空華 ー 日はまた昇る

小説の創作が好きである。私のブログFC2[永遠平和とアートを夢見る」と「猫のさまよう宝塔の道」もよろしく。

映画「THe Birds」と詩

2020-12-30 10:34:01 | 映画「The Birds」と詩


 ヒッチコック監督の「The Birds」という映画を見たことがある。何故、見たか。私が鳥が好きだということと、前にヒッチコック監督の映画二本ほど見て、面白かったからである。
鳥が好きということに関して言えば、カラスが好きで、カラスを題材にして短編小説を書いたことがある。「森の青いカラス」というタイトルでアマゾンで百円です。カラスの大集団は、まだ東京の大きな公園で見ることが出来る。
それから子供の頃、伝書鳩を飼ったことがある。カモメは松島に行って船に乗った時、後ろの席にいたのだが沢山のカモメが船を追ってくるのには驚いた。顔は可愛いが、ケッコウ乱暴な所のある鳥らしい。
それでも、最近、ネットで多くの方が撮られる小鳥を見て、市街地に私の見たこともない可愛らしい小鳥が沢山いることに、感激したことがある。「銀河アンドロメダの猫の夢」という小説の最初に、登場させたカワセミは、二年前ぐらいに東京スカイツリーのそばの梅の木にとまっているのを見て、その素晴らしい小鳥ぶりが印象に強く残って書いたのである。

さて、映画の「The Birds」は見た方も多いと思うが、やはり優れものである。やはり、世の中には予想外のことが起きるものである、ということを感じさせる。
第一次世界大戦だって、最初はすぐ終わると、多くの人が思っていた。それが、フランスとドイツの塹壕戦だけで、二百万人の若者が無残な死に至る恐ろしいことになると、誰が予想したろうか。あの時点で、それまでのヨーロッパの素晴らしい文化を支えていた価値観の根幹が破壊されたのである。
私の生涯で、それに近いのは東北大地震と福島の事故。それに、今回のコロナだな。報道を見ているだけで、体調の悪いこともあって、死のイメージがちらつくこともある。免疫力をつけようと、なるべく散歩して歩くように心がけている。コロナが来るずうっと前に、カミュの「ペスト」という小説を読んだことがある。あれは優れた小説である。

さて、肝心の「The Birds」
面白い。アメリカの海に近い田舎町で起きた異様な出来事。お嬢さん育ちのメラニーという女がペットショップで弁護士と知り合う。彼の屋敷に、密かに小鳥を届けた女はふいに舞い降りてきたカモメに額をつつかれる。

メラニーが弁護士の近くにいる女友達が小学校教師をやっているので、学校のそばで待っていると、ジャングルジムに最初は数羽のカラスがとまる。メラニーが物思いにふけりながら煙草を吸っていると、カラスが次々とジムに止まり、いつの間にジム一杯になって、初めてメラニーは気がつく、その時の驚き。さすがのカラス好きの私もあんな沢山のカラスを見たら、たじたじであろう。
そのあと、小学生たちが外に逃げるのを多数のカラスが襲うのだ。



要は恐ろしいほどに数の多い鳥に人間が襲われ、死者まで出るというお話だ。
レベッカのような人間社会のサスペンスだと、なんとなくありそうな感じがするのだが。こういう話はやはり、まさかそんなことが起きる筈はないと思いながら、興味につられて見てしまう。そして、もしかしたら、ありうる話かもと思わせてしまうのがヒッチコック監督の映画の凄いところ。

想定外の、自然の人間への逆襲。 「鳥」という映画を見て、そんなことを感じる。人間が自然を支配できるという十九世紀の西欧に流行したと思われる考えが、今も生きている主流の考えのようだが、それは違うと言われたような感じがした。気象温暖化もそうかもしれない。私の若い頃、夏はあんなに暑かっただろうか。
私は壮年の時は血圧で悩まされ、今は胃と前立腺などがかなり悪いのだが、大学では柔道をやっていたから、ご存じのようにあの暑い時に、厚手の柔道着を着てやる。終われば、ぶらぶら散歩しながら帰る。つまり、その前後は印象的で記憶に残っているのだが、暑さに苦しめられた印象はない。夏は柔道の合宿があり、マラソン、三時間ぐらいの練習もあったが、暑いのが嫌だということは記憶にない。
豪雨もそうだ。最近のように、テレビのアナウンサーがいのちにかかわるという形容詞を使った気象異変は感覚的にも最近のものという印象がある。
ある日、気が付いた時は、地球に大変な異変が起きているという不安を感じさせる最近の気象状況である。


想定外のことが起きる可能性がある。環境問題。核兵器。原子力発電所。
そうした意味で、現代は人類の危機という感じを持たせる。こうした危機を感じている人は多いと思う。ただ、普段は毎日の生活に追われているから、なるべくそういうことは考えないようにする。 そこで、半分娯楽の映画を見て、リラックスしながら、そういう危機感を感じる映画と言えば、「西部戦線異状なし」であげたい。古い映画であるが、これは名作である。知っている人も多いと思うが、もう一度見て欲しい。長い塹壕を挟んで、ドイツ軍とフランス・イギリスなどの連合軍が戦う。小説ならヘミングウェイの「武器よさらば」だろう。「武器よさらば」の映画は薦めない。
繰り返して恐縮だが、フランスでは死者の数は第二次大戦よりはるかに多いと言われるのがこの塹壕戦である。両軍がにらみあって、銃を持って大勢の兵士が進んでも、前には敵兵が塹壕から機関銃や銃を発射するのだから、突撃といっても、死ににいくようなものである。映画ではそれが恐ろしい形で描かれている。日本でも旅順の戦いをテレビ映画で見たが、確かにあれも死体の山を築き、与謝野晶子が反戦の歌を歌ったことでも有名だが、テレビの映画の日露戦争は英雄に焦点があてられるので、戦争の悲惨さを感じるにしても、何か格好の良い戦士が心の中に残ってしまう。そこへ行くと、西部戦線異状なしは大人に鼓舞された十九才の学生達が志願して、ドイツ軍の前線に向かう。死者の数も旅順の戦いよりもはるかに多く、何でこんな愚かな戦いをしなければならないのかと、登場人物と共に庶民の立場で考え込んでしまう。何故なら、戦争で死ぬのは沢山の庶民なのだ。
私は禅の立場で考えるが、仏教は人は無明にあるという。要するに宇宙の真理に暗いという。お釈迦様によれば、すべての人は仏性を持っているのである。その視点で、現代の問題も考えていかねばならない。人類は生き残って、この地上に平和を築き、次の世代に美しい地球をバトンタッチしなければならないのだ。
宇宙の中で、これほど美しい惑星は少ないだろう。この地球を汚くしているのは誰であろうか、考えるべきである。
文明とは、仏教的に言えば、煩悩の所産だ。エゴとエゴが衝突する、これが戦争だ。
オバマ大統領は核兵器をなくす方向に世界を持っていくと宣言した。日本はその先頭に立つべきなのではないのか。世界の平和を何よりも願っているのは日本人ではないのか。軍事力のバランスを考える理屈も分かるが、長崎、広島を経験した日本こそ、世界平和への提案をどしどしすべきなのではあるまいか。今は人類が生き残れるかどうかの瀬戸際なのだと思う。日本が先頭にたって、平和へのイニシアチブを取らなければ、どの国がとるというのか。
「西部戦線異状なし」という映画を見れば、沢山の若者が何のために戦うのか分からずに、戦争の無意味さを知って死んでいったことだと思う。その点で、与謝野晶子の「ああ、弟よ、君を泣く」という旅順の戦いに反戦の意思を示した詩も何度も、ぜひ読むべきだ。あの詩は日本人が世界に誇る偉大な芸術だと思う。彼女は当時、非国民扱いされたのである。しかし、今、我々は与謝野晶子のような素晴らしい人が日本の歴史に登場したことを誇りに思うべきなのだ。

最近は想定外のことは人間にも起きている。人間による事件である。秋葉原事件などは有名だ。それに、地下鉄サリン事件の犯人には、多くの秀才がかかわっていたことは驚きだった。
最近では、沢山の障碍者を元職員が襲った例がある。この人達は必要ないという自分勝手な理由である。無茶苦茶な悪魔の理屈だ。座間の事件も異常。
それから、最近では、ネット中傷が問題になっている。匿名を良いことに、自分が快感を得るために、見知らぬ市民を攻撃する。悪質である。見知らぬ相手に対する嫌がらせは集団ストーカーとして、ネットでも、この間の都知事戦でも、立候補者の中にそういう問題を大きく取り上げた方がいた。
集団ストーカーはまさに、法律の想定外のことなのだ。だから、取り締まる法律がない。しかし、これは法哲学的にかなり悪質な犯罪と言えるのだ。見ず知らずの人を後ろから指差し悪口を言う人はそう言っている本人が怪しい人物であることを周囲は知る必要がある。

こうしたことを克服する道はお釈迦様の大慈悲心とキリストの愛、そうした宗教哲学的な愛と大慈悲心がこれからの、人類に必要なのではないか。
全ての人は仏性を持つ、お釈迦様の言われたことは本当だと思う。そこを原点として、すべてのことを考えなければならないのだと思う。
              
法華経には「善男子、善女人は如来の室に入り、如来の衣を着、如来の座に座して、それからまさに、四衆のために広くこの経を説くべし。如来の室とは大慈悲心である。~」と書かれている。だからこそ、道元は座禅と同時に、愛語を大切にしたのだと思う。
新約聖書のパウロの言葉には 愛がなければ、一切は空しいと書かれている。
「コリントの信徒への手紙13賞」
たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。





満月 【poem】

我、満月を見て
詩をつくろうと、ペンをとろうとするも
満月は笑う
我、そなたはいいなあ
悠然と秋の空を歩き、美しい地球を見るのだろうか
我々は歩くのにも車にぶつからないようにしなければならない
あなたが笑うのも分かるよ
さきほど入ったわずかの酒
胃が悪いのに、このほんのり気分で
たわむれに、君と散歩するために酒を入れた
今はいいが明日になれば、この胃どうなるのか
君の飲み物はこの澄んだ大空か

僕は地球の想定外の危機を論じているのだぞ
満月君、君は何を考えているのかね
僕はヒト族がこのまま繁栄をしていくのか心配なのだ
気象温暖化のこともね
核兵器のこともね
人間は理性というものを宝にしているけれども、君はどうだね
悠然と大空を歩き、悠然と進むのか
それで、酒を飲む気もおこるまいね。
ヒト族は科学文明をうまく使いこなせるのかね

満月君
君は千年も前のことを覚えているだろう
おみなえしが道長と式部の間に
あった千年も前のあの夜のことを
この千年の間に色々なことがあった
何億という人生があった

偉い人も出たし、くだらないことをする人も出た
今はどうなのかね
人はこれからも、栄えるのかね

ヒト族が死んでしまうと
君にとっても友達がいなくなるだろう
ヒト族が死んでしまうと、
君は消えていなくなるという噂もあるのだけれど
そんなことはあるのか
そんな時もきっとこの大空を一人散歩するに違いない

そして僕みたいな胃の悪い人間でなくて
ナポレオンや信長のように勇ましい馬上の姿を思い出すのか
それは君の好みではない
されば、心を揺さぶる芸術家か

いや、待てよ
君はもともと僕のような胃の悪いのと友達になるのだから、

ひっそりと多くの人が
つつましく生きた人生
喜びと悲しみに満ちた人生を懐かしく
思い出すに違いない

そして、美しい地球を大切にしなかった人類を
あわれに思うのだろうか



【参考】
詩の中の「おみなえしが道長と式部の間に」は 紫式部日記を思い出した詩句である。
朝、供を連れて藤原道長が歩いて来る。紫式部に気が付き、庭のおみなえしを折って、式部に見せて、返事の和歌を要求した場面。

【久里山不識からの連絡】
胃などがかなり悪いので、外見は良さそうに見えても、本人の体調は悪いです。それで、掲載はゆっくりペースになると思います。よろしくお願いいたします。



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