えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

生きて行くために・・・

2010-09-30 | 日記
そんな言葉どおり、苦しい時期が何度もあった。
それでも、毎月決まった額が振り込まれてくる給与にどれだけ救われたか・・・

経済的に苦しいことがどんなに心を貧しくするか・・・
苦い経験がまぎれもなく自分の記憶として蘇ってくる・・・。


今、正社員になれないまま、不安定な身分のままがんばっている友人たちの現状を思うと胸が痛い。
少なくても、私たちの時代は「正規職員」で採ってもらえることが普通だったのだ。
今は全く逆。
何年働いても「臨時は臨時。正規採用にはならない」という。

以前だったら、
「もう少し頑張って!」と引き留めたが、今は
「正規職員で採ってくれるところがあるのなら、やめる(退職)ことも選択肢の一つにあってもいいと思うよ」
と、私の意見も変わってきている。

生きて行くために、我が子を守っていくために、
「お金は必要だから・・・」

あっという間に

2010-09-30 | 日記
猛暑の日々がつい先日まで続いていたのに・・・
そして、
「暑さは9月いっぱい続く・・・」

そんなふうに言ってなかっただろうか?

9月は、そんな予報をよそに雨の日が続き、そのひと雨ごとに一気に秋が近付いてきた様に思う。

今日で9月も終わり。

やり残した仕事が、あれも、これもと忙しく頭の中を駆け巡っている。
でも、このまま10月に突入!・・・のようだ・・・。

10月・・・
もう少し自分の中にゆとりが欲しいな…

「検事、押収資料改ざんか」の新聞見出しに

2010-09-21 | 日記
「検察に都合いい日付」

「捜査の見立て通り」

「証拠の重み 軽視」

「主任検事『遊んでいて・・・』」


今日の朝日新聞記事で、郵便不正事件を担当した主任検事について、上のような見出しが踊っていた。

やはり・・・
夫の言うように、「布川事件」だけが特殊じゃないんだ、ということが改めて公になったのだ。

夜のニュースで、最高検は、「無罪判決」が出た村木厚子氏の大阪地裁判決に対し
「控訴しない」ことを決定した、と会見で述べていた。
当然のことと思う。
不正を犯してない村木氏に対し、検察が有罪にする筋書きを作って、村木氏の部下を誘導し、『嘘の供述書』を作成したことが大阪地裁で明らかになったのだ。それに加えて、押収資料の『改ざん』行為をしたとなれば明らかな犯罪だ。
国民の誰が見ても、許されることではない。

検察というところは、
「罪のない人を罪に陥れる所」・・・

全てがそうなのだ、とは考えたくないが、
「最高検」が調査に入ったと聞いて、

「えっ?何故?!それで真相は明らかになるの?」

と思ってしまう私の頭は、夫たちのえん罪の原因や多くのえん罪被害者の実情を知っているからなのだろう。
でも、このように検察の不正が明らかになったことで、司法に対する国民の意識はさらに高まることだろう。

主任検事、個人の責任だけで終わらせない真相究明と改善策を強く期待したい。



夫の家族

2010-09-20 | 日記
 彼岸が近いので夫の両親のお墓掃除に行った。
夫は、ちょうど取材が入っていたので、あとで行くからと言う。

 暑い最中だったけれど、一人でおそうじを済ませ、それからいつものように合掌し、いろんなことを夫の両親に報告した。
報告しながら、いつも夫や私たち夫婦のことは見守ってくれているような気がしてきた。何故か、すぐそばに居てくれるような思いになった。

 両親も、きっと裁判の進行、そして「無罪判決」の日がいつになるのかと心配していることだろう・・・。

「もうすぐですよ」

私は、そう呟いた・・・。


夫の取材が終わるのを待って、それから東京に住む夫の兄夫婦のところを訪問した。

  兄弟っていいな。
  良かったな、兄弟の交流が始まって・・・。

そう思った。

夫がえん罪事件に巻き込まれ、夫の家族が辿ったそれぞれの人生・・・。
43年という長い長い時間が経過し、今、少しづつ夫の家族にも新しい時間が流れ始めているような気がしてきた。

お兄さん夫妻と楽しい時間を過ごして、常磐道を走って家路についた。。。

爽やかな秋風が吹いて

2010-09-18 | 日記
陽射しは強いものの、秋風が涼しい一日だった。
水戸市内も近隣の町の小学校は、どこも運動会が行われていた。

空がきれいだったのでカメラごしに覗いていたら、犬と散歩中の人物が入ってきてパチリ!

肖像権侵害になってしまうかな・・・

最後の夏休暇

2010-09-18 | 日記
5日ある夏休みが、あと半日残っていた。

夫の裁判や、父の入院、手術、お盆もあってギリギリやりくりをしてきたが、9月で消化しなければならない中、その半日を急に取ることにして休んだ。

ちょうど車検に出していた車が出来上がった連絡も入っていて、先ずはその整備工場へ。

さあ、それから・・・と考えた。

 前夜、利根町に泊まった夫が、「早めに帰るから・・・」と言っていたので何時頃になるのだろうか、と思ったが、久しく会ってなかった友人にも会いたいし、それにかねてより一度は行ってみたいと考えていた「県議会の傍聴」にも行きたかった。
できれば、友人と一緒に・・・と思ったが携帯で連絡取れず、会議場へ行けば知った方に会えるだろうと一人で向かった。

 私が到着した時間は、2時45分ぐらいだったろうか。議事堂周辺、正面玄関のあまりの静けさに
「えっ?本当にやってるの?」という雰囲気だった。
案内された5階に上がると、受付、会議場の警備など係員の姿が目に入った。

 傍聴手続きをし、傍聴券を受け取る。係員の指示に従い緊張して予算特別委員会の議場に入る。
傍聴席には、数名いるだけだった。
席に座り、見渡すと議員席の大内(久美子)さんと目があった。

「やっと来ました!」と目で挨拶した。

 目の前で発言しているのは、公明党の井手議員。感染症対策、米の戸別所得補償についての質問などをしていて、特に感染症対策等について答弁していたのは、私も仕事がらみでお会いしたことのある保健福祉部長だった。

休憩が入り、その間に知った方々がぞろぞろと入って来た。皆さんは、大内さんの地域後援会の方々だ。

 大内さんは、休憩終了10分前に席にもどり、パネルや発言席の水?などの確認をされていた。

委員会が再開。

大内さんが質問する。

グラフをパネルにして、介護保険については利用料、保険料の軽減策、県、開発公社などの財政破綻問題についてなど、県当局や、知事の所見を求めた。
県民の税金投入でおし進めて来た大型開発、これ以上負担を強いられる県民の窮状を訴え、
「税金は誰のために使うのか?!」と知事に迫った。

大内さんの、県民の立場に立った発言は「やっぱり、すごい!」と感じた。

大内さんとは、もう40年来のお付き合いをさせていただいてきた。
特に、夫と今の生活を歩き出した以降も、それまで以上に親しくさせて頂いている。
なのに、初めての議会傍聴。
何だか「議会での奮闘の姿」を見て、もっと早く知っておくべきだった、と反省した。同時に、もっとみんなに知ってもらわなくては・・・と思った。



初めての体験・・・。

刺激を受けて帰路についた・・・。


 




浴室の珍客

2010-09-16 | 日記
10日ぐらい前だったろうか・・・
夫が、浴室にアマガエルがいるのを見つけた。
二日後、今度は私が窓に張り付いているのを見つけた。

「あのとき外に出してあげたんでしょう?」と聞くと、
「いや、元に戻してあげた」と言うではないか!

なら、このアマガエルは3日も浴室にいたことになる。

元気な姿を見ると、猛暑、猛暑の続く中、何度かシャワーを浴びたりして居心地がよかったのかもしれない。
それから数日後、また姿があった。そういえば、私も外(ベランダ)へ出してあげることをしなかった。
その時、私は思った。
「このカエル、間違いなく成長してる!」って。

それが、今夜、また、「ごたいめ~ん!!」っとなった。
相変わらず元気そう・・・。
でも、もうずいぶん涼しくなり、シャワーだけとはいかなくなった。熱い湯もかかってしまったような・・・。

ねる前に、心配になって浴室を覗いたら、姿は見えなかったが、元気そうにしているのを確認。
しばらくこの珍客との同居を楽しもうと思う・・・。


43年経ても真実は変わっていなかった

2010-09-12 | 日記
 43年前、被害者宅前で複数の人物を見たという女性は、当時33歳。現在77歳になっていらっしゃる。
その方が、初めて法廷に立ち、証言してくださった。

事件があったとされる夜、

 家を出た時間は、「午後7時か、それより少し前。7時5分の列車が駅について、降りた客で道が混雑しない前に出かけようと家を出た」
 
 目撃した人物は、「自分が知っていた(犯人の一人とされている)Sさんではなかった。近所の自分の知っている人だった」

 このほかの記憶があいまいな点が多いことはやむ終えないが、この2点だけは、何度質問を受けても揺らぐことのない証言だった。

第一審で、この方の証人尋問が行われていたなら、夫たちの裁判はこれまでのような長い歳月を必要としなかったはず。

 当初から、この方は当時の捜査官に申し出ていた。捜査官も、何度も、この女性にあって、聞き取り調査をしている。
なのに、なぜ、関連する捜査報告書を弁護団が何度も開示請求してきたにも拘らず
「不見当」などと言って、応じて来なかったのか?

 一生懸命、誠実に、43年前の記憶をたどりながら質問に答えようとしている証人の証言内容に勇気付けられながら、感謝しつつも、同時に、これまでの検察の態度、真実を見ようとしなかった第1次再審までの裁判官に改めて怒りを感じた。

 裁判とは何なのか?
 どこに正義があるのか?

 わたしは、今度こそ、布川の真実が明らかにされることに大きな期待を持っている。
当然のことながら、夫とSさんへの「無罪判決」と、なぜこのようなことが起きたのか判決文の中にしっかりとその「真相が究明される」内容が盛り込まれることを心から願っている。
そうでなければ、夫たちの辛苦に耐えた43年の歳月は報われないからだ。

 再審、第3回公判を終えて、私は改めて強い思いで振り返っている。

第20回布川事件全国現地調査

2010-09-12 | 日記

今年が最後の現地調査になるだろう。
参加した誰もがそう思いながら、暑い布川の町を歩いた。
歩いてくださった。
前日の事前学習会と合わせると、全国12都道府県から141名の方々が参加くださったとの事。
本当にありがとうございました。
全国規模で行うようになってからも20年。それまでも、弁護団、守る会の皆さんが布川事件の真実を求めて何度も回を重ねてくださり、獄中の二人を励まし続けてくださったことが、何人もの方から報告があった。

 私が関わるようになるずっと、ずっと前からの「闘いの歴史」と「重み」を改めて考えさせられた今年の現地調査だった。

秋の恒例行事

2010-09-12 | 日記
心配した台風の影響はほとんどなく、昨日、今日と実家では稲刈りが行われた。

 昨日は、布川の全国現地調査2日目で行けなかったが、今朝は夫と実家に向った。
昨日までの疲れが残っていて、気持ちはあまり前向きとは言えなかったが、でも、今回は東京の兄は来られないかも知れず、私の息子だけでは、両親もしんどかろうと夫も休みたかったはずなのに、私にハッパをかけながら出かけてくれた。

 でも、8時半。実家に着いたら、兄がいるではないか!
父も母も息子のすでに田んぼに出ていて、
兄が
「9時からにしよう!」って言ったのに・・・と、ぼやいていた。
夫は、走ってみんなの中に入って行った。


 昨日のうちに済んだところもあり、予定では昼前に終わりそうとのこと。
私は、ちょっとの手伝いで、例年のごとく掛け声だけでほどんど済んでしまった。

母が、
「昨日は、乾燥機が調子悪くて、akiraが機械の本社に電話して、修理の仕方を教わり、ハンダ付けで直してくれ助かったよ。もう、すっかり一人前だなぁ」と、
息子を褒めてくれた。

 高校時代に茶髪にして、ずいぶん祖父母には心配かけた息子だったが、今では都会暮らしの長い私の兄より、息子のほうが農業に関しては両親の信頼を得ているようで私も嬉しかった。

 それにしても、父86歳、母84歳。二人とも、かなりの重労働のはず。
それでも、
来年もこの恒例行事があることを願いたい・・・。
父や母が田んぼに出なくても、子ども、孫が集まってひとつのことが出来る楽しみは何にも増して嬉しいこと・・・だから・・・。