空華 ー 日はまた昇る

小説の創作が好きである。私のブログFC2[永遠平和とアートを夢見る」と「猫のさまよう宝塔の道」もよろしく。

森に風鈴は鳴る

2022-03-06 10:18:28 | 文化

「青春の挑戦」はさらに直し、以前に書いた「危機と大慈悲心」を延長した小説という形にして、推敲して、タイトルは「森に風鈴は鳴る」という小説に衣替えしました。
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その後、一か月が経過し、いくつかの不備が見つかり、
小説「森に風鈴は鳴る」はいくつも直しました。下記に重要な所のみ掲載します。これからも、直し、完璧を目指したいと思います。


細かい所を直したのは「大山道長」という人物の描写です。この人は強烈な個性の持ち主で、小説「危機と大慈悲心」で活躍させた人物ですが、「森に風鈴は鳴る」の完成版にまとめる時に「危機と大慈悲心」を半分に削って、完成版の最初の少年版にしたものですから、問題が起こりました。
新しい小説「森に風鈴は鳴る」では、大山道長の個性が弱くなり、登場機会も少なくなり、小説を盛り上げるのに、迫力を欠いてしまい、残念なことをしてしまったということを今、思っています。少々直しましたが、まだ満足ということではありません。

例】 亡くなった祖母は大山という男を知っていたろうか。彼は現代日本はニヒリズムに汚染されているからと言って、弱者救済のNPOに取り組んでいる。

ニヒリズムという言葉が一般化するのには、それまでの西欧のキリスト教的価値観を否定したニーチェやそれに影響されているカミュ(この方は最近のコロナの影響で、彼の書いた「ペスト」が読まれるようになったと報道されています)に発信源があるように思われているのでしょうが、今の日本に少なからず価値観の上で、薄いヴェールをかけているように思われます。
ですから、私の言うマナー倫理の崩壊の予兆を感じるようなことが起きていて、汚職、パワハラ・セクハラ・虐待・ネット中傷などに発展していると思っているわけです。金銭至上主義から来る経済格差もそうです。そういうことで、ニヒリズムは現代社会を見る上で重要ですけど、それを克服しようという動きも起きていますね。
今までにもNPOとかボランティアによる活動という善意の動きがありましたが、最近はSDGsとかドイツの哲学者マルクス・ガブリエルの「会社に倫理部をつくれ」という発言が心強いですね。
考える人は「今の人類に危機感を覚え」、どうしたら、克服できるか考えているわけです。
大山道長の尾野絵ユートピアNPO[ニヒリズム同盟]も私の小説の重要なポイントです。「平和産業」は私の小説の中心的なテーマになります。今までのようなやり方では平和は勝ちとれないのではないうかという疑問があるわけです。
ニヒリズムに対抗して、人類愛・福祉の充実・戦争の克服・地球を守るなどがテーマになるわけです。それが十分に書けているか、今後推敲する機会があるとすればそのあたりでしょう。


後編では、直したところを具体的に書きました。

【 悪夢】
「産軍共同体もあるぞ」
「彼らも人類が滅亡になれば、滅びるのだ。今やそういう人類の危機に陥っていることを悟るべきなのではないか。」

重要な所なので、下記のように直しました

「産軍共同体もあるぞ。国によっては。この力は大統領に圧力をかける存在でもあるという」
「彼らも人類が滅亡になれば、滅びるのだ。今やそういう人類の危機に陥っていることを悟るべきなのではないか。
産軍共同体が平和な商品をつくるように、あるいはつくりやすいような社会的環境を作ることが政府の政策だ。そういう政策をするように、働きかけるのが我らの平和産業だ。つまり、そういう世論ずくりのために、声を大にして叫ぶのだ。





後編の詩を直しました。【ここは「青春の挑戦」の17番に書いてあり、詩としては長すぎますので直しました】

(新しいpoem)
なにゆえに こころは 乱れ迷い 君を思う
銀河 霧深き天空の波さわぐ所
名も知れぬ巨木の幹の黒の黒き肌に
いくつもの緑の葉が糸のように天に伸びている

しなやかな枝の伸びゆく空間のあたりにすみれ色の音がして
銀河の天空もオオカミ族の亡霊に満ち、狂えり
折しも かなたの星々の野原の上は
珈琲のにおう不思議なオオカミ族の跡

名も知れぬ巨木の年輪の刻まれた太い幹に
りこうそうなリス一匹悲しき笛を持って立つ
珈琲から立ち上る白き蒸気はゆらゆらと幻となりて
そこに昔の雄々しき君ありし

春のさわやかな風が吹いているというのに、何故悪があるのか
我々は不死のいのちの海にいるのだ
山も森も川も不死のいのちの現われと聖人が言われたではないか
なのに、何故、悪があるのだろうか

花の色を見、小鳥のさえずりを聞きながら、森羅万象が真理であることを忘れ、宴会で騒ぎ立て、恐怖の武器を発達させていたオオカミ族よ、仏性そのものを見るのは自我を無にする修行が必要なのだ

虹が真実であり、幻のような夢も真実であるように、現実世界も幻のようなものでありながら、真実であり、みな不死の愛のいのちの現われだ。そのことを忘れたオオカミ族は悲しい

座禅をする。只管打座だ。あるいは瞑想。
身体と光と空気と風景は一体になる。法身の世界だ。
それすらせず、科学の繁栄した豊かさにおごり、その天の罰なのか、それは厳しかった
身体の内部はこくこくと変化しているけれども、
その見事で精緻な細胞は見事なからみあいの中で新陳代謝をおこない、生きている。
それ故にこそ、座禅の中で呼吸がいのちのシンボルとなる

そのことを忘れたオオカミ族は悲しい
銀河の天空もオオカミ族の亡霊に満ち
折しも、かなたの星々の野原の上は
珈琲の匂う不思議なオオカミ族の墓
ああ、栄光の日は過ぎ去り
幻影の亡霊となりて
あでやかに浮かび立つ悪の舞台
何ゆえにわが心かくも乱れ君を悲しむ
    

     


直す前の(古いpoem)

なにゆえに こころは 乱れ迷い 君を思う
銀河 霧深き天空の波さわぐ所
名も知れぬ巨木の幹の黒の黒き肌に
いくつもの緑の葉が糸のように天に伸びている

しなやかな枝の伸びゆく空間のあたりにすみれ色の音がして
銀河の天空もオオカミ族の亡霊に満ち、狂えり
折しも かなたの星々の野原の上は
珈琲のにおう不思議なオオカミ族の跡

名も知れぬ巨木の年輪の刻まれた太い幹に
りこうそうなリス一匹悲しき笛を持って立つ
珈琲から立ち上る白き蒸気はゆらゆらと幻となりて
そこに昔の雄々しき君ありし

春のさわやかな風が吹いているというのに、何故悪があるのか
我々は不死のいのちの海にいるのだ
山も森も川も不死のいのちの現われと聖人が言われたではないか
なのに、何故、悪だの亡霊だのがあるのだろうか

庭には、様々な形と色をした花が咲いている。
色々な形の昆虫がいる。蜜を集めに来ているようだ。
不死の愛のいのちは真理そのものだ
花も昆虫も大地も不死の愛のいのちの現われだ
オオカミ族が滅びたのは不死のいのちという霊性を見ようとしなかったからではないか

空には白い雲が流れ、鳥の鳴き声が聞こえる。
いのちの朝日と永遠の夕日の美しいこと。
あの赤と燃えるような色の混ざった神秘な色

そうだ、この世は色と形と音で埋まっている。
科学では、物に反射した光が目に入り、電気信号になり、
脳神経細胞の神経が波長の長さで色々な色を感覚とうけとめる。
そうしたクオリアは色だけでなく、形も音も同じ。

そんなありふれた説明は証明されたのだろうか

感覚器に送られた電気の波長を色と感ずるとしても、不思議なことではない
電磁波とハートをくっける魔法のノリは不死のいのちそのものだからだ。

確かに脳の電磁波がハートになるというのは大きな飛躍のように見える
オオカミ族はこの飛躍に混乱した

海も山も川もすべてのものが不死のいのちである。そのことを忘れたオオカミ族の末路は哀れだった
不死のいのちとは仏性であり、真理である。
全ての現象に、真理が現われているというのが昔の偉人が悟ったことだ。
不死のいのちがあってこそ、山や海や川などの森羅万象は現われる。
主客未分の世界、そこは一個の明珠で仏性という真理が現われている

だからこそ、ヴァイオリンの音楽はかくも燃えるのだ
音楽にあのような神秘な深みが生じるのだ。
だからこそ、花はあんなに美しいのだ。昆虫の蜜を集めるためのおびき寄せというのは理屈だ。
あの美しさは不死の愛のいのちの働きがあるからだ

花の色を見、小鳥のさえずりを聞きながら、森羅万象が真理であることを忘れ、宴会で騒ぎ立て,、恐怖の武器を発達させていた
オオカミ族よ、仏性そのものを見るのは自我を無にする修行が必要なのだ

虹が真実であり、幻のような夢も真実であるように、現実世界も幻のようなものでありながら、真実であり、みな不死の愛のいのちの現われだ。そのことを忘れたオオカミ族は悲しい

座禅をする。只管打座だ。あるいは瞑想。
身体と光と空気と風景は一体になる。法身の世界だ。
それすらせず、科学の繁栄した豊かさにおごり、武器を異常に発達させたその天の罰なのか、それは厳しかった
身体の内部はこくこくと変化しているけれども、
その見事で精緻な細胞は見事なからみあいの中で新陳代謝をおこない、生きている。
それ故にこそ、座禅の中で呼吸がいのちのシンボルとなる

そのことを忘れたオオカミ族は悲しい
銀河の天空もオオカミ族の亡霊に満ち
折しも、かなたの星々の野原の上は
珈琲の匂う不思議なオオカミ族の墓
ああ、栄光の日は過ぎ去り
幻影の亡霊となりて
あでやかに浮かび立つ悪の舞台
何ゆえにわが心かくも乱れ君を悲しむ
    
   

小説のラストの所を直しました。
「一切は神秘な虚空から創造され、そして又 虚空に戻る。この神にも匹敵する創造の働きは東洋では仏性と言われ、今も自分に働き、永遠に自分を創造していくだろう。彼はそう思った。もはや死は恐れる敵ではなかった。完」


上のラストの部分を下記のように変えました。

「一切は神秘な虚空から創造され、そして又 虚空に戻る。この神にも匹敵する創造の働きは東洋では仏性と言われ、今も自分に働き、永遠に自分を創造していくだろう。優紀は全てのものは不死のいのちが現われたものであるとお釈迦様の言われらたことに納得した。それ故、彼自身にも生と死があるが、優紀の本当の自己は不生不滅であると思った。確かに、彼はそう思ったのだが、はたして松尾優紀自身は本当にそのことを知ったのだろうか。


【完】
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