えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

かぐや姫のように・・・

2021-10-02 | 日記
 母が逝った。
95年の生涯だった。
まるでかぐや姫のように、中秋の名月と満月が重なった9月22日の未明に・・・。

 あの日、9月21日。私は午後4時頃入院中の母の洗濯物を取りに病棟に行った。コロナ対応で面会は許可されない。母は入院6日目だった。
「状態はどうですか?」と対応してくれた看護師に尋ねると「変わりないですね」との返事。
その時、私の横を「○○さんの写真を撮りに来ました」と、放射線科の技師さんが可動式の撮影機器を押しながら母の病室の方に入って行った。
少し気になりながら、看護師に尋ねることなく私は家路についた。
車のハンドルを握りながら、前方に大きな月が上って行くのが見えた。
「きれいだな・・・」と呟いた・・・。

 自宅について程なくして病院から電話が入った。
「先生から、お話があります。病院に来られますか?」と。
「6時半くらいには行けます」と言って私は不安を抱えながら病院へ向かった。何故なら、面会許可が下りない今の病院対応は、患者に異常があるときに連絡が来ることになっていたからだ。
病棟に着くと、主治医がすぐに母の病状を説明してくれた。脳梗塞で緊急入院した母だったが、梗塞の改善も見られないまま内科的な異常も見られ、CTやMRIを撮って調べたところ、内臓のあちこちにダメージがあり残念ながら命を救うことはできない、との説明だった。
 「そのような状態なら、家に連れて帰りたいのですが」と言うと主治医は、
「残念ですが、今日、個室に移しただけでも血圧が下がってしまったような状態なので、それは無理だと思います」と言う返事だった。

 5分間の面会が許され、たくさんのチューブに繋がれ、酸素マスクをしていた母は呼吸も苦しそうだったが、私の声かけに反応があり、分かってくれたように思えた。
「エレベーターホールで待機していていいですか?」の問いに、病棟課長さんが言った。「申し訳ないです。お気持ちはわかりますが、一旦ご自宅に戻って…」との返事。

 夕方見た月は、高度を上げた雲一つない夜空で煌々と輝いていた。私は、その月を見ながら母は「あのお月様と一緒に行ってしまうかもしれない・・・」そんな思いに駆られた。

 午前0時半。
携帯が鳴った。病院からだった。
「呼吸が浅くなりました。来られますか?」

 寝ていた夫に「後から来てもらうようになるかもしれない」と告げ私は病院に向かった。車中からやはり月を見上げた。不安いっぱいだったが、月に見守られている感覚になっていた。

 母の呼吸は止まっていた・・・。ドクターより死亡確認が告げられ、夫に連絡。
葬儀社への連絡と実家までの移送の依頼。
駆けつけてくれた夫も特別に面会が許され、私たちは葬儀社の迎えが来るまでの約1時間半、病室で永遠の眠りについた母の寝顔を見ながら時を過ごした。

 母は、入院前の表情とは違って本当に安らかな寝顔だった。声を掛けたら、すぐにも起きて笑ってくれそうなそんな穏やかな表情だった・・・。

 実家に帰りついたのが、明け方の4時半。
満月は、西の空のかなり低い位置にあった。
「やっぱり、あのお月様に導かれるように逝ったんだね。
 良かったね。今までの苦痛から解放されてもう自由に何でもできるんだよ。
 みんなが向こうで待っていてくれるよ。
 おかあちゃん、かぐや姫のようだったね。きれいだったよ・・・」