えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

オカリナ

2006-05-25 | 日記
 keikoさんがオカリナに夢中になっている時期があった。
あのオカリナ奏者「宗次郎」氏の追っかけもしていたっけ・・・。
ワタシも車に乗せられ、彼が有名になる直前まで住んでいたという(栃木県の山の中にあった小学校の廃校跡)工房?まで付き合わされたこともある。
もちろんkeikoさんはコンサートにも行った。
カセットテープを何時も車の中において聴いていた。
 でも、何時頃からか、完成されたショー的な「宗次郎」氏の演奏より、もっとオカリナ本来の音色を素朴に聴きたいと思うようになり、自分でも吹いてみたいと思うようになったんだ。
 笠間焼きで、1人だけオカリナを焼いて自らも演奏するという「平本孝夫氏」を(当時小学4年生だったAくんがオカリナが欲しいと言ったことから)知ることになって・・・そういえばあの工房もよく通ったな・・・。

「教えてください。通いますから」と言ったけれど、keikoさんの「浜千鳥」を聞いた平本さんは
「それだけ吹ければあとは独学で十分。教えることありません」と言ったんだ。

 keikoさんは職場の仲間も誘って、平本さんのオカリナを紹介し、オカリナ同好会のように、昼休みになると屋上に集まってはみんなで練習をしていたんだ。
そんなふうだから、もちろん家でも時間があればkeikoさんはよく吹いていた。
楽譜が欲しいがために、通信教育も申し込んだ。楽譜をコピーして仲間と分け合った。
 だけど、だけど・・・・
何故か、人間にとって「癒し」になる音色なのかもしれないが、ワタシ(ネコ)にとってはどうしても受け入れがたい?音色で、keikoさんが練習を始めると毎回鳴きながら部屋を出て音から避難していたんだ・・・。
とにかくワタシはあの音色が嫌だった・・・。
小学生のKちゃんが
「お母さん、へただから聞いてられないんだって!かわいそう・・・」って、よく笑いながら言っていたっけ・・・。
うん、少し当たっていたかな?(ゴメン!笑)

 そんなkeikoさんだったから
syoujiさんが「オカリナの楽譜が欲しい」って言うのを聞いて、がぜん元気になったのは分かるよね・・・。
keikoさんは、少しでも話すきっかけのチャンスになる!syoujiさんの役に立てるかもしれない!って思ったんだ・・・。
(後になって、syoujiさんはkeikoさんよりずっと、ずっと音楽の知識があって『私の出る幕じゃなかった・・・』って思うんだけど・・・ね)

再会

2006-05-24 | 日記
 keikoさんが小さな冊子を読んで、ただ、ただ、ハラハラと涙を流したんだ・・・。夢中で読みながら泣いているんだ・・・。
それはsyoujiさんが、刑務所の中で書いた詩だった。

 救援美術展の会場に「布川事件コーナー」があり、そこで販売されていたんだ。
「守る会」の人が手作りで小さな冊子にして、一人でも多くの人に読んでもらおうと広めているものだった。 
 
 keikoさんは繰り返し、読んでは泣いていたっけ。
それは、苦しい、悲しい、辛いという言葉はどこにもなく、ましてや恨みや攻撃の言葉がどこにも無い、ただ、淡々と思いを綴っただけのものだった。
それなのに、その詩はkeikoさんの心を大きく揺さぶった。
胸が張り裂けそうになるくらいえん罪の悲しみが、深く、深く入り込んで来た。
とてつもなく悲しく、でも、常に希望が傍にあるようなそんな不思議な詩だった。
何故、激しい、怒りの表現が無いんだろう?
何故、この詩に暗さがないんだろう?
この詩に何故涙を誘われるのだろう・・・?

 そんな疑問を抱いているときに、syoujiさんが美術展に来たんだ。
keikoさんは会場の受付にいた。
syoujiさんは
「ありがとうございます」とkeikoさんの隣に座っていたKさん(顔見知りだったように)に挨拶して、目の前で奉加帳に記入して会場に入って行った・・・。

 これがkeikoさんとsyoujiさんの二度目の出会いだった。
keikoさんは、一緒に行った友人が積極的にsyoujiさんに話しかけているのがうらやましくて仕方なかった。
何とか話すきっかけはないかと思っていたら、syoujiさんが
「最近オカリナを支援者の方からいただいたんだけれど、上手く吹けない。
楽譜があれば・・・」というのを聞いて、がぜん張り切ってしまったんだ。
何故って、keikoさん、オカリナの楽譜を持っていたから!
 翌日、美術展の最終日だった。
午後から早めに帰るというsyoujiさんに、keikoさんは何としても楽譜を渡そうと
昼休み、近くのコンビニに走ったんだ。
もちろん、コピーを取って渡すために・・・。

 そして、渡したんだ・・・。





 

 



歩き出した道の前にsyoujiさんが

2006-05-21 | 日記
 keikoさんがsyoujiさんと結婚するって決めたとき
あの時、みんな驚いたよね。
「えー!!なんでー?なんでまたそんなひとと?!
 どこで知り合ったの?!!」(茨城弁?)って。
でも、ワタシは何だか分かるような気がした。
ほとんど、誰にも相談することなく淡々と自分の生きる道(方向)を決めたって感じだった。
keikoさんの友人は
「どうしてそんな大事なこと決める前に相談してくれなかったの?」と聞いたんだ。
keikoさんも、そう言われて考えた。
そう!迷うことなくきめてしまったなぁ・・・って思った。
相談というのは、迷うときにするもので、迷わないときって相談する必要もないんだ・・・なんて妙に自分で納得していたように思える。
そして、keikoさんを見ていて思ったんだ。
人間て「迷わず決断できる」そんな時ってあるんだ・・・って。

 あの頃、(Kちゃんの就職が決まったその冬から翌年の春頃まで)
keikoさん、メチャクチャ落ち込んでいたんだ。
どうしたのかと思うくらい、暗かった。
必死にもがいていたんだ。
二人の子どもたちを社会人として送り出せるという安堵感が、ひとりで頑張ってきたことの反動だったのか、一気に大きな虚脱感が襲ってきてそこから這い上がれなくなってしまっていたんだ。
職場の人間関係にも疲れていた。
将来に何の目標も見つけられず、大きなため息をついたり、いきなり訳も泣くハラハラと涙を流したり、仕事も集中できず、そしてとうとう上司と面接し、
「仕事をやめたい。今の部署から離れさせて欲しい」って申し出てしまったんだ。
中途半端な仕事しか出来ないのが許せなくて、環境を変えないといけないって考えたんだ。
実家に帰って両親と一緒に住もう、とも考えた。
上司は、職場の中で「部署」を変更することも考えてみましょうって言ってくれた。
面接を終えて、少し気持ちが軽くなって
keikoさんは、翌日
開催中の日本国民救援会茨城県本部の主催する
「救援美術展」の会場へ行ったんだ。

 これは、前の年の12月
落ち込んでばかりいたkeikoさんに
「救援会の仕事を手伝ってくれませんか」と突然、県本部のSさんから電話があって、迷っているところへ何度も何度も「お願いコール」があり、その熱意に断りきれなかったことと、
「一つぐらい、一生懸命自分の意志で関われることが欲しい。救援会の仕事だったら、迷うことない」と思ったんだ。

 そして、年が明けて行われた1月末の救援会新年会。
keikoさんは、syoujiさんを初めて「見て」衝撃を受けてしまったんだ。(でも、この時は、壇上のsyoujiさんを眺めていただけ・・・。)
それが、5月・・・
仕事もやめて、実家へ帰ろうとまで考えていたのに
救援美術展の運営に関わっていたkeikoさんは、syoujiさんと再び会ってしまったんだ。
この2度目の出会いがなかったら・・・

 とにかくkeikoさんは元気になった。
そりゃ、あのsyoujiさんと一緒に人生を共にする、苦労がないはずないよね。
でも、keikoさんが元気になって、輝きだしたんだ。
今となっては、それが、ワタシは一番嬉しいんだよね・・・

 


「死ぬ」ということ

2006-05-20 | 日記
 syoujiさんは「死」ということに普通の人以上に怯えていた・・・。
初めにワタシと会った時、
「死んだらどうする?動物はすぐ死ぬ。死ぬのを見るのはいやだからな」とkeioさんに言ったんだ。
syoujiさんの言い方がとても気になったことが思い出される・・・。
「俺は、自分が死ぬときも恐くて恐くて耐えられないかもしれない・・・」そんなことも言っていた。

 syoujiさんは、逮捕され、厳しい取り調べを受け、無理やり「強盗殺人犯」とされていったことや、公判を迎える心中、家族や愛する人への思いを大学ノート17冊に毎日書き綴っていた。裁判で、必ず自分の無実が明かされる、そう確信して日々をすごす二十歳の青年の心情を赤裸々に綴っていた。それは、第一審判決で
「強盗殺人罪・無期懲役」と言い渡されたときに終っている・・・。
日記の書き初めには暗号さえ使われている。どれだけ、自分の真実を守るために神経を使い、取調官に抵抗をしてきたかがうかがい知れるものだ。

 この日記の存在をすっかり忘れていたsyoujiさんは、あるとき偶然に自宅で発見したのだった。これは、当時お父さんが宅下げされて保管しておいてくれたものだったが、そのお父さんもsyoujiさんが29年の服役後、仮釈放で自宅へ帰れる日まで待ちきれず他界されてしまったためにその存在すら知る人がいなかったのだ。

 syoujiさんは改めて自分の日記を読み返しながら、「死刑もあるんだぞ!」という取調官の脅しに「死にたくない!」と怯える二十歳の自分をしり、
「こんなに死におびえていたなんて・・・」と言った。

 お母さんもお父さんもsyoujiさんが獄中にいる間に亡くなられた。大好きだったおばあちゃんも亡くなられた。心配かけ、苦労をさせたまま看取ることも出来ない自分を責め、悔しくて泣いた・・・。
だけど、人間の死を実際に経験したことは一度もなかったという。

 keikoさんは考えたんだ。
Eくんの遺体と一緒にkeikoさんの実家へ行き、そこから始まる告別式までのすべてをsyoujiさんにも体験してもらいたい・・・と。
冷たくなったEくんの遺体の「旅立ち」の支度も家族みんなで執り行った。syoujiさんにも家族の一人として立ち会ってもらった。
おじいちゃんもおばあちゃんも、そこにsyoujiさんがいることを何でもなく普通に接してくれていた。それは、息子を失った悲しみをsyoujiさんを迎えることで気を紛らわせていたのかもしれない・・・。
 手伝いに来てくれた組内の人におじいちゃんがこう言ったんだ。
「こんな時に何なんですけど、『keikoのつれあいのsakuraiです』」と。
組内の人たちは少しぎこちなかったけれど、syoujiさんの一生懸命手伝ってくれている姿は、誰の目にも温かく映った・・・。

 Eくんの死は本当に悲しかった。手術と入退院を繰り返すEくんをみていたときも、どれだけ涙を流したか分からない。
でも、keikoさんは心の底から思ったんだ。syoujiさんが傍にいてくれて本当に心強かった。とてもひとりではあの不安と闘えなかった。悲しみから立ち上がれなかった・・・と。

 syojiさんはどうだったかな・・・
Eくんは、しっかりと「死を持って」syoujiさんをkeikoさんの家族の中に迎え入れてくれるきっかけを作ってくれた。
「家族の中でEさんが一番先に俺のことを理解してくれた。もっと、生きていて欲しかった・・・」
そう、言っていたけれど・・・。

おじいちゃん家の田植え

2006-05-17 | 日記
 今年もおじいちゃん家の田植えを手伝ったんだよ。
もちろんワタシも一緒に行った。
これは、keikoさんが Aくんも Kちゃんもずっと、ずっと小さかった頃から毎年手伝ってきたことなんだ。だから、もちろんワタシも一緒。
田んぼは入れないけど、ワタシは周りをうろうろしながらカエルや虫と遊んだり、みんなの働いているところを眺めたりしていると、とても嬉しくなっちゃうんだ。
だって、み~んな仲良しでとってもいい雰囲気なんだ・・・。
家族っていいなぁって思うんだ・・・。
syoujiさんももちろん一緒だよ。日程が合えば必ず行ってくれてる・・・。

 実は、keikoさんの弟・Eくん(41歳)が5年前の四月に癌で亡くなったんだ・・・。
おじいちゃん達と一緒に住んでたんだけど・・・。
あの時は本当に悲しかった・・・。
みんなが泣いた・・・。
おじいちゃんもおばあちゃんもあまりの落胆ぶりで、本当にかわいそうだった・・・。

 ちょうど田植えの時期になってたんだ。
Eくんのいなくなった悲しみをみんなで堪えながら田植えをしたんだ・・・。
そして、この田植えは、syoujiさんにとっては初めての「田植えの手伝い」だった。
keikoさんにとっても2年ぶりの・・・。
何故って、
keikoさんはsyoujiさんとの結婚を認めてもらえず「勘当」されていて、実家の敷居をまたぐことを許されていなかったんだ・・・。

 忘れもしない。Eくんが急変したあの日の朝、syouiさんは誰よりも早く病院へ駆けつけてくれていた。

病院から遺体を連れて帰るとき、おじいちゃんがsyoujiさんが言ったんだ。
「sakurai君、済まないが家まで来てくれないか」って・・・。
keikoさんもsyoujiさんも耳を疑った・・・。

 Eくんも初めはkeikoさんたちの結婚を反対していた。
だけど、両親が出席しないという「結婚を祝う会」に、keikoさんの説得で兄と一緒に出席してくれることになった。
 そう、そうだ!思い出した!
Eくんの「癌」告知はあの祝う会直前だった!
手術の日がちょうど「祝う会」の二日前に決まったんだ。
Eくんは「姉の結婚式に出るので手術日を遅らせて欲しい」とDr.に言ったんだ・・・。
keikoさんとsyoujiさんの「祝う会」は、本当に「あったかい感動いっぱい」の会となった。
Eくんもお兄さんも「出席してよかった」ってきっと思ったと思うよ。
苦労は多いかもしれないけれど、たくさんの仲間に祝福され、支えられて行くだろう二人の姿を多分予想できたんじゃないかな・・・。
 そして、Eくんの1回目の手術は「祝う会」の翌々日に行われたんだ・・・。

 手術を繰り返し、入退院を余儀なくされてEくんのその後の生活は一変した。
syoujiさんは、何度もEくんを見舞ってくれた。
keikoさんも姉を頼って、姉の勤めている病院を選んだEくんのためにできる限りのことをした。
だから、きっとsyoujiさんとEくんとkeikoさんの気持ちは通じ合えたように思うんだ・・・。

 Eくんは亡くなる前に、おじいちゃん達に言ってくれていたんだ。
「もう、あの二人、許してやってもいいんじゃないか」って。
後でそのことを聞いたkeikoさん・・・泣いた、泣いた・・・
syoujiさんも泣いた・・・。

 今年、田植えの日、syoujiさんは、いつものようにEくんが病室で毎日読んでいた「スポーツ新聞」を仏壇にあげ、お線香を上げて、それから田んぼに向かっていった・・・。

ワタシの名前は・・・

2006-05-17 | 日記
 生後6ヶ月の時にkeikoさんに獣医さんに連れて行かれた。
何故って、その頃、毎朝4時ごろになると奇妙な鳴き声で何匹ものネコたちがワタシを誘いに来るようになったんだ。
ワタシは4階のベランダから「ガウォー、ガウォ~」って毎朝応え、ある朝、玄関が空いた隙に遊びに出てしまい、夜遊びも覚えてしまった。
keikoさんは、動物を飼ってはいけない団地でワタシを飼うには、近所に絶対迷惑をかけられない、そう決めて「手術」をすることになった・・・。
・・・
 あの時、獣医さんでカルテを作った。
カルテの名前は「○○ごんた」
今から言うと、keikoさんがsyoujiさんと出会うずーっと前のことだからもちろんkeikoさんの旧姓だ。
「あっ、ワタシにもちゃんと名字がつくんだ」とちょっとした感動を覚えたっけ。
もう一つエピソード・・・
獣医さんがkeikoさんに言った。
「ごんたちゃんは・・・、メス?メスの手術でいいんですね!!」
見れば分かるでしょ!
ワタシはメスよ!って言いたかったけど、人間にはワタシの言葉は通じない・・・
keikoさんは
「はい!このネコ、やっぱりメスですよね。小さいとき分からなくて、オスかと思って『ごんた』って名前をつけてしまったんです。今更変えられないので、このままで・・・」って言ったんだ。

 keikoさんはこの時本当に迷ったんだ。
この際だからもっとかわいい名前に変えようって子ども達とも相談した。
でも
「今から変えたらごんたが困るよ。もう、すっかりその気になっているんだから・・・」・・・

というわけでワタシの名前は「○○ごんた」で正式認知された。
あまり格好よくないけど仕方ないとワタシはあきらた・・・。
もう、いいよ・・・

 だけど、その後、飼い主であるkeikoさんは結婚して姓が変わった。
その頃から、ワタシは夏になると体調を崩すようになっていた。
小さいときの「手術」の記憶がワタシを病院嫌いにさせていたが、そんなことも言ってられない。
病院へ行くことになった時、kaoriちゃんがkeikoさんに言ったんだ。

「お母さんは再婚して姓が変わったけど、ごんちゃんは『養子縁組』してないんだから、姓は旧姓のまま○○だよね。私が保護者になるから」と。

 kaoriちゃんは新しい病院で
 カルテは「○○ ごん」としてもらった。
「ごんた」じゃなく「ごん」に!
 病院では、ピンクの制服を着た受付のお姉さんが
 にこにこしながら「○○ごんちゃ~ん」て呼んでくれるんだ・・・。
 
 だから・・・ワタシは

 「○○ ごん」 メス 17歳
「sakuraiごん」ではないんだ・・・ 
 


あの日を境に

2006-05-15 | 日記
 今日は、どうしても「あの日」のことを書かなければならない・・・。

 あの日、家にはkeikoさんはいなくて、ワタシとsyoujiさんだけしかいなかった。
その前の晩も実は食事の時、ワタシはsyoujiさんの前で、keikoさんの腕を何かがあって噛んでしまったの。(ワタシだって訳も無く噛んだりはしないんだよ。)
そしたら、「ネコが飼い主を襲うなんて絶対許せない!これは、あんたたちの躾がなっていないからだ!」と言ったんだ。
keikoさんは「これだって昔から比べたら随分おとなしくなって来たの」と反論したけど、syoujiさんは「いや、おかしい!」って強く言ったんだ。
keikoさんは黙って食器を片付けながら台所でつぶやいた。
「私たちが今までどんなに心を痛めてきたか全く知らないくせに・・・」って。

 そんなことのあった翌日だもの、ワタシだって緊張しちゃうよね・・・syoujiさんと二人きりだなんて・・・。

 ところがやってしまったの。syoujiさんのこと・・・。
きっかけは覚えていない。新聞を読もうとしているところに乗るのが好きなので、それをやって「どいて」って言われても動かないから無理にどかされようとしたからかな?

その時のsyoujiさん
怒ったね。ものすごい恐い顔で、ワタシを布団たたきを持って本気で追っかけてくるんだ。家の中で大暴れとなった。あんまり本気で来られたので、ワタシは気迫負けしちゃった。だって、襖にまで穴を開けるほど布団たたきを振り回し折ってしまったんだよ。恐いったら無かったよ。この人には歯向かえないってあきらめたの。

 夜になって、syoujiさんがkeikさんに言ったんだ。
「ごんた、今日俺に噛み付いたので、思いっきり、本気で怒ってやった。絶対、もう人間に噛み付いたりしないように」って。
keikoさんはどきっとして心配して、ワタシを見た。
ワタシも悲しかった。syoujiさんのところへ近づいていけなくって部屋の隅っこにいたんだ。

 その夜、いつものようにkeikoさんの布団にもぐりこんだ。
keikoさんは変わらず優しくワタシを抱いて寝てくれたんだ。
でも、ワタシもよーく考えたんだ。
どうしてsyoujiさんはあんなに怒ったんだろうって・・・。
そして、もう、あの人には絶対歯向かえないって知ったんだ。

 それからsyoujiさんは、食事の度にワタシにおかずのお魚を少しづつ食べさせてくれるようになったんだ。
固いものは自分の口で柔らかくしてくれたり、あの怒ったときのsyoujiさんはもうどこにもいなかった。
keikoさんが、「ごんはキャットフードだって、変えると吐いて受け付けないのにそんなに食べさせたら必ず吐いちゃうからやめて」って言ったけど、syoujiさんは
「いいんだ。俺流の躾をしてやるんだ」と言ってとにかく自分流を貫いた。
ワタシは美味しいから食べるけど、吐いてしまうことが多く、何度もそれを繰り返し、少しづつキャットフード以外のものも食べられるようになった。
ワタシは食事の時間は必ずsyoujiさんのすぐ傍でちゃんと座って待つ習慣が身に付いてしまった。
 だけど、寝るのはやっぱりkeikoさんのほうがいい・・・。

keikoさんが言った。
「あれ以来、本当にぴたっとごんが噛み付かなくなったね。さすがだね」

「動物は力関係をしっかりと教えなければいけないんだ。甘やかしてたんでは」とsyoujiさん。

「あなたも食事は随分甘やかしているよね。おかげでうるさくなったわ」
「いいんだ。俺流の愛情の示し方だよ。もう、10年以上生きているんだから、あと何年も生きられないんだよ。好きなもの食べさせてやりたいんだよ。
だけど、ごんのやつ、げんきんだよな。食事の時だけしか俺のところへ来ないもんナ」

 二人の話を聞きながらワタシは思ったね。
しょうがないよ、だってkeikoさんとの方が長い付き合いだし、それに同性だから・・・。安心できるんだ・・・。オトコは緊張しちゃうんだよ・・・。

(今は、少し違うよ。keikoさんがいなければsyoujiさんとも寝るし、何よりsyoujiさんの胡坐の上と、それにおなかの上が気持ちよくって良くそこで丸まって寝てあげてるよ

悲しい闘いの日々・・・

2006-05-13 | 日記
 ワタシにはシャム系の血が流れているらしい。
そのせいか、ワタシの眼がブルーなので誰もが
「普通のネコと違うね・・・」と言う。
「カワイイけど、性格が激しいね・・・」とも言われた。
うん、そう!
ワタシの中に、シャムの気品とプライドのようなものがしっかりと流れていることを子どもの頃から感じていた。
野性味が激しく、ベランダのスズメは格好の獲物だった。
ピンポン球が大好きで、超一流のサッカー選手と同じくらい家の中でうまく操ることが出来た。俊敏力が凄いんだ・・・。
人間と付き合うにも、遊びの限界を超えて、すぐ襲いたく(というより、自分が襲われる感覚ですぐ反撃してしまうんだ・・・)なってしまう。
自分より弱いものはしっかりと分かって、選んで付き合い方を持っていた。

 そんなワタシだったから、keikoさんも、Aくんも、Kちゃんも毎日ワタシの「噛み攻撃」と大格闘だった。
三人の中でもKちゃんが一番小さかったし、弱かったから、攻撃しやすかった。
一番好きだったけど、でも、ワタシは「じゃれて遊ぶ」ということが分からなかった。
ワタシの意に反する人間の好意は、すべて反撃の対象、遊んでもらった相手を必ず怒らせ、泣かしていた。
そうすることでしか、対応を知らなかったのだ・・・。
Kちゃんの先生が家庭訪問できた時、keikoさんが止めるのも聞かずに
「大丈夫です。ボク、ネコ好きなんです」なんて言って、ワタシの頭に手をかざしたんだ・・・。
(違うよ!犬と違うんだ!ネコはのどをなでてもらいたいんだ!解ってない!)
ワタシは、何かされると思ってすかさず反撃した・・・。

 ある時、keikoさんが子ども達に言ったんだ。
「これ以上ここに置いたら、ごんちゃん、ヒトを襲っちゃうよ。
 大変なことになるかもしれない。動物センターに預けようか?」って。
話は聞いていたからワタシも悲しかった。
みんなを好きだから自分の習性を呪ったよ・・・

でも、KちゃんもAくんも反対してくれた。
「かわいそうだ!ちゃんと見るから。教えるから」って・・・

嬉しかったナ・・・あの時は・・・。
Aくんは男の子だから、思い切り体を使った遊びをしてくれた。
Kちゃんは何時も優しかった。だから、寝るときはいつもKちゃんと寝た。(寝返りされるたびに起こされて不機嫌?になり襲ってしまったけど・・・)
keioさんも何度もワタシの噛み傷を腕や体に残しながら職場に行き、仲間に
「また、やられたの?ごんちゃんに」とか言われていた・・・。

そんなところへ新しくsyoujiさんが来ることになった。
syoujiさんて何者?!

syoujiさんと会ったのは

2006-05-12 | 日記
 keikoさんが初めて、この家にsyoujiさんを連れてきたのはいつだったかな?
その日、ワタシも初めてsyoujiさんに会ったわけだから、びっくりしたよね。
いきなり連れて来るんだもの。
夕方の予定まで時間があるからと、keikoさんが誘ったみたいだった。
ひとり静かに寝ていたところ起こされてしまったワタシは、見慣れない男の人だったから周りをうろうろしてクンクン臭いをかいでしまった。
悪い人ではないと思ったけど、でも気になって、気になって・・・。
子ども達がいなかったのは何故だったんだろう・・・。
Kちゃんは学校?Aくんは仕事だったのかな?

 夏だったかな?秋だったかな?
台風の影響で那珂川が増水していた。
keikoさんが窓際に立って「見て!」とか言っていた。
でも、二人ともなんかぎこちなかった・・・。
syoujiさんは、子ども達の留守の間に来てしまったことを悪いと思っていたようにも思えた・・・。

 この日は、1時間ぐらいでsyoujiさんはまたkeikoさんと出かけていった。
「結婚する」なんて聞いてなかったときだったモン。
気にはなったけど二人が出て行った後、ワタシはまたお昼寝を続行しちゃった。。。

 次にワタシが会ったのは、二人が結婚してから・・・。
ワタシとsyoujiさんの関係が決定的になる事件(ワタシにとっては・・・)が起こったのだ。
          
 

いったい誰に?

2006-05-12 | 日記
 ある年の1月、keikoさんが新年会の受付の手伝いをしたんだ・・・。
その日、帰ってくるなり花も恥らう18の乙女Kちゃんにkeikoさんが言ったんだ。
「お母さん、恋しちゃったみたい!」って。

「ふーん、そう・・・それで?」
Kちゃんは驚きもせずそう答えたような・・・(よく覚えていないャ・・・)

本人はウキウキして
「あのね、今日ね、すっごい不思議な人に会ったの。
 何だかよくわかんないけど、布川事件というので刑務所に29年も入れられていたんだって。
 仮釈放で社会に戻ってきてまだ1年チョットらしいんだけど、それがね、全くそんな暗さを感じさせなくって、すっごく明るい人なの。
 何か、意気揚々としていて、生きてるっていうことがとても嬉しい、楽しいって
 感じだった!」
「あのね、『家に帰ってもひとりだから』って近くの人と話しているの聞いたから、残った料理をパックに詰めてあげたの・・・。でも、話は全然しなかった・・・」

 あの夜のkeikoさん
 異常にハイテンションだったなぁ・・・。

それにしても
いったいkeikoさんの会った人ってどんな人だったんだろう?

そこまでkeikoさんを「元気」にさせた人って・・・

ワタシはコタツで丸くなりながら、耳をピンと立てて聞いていたもんだから
興味深々だったよね~