空華 ー 日はまた昇る

小説の創作が好きである。私のブログFC2[永遠平和とアートを夢見る」と「猫のさまよう宝塔の道」もよろしく。

道元とマルクス

2023-04-07 14:42:11 | 芸術
道元の考えの核心に触れるには正法眼蔵を読まなくてはなりません。私が四十年前に書いた小説の中に、そういう場面を発見し、自分でも驚いたのですが、少し直しても読者に分かりやすくなっているのか、疑問です。この場面をさらに、面白く読めるようにこれからも、座禅をして正法眼蔵を読み、この場面をさらに面白く読めるように、工夫しなければと思いましたが、今は退院したばかりということで、このレベルで掲載しました。



道元とマルクス 【ショートショート】

「彼女はマルクスの資本論も読んでいる様な女性だからね。頭の良い女だと思うよ。人間は面白いがあの莫大な資産が彼女を駄目にする」
 その時、露野はキリストの言葉を思い出した。金持ちが天国に行くのは駱駝が針の穴を通り抜けるよりも難しいという昔 覚えた文句だ。これは真の信仰生活には莫大な財産が邪魔になることを教えたものであろう。しかし岩村の言葉はそうした宗教を否定するマルクスの立場から言われたものなのに不思議にこのキリストの言葉と一致することが露野にある新鮮な驚きを与えた。
「そうかね」
「君の思想のその曖昧さは困るな。エコロジストにはそういう曖昧さがあるね。資本主義というのはやはりマルクスの指摘したように資本家と労働者の対立というのがあるのさ」その岩村の言い方にはちょっとトゲがある様な気が露野はした。岩村の強い性格から自然、ほとばしりでたのだからそこに悪意はないのは分かる。しかし、露野のことをエコロジ
ストと断定したのはちょっと不愉快だった。彼はその様な形で自分が分類されてしまうことを警戒した。確かに科学技術の発達よりも大自然との調和の中でこそ、人間らしい生活が出来るのだといい地球の環境保護を声高らかに叫ぶエコロジストの主張には共鳴する所が多い。しかし、そういうことは今や多くの人達の声になっているのであって、ある特定のグループだけの言い分ということでもないと思う露野はちょっと不服だった。
「確かに君の言う通り、政治経済的には対立があるかもね。でも仏教が教える様にあらゆるものに仏性があるということから考えれば人間としては平等だし、そこでは対立もなく慈愛によって結ばれねばならないのでは?」
露野はそう言いながら仏性とは何かという難しいことを説明しなければならないという予感がした。
「僕はこの頃思うのだけれど道元左派を自分の信条にしようかと考える様になっている。どう思う?」
露野にとって禅の大家、道元は近頃しだいに尊敬の対象になりつつあった。
「何だい?その道元左派というのは?」
「つまり 十八世紀のドイツにヘーゲル左派というのがあってここからマルクスが出てきたよね」
「ああ、それは知っている」
岩村はヘーゲルの逸話をうろ覚えであったがふと思い出した。後世に影響を与えた哲学書を執筆している時、窓の外を通る馬上のナポレオンを見て、あの人物こそ神の様な絶対精神の現われだとヘーゲルが考えたという話である。何かの本で見た馬上の凛々しいナポレオンの姿が岩村の瞼に浮かんだ。
 露野の方は自分の信条を説明することで頭が一杯だった。
「つまり僕は日本の鎌倉時代に出た禅宗の偉大な思想家である道元にマルクスを結合させたら良いと思ってね。これをヘーゲル左派を真似して道元左派と呼んでみたのだ。というのは今の日本で道元を熱心に勉強している人達には政治的に保守に傾く傾向がある。
これはおかしなことだ。道元は権力を嫌ったことでも有名なのだ。
それで僕はあえて道元にマルクスをプラスすることによって道元の様な禅宗の思想から政治的には革新を生み出したいのだ。
へーゲルの絶対精神の考えも、道元の「物は仏性の現われ」というのと似ている。似ていないのは仏性という実体はない。無と言っているところだ。そこのところを「無仏性」と道元は言っている」
 露野はこれこそ真理に至る道であると思う様になっていた。先程のキリストの文句が再び彼の心に響いた。確かに人はこの世の名誉、財産を捨て 逆境に耐えぬくことによって真理発見のチャンスに恵まれる。真理とは仏性であり、神仏であり、法である。
仏性とは輪廻転生して、多くの人生の中で修行して仏になる性質というそれまでの、考えを捨てたのが道元である。座禅した姿がすでに、この世で、仏であるという革命的な考えを打ち出したのである。
『幸いなるかな。心の貧しき者、その人は天国を見ん』というキリストの言葉が突然 理解出来た様に露野には思えた。人はその人の生きている位置によって人生の見方が変わるのだし、貧しさと逆境こそ真理に最も近いというというのは 案外本当かもしれないと思った。
 彼は応接室のソファーで近頃 花瓶に飾られた石竹の花を見た。あの時は気付かなかった美が今 哲学談義に移ろうとした時、不思議な美の光線をまきちらしたようだった。心の状態が変わると花も違って見えると思った。

「それは面白い。しかし僕には禅宗というのは分からない。説明してくれよ」
「道元は人間というのは本来 永遠のいのちである仏性が現われたものであると、言っているのだと思うがね」
「その永遠のいのちである仏性というのが分からない」
「僕だって分からないさ。ただ座禅していると何か自分というものが永遠なものに繋がっているという感じが朧気ながら掴めるような感じがしてきた」
「永遠なものね。芸術家の君としては分かることかもしれないが実務家の僕にはそういうことを理解するセンスが残念ながら欠けていてね」
露野はその通りと言いたかった。岩村の知性は鋭いが目に見えないで感じられるものには全く無能力であると思った。彼は『星の王子様』という童話で目に見えないものの中にこそ人生の素晴らしい宝があるのだという様な会話がなされているのをふと思いだした。そして岩村にはそれを感ずる能力がないのだと思った。岩村の反論を予想しながら露野は言った。
「永遠のいのちである仏性というのは最近思うのだが無ではないかと思うようになったよ」
「無って何も無いことだろう。ということは永遠のいのちも無いのではないのかね」
 岩村はそう言って皮肉な笑いを浮べた。露野は岩村にも一理あると思った。無というのは確かに考えれば考えるほど分からなくなる。無にはおそらく素晴らしい秘密があって人間の知性が介入することを拒んでいるのに違いない。目の前の石竹の花もその赤と白の斑の色とかれんな花びら以上の何かを語っている。つまり秘密がある。薔薇の中に神を見ると言った詩人がイギリスにいた様に記憶しているが無の中にも神仏あるいは法としかいいようのない存在がおられるのではないかという考えを露野は持つ様になった。確かに、この無は理解しにくい。ただの何もない無ではなく、この森羅万象を生み出す生命エネルギーを秘めているのだから。


「こう考えてみたらどうかな?無というのはプラスの無限のエネルギーとマイナスの無限のエネルギーが結合している状態なのだ。結合しているから何もない状態で無としかいいようがない。男と女が合体して法悦状態になっているのが宇宙の無の例えとして面白いのでは?」
 露野はにやりと笑った。たとえが少し適当でなかったという思いと良いたとえだという満足感が交錯した。そしてふとロミオとジュリエットの映画を思い出した。敵同士の名門貴族に生まれた二人が大きな障害を乗り越えて愛によって結ばれた朝の印象的な場面だった。朝を告げるひばりが鳴いているとロミオが言うとジュリェットがあれは夜 鳴くナイチンゲールだと言う。敵を殺したロミオにとって昼間になれば捕らわれ、死刑にされるかもしれないので逃げなければならない。ジュリェットは恋人を永遠に引き止めておきたい。窓の外で鳴く小鳥の声がひばりなのかナイチンゲールなのか会話する二人の愛が激しい
だけにそれを引き裂こうとする運命の力も衝撃的だ。ロミオとジュリエットが愛で結合している時は殆ど無を味わっているといっても良い様な幸せの絶頂であろう。その無に亀裂が走る。朝が来て、ひばりが鳴く。悲劇の始まりだ。そして人生の創造でもある。まさに宇宙も無から神のような力によって創造されるのだと露野は思った。
「そして男がそのほうえつ状態から起きだして朝の窓の外を見ると外には森や池の金魚が目にうつり小鳥がざわめいている。女は着替えをし、朝の食事の用意をする。そして一日が始まる。ちょうどその様に宇宙の無もプラスかマイナスかがこの無の法悦状態から何かの拍子で動きだす。そしてこの波紋は大爆発となる」
「君は独身なのにそういう例えがうまいね」
岩村は静かに笑った。


「僕はマルクスを信奉する者だからこの無限のエネルギーを持った無というのは物質と考えても良いのかね」と岩村は露野の瞳をのぞきこむようにしてそう言った。
「無は無限のエネルギーを持っているのですからね」
露野は難しく厄介な問題だという気持ちになって、ベートーヴェンに影響を与えたと思われるスピノザの言う「神」を思い出し、黙りこくり羊かんを口に入れた。少しの間 その沈黙が続いた後、露野は視線を羊かんから岩村に向けた。岩村は微笑していた。
「そこが難しいんだよ」と露野はちょっとおおげさに声を張り上げて言った。「無は意識の中にもあるのですよ。むしろ意識こそ無の存在の生き証人ともいえます」
露野はそう言い終えてから、自分の『無』の説明では聞いている相手に何がなんだか分からない気持ちを与えるかもしれないと思った。『無』よりももっと適当で良い言葉が見つかればと考えた。
「そうした考えは意識に魂の様な特別の地位を与えることで僕は納得できない」と岩村は言った。意識や心というものに宇宙の中心的役割を与えることは死の恐怖に対する一種の逃避であると岩村は考えていた。大自然こそ主人公であり、人間の意識はそこから作り出されたものであるという考えに彼は立っていた。しかし露野は心と大自然の奥底に同一の無という土俵があるのだと考えているようだった。岩村はその考えに好意を持たなかった。露野は宗教という罠にひっかかっているのだと思った。しかしこれは永遠のテーマで露野の考えを間違っていると断定する勇気は岩村にはなかった。
 

露野は多くの知識から解放され、明珠市の自然のような無垢の魂を漂わす岩村理香子夫人の感触を思い出した。あの時、彼女と自分が一体になった様な一瞬があったと思われた。夫人も自分も仏性の現われであるけれど、二人が分離されている時は仏性としての無を体験することは出来ない。二人が深い愛によって結ばれた時 宇宙と一体になり 神や仏性を知る。神は愛なりというではないかと彼は思った。 これは相手が恋人でなく、花や蝶や星でも良い。薔薇の花を見る。花を自分とは違う存在として乱暴に扱っている時は神や仏性は分からない。花を愛し、精神的に一体になると花と人間という風に分離されているものが克服され、その時 仏性や神が現われるに違いないと思った。


「結論めいたことを言うと、道元はね、人間を含んだ全ての物、花や蝶 星そして光にもこの永遠のいのちである仏性があると言ったのだよ。つまり無があるとね」
「ちょっと待ってくれ。こだわるけどそこの所が大変 理解しにくい。無があるという君の言い方に矛盾がある。無は何もないのだろう。それをさっきから君は無限のエネルギーを持つ無だの、永遠のいのちという無があるだの言っている。おかしな矛盾した言い方であるような気がする」
「ハハハ。なるほど僕も分からなくなってきたよ。ともかくこの道元とマルクスを結びつけて道元左派の文学をつくろうと考えている所なんだ」
「分かったよ。君の言いたいことは朧気ながら掴めた。そうした文学を創造したいという君に敬意を表するよ。今晩は少し、飲むか」
露野は目をあけて酒を誘う岩村を見た。
「そうだな」
 露野はそう言って淡い後悔の様な胸の痛みを感じた。夫人と離れねばならないことを思い出したからかもしれない。
「よし、今晩の夕食にはたっぷり酒を出そう」
岩村がそう言った時、露野はほっとした。


 露野 耕三は岩村夫人に対する複雑な感情の整理がつかないままに出ていく気になれなかった。といってこの館のこの部屋にこれ以上いるのは彼の心の罪の意識が許さなかった。夫人に対する恋慕の情は今や彼の罪の象徴だった。館にこれ以上とどまることは毎日、この罪に心身をさいなまれる様な気がして耐えられない気持ちだった。。
 彼はそこでかねての予定通り明珠市の中心地にあるマンションを借りてそこに住むことにした。そこは聖ハレルヤ教会の裏通りに面した通りにある2LDKの赤い色をした小型のマンションだった。二つある部屋も居間もスペースが広く、彼は満足だった。三階にあるため、窓から教会の敷地がよく、見える。その向こうに寺院と青空の会の本部の建物も見える。
 そこに住んだのはやはり理香子が教会に日曜日 来ているのだから、会えるチャンスも多いだろうという期待も働いていた。
そこに住んでから半月ほどしたある土曜日の夕方、夫人が突然マンションを訪ねてきた。彼はびっくりして中へ通した。
「これから聖書研究会が始まりますの?いらっしゃいません」と夫人は言った。先週の土曜日にも来たのだけれど留守だったということも夫人は付け加えた。
 露野はかなりどきまぎしていた。
「特定の宗教を信ずるのではなくて、東西の思想の融合の中から、新しい哲学を見出だすという青空の会の方に共鳴していますから、そういう場に出席するのはなにかひやかしに行くみたいでよくないと思うので」
彼は自分がひどく緊張しているのを感じていた。殆ど機械的にそんな風に喋った。
「土佐 五郎さんも毎週いらしてますのよ」
「五郎君が?」
露野は意外な感じがした。
「五郎さんが今度お父様のあとをついで、社長さんになられて私どもの方に御挨拶に来ましたのでその時、私が教会の方にいらっしゃる様に言いましたらさっそく半月ほど前から通うようになりましたのよ」
露野は五郎の社長就任については知っていた。ここのマンションに来てから十日程して、挨拶に来たからだ。
理香子は窓の所に立って「見晴らしがいいわね。教会の敷地がよく見える。時々、来ようかしら」と言った。そして軽く笑った。その心地よい笑いはピアノソナタのように部屋の中に響いた。
「はあ、どうぞ」
そうは言ったものの、彼はどう考えてよいのか見当がつきかねた。これは誘惑なのだろうか。キリスト者として厳格なしつけを父君から受けたと言った人の言動とは思われない。とすると、自分をためしているのだろうか。それともその両者の中間の所でスリルを楽しんでいるのであろうか。彼は彼女をまともに見るのが怖い気がした。胸の膨らみや赤い唇が彼を酔わすことを恐れた。
「ねえ、露野さん、今度新しく来た牧師さんはフィリピン人なのよ」
「フィリピン人?牧師が変わったんですか」
「そうなの。そしてとても変わったお説教をするのよ。あたしは詳しいことはわからないけど、なんでも『解放の神学』とかいってとても魅力的な話をする方よ。露野さんならきっと興味を持つと思って」
「解放の神学ですか。興味ありますよ。僕もちょっと本などで得た知識しかありませんから」
 露野は急にその牧師の話を聞く気になった。
彼は彼女の白い首筋を一瞬 見たあと、「行きましょう」と言った。
彼女は目を輝かした。
彼が窓を閉めたり、電気を消したりする間、彼女は台所や書斎を興味深かげに見ていた。 彼女の案内で正門から花壇に取り囲まれた石畳を通り、一番大きな建物の脇の道をぬけて小さくしょう洒な建物の中に入った。
時計は五時少し前で既に十五人近い人が椅子に腰かけて円陣を作っていた。露野はすぐに五郎と目があった。  
 露野は土佐の横にあいていた席に座った。夫人は左側の少し離れた空席に座った。
「ここに来るのは始めてですか」と土佐は言った。
「うん、始めてだ。岩村夫人に誘われてね」
「マンションの住み心地はどうですか」
 土佐はこの前、社長就任の挨拶に来た時も同じことを言ったと露野は思った。
「うん、良いよ。所で社長の仕事の方は順調に行っているかい」
「ええ、社長といっても十人ほどしか従業員がいないんですから」
その時、正面にいた牧師が声を上げた。
「皆さん、そろそろ時間になりましたので今日の聖書研究会を始めたいと思います」
上手な日本語ではあったが明らかに外国人だと分かるなまりがあった。露野よりは十ほど年が上の感じがした。見事な口髭をはやしており、目は温和であったが、底の方に光るものは何か鋭いものが隠されているようだった。

 牧師は露野を紹介したあと、露野を意識したのか解放の神学の核心に触れた所を話した。集まっている聴衆の中では自分が一番年上の様な感じがしたが一人だけ自分に近い中年の紳士が会社帰りなのか背広姿のまま出席していた。
 露野は牧師の話が内容が高度であるけれども、既に自分が考えたり本を読んだりしてきた範疇に入っているもので特に目新しいものはなかったがフィリピンの故国に触れた所はさすがに迫力があった。
 『さいわいなるかな。心の貧しき者、その人は天国を見ん』というキリストの言葉がその牧師の話の核心だった。何も所有しない貧しい者こそ地上に天国を築く使命が神によって与えられると彼は熱弁をふるった。ラテンアメリカやフイリピンなどカトリックの強い所で信者達は新しい理想社会を夢みて、貧しく虐げられた人々の解放に立ち上がっていると話す牧師の目は輝いていた。



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