→つづき
上映時間は2時間半を超す。
午後7時に開始して、上映だけでも9時半を過ぎてしまう。
その後の「Q&A」にどれだけの方が残ってくれるのだろうか・・・?
そんな不安を持ちながら映画の進行を見守る。
日本で必ず「笑いが出るところ」で、同じように笑ってくださっていることにホッとしたり、静まり返った空気に
「何を感じて下さっているのだろうか」と一喜一憂しながら見守る・・・。
会場に足を運んでくださった人数を見たら、決して多くない。
一人も途中で帰らずに最後まで観ていただきたい、祈るような思いが私の中にあった・・・。
上映が終わり、静まり返る会場。
マイクを持った方(Q&Aの進行担当者・・・大学でドキュメンタリーの講義をしている方だとあとで紹介を受けた)が、流暢な韓国語で会場に残った方に語りかけ、質問を促した(実際には解説とご自身の感想を述べられていた。それだけ、この方の関心をひきつけていたことが窺い知れた)
会場から、井手監督に、
「どんな目的でこの映画を作ったのか?」
「15年追い続けた原動力は?」
「政治や司法への訴えの形になっていないのは?」
私たちには、
「なぜ、こんなに長い間支援を続けられたのか?」
「撮り続けられることに抵抗はなかったか?」
などの質問があり、そして、
「この人たちは、日本の優しい人たちに支えられ、無実を晴らすことができて本当によかった」(日本人はそんなに優しい人ばかりなのか?)
という感想もあった。
「感動しました」と、井手監督と名刺交換されて、長く話されている人もいた・・・。
(Q&Aの前半は、日本語通訳がされず、ほとんど理解できないまま進み、正直、正確な内容は把握しきれていません・・・すみません)
でも、でも、でも・・・
熱心に質問する人、聞いて下さる人・・・
会場に残った約30人の方は、席をはずすことなく午後10時半、時計を見て「この辺で・・・」と言うまで、熱心に質疑応答に参加してくださった。
会場を出ると、ほかのドキュメンタリー部門はすでに終了していて、静かな夜の会場を私たちは後にした。
進行を担当された女性が、井手監督に何やら話しかけていた。
自己紹介と映画への感想、共通のドキュメンタリー映画の話題だった・・とか後で聞いたが、その時の彼女の
「ウエスタン」「パーティ」などの英語が耳に入った。
どうやら、映画祭関係者の「今日の打ち上げパーティが10時半からやっているのでに参加しないか?」ということらしい。
私たちは、用意された車で会場まで案内され、その場に合流。
時間は11時を過ぎていた。
海辺に面した確かにウエスタン風のデッキに、各国の人たちが思い思いに参加、交流。
料理、アルコール、音楽、夜景を楽しむ「映画祭の一夜」が繰り広げられていた。
・・・・・・・・
私が触れた映画祭は、ほんの一部だったが、国が、釜山市が、街全体が映画祭を盛り上げていることを感じた。
映画祭を運営する人たちは約50人。この人たちが、通年、開催のための仕事をし、映画祭期間中は約500人のボランティアが活躍しているという。
若い人たちが、通訳、会場担当、シャトルバス、公式送迎車の運転手などなどなど、生き生きと映画祭を支えていることが、いたるところで見受けられた。
・・・・・・・・・・・・・
井手監督のおかげで、不思議な?貴重な時間を過ごさせていただいたことに感謝を申し上げます。
そして、少々とんちんかんの私をフォローし、同行してくださった山川さん、現地でお世話になったMさん、Nさん、
本当にお世話になりました。
現地で撮っていただいた写真を見て、夫が言いました。
「釜山の空気があんたには合ってたのかな。いい写真だね」と。
本当に、釜山、好きになりました。
空いた時間は、Mさんの案内でいろんな所まで地下鉄で移動し、釜山の街中などいろんな場所を案内していただきました。
地理感覚も、少し養われ?ました。
もう一度ゆっくり行きたい場所のひとつになりました。
(2011.10.22記)
上映時間は2時間半を超す。
午後7時に開始して、上映だけでも9時半を過ぎてしまう。
その後の「Q&A」にどれだけの方が残ってくれるのだろうか・・・?
そんな不安を持ちながら映画の進行を見守る。
日本で必ず「笑いが出るところ」で、同じように笑ってくださっていることにホッとしたり、静まり返った空気に
「何を感じて下さっているのだろうか」と一喜一憂しながら見守る・・・。
会場に足を運んでくださった人数を見たら、決して多くない。
一人も途中で帰らずに最後まで観ていただきたい、祈るような思いが私の中にあった・・・。
上映が終わり、静まり返る会場。
マイクを持った方(Q&Aの進行担当者・・・大学でドキュメンタリーの講義をしている方だとあとで紹介を受けた)が、流暢な韓国語で会場に残った方に語りかけ、質問を促した(実際には解説とご自身の感想を述べられていた。それだけ、この方の関心をひきつけていたことが窺い知れた)
会場から、井手監督に、
「どんな目的でこの映画を作ったのか?」
「15年追い続けた原動力は?」
「政治や司法への訴えの形になっていないのは?」
私たちには、
「なぜ、こんなに長い間支援を続けられたのか?」
「撮り続けられることに抵抗はなかったか?」
などの質問があり、そして、
「この人たちは、日本の優しい人たちに支えられ、無実を晴らすことができて本当によかった」(日本人はそんなに優しい人ばかりなのか?)
という感想もあった。
「感動しました」と、井手監督と名刺交換されて、長く話されている人もいた・・・。
(Q&Aの前半は、日本語通訳がされず、ほとんど理解できないまま進み、正直、正確な内容は把握しきれていません・・・すみません)
でも、でも、でも・・・
熱心に質問する人、聞いて下さる人・・・
会場に残った約30人の方は、席をはずすことなく午後10時半、時計を見て「この辺で・・・」と言うまで、熱心に質疑応答に参加してくださった。
会場を出ると、ほかのドキュメンタリー部門はすでに終了していて、静かな夜の会場を私たちは後にした。
進行を担当された女性が、井手監督に何やら話しかけていた。
自己紹介と映画への感想、共通のドキュメンタリー映画の話題だった・・とか後で聞いたが、その時の彼女の
「ウエスタン」「パーティ」などの英語が耳に入った。
どうやら、映画祭関係者の「今日の打ち上げパーティが10時半からやっているのでに参加しないか?」ということらしい。
私たちは、用意された車で会場まで案内され、その場に合流。
時間は11時を過ぎていた。
海辺に面した確かにウエスタン風のデッキに、各国の人たちが思い思いに参加、交流。
料理、アルコール、音楽、夜景を楽しむ「映画祭の一夜」が繰り広げられていた。
・・・・・・・・
私が触れた映画祭は、ほんの一部だったが、国が、釜山市が、街全体が映画祭を盛り上げていることを感じた。
映画祭を運営する人たちは約50人。この人たちが、通年、開催のための仕事をし、映画祭期間中は約500人のボランティアが活躍しているという。
若い人たちが、通訳、会場担当、シャトルバス、公式送迎車の運転手などなどなど、生き生きと映画祭を支えていることが、いたるところで見受けられた。
・・・・・・・・・・・・・
井手監督のおかげで、不思議な?貴重な時間を過ごさせていただいたことに感謝を申し上げます。
そして、少々とんちんかんの私をフォローし、同行してくださった山川さん、現地でお世話になったMさん、Nさん、
本当にお世話になりました。
現地で撮っていただいた写真を見て、夫が言いました。
「釜山の空気があんたには合ってたのかな。いい写真だね」と。
本当に、釜山、好きになりました。
空いた時間は、Mさんの案内でいろんな所まで地下鉄で移動し、釜山の街中などいろんな場所を案内していただきました。
地理感覚も、少し養われ?ました。
もう一度ゆっくり行きたい場所のひとつになりました。
(2011.10.22記)
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