空華 ー 日はまた昇る

小説の創作が好きである。私のブログFC2[永遠平和とアートを夢見る」と「猫のさまよう宝塔の道」もよろしく。

満月

2023-10-19 16:05:22 | 芸術




満月
大理石風の白いカフェーの裏手の入り組んだ石畳の路地には、小さな清流が流れ、そこにひそむ古いレンガ色の三階の
マンションの上に一人の若い映像作家がいた。
透明な水ところころと響く水音に歩く者は思わず立ち止まる。春と秋にはバラが、梅雨には菖蒲とアジサイが豪華に咲く
窓から見る風景は都会には珍しい程の緑と花にあふれた広い公園がある。
四方を取り巻くように、ベンチが十個ぐらいある。
朝日と夕日と満月は自然の恵みとして、この公園にも顔を出す
マンションの三階の窓から、顔を出すのは一人で暮らす若い英彦。
コロナが襲った。
その時はもう自宅療養の時に移っていた。
英彦はベッドに横になりながら、外の風景を見るのが好きだった。
猫がいつものように、歩いて彼の方を振り向く
自分が貧しく弱く、消えていく存在のように思えた。

しかし、彼が見ているのは、黄金のような美しい花
緑あふれた雄大な大木の太い枝が空に伸びている。。
みな生き生きと生きている。

向こうに赤い壁の三階建ての家があった。
公園をはさんで、三階の窓から顔を出す三十に近い娘がいた。
英彦が元気な時に、公園のベンチで映像について話したことがある。
考えがひどく似ているので、驚いたことがある。
彼がダウンして、ベッドに横になり、その窓から、公園と向こうの彼女の家を見ている。
彼はスマートフォンを取り出して、詩を書いた。

満月の光に照らされて、
私は真理といういのちに漂うのだ
真理といういのちの海の中で
永遠のいのちの海は光にあふれ
どこかの美しい街角のようでもあり、
そこのカフェーで飲む濃いコーヒーのようでもあり、
本当は名前なんかないカミのようなあなた
あなたは目に見えないので、
私は森の中で彷徨うように
小鳥を見つけては喜ぶのだ

おお 春よ
ガーベラとデルフィニウムが咲いているではないか
まるで恋人のように寄り添い
森の中で出会う青い鳥と黄色い小鳥のように
出会って愛の光が飛び散るその時に
きっと、あなたは幻のように浮かぶに違いない
春が来たのだ
あなたのいのちが大地の隅々へと染み渡る
やがて緑の絨毯の上に
ちらちらと桜の白い花が散っていく
来年又会おうというかのように
あなたは旅立っていく
そして天空に天の川があなたの足跡であるかのように、
虹があなたのほほ笑みのように
小鳥の声があなたの存在を告げる妖精のように

ああ、それなのに
遠くの国で戦火の音が聞こえる
我らは真理の大海の中にいるのに
何故、武器を持って戦い
悲惨な血を流すのか
死に行く人の苦しみと残る人の悲しみを考えるがいい
我らは生きる喜びを知るために
生まれてきたのではないか
死のための武器を握れとは

ああ、それゆえに、我は一人立つ
あなたという真理のほほ笑みに憧れて
悲しみがあろうとも、苦しみがあろうとも、
それを包み込むカミのようなあなたに出会う日まで
そんなことのない平和な町を知るために
我は一人立つ
あなたといういのちの核心を見詰めて
悲しみがあろうとも、苦しみがあろうとも
それを包み込む光と知恵に満ちたあなたに出会う今の今を求めて
そこに永遠のあなたがおられるのだから
そのことを知り、私は一人立つ」

彼女は両親と祖母と暮らしているらしく、二階の窓は母親が朝、あけて、洗濯物を取り入れる時に閉める
玄関は公園と反対側の道に向いているなど、行き帰りには顔を合わすことがない。
顔を見るのは、夜の七時頃、帰ってきて、彼女が三階の窓を開ける時だが百メートル近く離れているので、互いに微笑するのみだ。。
英彦はある日、スマートフォンを出して、
「お元気?コロナにかかってしまって、自宅療養中だよ。でも、もう治りかけだと思うけどね」とメールをした。
「あら、心配ね」
それから、彼女は夜の夕食を帰りに持ってくることがあった
「お医者さんは何て言っているの」
「寝て、薬を飲んでいれば、あと五日で治る」
それで、コロナの話を少々したあと、マスクをした彼女は部屋を出ていった。

ある日のこと、彼女がメールを書いて、スマートフォンで送ってきた。
「この間のあなたの詩、とても良かったわ。そして、考えさせられたわ。あなたの言う通り、大自然は神仏の現われよ。あたしもあなたも、樹木も猫もみんな仲間よ、小さな木の葉だって、昆虫だって、蝶々だって、鳩だって、スズメだって、みんな神仏の現われで、仲間だということがようやく分かってきたわ」    【poem 久里山不識 】





【杜甫の詩】

秋風はげしく空は澄み、サルの鳴き声が悲しく響きわたる
岸辺の水は清らかに砂は白く、水鳥が飛びまわっている。
はてしなく広がる木々の葉が、風にサワサワと散り落ち
尽きることのない長江の水は、コンコンと次々に流れ去る
故郷を遠くはなれた悲しい秋に、わたしはいつも旅人の境遇
一生を病いに苦しみつつ、ただひとり高台に登るのだ。
苦労をかさねて白くなったビンの毛が、なんともうらめしい。
病み衰えたわたしは、近ごろ酒杯を傾けることもやめてしまった。【佐藤 保氏訳 ]







里山をたたえる

2023-10-13 19:38:28 | 芸術




おお、私とユリの花は兄弟だ
自然の中で咲く花と私
私は愛する里山の神秘の瞳と唇を
里山と花は神仏の現われだ。


薔薇よ、深紅の色に潜む宇宙の謎
ユリよ、雪のような白さは乙女の姿
里山の中で、大自然の詩句を歌っている
人も生き物も神仏の現われだ。

風がそよぎ、緑の梢は揺れる
オオルリの歌が青空に響く
自然の中で生き物は、不滅の生を生きている。
風の音も鳥の声もいのちの声だ


この里山の風景 魂に触れる
薔薇と百合の花は永遠のいのちの調べ
詩人の祈りは神仏に届く、誠実な歌声だ
花も昆虫も人も全ては神仏の現われだ


それで、何故、戦争がある
神仏の現われという真理を忘れ、我執のとりこになるからだ
魔はそこを狙う
おお、里山の花よ、人を目覚めさせよ


やがて、大自然の中、人は愛を見つける
薔薇とユリの花がいのちの秘密を教える
里山の詩、感動する魂は震えている
いのちの声は愛と永遠を教えてくれる  【poem 久里山不識 】




【 WALDEN 】

ときどき、夏の朝など、いつものように水浴をすませたあと、日の出から昼まで、松やヒッコリーやウルシに囲まれ、乱されることのない孤独と静寂のなかで、ぼくは陽当たりのいい戸口にすわり、物思いにふけっていた。
周囲では鳥がうたったり、音もなく家を飛びぬけていった。そうして西側の窓にさしこんでくる夕日や、遠くの街道を行く旅人の馬車の音で、時の流れに気づくのだった。そういう時間にぼくは夜のあいだにトウモロコシのように成長し、どんな手仕事をするよりもずっといい時を過ごした。それはぼくの生活のなかから、引き出された時間ではなく、ふつうぼくに与えられる以上のものだったのだ。瞑想とか仕事の放棄ということで、東洋の人々が何をいおうとしているのかを悟った。
だいたいいつまでも、ぼくは時がすぎてゆくのを気にとめていなかった。
まるでぼくの仕事に光を当てるかのように一日がたっていった。さっきまで、朝だったのに、それがどうだ、もう夕方だ。
記憶に残しておくようなことは何も果たせなかった。鳥のようにうたうかわりに、ぼくは自分の絶え間ない幸福に静かにほほえみかけていた。ドアの前のヒッコリーにとまってスズメがさえずるように、ぼくはスズメがぼくの巣のなかから、聞こえてくるのを耳にするかもしれないくすくす笑いや、かみ殺したようなさえずりを身につけていた。
                                       【ヘンリー・D・ソロー     真崎義博訳 】






大自然と街角

2023-10-09 12:58:07 | 芸術




大自然と街角


ああ、この音色。悲しくせつない天の声のようだ。
どこかに、美しい森があるようだ。
小川が流れ、そこで、青い鳥が鳴いているようだ。僕の猫もないている。
ああ、何という神秘に満ちた自然美だ。
そう、君と僕は大自然と共に神仏の現れだ。
太陽が昇り、やがて夕暮れがやってくる。
夜には月がのぼる。そして、月日がたつと、満月なんて、美しい花を咲かせる
窓からは花がそよ風に揺れ、君の呼び声がする。
黄色いふさふさしたドレスを着た淑女の君がニャーと奇妙な声を出す
ああ、僕はとどまり、再びこの神秘な音色に耳を傾ける。
おお、何という美しさに満ちた君の黒い瞳
ここはどこだ、道に迷ったようだ
すると、さっきとは違う音色の呼び声が聞こえる
花園があったではないか。

おおここは春。
丘の緑の見える平原の中に、朝もやが立ちこめ、緑の大地の何という美しさ
どこまでも、続く並木の向こうに古い町が見える
おお、ここは何という伝統に満ちた家々が
そして、取り囲む緑の野
どこからか、聞こえるピアノの音

悲しみに似た中に小川の音が鳴る
そして、君の声がにやーっとかすかに響く
ここはどこだ
不思議な声だ  天の声か
猫が素敵なドレスを着ている。ああ、黒い瞳を持つそなたのしなやかな姿
ああ、何という美しい生き物だ
美しくも悲しくもその中に小さな喜びが隠されている
おお、緑の緩やかな大平原に月が浮かぶ


大平原に様々な花、小鳥、生き物がいる
向こうに、小さな街角が見えるではないか
何やら、嬉しげな ざわめきの音が聞こえる

お祭りなのか
それでも、僕の心は天を見る
大空に疾駆する鷹の姿は悠々と、姿を現しているではないか
夜になると、天の川が見える

昼間は太陽の光が緑の木立を照らし、その中に並ぶ 古びた美しい家々
そして何という美しい路地
ここに全てがあるではないか
黄色いドレスを着た、美しい黒い瞳の君はどこに行った?

中央に黄金の屋根をつけた古い石造りの建物
周囲を取り巻く緑の平原
沢山の小さな家々もある、そこに人々の生活が息づいている


おお、大地は生きているではないか
ここはどこですか。 先ほどの猫が僕に「にやー」と呼び掛ける
僕らは、仲間だ。  一緒に生きる仲間だ。
僕と君は大自然と共に神仏の現われだ。【全ての人も生き物もそうだ】
まるで、緑の絨毯のような野原
そして黄金の屋根をつけた 白壁の家で
君と休むとしよう


【久里山不識】
この詩には私の最近得た人生観【道元とスピノザの影響があるかもしれません】を入れたつもりです。それから、これは私の空想による詩です。私の先祖[江戸末期、商人から旗本になった ]の漢詩人の遺伝子も関係しているかもしれません。
もう一つの私のブログFC2 「猫のさまよう宝塔の道」のタイトルにありますように、私は昔から猫が大好きです。見るだけなら、
虎【 イギリスの詩人ブレイクの詩に、歌われていますね】も好きです。





道元とマルクス

2023-04-07 14:42:11 | 芸術
道元の考えの核心に触れるには正法眼蔵を読まなくてはなりません。私が四十年前に書いた小説の中に、そういう場面を発見し、自分でも驚いたのですが、少し直しても読者に分かりやすくなっているのか、疑問です。この場面をさらに、面白く読めるようにこれからも、座禅をして正法眼蔵を読み、この場面をさらに面白く読めるように、工夫しなければと思いましたが、今は退院したばかりということで、このレベルで掲載しました。



道元とマルクス 【ショートショート】

「彼女はマルクスの資本論も読んでいる様な女性だからね。頭の良い女だと思うよ。人間は面白いがあの莫大な資産が彼女を駄目にする」
 その時、露野はキリストの言葉を思い出した。金持ちが天国に行くのは駱駝が針の穴を通り抜けるよりも難しいという昔 覚えた文句だ。これは真の信仰生活には莫大な財産が邪魔になることを教えたものであろう。しかし岩村の言葉はそうした宗教を否定するマルクスの立場から言われたものなのに不思議にこのキリストの言葉と一致することが露野にある新鮮な驚きを与えた。
「そうかね」
「君の思想のその曖昧さは困るな。エコロジストにはそういう曖昧さがあるね。資本主義というのはやはりマルクスの指摘したように資本家と労働者の対立というのがあるのさ」その岩村の言い方にはちょっとトゲがある様な気が露野はした。岩村の強い性格から自然、ほとばしりでたのだからそこに悪意はないのは分かる。しかし、露野のことをエコロジ
ストと断定したのはちょっと不愉快だった。彼はその様な形で自分が分類されてしまうことを警戒した。確かに科学技術の発達よりも大自然との調和の中でこそ、人間らしい生活が出来るのだといい地球の環境保護を声高らかに叫ぶエコロジストの主張には共鳴する所が多い。しかし、そういうことは今や多くの人達の声になっているのであって、ある特定のグループだけの言い分ということでもないと思う露野はちょっと不服だった。
「確かに君の言う通り、政治経済的には対立があるかもね。でも仏教が教える様にあらゆるものに仏性があるということから考えれば人間としては平等だし、そこでは対立もなく慈愛によって結ばれねばならないのでは?」
露野はそう言いながら仏性とは何かという難しいことを説明しなければならないという予感がした。
「僕はこの頃思うのだけれど道元左派を自分の信条にしようかと考える様になっている。どう思う?」
露野にとって禅の大家、道元は近頃しだいに尊敬の対象になりつつあった。
「何だい?その道元左派というのは?」
「つまり 十八世紀のドイツにヘーゲル左派というのがあってここからマルクスが出てきたよね」
「ああ、それは知っている」
岩村はヘーゲルの逸話をうろ覚えであったがふと思い出した。後世に影響を与えた哲学書を執筆している時、窓の外を通る馬上のナポレオンを見て、あの人物こそ神の様な絶対精神の現われだとヘーゲルが考えたという話である。何かの本で見た馬上の凛々しいナポレオンの姿が岩村の瞼に浮かんだ。
 露野の方は自分の信条を説明することで頭が一杯だった。
「つまり僕は日本の鎌倉時代に出た禅宗の偉大な思想家である道元にマルクスを結合させたら良いと思ってね。これをヘーゲル左派を真似して道元左派と呼んでみたのだ。というのは今の日本で道元を熱心に勉強している人達には政治的に保守に傾く傾向がある。
これはおかしなことだ。道元は権力を嫌ったことでも有名なのだ。
それで僕はあえて道元にマルクスをプラスすることによって道元の様な禅宗の思想から政治的には革新を生み出したいのだ。
へーゲルの絶対精神の考えも、道元の「物は仏性の現われ」というのと似ている。似ていないのは仏性という実体はない。無と言っているところだ。そこのところを「無仏性」と道元は言っている」
 露野はこれこそ真理に至る道であると思う様になっていた。先程のキリストの文句が再び彼の心に響いた。確かに人はこの世の名誉、財産を捨て 逆境に耐えぬくことによって真理発見のチャンスに恵まれる。真理とは仏性であり、神仏であり、法である。
仏性とは輪廻転生して、多くの人生の中で修行して仏になる性質というそれまでの、考えを捨てたのが道元である。座禅した姿がすでに、この世で、仏であるという革命的な考えを打ち出したのである。
『幸いなるかな。心の貧しき者、その人は天国を見ん』というキリストの言葉が突然 理解出来た様に露野には思えた。人はその人の生きている位置によって人生の見方が変わるのだし、貧しさと逆境こそ真理に最も近いというというのは 案外本当かもしれないと思った。
 彼は応接室のソファーで近頃 花瓶に飾られた石竹の花を見た。あの時は気付かなかった美が今 哲学談義に移ろうとした時、不思議な美の光線をまきちらしたようだった。心の状態が変わると花も違って見えると思った。

「それは面白い。しかし僕には禅宗というのは分からない。説明してくれよ」
「道元は人間というのは本来 永遠のいのちである仏性が現われたものであると、言っているのだと思うがね」
「その永遠のいのちである仏性というのが分からない」
「僕だって分からないさ。ただ座禅していると何か自分というものが永遠なものに繋がっているという感じが朧気ながら掴めるような感じがしてきた」
「永遠なものね。芸術家の君としては分かることかもしれないが実務家の僕にはそういうことを理解するセンスが残念ながら欠けていてね」
露野はその通りと言いたかった。岩村の知性は鋭いが目に見えないで感じられるものには全く無能力であると思った。彼は『星の王子様』という童話で目に見えないものの中にこそ人生の素晴らしい宝があるのだという様な会話がなされているのをふと思いだした。そして岩村にはそれを感ずる能力がないのだと思った。岩村の反論を予想しながら露野は言った。
「永遠のいのちである仏性というのは最近思うのだが無ではないかと思うようになったよ」
「無って何も無いことだろう。ということは永遠のいのちも無いのではないのかね」
 岩村はそう言って皮肉な笑いを浮べた。露野は岩村にも一理あると思った。無というのは確かに考えれば考えるほど分からなくなる。無にはおそらく素晴らしい秘密があって人間の知性が介入することを拒んでいるのに違いない。目の前の石竹の花もその赤と白の斑の色とかれんな花びら以上の何かを語っている。つまり秘密がある。薔薇の中に神を見ると言った詩人がイギリスにいた様に記憶しているが無の中にも神仏あるいは法としかいいようのない存在がおられるのではないかという考えを露野は持つ様になった。確かに、この無は理解しにくい。ただの何もない無ではなく、この森羅万象を生み出す生命エネルギーを秘めているのだから。


「こう考えてみたらどうかな?無というのはプラスの無限のエネルギーとマイナスの無限のエネルギーが結合している状態なのだ。結合しているから何もない状態で無としかいいようがない。男と女が合体して法悦状態になっているのが宇宙の無の例えとして面白いのでは?」
 露野はにやりと笑った。たとえが少し適当でなかったという思いと良いたとえだという満足感が交錯した。そしてふとロミオとジュリエットの映画を思い出した。敵同士の名門貴族に生まれた二人が大きな障害を乗り越えて愛によって結ばれた朝の印象的な場面だった。朝を告げるひばりが鳴いているとロミオが言うとジュリェットがあれは夜 鳴くナイチンゲールだと言う。敵を殺したロミオにとって昼間になれば捕らわれ、死刑にされるかもしれないので逃げなければならない。ジュリェットは恋人を永遠に引き止めておきたい。窓の外で鳴く小鳥の声がひばりなのかナイチンゲールなのか会話する二人の愛が激しい
だけにそれを引き裂こうとする運命の力も衝撃的だ。ロミオとジュリエットが愛で結合している時は殆ど無を味わっているといっても良い様な幸せの絶頂であろう。その無に亀裂が走る。朝が来て、ひばりが鳴く。悲劇の始まりだ。そして人生の創造でもある。まさに宇宙も無から神のような力によって創造されるのだと露野は思った。
「そして男がそのほうえつ状態から起きだして朝の窓の外を見ると外には森や池の金魚が目にうつり小鳥がざわめいている。女は着替えをし、朝の食事の用意をする。そして一日が始まる。ちょうどその様に宇宙の無もプラスかマイナスかがこの無の法悦状態から何かの拍子で動きだす。そしてこの波紋は大爆発となる」
「君は独身なのにそういう例えがうまいね」
岩村は静かに笑った。


「僕はマルクスを信奉する者だからこの無限のエネルギーを持った無というのは物質と考えても良いのかね」と岩村は露野の瞳をのぞきこむようにしてそう言った。
「無は無限のエネルギーを持っているのですからね」
露野は難しく厄介な問題だという気持ちになって、ベートーヴェンに影響を与えたと思われるスピノザの言う「神」を思い出し、黙りこくり羊かんを口に入れた。少しの間 その沈黙が続いた後、露野は視線を羊かんから岩村に向けた。岩村は微笑していた。
「そこが難しいんだよ」と露野はちょっとおおげさに声を張り上げて言った。「無は意識の中にもあるのですよ。むしろ意識こそ無の存在の生き証人ともいえます」
露野はそう言い終えてから、自分の『無』の説明では聞いている相手に何がなんだか分からない気持ちを与えるかもしれないと思った。『無』よりももっと適当で良い言葉が見つかればと考えた。
「そうした考えは意識に魂の様な特別の地位を与えることで僕は納得できない」と岩村は言った。意識や心というものに宇宙の中心的役割を与えることは死の恐怖に対する一種の逃避であると岩村は考えていた。大自然こそ主人公であり、人間の意識はそこから作り出されたものであるという考えに彼は立っていた。しかし露野は心と大自然の奥底に同一の無という土俵があるのだと考えているようだった。岩村はその考えに好意を持たなかった。露野は宗教という罠にひっかかっているのだと思った。しかしこれは永遠のテーマで露野の考えを間違っていると断定する勇気は岩村にはなかった。
 

露野は多くの知識から解放され、明珠市の自然のような無垢の魂を漂わす岩村理香子夫人の感触を思い出した。あの時、彼女と自分が一体になった様な一瞬があったと思われた。夫人も自分も仏性の現われであるけれど、二人が分離されている時は仏性としての無を体験することは出来ない。二人が深い愛によって結ばれた時 宇宙と一体になり 神や仏性を知る。神は愛なりというではないかと彼は思った。 これは相手が恋人でなく、花や蝶や星でも良い。薔薇の花を見る。花を自分とは違う存在として乱暴に扱っている時は神や仏性は分からない。花を愛し、精神的に一体になると花と人間という風に分離されているものが克服され、その時 仏性や神が現われるに違いないと思った。


「結論めいたことを言うと、道元はね、人間を含んだ全ての物、花や蝶 星そして光にもこの永遠のいのちである仏性があると言ったのだよ。つまり無があるとね」
「ちょっと待ってくれ。こだわるけどそこの所が大変 理解しにくい。無があるという君の言い方に矛盾がある。無は何もないのだろう。それをさっきから君は無限のエネルギーを持つ無だの、永遠のいのちという無があるだの言っている。おかしな矛盾した言い方であるような気がする」
「ハハハ。なるほど僕も分からなくなってきたよ。ともかくこの道元とマルクスを結びつけて道元左派の文学をつくろうと考えている所なんだ」
「分かったよ。君の言いたいことは朧気ながら掴めた。そうした文学を創造したいという君に敬意を表するよ。今晩は少し、飲むか」
露野は目をあけて酒を誘う岩村を見た。
「そうだな」
 露野はそう言って淡い後悔の様な胸の痛みを感じた。夫人と離れねばならないことを思い出したからかもしれない。
「よし、今晩の夕食にはたっぷり酒を出そう」
岩村がそう言った時、露野はほっとした。


 露野 耕三は岩村夫人に対する複雑な感情の整理がつかないままに出ていく気になれなかった。といってこの館のこの部屋にこれ以上いるのは彼の心の罪の意識が許さなかった。夫人に対する恋慕の情は今や彼の罪の象徴だった。館にこれ以上とどまることは毎日、この罪に心身をさいなまれる様な気がして耐えられない気持ちだった。。
 彼はそこでかねての予定通り明珠市の中心地にあるマンションを借りてそこに住むことにした。そこは聖ハレルヤ教会の裏通りに面した通りにある2LDKの赤い色をした小型のマンションだった。二つある部屋も居間もスペースが広く、彼は満足だった。三階にあるため、窓から教会の敷地がよく、見える。その向こうに寺院と青空の会の本部の建物も見える。
 そこに住んだのはやはり理香子が教会に日曜日 来ているのだから、会えるチャンスも多いだろうという期待も働いていた。
そこに住んでから半月ほどしたある土曜日の夕方、夫人が突然マンションを訪ねてきた。彼はびっくりして中へ通した。
「これから聖書研究会が始まりますの?いらっしゃいません」と夫人は言った。先週の土曜日にも来たのだけれど留守だったということも夫人は付け加えた。
 露野はかなりどきまぎしていた。
「特定の宗教を信ずるのではなくて、東西の思想の融合の中から、新しい哲学を見出だすという青空の会の方に共鳴していますから、そういう場に出席するのはなにかひやかしに行くみたいでよくないと思うので」
彼は自分がひどく緊張しているのを感じていた。殆ど機械的にそんな風に喋った。
「土佐 五郎さんも毎週いらしてますのよ」
「五郎君が?」
露野は意外な感じがした。
「五郎さんが今度お父様のあとをついで、社長さんになられて私どもの方に御挨拶に来ましたのでその時、私が教会の方にいらっしゃる様に言いましたらさっそく半月ほど前から通うようになりましたのよ」
露野は五郎の社長就任については知っていた。ここのマンションに来てから十日程して、挨拶に来たからだ。
理香子は窓の所に立って「見晴らしがいいわね。教会の敷地がよく見える。時々、来ようかしら」と言った。そして軽く笑った。その心地よい笑いはピアノソナタのように部屋の中に響いた。
「はあ、どうぞ」
そうは言ったものの、彼はどう考えてよいのか見当がつきかねた。これは誘惑なのだろうか。キリスト者として厳格なしつけを父君から受けたと言った人の言動とは思われない。とすると、自分をためしているのだろうか。それともその両者の中間の所でスリルを楽しんでいるのであろうか。彼は彼女をまともに見るのが怖い気がした。胸の膨らみや赤い唇が彼を酔わすことを恐れた。
「ねえ、露野さん、今度新しく来た牧師さんはフィリピン人なのよ」
「フィリピン人?牧師が変わったんですか」
「そうなの。そしてとても変わったお説教をするのよ。あたしは詳しいことはわからないけど、なんでも『解放の神学』とかいってとても魅力的な話をする方よ。露野さんならきっと興味を持つと思って」
「解放の神学ですか。興味ありますよ。僕もちょっと本などで得た知識しかありませんから」
 露野は急にその牧師の話を聞く気になった。
彼は彼女の白い首筋を一瞬 見たあと、「行きましょう」と言った。
彼女は目を輝かした。
彼が窓を閉めたり、電気を消したりする間、彼女は台所や書斎を興味深かげに見ていた。 彼女の案内で正門から花壇に取り囲まれた石畳を通り、一番大きな建物の脇の道をぬけて小さくしょう洒な建物の中に入った。
時計は五時少し前で既に十五人近い人が椅子に腰かけて円陣を作っていた。露野はすぐに五郎と目があった。  
 露野は土佐の横にあいていた席に座った。夫人は左側の少し離れた空席に座った。
「ここに来るのは始めてですか」と土佐は言った。
「うん、始めてだ。岩村夫人に誘われてね」
「マンションの住み心地はどうですか」
 土佐はこの前、社長就任の挨拶に来た時も同じことを言ったと露野は思った。
「うん、良いよ。所で社長の仕事の方は順調に行っているかい」
「ええ、社長といっても十人ほどしか従業員がいないんですから」
その時、正面にいた牧師が声を上げた。
「皆さん、そろそろ時間になりましたので今日の聖書研究会を始めたいと思います」
上手な日本語ではあったが明らかに外国人だと分かるなまりがあった。露野よりは十ほど年が上の感じがした。見事な口髭をはやしており、目は温和であったが、底の方に光るものは何か鋭いものが隠されているようだった。

 牧師は露野を紹介したあと、露野を意識したのか解放の神学の核心に触れた所を話した。集まっている聴衆の中では自分が一番年上の様な感じがしたが一人だけ自分に近い中年の紳士が会社帰りなのか背広姿のまま出席していた。
 露野は牧師の話が内容が高度であるけれども、既に自分が考えたり本を読んだりしてきた範疇に入っているもので特に目新しいものはなかったがフィリピンの故国に触れた所はさすがに迫力があった。
 『さいわいなるかな。心の貧しき者、その人は天国を見ん』というキリストの言葉がその牧師の話の核心だった。何も所有しない貧しい者こそ地上に天国を築く使命が神によって与えられると彼は熱弁をふるった。ラテンアメリカやフイリピンなどカトリックの強い所で信者達は新しい理想社会を夢みて、貧しく虐げられた人々の解放に立ち上がっていると話す牧師の目は輝いていた。



【久里山不識】
パブ―(Puboo)で電子書籍にした「森に風鈴は鳴る」(無料)は核兵器廃止をテーマにした青春小説です。よろしく。
Amazonには「迷宮の光」「霊魂のような星の街角」が電子出版されています。



 


散文詩

2021-10-09 20:30:21 | 芸術


「世相」という名の散文詩
     1
世相の悪を語ったあとは希望と愛を語りませんか
核兵器と地球温暖化のことを思うだけで、
我々は胸がつぶれそうになる
はたして我々は子孫に健康な地球を残せるのだろうか
あちこちで、豪雨があって、洪水があって
そのたびに人は死ぬ
今、生活している人も熱中症で死ぬ
子供たちはまだ幼い時期に、車とぶつからない事を学ばねばならない
こんなことを考えないで、すむ時代もあった
文明は進化しているというけれど、
核兵器と地球温暖化という危機も作り出した。
それに、SNSの一部の状況に見られるように
いじめや犯罪にも使われる悲しさ
若者の自殺が多いのはそれを象徴しているようで悲しい
人は満月のように生まれ
  満月のように死ぬのだ
その間に生きる人を絶望に追いやるものも悪である。

悪を退治するには「言葉」を大切にすることだ
「言葉は神なりき」と言う聖書もある
禅も愛語という。法華経は大慈悲心を言う。
日本語は美しい言葉だ 和歌や俳句をつくった先人を学ぼう
悪を退治するには全ての人に住宅を提供しよう
大金のローンを払っている者には一部援助しよう
そして、保育園を充実すれば、あちらでもこちらでも、
可愛らしい赤ちゃんがオギャーオギャーだ。
ビルとビルの間に緑の広場をつくり、そこにベンチをおこう
人がふと休みたくなる時というのを大切にしよう
そこに、花がわずかでもあれば楽しい
悪を退治するには政治を大切にすることだ
現代は巨大な組織の社会になっている。
上が崩れると、中身はどうなるか。
隠しても隠しても、悪の石ころが見えるという風になる。

余裕ある社会になれば、子供への虐待も少なくなる

人にレッテル貼ったり、中傷する人も出てきている。
そういう人には注意をしよう
学校の激しい受験競争は人間の魂を磨くには役にたたないと大人は古典から教えよう
時は今 人類は平和をめざして 宇宙の未知の惑星をめざして、生命の神秘を知る希望
の過程にあるのだ
愛と大慈悲心こそ、宇宙の根幹にあることを知る過程にあるのだ

          2
良寛や漱石だけでなく、多くの日本人がつくった漢詩は中国生まれだ
空海をよく来たと歓迎したのは中国の先生
道元も同じ。現地の僧よりも外国人の彼が大切にされたという
最澄は渡来人王族の末裔とか、沢山の文化人が朝鮮から日本に来た
これからも、東アジアでの、日本とこれらの交流が大切
愛と大慈悲心の流れも向こうからやってきた
こうした文化の交流こそ平和をつくる
隣国と気まずいから、武器を強大にとは、紳士のやることだろうか
イソップ物語にあるように北風よりも太陽
愛と大慈悲心と文化交流を
互いの心の壁をなくし、友情をつくろうではないか




【久里山不識より】
これは三年前に書いた詩です。直感と長い人生経験から絞り出すようにして、危機からの脱出をイメージで書いたものです。実際の政治は複雑ですから、国政の場でおおいに議論すべきです。政治批判は大切です。組織の上に立つ者はそういう政治批判を真摯に受け止め、正しい判断をするのが、民主主義ではないでしょうか。少なくとも、アメリカのように共和党と民主党がたびたび政権を交代していますね。それも、大事なことだと思います。
最近、生きづらいということで、自殺したり、自殺願望を持つ若い人が増加していると聞きますが、政治のどこに問題があるのか、色々な角度から見ないと分からなくなるということもあり、そのためにも政権交代がある方が良いと思いますが、それは今回の総選挙でうまく行きませんでしたので、今の政権に言論で要求していくのが民主主義だと思います。