えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

gonの写真

2010-03-28 | 日記

 彼岸に
 「gonちゃんのお墓参りしてくれないの?」と娘に言われ、ハッとした。
 そう、娘が帰国してからすっかりgonのことを彼女に任せきりだった。
 
 gonは、私の実家の田んぼの近くに埋葬されていた。
 父が「樹木葬だぞ」と言うように、行ってみるとgonの眠っている傍に
 まだ植えられたばかりの若い枝垂桜があった。
 今年はまだ無理だろうが、来年はきっと花をつけてくれるだろう。

 そう・・・
 これなら、毎年花を楽しみながらgonとの思い出を互いに語ることになるだろう。
 季節が変わるたびに足を運んでgonに語りかけることだろう。

 そんなことを考えながら、彼岸にgonのお墓の前で合掌した。

 そして、今日・・・
 gonの、写真の整理をしようと古いアルバムを何冊もめくった。
 子供たちと過ごした11年間、夫も加わってからの11年間。

 寿命だったんだよね・・・
 でも、この部屋にgonの姿がない寂しさは当分続きそうだ・・・

 写真は2006年12月のもの。
 18歳かな?病院通いはしていたけれど、まだまだ元気でした。

布川事件支援・佐藤光政「壁のうたコンサート」

2010-03-27 | 日記
守る会の皆さんが準備してくださっています。
みなさんのご来場をお待ちしています
会場となる「津田ホール」は、夫と杉山さんが1996年11月に仮釈放で社会に戻って、その翌年の2月に、
それまで、毎年続けられてきた「事件支援・壁のうたコンサート」が、初めて当事者の二人を迎えて喜びの中で行われたという場所。

佐藤光政さんと支援者の皆さんによる感動的なコンサートだったと聞いています(残念ながら、私は当時まだ参加していませんでした・・・)

 その時からすでに13年。
今回も、感動いっぱいのコンサートになることでしょう。


菅谷さんの笑顔のように

2010-03-26 | 日記
昨日、
 2010年3月26日
足利事件の菅家利和さんに
再審「無罪判決」がでました。
18年に及ぶえん罪から解放された菅家さんの喜びと安堵感は如何ばかりかと思います。
千葉刑務所からの突然の釈放。
あのときの菅家さんの笑顔が印象的でした。

あれから・・・

再審の間中、少し疲れ気味に思えた菅家さんに
再び笑顔が戻りました。

「真っ白の無罪判決をもらいました!」と。

菅家さん、本当におめでとうございます!!


 私は、裁判長が謝罪の言葉を述べて、3人の裁判官が菅家さんに頭を下げたとの報に胸が熱くなり、すぐに、夫にメールしました。


 夫も法廷にいました。
裁判官の謝罪は、自分のことのように胸が熱くなったとメールで返ってきました。

本当にそうだろうな・・・

「次は俺たちだ!!」の思いでいるんだろうな・・・



仏壇のお茶

2010-03-22 | 日記

 「私の家ではね、母が先に起き、炊飯器のスイッチを入れてそれからお湯を沸かす。父がそのお湯でお茶を淹れ、
  一番先に仏壇にあげるの」
  
  仏壇をちゃんと作って夫の両親の位牌を私たちの手で守って行く様になった時、夫にもそんな協力をしてもらえるかとそんなことを言った事がある。
  ところが今夜
  「ごめん!この前言った事、違っていた!仏壇には、普通はお水をあげるんだって」と前言撤回となった。
  
   理由は、彼岸で墓参りに行った際、墓誌に刻まれていた一人ひとりについて両親と話しているうちに
  父が位牌や墓碑に刻まれた年月日から、それぞれにまつわる先祖について調べたというノートを持ち出してきてその話をしてくれたのだ。
  その中で、今から160年前の江戸末期、大洪水があって母親が幼い娘を背負って逃げる際、忘れ物をしたと言って家へ戻ろうとして濁流に流され、
  二人とも流されてしまったという話が出てきた。
  それを聞いていた母が
  「だから家では仏壇に水はあげちゃいけない。お茶をあげるんだよと言われて来たんだよ」と、言った。
   
  え~?!そんなこと今までに聞く機会がなかった私は、初めて知って驚いた。幼い頃は多分祖母がやっていたように思うが、
  祖母が亡くなり、それからは父の役目となっていた朝の仏壇にお茶をあげることは、疑いもなく私の中では
  日常の当たり前のことと認識していたのだ。

  我が家は、母に男兄弟がいたにもかかわらずみんなが戦争で出生してしまい、末っ子だった母が父を本宅から迎え、
  跡を継いだのだ。その母は、大正14年生まれ。それでも子供の頃から、その母娘の悲しい事故について聞かされていたとのこと。
  
  母が言った。
  「他所では水が普通なんだけれど、家だけはお茶なんだよ」

  そういうわけで
  我が櫻井家では、お水をあげることに。
  やっぱり夫にやっていただきましょうか・・・

いよいよ「再審」へ

2010-03-20 | 日記
 裁判官、弁護団、検察官による第1回三者協議が開かれました。
夫たちも発言はできないが同席を認められ、
裁判所に入っていきました。

 私は、支援者の皆さんと「裁判所要請」を終え、夫と杉山さん、弁護団の先生方を見送りました。

検察官がどんな出方をしてくるのか、それが一番の焦点でした。
結果は・・・
有り得ることと思って覚悟はしていましたが、

「謝罪はしない。有罪立証の方向で臨む。改めて目撃証言の信用性と現場に残されていた遺留品(被害者の首に巻かれていたパンツ)のDNA鑑定をする」

ということでした。

 何をいまになって?!
夫たちが、現場にいなかったこと、事件には無関係だったことは、すでに当時捜査資料やの関係者の証言で明らかになっているのに、明らかな無慈悲の時間稼ぎとしか思えない。無駄な時間を費やして、尚も夫たちの自由を拘束するのか?!
そもそも、まったく証拠がなかったところで、無理やり夫たちに自白を迫り、犯人に仕立て、そのために無実に繋がる証拠は隠し、さらに捏造までしていたことが水戸地裁土浦支部でも、東京高裁でも、さらに最高裁でも確認されたことではなかったのか?!

と、あまりの検察の態度に怒りと同時にあきれる思いでいっぱいになった。
どこまで検察というのは、私たち市民の感情と離れたことを平気で行うところなのか、
これほどまでに、『メンツ』のために動いている組織なのかと、
怒り、怒り、怒り・・・の心境になった。

 私は、この思いをいち早く市民の皆さんに訴えたくて、記者会見の席を後にして土浦駅頭で宣伝してくださっている皆さんの元に走り、マイクをいただいて自分から話させていただいた。
そうせずにはいられないほど、検察の理不尽さが許せない心境だったのだ。

「予想通りだった」という夫。

「やってみろ!という心境だ」という夫の言葉に、悔しさと怒りと、新たな決意が感じられた・・・。


 記者会見、支援者による終日の要請、宣伝行動が済み、合同で行われた交流会は、私の想像以上に明るかった。
「再審」、その先にあるのは検察がどんなに抵抗しようと「無罪判決」以外何もない。
このたたかいを夫がいつも言っているように
「明るく、楽しく。真実は必ず明らかにされる」確信があるからなのだろう。
 

3月19日

2010-03-19 | 日記
穏やかな春の朝、平常心でこの時間を過ごしています。
今日は、午後から、水戸地裁土浦支部で三者協議が予定されています。

これから夫と一緒に家を出て、まず水戸地検へ守る会のみなさんと一緒に行って
早期解決のための要請をし、その足で土浦の裁判所に向います。

水戸地裁土浦支部へは、4年6ヶ月ぶり。
 2005年9月21日。
あの感動的な、38年目にしてやっと夫たちの無実の叫びが届いた
「再審開始」の勝利決定を得たところ。

また、新しい歴史の1ページが開き歩き出す心境です・・・。



夜の香

2010-03-12 | 日記
 夜の偕楽園へ行った。
 歩く足先に等間隔で小さな灯りがあったが、目の前はほとんど真っ暗だった。
 竹林には照明が当てられ、静かで不思議な雰囲気があった。
 
 暗い中で歩を進めた。
 すれ違う人、立ち止まっている人の顔もわからないほどの闇の中に、何ともいえない梅の香が漂ってきた。
 見頃の梅の木が根元からライトアップされ、枝に咲き誇っているたくさんの花がひときわ
 浮かび上がっていた。
 
 夜の梅林散策もいいものだな、とひとり感慨に耽りながら、午後七時からの集会に間に合うよう、会場に向った。
 途中、住宅地を抜けるときに夫の好きな沈丁花の香りが漂ってきた・・・。

 会場で夫と合流。
 「夜の偕楽園を歩いてきちゃった。明日の下見のつもりで」

 明日は、恒例の偕楽園宣伝だ・・・。
 

3月

2010-03-11 | 日記
一年の中で、私にとって一番忙しい季節。
それは、3月。
年度末業務に重なり、新採用看護職員受け入れ準備でいっぱいになる。
私の周りを見ても、誰もが忙しく、それぞれが自分の仕事でフル回転の状況にある。

そんな状況の中、夫たちの再審裁判もいよいよ動き出す。

19日は、裁判官、検察官、弁護団による初の三者協議が行われ、弁護団による記者会見が行われる。
守る会も、
水戸地検要請、水戸地裁土浦支部への要請、土浦駅宣伝を行う。
その前に、水戸では恒例の「偕楽園宣伝」だ。

私が時間に追われて余裕のない中、それ以上に、外に出る機会の多くなった夫は、今夜も富山での集会に参加している。
再審を目前にして、夫はどんな心境なのか・・・
私は、予想以上に緊張している自分を感じている。

仕事、ミスしないよう注意しよう・・・。

フリージア

2010-03-09 | 日記
フリージアの花を買った。
少しだけつぼみが膨らみかけていて、
「これから十分に楽しめる」だろうと期待して、
玄関に飾った。

夫が帰宅して、気づいてくれた。

「この花をみると思い出すんだ。
 フリージアの花束を差し入れてもらって、房の中がい~っぱいこの花の香りで包まれた、
 あのときのことを・・・」と・・・。

フリージアは私も大好き!
だから、いつもこの季節には必ず一度ならず何度か部屋に飾る。
夫の好きな花だと知ると、尚のこと
「今年もこの季節が来たよ」と知らせたくって。

ところが!数日して、
どういうわけか、花がいくつ開いてもあのいつもの香りがして来ない。
見た目には、間違いなく毎年見慣れたフリージアなのに。

「何だこれ?ちっとも匂わないな」と夫・・・。

・・・・・
一週間が過ぎ、私はお花屋さんに行った。

「香りのするフリージアをください。この前、こちらでいただいた黄色いフリージア、ぜんぜん匂わないんです」
そう言って、私は店頭に並んでいる黄色いフリージアに鼻を近づけて匂いを嗅いだ。
やっぱり、匂わなかった。
店員が少し不機嫌そうに言った。
「匂いがするのは、黄色より白いほうなんですよ」

(うっそー?!ホンと?)と思いながら、やっぱり黄色いフリージアが欲しくて、次の店に行った。
雨が降っていて、シャッターが半分だけ開いている店に行って
「お休みですか?黄色いフリージア、それも香りのするフリージアが欲しいんですが」と言うと、
「いいですよ。匂いを嗅いでみて下さい」と、おかみさんらしき人の優しい対応・・・。

出してくれた花は、やっぱり、すこしつぼみが固めだったけれど、あの優しく懐かしい香りが仄かにした。

「これ、ください!」

・・・・・
帰宅した夫が、玄関先で
「やっと香ってきたね」「いい匂いだね」と言ってくれた。

・・・・・

私のドリョク、「香りのする黄色のフリージア求めて」は報われた。
それにしても、と思う。
あの匂いのないフリージアはいったいどうしてしまったんだろう・・・。