えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

余命1年の宣告を「元気に越えて」

2021-02-26 | 日記
 昨日は夫の受診日。
特に病院の治療を受けているわけではないが、定期的に経過を見ていただいている。
 直腸がんの肝臓転移(ステージⅣ)と医師から私が告げられたのは一昨年の秋のことだった。
(本人は6月に大量の下血があったことを、誰にも言わず自分だけで抱えていたことを後に話してくれたが、「何でもっと早く言ってくれなかったのか!?」、それにしてもなぜ私も気づかなかったのか・・・と自分を責めることに・・・。)

あまりの暑さの日々。
遠出をする予定もいっぱい入っていて忙しそうにしている夫に
「今年こそ、検診に行ってね」と言ったのは7月中旬ごろだった。
その時に、あっさりと抵抗なく
「そうだな。行って来るよ」の返事をもらって、いつもと違う反応に「気になるところでもあるのかな?」とふっと不安がよぎったのが、本当に始まりだった・・・。

 そしてはっきりと「余命1年の宣告」を受けたのが昨年の2月26日。
ちょうど1年前のことだ。これは、こちらから主治医に質問をして聞いたのだった。
主治医は、もう手術ができる状態ではないと言い、化学療法(抗がん剤)を薦めると言った。
「化学療法の目的は何ですか?」と私。
主治医「延命です」
「それをやってどれくらい・・・」
「2年です」
「やらなかったら?」
「1年です」
    ・・・・・
こんな時、患者や家族はショックでその先の言葉は出て来なくなるのだろうが、夫も私も、「よし!それなら迷わず代替療法でやってみる」と決心できたような気がしていた。・・・・

この1年、病院の治療は受けず、食事療法や温熱療法などの代替療法を夫は選び、徹底してそれを実践してきた。その効果を明らかに感じながらの、今回の受診。(私も行った方がいいかなと思って夫に言ったら、「何であんたがついて来るの?」と言われて、自宅で待機・・・。
 
 そして、その結果は 〇 (おぉ~きな、マル♬)

(血液検査の結果から、そう言えるね、とふたり・・・)

 主治医は、もちろんそんなに安易な判断はしてくれない。先生がみている腫瘍マーカーの数値は検査回数を重ねるたびに確実に増えているのだ。それも、今回は上限値の380倍だから当然のことなのだと思う。
それでも・・・私たちは他の検査項目に全く異常値がなく、これは逆に検査回数を重ねるたび改善されて、それが今回完璧に腫瘍マーカー以外全項目がクリアされているのだから、「断然いいじゃない!」と私たち・・・(o^―^o)ニコ)
この矛盾を夫が主治医にたずねたら、
「なぜなんでしょう?」と返答してきたという。
この会話を楽しんではいけないが、先ずは数値より目の前の夫の姿を見てください、と私は言いたくなる。
この主治医の慎重さやことばに、私はこの1年、本当に影響を受けて来た。
夫は治らないと主治医は診断して、緩和ケア病棟の申し込みを勧め、夫も応じて来た。だけど元気いっぱいの夫の状態をみていると「いったんキャンセルしたほうがいいですか」となる。でも、主治医は、
「いや、このままで…」の返事。
そんなに悪いの?・・・とまた、私は目の前にいる元気な夫を見てて落ち込み、
「食欲あるのは、癌が欲しているの?」
「悪くなる時は一気に来るって言うけど、それってすぐ目の前のことなの?」
「元気な夫に、もっと静かにしてて。あまり外出しないでって言った方がいいの?」
「食事療法って、本当にこのままでいいのかな?」と頭の中は自問自答の連続だった。

 そんなこんなで不安いっぱいだった1年間。でも、全く違う心境で今日を迎えてる。間違いなく、夫は「良くなっている」
これは夫の確信でもある。
メタトロンの先生も1週間前に
「肝臓は全く問題ない。直腸も、炎症がきれいに消えている」と診断されたというのだから回復が間違いないことを、自覚からも言えるらしいのだ。

 昨年の余命宣告は、本人にとってはもちろん、私にとっても精神的に本当にキツかった。でも、同時にそれは目標にもなった。先ずは、そこを越えれば・・・と。
だから、また新しく2年目への挑戦が始まったのだ。
それも、昨年のようなしんどさからのスタートではなく、気持ちは軽い。

 癌は完治できれば一番いい。でも、癌があっても「悪さ」しないように根気よく付き合って、そのうち居心地が悪くなって癌の方から立ち去ってくれればそれが一番理想なのだろう。
あせらず「癌のエサになるものを与えず」「癌の好む環境を体内に作らない」とこの1年努力してきたことをまた続けて行けばいいこと。
夫にも、そういう意味で頑張ってもらおう。

 病院に勤めていたことから、病気の治療には「お医者様の言う通り」にするのが一番と思っていた。でも、今更ながらにそうでない選択もあったことを、もっと早くに知っておきたかった・・・。弟の時、父の時に・・・。
 そんな後悔もしながら、夫の病気には違う目で癌と付き合うことを学んでいる・・・。


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