昔の私は、毎日お財布の中身を出し、一日の出金、入金を記録し、一円でも残高が合わないと合うまで追求したりした・・・
小学生のころ、小遣いをもらって小遣い帳を記入することを習慣にしてから、社会人になってからもずっと続いていた。
それは、母が毎日そうして来たことを幼いころから見て来たから、そうするものだと思い込んでいたようなところがある。
夫と知り合ってからも続いていたような気がする・・・
でも、今はそこまではやってない。1円、10円など不明金や残額に拘らない形で、わかる範囲内で記録を残しておく。年間集計を出し、比較できるようにする。
その程度までだ。そんな私の姿を見ながら、夫は言う。
「俺にはできないなぁ・・・」と。
この10年、どんどん私の金銭感覚は変わってきた。
要は、いい意味の「ドンブリ勘定」で、そうしなければやっていけないのが現状なのだけれど。
出るときには、どーんと出さなければならず、反対に、ないときは無いなりの生活をしなければならない。
とにかく、ひとりで、きっちり、きっちりやってきたあのようなやり方では、夫との今の生活はやっていけないのだ。
そういう生活に慣れて、何とか大きな失敗も無くこれまでやってくることが出来たのだけれど、そう言ってもやっぱり自転車操業のわが家の家計・・・。
でも、お金のことで言い争いにならないだけ、きっと私たちって幸せなんだとおもう・・・。
収支決算は合わなくても、今夜も、家計簿なるものを入力している私です・・・
夫との生活は、そう考えていくしかないのである。
小学生のころ、小遣いをもらって小遣い帳を記入することを習慣にしてから、社会人になってからもずっと続いていた。
それは、母が毎日そうして来たことを幼いころから見て来たから、そうするものだと思い込んでいたようなところがある。
夫と知り合ってからも続いていたような気がする・・・
でも、今はそこまではやってない。1円、10円など不明金や残額に拘らない形で、わかる範囲内で記録を残しておく。年間集計を出し、比較できるようにする。
その程度までだ。そんな私の姿を見ながら、夫は言う。
「俺にはできないなぁ・・・」と。
この10年、どんどん私の金銭感覚は変わってきた。
要は、いい意味の「ドンブリ勘定」で、そうしなければやっていけないのが現状なのだけれど。
出るときには、どーんと出さなければならず、反対に、ないときは無いなりの生活をしなければならない。
とにかく、ひとりで、きっちり、きっちりやってきたあのようなやり方では、夫との今の生活はやっていけないのだ。
そういう生活に慣れて、何とか大きな失敗も無くこれまでやってくることが出来たのだけれど、そう言ってもやっぱり自転車操業のわが家の家計・・・。
でも、お金のことで言い争いにならないだけ、きっと私たちって幸せなんだとおもう・・・。
収支決算は合わなくても、今夜も、家計簿なるものを入力している私です・・・
夫との生活は、そう考えていくしかないのである。