えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

7か月後の今

2020-05-04 | 日記
 夫のガン宣告から7か月が過ぎた。
私にとっては、昨年9月末、医師から受けた説明も、夫から聞かされた経過も、どう受け止めたらいいのか毎日が自問自答の日々だった。
現実は、まぎれもなく目の前にいる夫の姿なのだが、そんな深刻な状態になるまで、なぜもっと早い段階で夫は言ってくれなかったのか、なぜ、私は気付けなかったのか、考えても仕方のない事ばかりを考えていた。

 夫はすでに、私が、医師の説明を受ける前に、化学療法を勧める医師にはっきりと断り、代替療法(食事療法他諸々)で行くことを決めていた。
だから、何度も化学療法を一日も早く受けるように、当院での治療を拒むのなら、どこでも紹介状を書くのでセカンドオピニオンを早く受けるようにと勧める医師に言った。(医師からは、妻である私に直接電話があり、治療方針をすぐにも立てたいので夫を説得するようにと言われていたのだが…)

「俺の命ですから、俺がこの後どんな治療法を選ぶか、俺が決めるんですよ。俺の人生なんですよ」と。

医師は、夫の強い意志を感じ、

「すごいですね。でも、ご家族とよく相談して・・・」と言いながら、私にも言った。

「言ってもきかないでしょうね・・・」と、苦笑しながら・・・。

 そして、夫は知人の勧めもあり、「ぜったい治して見せる!」と徹底した食事療法と温熱療法をはじめた。
その後、経過観察のため医師との面談をお願いし、これまでに2月、4月と2回。現在に至っている。

 この間の経過で、少しでも良い方向が見えてきたら、この場所で私も報告するつもりだったが、なかなかそんな気持ちになれなかったというのが現実だった。食べられないもの、食べてはいけないもの、食べた方がいいもの、使ってはいけない調味料など、など・・・・。
覚悟は決めていた私も、もともと料理の不得手な私にとって、毎日の献立を考えるだけでいっぱいという緊張の日々だった。
最近になって、ほんの少しだけ、ああ、こんな感じでいいのかな・・・とやっと思えるようになってきたような・・・。

 そんなところに、新型コロナウィルス感染問題が起こり、外出、会議、夫にとっては温泉巡りにも自粛が求められるようになった。
結婚して19年になる私たちが、これまで裁判や夫の活動を優先した生活を送ってきたので、当初約10年は別居婚(通い婚)で、その後、同居するようになってからも月の半分は、夫が全国を歩き回って冤罪をなくすための活動、関連の集まりなどに参加していたため、それらが一変したのだ。
4月は1日だけの外出という、今までになく超密着型の家庭生活に変わった。
これは、今までに経験したことのないことなのだ。

 私の大雑把でズボラなところが露呈し、夫の細かな気づきは私にも言葉や態度で伝わってきて・・・。
それでも、そこに夫の病気ということがあるから、そんなに関係が重症にならない前に修正され、今、やっと私たちも普通の夫婦スタイルになって来てるのかな…なんて勝手に考えている・・・。

 先月中旬位から、
「調子いい!」「俺、治るような気がしてきた!」と、夫。

本当にそうなって欲しい、と思う。
治ってくれなければ困る。

じっくり、これまでの頑張りが無駄にならないように、確実にそういえる日が来るまで、気を許さないで行くことだよね。
と、夫と話し合った。

 少なくても、医師から厳しい宣告を受けて、その時間を1日1日元気に過ごせている「今」を大事にしていきたいと思う・・・。

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