えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

21回目の結婚記念日

2020-07-05 | 日記
 フェイスブックの「過去の思い出」で、昨日が結婚記念日だったと知りました(^_^;)

昨日の朝食の時、そのことに気付き「あっ!」と思い出した私に、
夫は平然と「俺はちゃんと知っていたよ」と…。

二人で指を追って確認。
「21回目の記念日だね」と・・・。

でも、今年は何だか余裕なしの自分に気付き、ハンセイ・・・。

21年前のこと、
21年間のこと、
そして夫の病が明らかになってのこの1年間のこと、
思い返してみました・・・。

不思議と、「大変だった時期」のことも穏やかな気持ちでふりかえることができています。

今日は22年目の初日。
夫が「元気」でいてくれることに感謝!・・・です。
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「要支援2」

2020-06-27 | 日記
 母の介護保険申請で「要支援2」と決定した。
父が88歳で他界してからまもなく8年。
母は、実家の跡取り娘でそれもあって「家を守らなければ」の強い思いがあった。
だから、私や東京の兄のところへ行くことよりも、生まれ育った家で最期を迎えたいという強い気持ちが母の健康を維持してきたように思う。

 現在、94歳。
ずっと一人で頑張って来てくれた。
でも、今年に入り体調を崩し、なかなか改善せず、気弱にもなって「介護申請しようか?」の問いかけに「そうだな。そうしてくれや」と言うことになったのだ。
 今月は、保健師さんの訪問があり、ケアマネージャーさん、福祉用品のレンタルの件で担当の方、ベッドの配送やさん、ヘルパーさんとの打ち合わせと慌ただしい日々が続いた。

 7月から、母にとっても、私にとっても新しい生活が始まります・・・。
家族以外の人と触れ合う中で、少しでも「外への関心」が向いてくれることを期待しているのですが・・・。


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母の気持ち…

2020-06-16 | 日記
 息子の誕生日。
その日、母に
「幾つになったんだ?」と聞かれ、
「う〜ン。最近子どもの歳もすぐに計算できなくなってね」と私。
昭和、平成、令和と来てとにかく計算できなくなった。自分の歳も分からないくらいだからどうしようもない(^_^;)
(西暦でやれば良い。昭和○○に25を足して、それから計算すればいいんだ、とは夫の助言。確かに、と思うんだけど…。)

「○○君(私の弟)の歳を超えちゃったね、あの子も」と私。

「そうだなぁ…」

会話はそこで終わった。

 弟は、次男坊。
お母ちゃん子だった。ずっと家を離れて働いていたが、家を継ぐため実家に戻り、これからという時にガンを発病。そして、2年で逝ってしまった。

 あの時の母の悲しみの深さを私は知らない…。
今、自分の息子があのときの弟の歳を超えたことを認識し、改めて母の気持ちを考えている…。
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「二人でいること」

2020-06-01 | 日記
  新型コロナウィルス感染拡大防止のための、緊急事態宣言が出され、外出自粛が言われ、まるまる2ヶ月家にいた夫が久しぶりに遠出している。

クーの様子がおかしいと思ったのは、初日の夜。いつもと違った大きな鳴き声で、家の中をあちこち歩き回っていた。
翌朝、いつも私の足の上で眠っているはずのクーがいないと思ったら、夫のベッドで寝ていた。少し、ひんやりした朝だったのに…。
リビングに降りても、何か落ち着かない。
 そうか・・・。
夫を探しているんだと気づいた

この家に「二人いる」っていうのが、クーにとってこの2ヶ月間で普通になってきていたんだ、と思った。。
 
 私にとっても…
こんなに長くずっと一緒にいたのは、結婚してから初めての体験だった。
(最初の10年は、お互い別々に住んでいたし、再審が終わった後約9年間ずっと、月の半分、夫は遠征?していたから(笑)

私も「二人いる」生活に、4月よりも、5月の方がもっと慣れてきていました。
その前に、夫の病気のことがあって、食事作りがあったから、実際には今までになく密度の濃い時間が私たちには流れていて、それはそれで結構緊張の続いた半年だったように思う。
不器用で気の利かない私と、否応なく死と向き合わざるを得ない緊張の中で過ごす夫と、気持ちの擦れ合いみたいなものをお互いに感じながらの時間だった。
でも、それがこの「2か月」は、お互いにスケジュールがほとんど白紙状態になり、普段よりゆとりを持って互いの姿を見せあえたとても良い時間だったように思えるのだ。
やはり病気の夫が目の前にいてくれた方が私は安心する。
「見えない」ことがどんなに不安を増幅するか・・・。
傍にいてくれ、欲を言えば「同じこと」が一緒にできたらいいんだけれど、とにかくお互いの趣向が違うのがネックかな…
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母の「終活」

2020-06-01 | 日記
 母と夕食を一緒にし、帰るとき、
「玄関、外から閉めるね。玄関にわざわざ降りなくてもいいようにね」と言って帰ってきた。

「もし、私に何かあったとき、外から○○(兄)も、お前も入れなかったら困るなあって思ってたんだ。お前らが、持っててくれるなら安心だ」と言うことで、
先週、母の了解を得て、兄と私がそれぞれに実家の鍵を持つことにしたのだった。

「遺言」も母の体調の悪化がもとで思いがけずに聞く流れになり、私は動揺もしたが、母は母なりに終活を一通り終えた気分で、心も軽くなって元気になってきたのかな…。

夫は、「一旦死を覚悟したことで、逆に安心したのかも知れないね」と言った。
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母の姿が見えない!ことへの不安・・・

2020-06-01 | 日記
 母のところに行った。
いつも、居間で横になってテレビを見ているはずの母がいない。電気も消えている。外は気温が28度もあるというのに廊下もカーテンがしまったまま。寝室も暗く、でも、姿がない。
台所にはいつも作りおきの煮物や、残った味噌汁の鍋があるのに、それらもきれいに洗われていて…。
玄関には杖もおいたまま…。
えっ?
何?どこに行ったの?
 先週まで、それも3ヶ月間も具合が悪かった母だ。急に胸がドキドキしてきた。庭に出て、家の回りを見回したら、
おばあちゃん?
痩せてほんとに小さくなってしまった母が背中を丸めて、草取りをしていた

「あれ?なんだ?(検査結果が出て)病気の名前が分かって来てくれたの?」と母。

「違うよ。顔を見に来たの。どうしたかな?って思って…。」

母は、いつもの穏やかな笑顔を見せてくれた。
私は安堵感で気が抜けた。
あの不安感は何だったのかと、一人苦笑した。
(それだけ、私にとってはこの数ヵ月の母の姿を見てきて、このまま弱っていってしまうのかなって思う気持ちがマックスになっていたのだった)

「大丈夫なの?私もやるわ。」

それから二人で庭の草取りをした…。
日陰に吹いてくる風は、カラッとしていて気持ちよかった。
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切ない…

2020-05-25 | 日記
母の体調がすぐれない。
でも、病院へは行きたくないという。
もう、自分はいいんだ、という。その言葉の裏には、
医師の処方を受けても、なかなか改善しない自分の体調と体の自由が利かなくなっていくことに不安も増幅していってるようで、「心が弱っている」のを感じる。
今日は、
表紙に「エンディングノート」と書かれた大学ノートを見せられ、「ここに遺言が書いてあるから」と言って、説明された。
私は、精一杯笑って
「はい。ちゃんと聞いたよ。でも、良くなるから。1日でも長く元気でいてくれる事の方が、私は嬉しいんだよ」と言った。母も弱々しく笑いながら、
「いつ、何があってもおかしくない状態だから…」と、自分の体が今までになく異常なことを悟っていように言った。
万一のために、玄関の合鍵を作ることも、あっけなく許してくれた。

94歳…。
父がなくなって約8年。一人で家を守ってきた。母にとっては自分が生まれ、育ち、先祖から引き継いだ家だ。でも、後を継ぐ者がいない…。

「もういいよ。疲れたよ」
と言われたようで、帰路の車の中で涙を流した。
いつか、母を送る日は来るだろう。でも、こんな形でいいのか?の思いになった。
夫は、「今できることを、最優先してやってあげるように」と言い、自らも病とたたかいながら、実家の屋敷回りの草刈りをしてくれている。

明日は、少し元気になってくれてるといいな…。
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7か月後の今

2020-05-04 | 日記
 夫のガン宣告から7か月が過ぎた。
私にとっては、昨年9月末、医師から受けた説明も、夫から聞かされた経過も、どう受け止めたらいいのか毎日が自問自答の日々だった。
現実は、まぎれもなく目の前にいる夫の姿なのだが、そんな深刻な状態になるまで、なぜもっと早い段階で夫は言ってくれなかったのか、なぜ、私は気付けなかったのか、考えても仕方のない事ばかりを考えていた。

 夫はすでに、私が、医師の説明を受ける前に、化学療法を勧める医師にはっきりと断り、代替療法(食事療法他諸々)で行くことを決めていた。
だから、何度も化学療法を一日も早く受けるように、当院での治療を拒むのなら、どこでも紹介状を書くのでセカンドオピニオンを早く受けるようにと勧める医師に言った。(医師からは、妻である私に直接電話があり、治療方針をすぐにも立てたいので夫を説得するようにと言われていたのだが…)

「俺の命ですから、俺がこの後どんな治療法を選ぶか、俺が決めるんですよ。俺の人生なんですよ」と。

医師は、夫の強い意志を感じ、

「すごいですね。でも、ご家族とよく相談して・・・」と言いながら、私にも言った。

「言ってもきかないでしょうね・・・」と、苦笑しながら・・・。

 そして、夫は知人の勧めもあり、「ぜったい治して見せる!」と徹底した食事療法と温熱療法をはじめた。
その後、経過観察のため医師との面談をお願いし、これまでに2月、4月と2回。現在に至っている。

 この間の経過で、少しでも良い方向が見えてきたら、この場所で私も報告するつもりだったが、なかなかそんな気持ちになれなかったというのが現実だった。食べられないもの、食べてはいけないもの、食べた方がいいもの、使ってはいけない調味料など、など・・・・。
覚悟は決めていた私も、もともと料理の不得手な私にとって、毎日の献立を考えるだけでいっぱいという緊張の日々だった。
最近になって、ほんの少しだけ、ああ、こんな感じでいいのかな・・・とやっと思えるようになってきたような・・・。

 そんなところに、新型コロナウィルス感染問題が起こり、外出、会議、夫にとっては温泉巡りにも自粛が求められるようになった。
結婚して19年になる私たちが、これまで裁判や夫の活動を優先した生活を送ってきたので、当初約10年は別居婚(通い婚)で、その後、同居するようになってからも月の半分は、夫が全国を歩き回って冤罪をなくすための活動、関連の集まりなどに参加していたため、それらが一変したのだ。
4月は1日だけの外出という、今までになく超密着型の家庭生活に変わった。
これは、今までに経験したことのないことなのだ。

 私の大雑把でズボラなところが露呈し、夫の細かな気づきは私にも言葉や態度で伝わってきて・・・。
それでも、そこに夫の病気ということがあるから、そんなに関係が重症にならない前に修正され、今、やっと私たちも普通の夫婦スタイルになって来てるのかな…なんて勝手に考えている・・・。

 先月中旬位から、
「調子いい!」「俺、治るような気がしてきた!」と、夫。

本当にそうなって欲しい、と思う。
治ってくれなければ困る。

じっくり、これまでの頑張りが無駄にならないように、確実にそういえる日が来るまで、気を許さないで行くことだよね。
と、夫と話し合った。

 少なくても、医師から厳しい宣告を受けて、その時間を1日1日元気に過ごせている「今」を大事にしていきたいと思う・・・。
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故郷は今年も同じように…

2020-03-16 | 日記






城里町で、ゆっくり散歩。
新鮮な空気をいっぱい吸い込みながら、今年の春を感じてきました😊
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ホッとしたくて

2020-03-14 | 日記
朝から冷たい雨…。
10時からの会議に駆けつけ、終わったら千波湖一周歩きたいと思ったが、雨で断念。
真っ直ぐ帰宅する気になれなくて、コメダ珈琲店でホットタイム。
何故か、規制、規制で滅入りがちだった自分に気づく…。

だから…

少し気分が落ち着いた。
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