えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

またまた最優秀賞です!

2011-10-14 | 日記
現在授賞式が進行中です・・・

何の?って・・・

釜山国際映画祭に「ショージとタカオ」の作品を持って、映画祭に挑戦した井手監督。

今度は、「アジア部門・最優秀賞ドキュメンタリー賞」です!!


(画像は日本TVさんから拝借!)



実は、昨日まで現地にいた私。
上映されたのは、7日と、11日の2回。
どちらも、監督が思ったようには観客は多くなかったので、実は監督も私たちも元気をなくしていたのです(今だから言えること・・・)
ツイッターも正直できませんでした。
でも、観てくれた人たちに確かに何かが伝わっている、という事は実感できたのですが、やはりほかの会場と比べると寂しい状況でした。
ドキュメンタリーというのは、関心を持ってもらわなければ人は観てくれません。
その意味では、宣伝不足が大きな原因だったのかな、と思いました・・・。
監督も「サブタイトル」が必要だったな・・・と。

それでも、昨日、優秀な10作品に選ばれたと言う情報は得ていました。
それだけでも、すごい!と思いましたが、
受賞できたらいいな・・・と、思いながら私は昨日皆さんより一足先に帰国の途につきました。

そしたら!
何と、何と最優秀賞ですって!!

ヤッター!

すごいことですよね。

現地での授賞式、記念パーティは今も盛大に、華やかに続いていると思います・・・。

井手監督、おめでとうございます!!

皆さん、見逃した方、これからでも機会がありましたらぜひ、ぜひ観てください。お願いします。



釜山国際映画祭2

2011-10-14 | 日記
→つづき







上映時間は2時間半を超す。
午後7時に開始して、上映だけでも9時半を過ぎてしまう。
その後の「Q&A」にどれだけの方が残ってくれるのだろうか・・・?

そんな不安を持ちながら映画の進行を見守る。

日本で必ず「笑いが出るところ」で、同じように笑ってくださっていることにホッとしたり、静まり返った空気に
「何を感じて下さっているのだろうか」と一喜一憂しながら見守る・・・。

会場に足を運んでくださった人数を見たら、決して多くない。
一人も途中で帰らずに最後まで観ていただきたい、祈るような思いが私の中にあった・・・。

上映が終わり、静まり返る会場。
マイクを持った方(Q&Aの進行担当者・・・大学でドキュメンタリーの講義をしている方だとあとで紹介を受けた)が、流暢な韓国語で会場に残った方に語りかけ、質問を促した(実際には解説とご自身の感想を述べられていた。それだけ、この方の関心をひきつけていたことが窺い知れた)
会場から、井手監督に、
「どんな目的でこの映画を作ったのか?」
「15年追い続けた原動力は?」
「政治や司法への訴えの形になっていないのは?」
私たちには、
「なぜ、こんなに長い間支援を続けられたのか?」
「撮り続けられることに抵抗はなかったか?」
などの質問があり、そして、

「この人たちは、日本の優しい人たちに支えられ、無実を晴らすことができて本当によかった」(日本人はそんなに優しい人ばかりなのか?)

という感想もあった。

「感動しました」と、井手監督と名刺交換されて、長く話されている人もいた・・・。

(Q&Aの前半は、日本語通訳がされず、ほとんど理解できないまま進み、正直、正確な内容は把握しきれていません・・・すみません)

でも、でも、でも・・・
熱心に質問する人、聞いて下さる人・・・
会場に残った約30人の方は、席をはずすことなく午後10時半、時計を見て「この辺で・・・」と言うまで、熱心に質疑応答に参加してくださった。

会場を出ると、ほかのドキュメンタリー部門はすでに終了していて、静かな夜の会場を私たちは後にした。

進行を担当された女性が、井手監督に何やら話しかけていた。
自己紹介と映画への感想、共通のドキュメンタリー映画の話題だった・・とか後で聞いたが、その時の彼女の
「ウエスタン」「パーティ」などの英語が耳に入った。
どうやら、映画祭関係者の「今日の打ち上げパーティが10時半からやっているのでに参加しないか?」ということらしい。
私たちは、用意された車で会場まで案内され、その場に合流。

時間は11時を過ぎていた。
海辺に面した確かにウエスタン風のデッキに、各国の人たちが思い思いに参加、交流。
料理、アルコール、音楽、夜景を楽しむ「映画祭の一夜」が繰り広げられていた。

・・・・・・・・

私が触れた映画祭は、ほんの一部だったが、国が、釜山市が、街全体が映画祭を盛り上げていることを感じた。
映画祭を運営する人たちは約50人。この人たちが、通年、開催のための仕事をし、映画祭期間中は約500人のボランティアが活躍しているという。
若い人たちが、通訳、会場担当、シャトルバス、公式送迎車の運転手などなどなど、生き生きと映画祭を支えていることが、いたるところで見受けられた。

・・・・・・・・・・・・・

井手監督のおかげで、不思議な?貴重な時間を過ごさせていただいたことに感謝を申し上げます。
そして、少々とんちんかんの私をフォローし、同行してくださった山川さん、現地でお世話になったMさん、Nさん、
本当にお世話になりました。

現地で撮っていただいた写真を見て、夫が言いました。

「釜山の空気があんたには合ってたのかな。いい写真だね」と。

本当に、釜山、好きになりました。
空いた時間は、Mさんの案内でいろんな所まで地下鉄で移動し、釜山の街中などいろんな場所を案内していただきました。
地理感覚も、少し養われ?ました。

もう一度ゆっくり行きたい場所のひとつになりました。
                      (2011.10.22記)




釜山国際映画祭

2011-10-14 | 日記


釜山国際映画祭で「ショージとタカオ」が出品、上映されると聞いて守る会の山川さんと行って来ました。
この映画とともに、井手監督はどんどん前に歩いて行く。
新たな活躍の場所を切り開いていく、そんなことを実感した今回の釜山行きでした。

映画祭で上映されたのは2回。
一度目の上映が7日に済んで、監督は釜山滞在中だったが、東京で布川守る会(解散)総会があるからと、一時帰国された。
そして、2度目の上映は総会翌日の11日の夜、ということで再び釜山に戻る井手監督に私たちが同行するという形をとらせていただいた。

何の心の準備もないまま「ついて行けばなんとかなる」と思って出発した私は、やっぱりお二人に依存度100%状態・・・。
出国直前に、語学留学のため釜山在住のMさんを札幌弁護士会のO先生にご紹介いただいたことで、それも私の緊張を解いてくれる大きな要因でもあった。

でも、でも、今だから話せること・・・。

井手監督が最初に連れて行ってくれたところ、現地でMさんと待ち合わせていた場所が映画祭のメイン会場だったことを帰国日の朝に私が口にしたことで、大笑いになった。


(これは、リーフレットに紹介されていたメイン会場の夜景。昼に、この下を歩いたからってわかりません・・・よね)

それくらい、私は、初日、何を目的に、どこを歩いていたのか、まるでちんぷんかんぷんだったということだ。
そして、それはそれくらい建物自体が大きなものだったということなのだ(目的意識の薄かった証拠ですが・・・)

午後に釜山に入り、まず空港からリムジンバスで移動。
韓国の最南端?で、海に面した位置に建つ海南台のホテルに入り、その後、監督に案内されるままについて行って・・・。

Mさんとその友人が待っていてくれた。
お願いしていた韓国語に翻訳した「布川事件とは」のチラシを、いただき、
「食事を軽くしてしまいましょうか」となった。
聞くと、上映開始時間は午後七時、とのこと。
Mさんたちの案内で、おすすめの「チジミ」を食べながら、自己紹介。
Mさんも友人のNさんも「とってもいいひと」の印象・・・。

ドキュメンタリーの上映は、メイン会場とは別に、デパートのフロアーにある大きなシネマコンボックスのようなところ。
それぞれの会場で、それぞれの作品が同時に上映される。
観たい人はその会場へそれぞれ入って観るということらしい。

少し早めに会場に向かったが、関係者のはずの私たちも係員の指示で直前まで入ることができず、観客と一緒に並んで開場を待った。セキュリティが厳しく、私と山川さんはどこまでも「井手監督のスタッフ」ということで行動。
どれくらいの人が来てくれるのか?と列を振り返りながら待つ状態・・・。
そこに、偶然MさんとNさんが通っている学校の先生(韓国の方。日本語もできるすてきな女性教師)を彼女たちが見つけて大はしゃぎ。
こちらも元気を頂くきっかけとなった。
そこで、みんなで記念撮影!

会場に入ったら、さっそく私と山川さんは、準備していただいた英語と韓国語に訳した「布川事件とは」のチラシを来場者に配った。
井手監督が
「サブタイトルが必要だった。『ショージ』『タカオ』と言っても、人名なのか何を意味するのか、タイトルだけでは外国人には関心を高めてもらえない」
と言っていたのが心に引っ掛かっていて、少しでも映画の内容、意図するものを解っていただきたいと、一人ももらさずチラシを配りたいと思いながら・・・。

                         → つづく