えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

訃報

2012-04-14 | 日記
 突然の別れがあった。

 1ヶ月前お会いしたときに、「陶板浴はいつ行っても入れるの?今度行ける時に電話をするから」と仰っていたOさんが、もらい火による?火災で亡くなられたというのだ。

 その日、ちょうどその時間、私は救援会水戸支部の会議中だった。
Oさんのことも話題に上がっていた。

Oさんは、82歳。
10年前、水戸支部再建のために動き出そうとしていた私たちを、県本部常任委員として、本当に丁寧に根気良くご指導いただいた大先輩で大恩人だった。
やっと、やっと県本部から独立し、独自の活動を展開できるまでになった水戸支部。
Oさん無くしては語れない。

足が不自由になり、少し体力も落ちてきているように見受けられて、陶板浴をお奨めしたのだが、「前から行きたいと思っていたのだ」とのこと。
そんな矢先の訃報・・・。

 会議のあった翌朝、新聞記事にあった「火災」「身元確認中」の文字に、
妙な胸騒ぎを覚えたのは何故だったのか・・・?
足が不自由・・・
逃げ遅れてしまった?
まさか、Oさん、てことはないだろう・・・

でも、・・・。
その日の昼ごろになって救援会関係者から、Oさんが亡くなられた、という連絡が入ったのだった。

  ・・・・・・


 昨日の御通夜、本日の告別式に夫と参列した。
0さんの「世の中を良くしたい」「国民が主人公となる社会を」「人権と民主主義が守られるように」等等、平和と民主主義、革新運動に生涯を投じたお話を聞き、改めて尊敬と感謝の気持ちでいっぱいになった。
訃報は突然で、それもあまりに残念な形で、悲しみいっぱいだったが、
Oさんがたくさんの人たちに、数知れない教えを遺し、それを引き継いで行こうとするたくさんの参列者を前に、悲しみだけでない「お別れ会」となったことに私は安堵していた。
私も、その一人なのだという強い自覚をもてたから・・・。

 おりしも陽気は穏やかで桜は満開。
Oさんは満開の桜に見守られ旅立って行かれた・・・。




「救援運動とは、ということで、常に私たちを原点に立ち返らせてくださった。

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