えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

ありがとうございました!

2010-12-31 | 日記
2010年もとうとう今日で終わりです。

今年も、ほんとうにたくさんの人と出会い、

元気と
勇気と
確信を いただきました。

そして、夫たちが43年間求め続けてきた「無実を晴らす」ための
「裁判のやり直し」が実現したのです。

 昨年12月、最高裁「特別抗告棄却決定」によって布川事件は『再審』が確定し、
今年、7月から12月まで6回の公判が行われました。

検察には正義はないのか!?
自分たちのメンツのためには、何をしても許されると言うのか?!
無実の者を43年も「有罪」としていることに、人としての良心は痛まないのか!?

余りにひどい検察の姿勢に、
改めて、
夫が強いられてきた屈辱、怒りを、私も追体験をしたような気持ちになりました。

でも、でも・・・
弁護団の主張も、夫とSさんの陳述も明解でした。

裁判官が公正に判断しようとするなら、
そこにしっかりと『真実』があることが伝わったはず、
と、私も傍聴しながら確信できました。

明年、いよいよ「判決」です。

夫も私も、平常心で新しい年を迎えようとしています。



 ご支援戴きました皆さん、本当にありがとうございました。
皆さまにとっても、明年が佳き年でありますようお祈り申し上げます。
引き続き、歴史に残るだろう「布川事件のたたかい」の勝利の瞬間まで、ぜひお見守りいただけます様心からお願い申し上げます。

                      2010.12.31

夫と過ごす時間

2010-12-26 | 日記
 今年、夫は努めて?水戸で過ごす時間を作ってくれている。
私が、夫の家に行く機会が減っているからだが、夫自身、これからの二人の時間をどう過ごしていくのか考えてくれているのだろう。
長い間、離れて暮らして来た私たち。
新しい時間の過ごし方が来年は求められるのだが、ここ数日も一緒に過ごす時間が本当に自然に過ごせるようになったな、と改めて思っている。

「なぜ、これほどまでに何時も緊張しているのか?」と、私は長い間、夫の言動や行動にそんな気持ちを抱いてきた。
理解できない夫の姿に私も緊張し、却って夫の神経を逆なでしてしまうようなこともしばしばあった。
苦しい思いをさらけ出す夫の姿は、やはり、私の前だからで私が理解できなくてどうする?と私の自問自答も長く続いた。

 だけど、そんな夫の姿が、2005年の水戸地裁土浦支部の「再審開始決定」が出て以来、少しずつ変化していった。
東京高裁決定が出て、最高裁での「再審確定」。
夫の精神状態が確かに落ち着いてきていることが感じられるここ数年だったように思う。(それでも、今、全くなくなった訳ではないけれど・・・)
長い、長い間、叫び続けてきた思いが裁判官にしっかりと伝わっていくことを確信できたことで、張りつめて来た緊張感が決定が進む毎に解けて来たのだろう。

 この週末も、年賀状を一緒に準備したり、私の実家へ行ったりとゆっくり時間を過ごしている。
時折り、会話に出るブラックユーモアもお互い笑って聞き流しながら・・・。
以前の私たちにはちょっと想像できないような余裕を持ちながら・・・。

鳥インフルエンザ

2010-12-22 | 日記
鹿児島県出水市は
ナベヅルの越冬地らしいが、そこで鳥インフルエンザに感染した鶴が死んだという報道が流れている。

ナベヅルは特別天然記念物に指定されているとのこと。
仲間に広がらないこと、そして、これ以上被害が広がらないことを祈りたい。
また、この地域は養鶏業が盛んだという。農家への感染も心配され、家畜を守る対策が開始されたらしい。
それにしても、ナベヅルに移動制限は出来ない。

これから果てしのないたたかいが続くのだろうか・・・

年末の抽選くじ

2010-12-22 | 日記
駅ビルで買い物をしたら、
「抽選券です」と言って1枚の券をもらった。このとき、どういうわけか「1枚ではダメ」と、頭の中で判断してしまった。
帰宅して改めて見てみたら、
「あらっ?これ『抽選券』だった。補助券じゃないんだ」って初めて知った。
知って、自分で笑ってしまった。
私はいつもこんな早とちりをする。

 翌日、帰宅途中、買い物があってKデパートへ行こうとしたのだが、駐車場に入る直前に、
「そうだ!駅ビルに行こう。あそこは抽選券がもらえる。昨日の分もあるから・・・」と考えを変えて駅ビルに向かった。
クリスマス用の小さなプレゼントをいくつか買ったら「補助券」が2枚来た。

「3枚で1回だから、あと1枚分買い物をしなければ」と
また「くじ」に誘惑され、入ったことのないお店に入って買い物をした。
そして、ゲット!

抽選会場に行った。
券を差し出し、
「はい、2回ですね。どうぞ!」と言われて
ガラガラの前に立ち、
「私って、当たらないのよね…」なんて思ってしまった。

「でも、もしかしたら!」って気持ちも働いて、

いっか~い   コロッ・・・(赤玉)

にか~い    コロッ・・・(赤玉)


 「はい!残念でした~!ティッシュ2こで~す!」


済んでみて、
「そうだよなぁ。私って当たらないんだよね。
 あ~あ・・・
 この2このティッシュのために、昨日今日と私のとった行動は何だったのか・・・」

結局、年末商戦に踊らされただけだったことに苦笑いする私でした。

特等も一等の景品も何だったのかも知らないままに・・・。

映画「春との旅」

2010-12-19 | 日記
映画「春との旅」(小林政広監督作品)を観た。

久しぶりに味わう感動だった。

 日本の家族を見つめて、
 生きることの素晴らしさを探る人生賛歌。

 人は人に寄り添って生きて行く。良い時も悪い時もーーー。


と、パンフレットに書かれてある。


北海道から東北・宮城へ ー

 春は19歳。 両親は離婚。
 母が5年前に自死して以来、祖父忠男79歳と二人暮らしだった。
 ところが、春の勤めていた小学校が廃校となり、給食係の仕事がなくなった。
 東京に働きに出たいが、足の悪い祖父をひとり置いて行くわけにはいかない。
 春の一言で、忠男は長く疎遠になっていた兄弟たちの誰かに世話になろうと
 旅に出たが・・・。

 訪ね歩く先の兄弟姉妹の忠男への思い、それぞれの生活の厳しい現実・・・。
 春は、いつしか離別していた父親に会いたくなり、会うことに。


何度も、何度も台詞に心が止められた。
これが家族なんだ・・・と思う場面がいくつもあった。


 父は、母の過ちが許せず家を出た。
 母は悔やんで春を一人残し、自ら命を絶つ道を選んだ。
 14歳の春は、ずっと心の奥底に、両親の離婚の原因を知っていながら押し込めて生きて来た。
 春が、父親に、ひとり自分の胸に閉じ込めてきた思いをぶつけながら問う。

「過ちって、償えないものなの?」
「人って、自分のことしか考えられないものなの?」

 父の家を辞した春と忠男は、その帰り道、蕎麦屋に入る。
 ここは、娘の結婚のために、相手であった父の実家に挨拶に来た時、帰りに二人で寄った店だと聞く・・・。
 
 春は祖父忠男に言う。
 
 「おじいちゃんとずっと一緒にいる」・・・と。


 場面が変わって、旅を終えて家路に向かう電車の中。
 春と忠男の二人の新しい生活が始まることを予感させる。
 でも・・・

 


 機会があったらぜひお勧めの映画です。
 でも、一般上映はもう無理なのかな・・・
 今回は、「水戸映画サークル」の例会での上映でした。
 なら、貸しビデオ、でしょうか・・・・ 




 

自然との出会い

2010-12-18 | 日記
今朝、NHKで、福島県の雄国沼の自然が放送されていた。

 何年前だったか、初めて訪れた時は7月だったろうか。
職場の仲間とツアーで訪れたその時の感動は、今でも忘れられない。
交互通行が不可能なくらいの細い道を、小型バスでどんどん登っていき、
「到着です」
と言われて降り立ったところは、何にもなくただそこに幾つかの山があるだけだった。
ところが、案内されて少し歩いたすぐ目の前に広がる景色に思わず、

「えーっ?!!
 すっご~い!! きれい!!」

と、叫んでしまった。

当時、尾瀬に皆の関心が集中するなか、こんなに人が訪れず自然がきれいに残されているところがあるのかと思い、

   このまま残して欲しいな・・・

そんなことを思ったのだった。

 暑い暑い日だった。
私たちは、夏の日差しを浴びながら湿原を散策し、終わりに近づいたニッコウキスゲなどを足元に見、木道を歩きながら眼前の山に囲まれた静かな湖面にカメラを向けた。

山には真っ赤なレンゲツツジが咲き乱れ、いっそう暑さを感じさせた。
水筒の冷たい水が美味しかったことが思い出される・・・。

このときの写真は、本当に年齢を忘れてはしゃいでいる様子が写っている。

 もう一度行きたい・・・

そう思い続けて、数年後、夫に車の運転をしてもらい再び訪れた時は、車両規制が入っていて、尾瀬と同じような状態になっていた。
あのときの感動を夫にも・・・と思ったけれど、やっぱり相手は自然。
数年に一度、くらいでは、同じ自然には決して出会えない。
夫が、
「何だこんなものか」と言わんばかりに心を動かしてくれなかったのが悔しかった。
尾瀬のような広大な、とまではいかないが、ジュースの自動販売機も置かず、ショップもなく、人の手が入らない自然がそこにあるだけで
「大事にしたいな」と同じように感じてもらいたかったのに・・・。

今朝の映像を見ながら、やはり

 四季を通してこの自然に触れてみたい

そう思った・・・。

初雪

2010-12-16 | 日記
今朝、この冬一番の寒さだと言われての出勤途上、フロントガラスに小さな白いものが舞い降りてきた。
とっても、とっても、小さく、でも、きれいだった。

  雪?

気づいたら、なんだか涙が出てきた。

天国へ行く途中で、Nさんが最後の別れを言いに来てくれたような気がして・・・。

友人との別れ

2010-12-15 | 日記
元同僚で夫の裁判も応援してくれていた友人Nさんが昨日の夕刻、逝ってしまった。

体調を崩し、退職して自宅療養をしていたのだが、11月初めに入院してきて治療中だった。
いつも、
「ご主人の元気をもらいたいと思ってるんだ」と、私の顔を見るたびに笑顔で言っていた彼女・・・。

先日、病室を訪れたとき、
「テレビに出ていたね。いつも見てるんだよ。もう少しだね」と言ってくれた。
だから、今回も週明けの13日、12月10日の最終弁論が無事済んだ事を報告に言った。

目を閉じていて、前より呼吸が辛そうにみえた。
私は、彼女の両手を握り、小さな声で耳元で
「裁判、終わったよ。もう、判決を待つだけだよ」と言ったら、
彼女は、本当にうれしそうに
「ほんと?もうだいじょうぶ?」と聞いてきた。
「大丈夫だよ。ずっと、ずっとあきらめないでがんばって来たからね。もう、3月の判決を待つだけだよ。見守っててね」
彼女は何度も
「はんけつは?いつ?」と聞いてきた。
そして、
「さんがつ?・・・」と聞き返してきた。そして、ほっとしたような表情で目を閉じた・・・。

体力を消耗させないようにと、私はそっとベッドから離れた・・・。



翌日、彼女の急変を知らされた・・・。



 在職中も、廊下で会えば、お互い声を掛け合ったりして、時には相談事なども聞いて来た。
だけど、命にかかわるほど重大な状況にあったのに、今、こんな形で彼女を見送ることになってしまうとは・・・。



「いつも気にかけてくれてありがとうね」

彼女の笑顔と彼女の声が、私の記憶の中に鮮明に残っている・・・。


ごめんね・・・
もしかしたら、私は自分が考えている以上にあなたに必要とされていたのかもしれない・・・
本当にごめんなさい・・・。









底抜け?に明るい群馬県の救援会

2010-12-13 | 日記
布川・再審公判が結審となった翌日の11日、私は夫と一緒に救援会群馬県本部大会に招かれて出かけた。
水戸から、北関東自動車道にのって一路前橋へ。(途中、自動車道が完成していなくて、一般道を走りながら・・・)

 夫が特別報告として、時間をいただき再審公判の状況を40分ほど話させていただいた。
夫はそれが終了すると、すぐに東京に向かった。
夫を「友人」と称して親しいお付き合いをしてくださっている「若い二人」の結婚式に招待されていたからだ。

 群馬県では、不当労働行為で裁判を闘っている人が何人もいた。
職場復帰は果たしたが、なかなか元のように働けない現実、突然の解雇で家族を養うために別の仕事に就かなければならないのだけれど、不当な扱いを許せないので会社を相手に裁判をしている、外国人労働者の支援をしているという報告などなど。
私も「事件関係者」の一人として挨拶。
でも、でも、でも・・・
なんだか会場の雰囲気で、自分が予定していたこととまったく違う話になってしまって・・・ハンセイ・・・

 そして、二次会に移り、自己紹介が進む中、改めて私は大会で話せなかったことを話すことに。
夫の、ハッピーエンドにたどり着けそうな今の状況ばかりでなく、もっとえん罪被害者の深刻な状況を解ってほしいと、
「夫の苦しみ」の部分について話した。
そしたら、案の定、
「大会で、みんなの前で聞きたかった話だね~」なんて言われてしまった(ソウデスヨネ・・・)
せっかくの楽しい二次会が「真剣モード」に切り替わってしまい・・・(ゴメンナサイ・・・)
でも、何人かの方に「今日の桜井さんの話、奥さんの話両方ともよかった」と言っていただけた。
うれしかった。
そしたら、いきなり
「奥さんの話を聞きたいので、奥さんを呼んでほしいって言ったのは私です!」なんていう人がいてびっくり!
でも、やっぱりうれしかった。
次回は、もっと準備をしてこなければ・・・。

群馬県の皆さんて、とても明るく元気。
え~?この底抜けの明るさって何?って感じだった。
茨城とまた違った明るさでその場に一緒にいるだけで私にはとても楽しい時間だった。


布川の勝利判決が出たら、やっぱり一緒に喜んでいただきたいですね。
そして、その喜びをもっともっと力にしていきたいですね。
「布川」には、その使命があるように感じた群馬県行きでした。

涙でグシュグシュでした・・・

2010-12-12 | 日記
再審第6回公判・・・

弁護団の最終弁論を聞いているときから、胸が熱くなって、涙がジュワーって出て来て、おまけに鼻水も出て来ちゃって・・・。

夫とSさんの最終陳述のときには、私ばかりではなかったようです。
後ろの席からも泣いている人がいることが背中越しに伝わってきました。

弁護団の先生方のそれぞれの思いは、357ページという弁論書や朗読する先生の声の調子で伝わってきました。

夫は最初から気持が高揚していたのでしょう。時間を気にしながらも、初めに

「私は玉村象天さんを殺していません」

とはっきりと述べ、一気に43年の思いを、二人の検察官、3人の裁判官に対し、時に激しく、時に涙声で述べました。
検察官の証拠の改ざん、証拠隠し、捜査官の偽証など多くの例を出し批判しました。
そして、裁判官には

「歴史に耐え得る判決文をお願いします」

と、結びました。

「ゆっくりね。傍聴席にいる人たちにも、しっかり聞いてもらわなくてはね・・・」って言ってたのに・・・。
やはり、こみ上げてくる感情はどうすることもできなかったようです。
当然ですね・・・。

Sさんも、最初は冷静に述べ始めましたが、やはり、検察の証拠隠しによって冤罪を被った悔しさ、怒りに触れる場面では検察官に詰め寄るように、声高になっていました。
Sさんも
「私は玉村さんを殺していません」
と、はっきり言って陳述を終えました。

傍聴席からは拍手もおきました。
裁判長は、それを制止することはありませんでした。

傍聴者は、陳述を終えたふたりに

「お疲れさん。よかったよ!」という温かな言葉をかけてくださり、長い長い43年のたたかいの最後の法廷が終わりました。

 判決は、3月16日。
 午後1時30分

法廷を出てからも、
「こんな公判、初めて。感動した」ということばが耳に入って来ました。

私には自分でも説明できない涙が出て来て、
ただ、ただ、バッグに忍ばせてあった夫の両親の写真とN先生の写真を意識しながらハンカチとバッグを握りしめていました・・・。

 法廷を出る夫の表情は、晴れ晴れとしていました。

 終わりました。
 夫たちの43年のたたかいが、この最終弁論、陳述で事実上終了したことになります。

長い間ご支援下さった皆さまに、心から感謝申し上げます。

3月16日、必ず喜びの日となるようもうしばらくお見守り下さい。
そして、その喜びを皆さんと一緒に分かち合えること、
それを一番に望んでいます。

夫へ・・・

 本当に、本当におつかれさまでした。