えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

悪戦苦闘?

2007-07-25 | 日記
午後8時55分
 守る会の会議中だったけど、マナーモード中の携帯がバイブレーションで定時アラームを知らせてくれた。
keikoさんが、アラームを止めようと携帯を見たら「着信不在」の表示があった。
見ると、8時25分に着信。マナーモードにしてバッグに入れておいたので気付かなかったのだ。相手を確認して「あっ!」と声を出しそうになったkeikoさん。
「来た!!」と思うと同時に
「?、何かあったの!?」と急に不安になって、会議中の部屋を出た。
何故って、先日おじいちゃんに買ってあげた携帯の番号だったからだ。
携帯を届けたその日の夜、1度だけかかってきたけれど、それから全くかかって来ないし、それよりも万歩計機能も全く使われてないようだったので、やっぱり80歳を越えた両親には「無理だったのかな・・・」と、思っていた矢先だったのだ。
そして、何よりも、何か緊急の連絡だったらどうしよう、という思いがkeikoさんの頭の中を駆け巡った。

 着信から30分経っていた。
数回の呼び出し音にも出ない。やっと出た声の主はおばあちゃんだった。

「どうしたの?」
「あ~、keikoか?しばらく、電話使ってなかったからおじいちゃんと『あそび』で使ってみたのよ、アハハッ。どこ、かけても出ないんだ~。keikoのところは『1番』だろ?すぐできるんだけど・・・」と楽しそうに話し続けるおばあちゃんの話に、
「ごめんね。マナーモードにしてたから、気がつかないんじゃった・・・。でも、ちゃんと繋がったね。」と話に合わせるkeikoさん。
廊下で話しているため、ぼそぼそとはなしていたら、すかさずおばあちゃんが言った。
「なんだ?声がおかしいけど、風邪でもひいたの?」
「ううん、そんなことないよ」
おばあちゃんは、携帯がつながったことだけで、keikoさんがどこにいるか全く考えてなかったし、keikoさんもタイミングをはずしてしまい「会議中」って言えずに何か可笑しかった・・・。
でも、keikoさん、おじいちゃんとおばあちゃんが何とかして携帯を使ってみようとしていることが、とても嬉しかった・・・。
近いうちに行って、もう少し使いこなせるように、大きな紙に発信の仕方、受信の仕方。メールの送受信を順番に書いて壁に貼ってこよう。そう思った。通り一遍の使い方しか説明しないで、少し渡し方が不親切だったなって反省した。

「万歩計がついているんだから、おじいちゃんが使わないんだったら、おばあちゃんが使っていいんだよ」
「だめだよ、失くしちゃったら大変だから・・・」

 (ソレジャ、イミ、ナインダヨ・・・・)

あー・・・
腰に付けて失くすことが心配で使えないのなら、今度は首にぶら下げるものを用意しようかな・・・

keikoさん、「緊急の用事」(おじいちゃんが度々胸が苦しくなるといっていたので)でなくてよかった・・・と思いながら
次の施策を考え始めていた・・・。



明るいよ!

2007-07-22 | 日記
トイレの電気が切れた!

「まただ!」っとkeikoさんが言って、ごそごそと押入れの奥のほうに手を伸ばし、替えの電球を探したけれど、いつもの買い置きがない。

この家のトイレは狭くて窓がない。昼でも電気がないと真っ暗。
watasiのトイレもこの中にあるため、keikoさんたちはwatasiのために、24時間電球をつけたまんまにしてくれているのです。
だから、電球の消費が早いのかとにかく
「まただ!」ということになる・・・。

syoujiさんが、
「もっと長持ちするのを使えばいいんだよ」と言って、この前寿命6倍という『スパイラル』電球を買ったのが出てきた。
「もったいない!」と使わずに置いといたものだった。
値段がついていて、見たら「ひぇー!こんなにするの!?」ってkeikoさん。
とにかく、今日はこれしかないのだからこれを使うしかない・・・。

ちっちゃなトイレに60Wの「スパイラル」・・・。

 ところがところが、ところが
なんとなんとトイレの雰囲気が一気に変わってしまった。
曇りガラスの大きな窓があって、そこに外の太陽光が射しているかのようにびっくりするくらい明るく、それもまたとても自然なのだ。
何もここまで明るくしなくてもという思いより、「これならトイレに飾る花もずっと活きるよ!」とkeikoさん。
「トイレは適当に明るければいい」と思っていたことが間違っていたような気がしてきた。
「人間思い込みはいけないなー・・・」
「固い頭だったってこんなことで気付かされたヨ・・・」って・・・。

 はははっ・・・
syoujiさん、今度来た時、何と言うかな?watasiもたのしみ
それと・・・
『寿命6倍』だって・・・これも興味しんしん・・・。

 だけど、こんなに明るくてはwatasiの粗相はすぐにバレてしまうナ・・・



涙の訳は

2007-07-17 | 日記
 syoujiさんが、子どもの頃からお世話になったというNさん(81歳)が亡くなった。
大型で強大な台風が近づいているという15日が告別式だった。
同じ組内に住むNさんのことだったので、syoujiさんとkeikoさんは揃って、お通夜、葬儀のお手伝いに行った。

 組内の人たちは、syoujiさんが「刑務所」にいたことも、今もえん罪を晴らすため毎日が裁判のことで明け暮れていることも充分理解してくれている。そして、keikoさんと離れて暮らしていることも。
syoujiさんとkeikoさんは、皆さんと一緒に和やかにそれぞれの持ち場で役目を果たした。

「syoujiさん、立ってないで座っていいよ、疲れるから」
長老のSさんが言った。

弔問客の応対(受付)をするsyoujiさんは、皆さんが会場に入って読経が流れ始まっても、ずっと一人立ったままだった。
「いいよ。オレ、立ってるの、苦にならないんだ」と笑って応えたsyoujiさん。
syoujiさんは式の間中ずっと直立不動の姿勢だった・・・。

 家に帰って、syoujiさんはkeikoさんに話しながら涙を流した。
「(仮釈放で)出てきて初めて経験する身内の別れのような気がする」って。
子どもの頃から、本当にかわいがってもらった事、事件に巻き込まれたときNさんにも大きな迷惑をかけてしまったのに、警察でかばってくれた事、その後29年、自分の知らないNさんだったが、とにかく自分にとっては大事な人だった・・・。仮釈放で出てきて挨拶に行き、その後も何度か会って話したけれど、自分にとっての存在は同じだった・・・と。

 話を聞きながら、keikoさんは、子ども頃のsyoujiさんがNさんやNさんの家族とどんな時間を過ごしてきたのか想像していた・・・。
戦後の、まだみんなが同じくらい貧しくて、隣近所が家族のように暮らしていた時代の幼かったsyoujiさんの姿を・・・。
何が原因でえん罪に巻き込まれるような流れの中に引き寄せられて行ってしまったのか・・・。
Nさんの家族は、守る会に入って現在もsyoujiさんの闘いを見守ってくれている「心強い味方」だ・・・。

 keikoさんも、最近行くたびに親戚の人などと話す機会が多くなって、
「あの頃はね・・・」「あの時はね、・・・」と
いろんな「知らなかった時代の話」を聞くようになってきた。
いつの間にか、keikoさんもsyoujiさんと同じように、地域に溶け込み、地域の一員として受け入れてもらっていることを実感する。

 syoujiさんとお墓の話もしながら、「不自然でなく話せる」ようになっていることをkeikoさんは感じていた・・・

紫陽花、大好き?

2007-07-01 | 日記
 keikoさんが、紫陽花を玄関に飾った。
今年も紫陽花の季節がきたって・・・。

 今よりずっと若かったころ?、ずっと元気?だったころ、そう、あの頃…。
keikOさんは紫陽花が嫌いだった。あまり好きじゃない…そう言っていたんだ。
それは、色を変えて咲く、そのことが好きになれなかった、なぜか許せない・・・そんな気持ちになっていた。
世の中には、白と黒しかないようなきゅうきゅうとした考え方で生きていたころのことだ。
中間で、あいまいがあっていいのに、それが許せないようなそんな四角四面の考え方しか出来なかった頃のことだ。

 だけど・・・
人生の挫折みたいなことになって・・・
ベランダの鉢植えのアジサイが小さな蕾を持って、すこしづつその蕾が色づいてきて・・・
毎朝、早起きしては水を遣り、眺めていたら、いつの間にかしっかりと自分に向かってはっきりと優しいパステル色のその姿を見せてくれている、そんな風に思えたとき、keikoさんの張り詰めていたものが解けてきて・・・。
その優しい色と、色づいた花がたくさんの仲間と一緒に寄せ集まってさらに美しく咲いている姿になぜか涙がこぼれて仕方がなかった・・・。

 keikoさん、張り詰めていたものがなぜか解けていくようだった・・・。
あの時の、あの紫陽花・・・
だから、というより、その後、きっとkeikoさんが変わったんだろうね。
中間があっていいんだって・・・。
自分と違うものをちゃんと受け入れられるようになったんだ・・・。
生きていくことが楽しくなったんだ・・・。

 紫陽花が好き!そう思えるようになってもう長くなったね・・・
今年の紫陽花は今までになく、美しい・・・
毎日、そう思ってあちこちで出会う紫陽花の前で視線の止まる今年のkeikoさんです。