなかった。
 
 総会の時期を迎え、議案を考えながら改めて1年を振り返った。
毎月の会議は一度も流さずに続けて来られた。
毎月のニュースも、私がジュネーブに行ったときを除いて11回発行できた。
支部長をM弁護士に依頼し、お引き受けいただいたことで、学習会や集会を開くことができた。
若い仲間を迎えることができた。

 何より、M先生を先頭に事務局員の皆さん全員が誠実な方ばかりだった。
私は、この人たちにどれだけ支えていただいたのだろう、と改めて思った。ほとんどが私より大先輩のかたばかりなのに・・・。

 総会の席で、県本部会長のN先生(弁護士)は、
「水戸支部が他をリードする模範的な支部になりつつある」と、そんなことを言ってくださった。
それを聞いて、
そっか~!
水戸支部は、そう言っていただけるところまで来たんだな~って、改めて今までのことを思い返しながらN先生の言葉に浸っていた。

 ここまで来るのに、何年もいろんな人と暗中模索が続いた。
そのとき一緒に苦しい思いをした仲間の顔が浮かんだ。そして、じっと機を熟すまで離れず助言を続けてくれた県本部常任委員のOさんのことを思った。
何にも分からない私たちに、丁寧に「救援会とは」「救援運動とは」「人権を守るたたかいとは」などを、丁寧に指導してくださった。

 また、県本部会長のN先生には「救援N学校」において、いろんなことをご指導いただいた。
一番大きかったのは、先生自身が直接弁護活動をされたという「松川事件」や「メーデー事件」「八海事件」ほか歴史に残る数々の事件について講義を受けたことだ。
「えん罪」という言葉すら知らないで生きてきた自分が、まさにその渦中で活躍されたN先生の生きたお話は、衝撃的ではあったがそれだけに新鮮だった。
もちろんN先生は、現在「布川事件弁護団」のお一人でもある。
N先生は5年前に私に仰った。
「『布川』を勝たせるには、県都水戸市の救援会がもっと元気にならなければならない。あなたがそこで頑張ることが大事ですよ」と・・・。

 私も、この5年間で少しは成長できたのかもしれない・・・。

 逃げてばかりいた私の人生だったけれど、夫と出会い、布川事件を知り、夫たちのたたかいを支えてくださるた~くさんの人たちと出会って、私は間違いなく「成長」し続けているような気がする・・・。
                        (keiko)


本当は・・・ほんとうは・・・

2007-11-12 | 日記
 あららっ!
気持ちよく寝ていたら、keikoさんに撮られちゃった!

う~ん・・・
お薬飲んでも(でも、ないか!嫌いだからみんな吐き出しちゃうんだけどね)ノミの駆除剤を使っても効果がなくってね、結局watasiの
自傷行為は止まらない・・・。

 背中やお尻が少し寒いヨ・・・
keikoさんが心配してホットカーペットをつけてくれるから、それで気持ちよくって、最近は寝てばかり。
だから、本当はまったく我慢できないほどでもないんだけど…でも、どういうわけかwatasiはやめられない・・・。
これって、ストレスなのかな~?

心をこめて

2007-11-10 | 日記
ここにきて一生懸命手紙を書いている。

「全国集会・佐藤光政コンサート&全国現地調査」にぜひおいでください・・・と。

 宛名を書き、書きながらその人の顔を思い浮かべながら、パソコンで作った手紙だから最後に手書きで一言を添える。
長い間お会いしていない人もいる。毎日会っている人もいる。
改めて、夫の無実を晴らしたいと願う妻の思いを伝えたいと願って。
だから、私からの手紙は、私のこの一年を振り返って報告する形になってしまう。届いた方は、迷惑に思う人がいるかも知れないがそれでも、私なりの心をこめた手紙・・・。

 切手もできる限り記念切手を使う。
さあ、あと少し、今夜もがんばろう・・・。

そう言えば・・・
夫は今日、長野県上田市に行った。
「あんたと行ったところだよ」と言っていた。

初めてのデートはあの「無言館」だった・・・。

              (keiko)

再会を楽しみに

2007-11-10 | 日記
 全国集会「佐藤光政コンサート」&全国現地調査まであと2週間。

 昨日は、埼玉県に住む会員Nさんから手紙が届いた。
ご主人と一緒に参加してくださるという内容だった。
Nさんご夫妻とは、今年6月、旅行中に宿泊施設で出会った。
私も夫と守る会の皆さんと一緒で、夕食後の時間を歌を歌ったりしていた時、「仲間に入れていただけますか?」と入って来られたのだ。同じ年代で、懐かしい歌を歌ったりした・・・。
そのうち
「どのようなお仲間なんですか?」と尋ねて来られた。

 私は一生懸命「布川事件」の話をし、夫との出会いや闘いの日々を話した。
Nさん夫妻は、驚いたようだったが真剣に聞いてくださった。
私は、初対面の人にあまりにあつかましかったかな、と少し気になってその夜、床についた。
夫と「いい人たちだったね。とっても誠実そうな感じがしたわ・・・」
そんな話をしながら・・・。

 翌朝、食堂で顔を合せ・・・
「昨夜、あれから『布川事件ニュース』を古い時代のものから読ませていただいて、寝不足です。」と笑っておっしゃった。
そこの宿は、守る会ニュースをずっと綴じ込んで誰でも読めるようにしておいてくださったのだ。
Nさんは、その出会いがきっかけでその後守る会に入ってくださった。

 手紙に書いてあった。
「初めて布川事件についての集会に参加しますが、・・・・・
 24日を再会できる日として楽しみにしております。一日も早く、無実の訴えが認められますことをお祈りしています」と。

嬉しい・・・
素直に、そう思う。
私も夫も、Nさんご夫妻にお会いできるのを楽しみにしている・・・。
                       (keiko)

少し元気になったよ

2007-11-01 | 日記
kaoriさんが久しぶりに帰って来た。
watasiの哀れな?姿を見てびっくり
でも、本当言うと「おくすり」飲んでから、少し良くなってきていたんだけどね。

 kaoriさん、心配してくれて爪を切ったり、耳の掃除をしてくれたり、やっぱりやさしいな~。
気持ちよくなって、うとうとしちゃったよ・・・。
そしたら、お写真撮られちゃった!