空華 ー 日はまた昇る

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映画「恋するシェイクスピア 」

2020-05-24 13:20:20 | 恋するシェイクスピア

ロミオとジュリエット-A Time For Us- ~covered by 中井智彦~

シェイクスピアは劇詩人と言われている。会話が優れた詩になっている。
セリフが優れた詩になっているというべきか。私の好きな文句は若い頃、英文で暗記したこともある。しかし、今は多くは忘れた。劇場に集まってくる当時の民衆の人達の耳に心地よく、うっとりさせて物語に引き込まなければならないのだから、シェイクスピアは楽しく、時には必死で書かねばならなかったであろう。その様子がこの映画によく表現されている。
例えば、一つ素晴らしい詩を書いてみよう。ロミオが町を離れなくてはならない朝の場面

ジュリエット  もういらっしゃるの 朝はまだまだこなくてよ
あれはナイチンゲール ヒバリではなくてよ
あなたのおびえていらっしやる耳に聞こえるのは
毎晩鳴くの 向こうのあのザクロの樹にきては
ほんとうよ ほんとうにナイチンゲールだったのよ
ロミオ    あれはヒバリ 朝の到来を告げるさきぶれだった。
ナイチンゲールではない  ごらん  あの東の空
意地悪な光の縞が雲の裂け目を縁どっている
夜空のまたたく燈火は燃えつき 楽しげな朝が
霧に浮かぶ山々のいただきに爪先立ちしている
もう行かねば 生きるべく とどまれば死ぬのだ
ジュリエット あれは朝の光ではないわ ほんとうよ
あれは夜空にときどきあらわれる単なる光
今夜 あなたの松明持ちになって
マンチュアまでの夜道を照らそうと思っているのよ
だからまだここに。まだいらっしやらなくてもいいのよ
ロミオ    ぼくは捕らえられてもいい 殺されてもいい
それが本望だ きみがそう望むならば
そう あのうすあかりは朝日のまなざしではない
月の女神の額からのほの白い照り返しだ
頭上はるか 大空いっぱいに鳴り渡る
あの調べは あれはヒバリの声ではない。【小田島雄志氏の訳 】

私があえて、沢山ある有名な場面の会話の中でこれを最初に取り出したのは
最近、カメラで鳥をとる人のプロ並みの腕に感動したからかもしれない。
鳥に興味がなかったわけではない。子供の頃は鳩を飼ったこともある。カラスの面白さには以前から興味があり、カラスを題材にした短編小説をアマゾンで電子出版している。しかし、小林一茶のようにスズメの可愛らしさに興味を持つようになったのは最近のことだ。それから、「銀河アンドロメダの夢」に登場させたカワセミは京都の哲学の道を歩いていたら、背の高い男の人が「カワセミだ」と興奮して追いかけていくのを見た時から、興味を持った。 最近では、メジロ、 セキレイ、 スズメ、カモメという風に興味が広がっている。
カモメは大分前の話になるが、子供と一緒に、松島に行って船に乗った時に、沢山のカモメが追ってくるのが面白く夢中でカメラをかまえたことがある。【今回、ヒバリとナイチンゲールの写真が用意できなくて、残念です】

東京スカイツリーの川のそばの梅の木に幾羽ものメジロを見て、沢山の人が夢中で写真を撮っていた。その時、私も撮ったのだが、その時ほど、鳥の美しさに魅かれたのは珍しいだろう。
あれは梅の花の満開の時だった。美しくもかわいらしい緑のメジロを見て、生命の素晴らしさに感動して、夢中で撮った。ここのシェイクスピアの場面に出てくるナイチンゲールは、残念ながら知らないけど、この詩を読むとナイチンゲールの鳴き声が聞こえるようだ。
【そのあと、ふとネットでナイチンゲールを見れないかと思いつき、見てみたら、ユーチューブで何と鳴き声も聞くことが出来るのだ。これには驚いた。なにしろ、高齢になってから、パソコンを始めたから、ユーチューブ歴も浅い。ナイチンゲールの外見はカワセミやメジロほどではないが、鳴き声は実に美しい 】

 

さて、映画に話を戻すとしよう。「ロミオとジュリエット」という名作がつくられた時に、シェイクスピアはどんな環境のもとに生きどんな経験をしていたのかという空想がこの映画にはあるのだろう。
勿論、エリザベス女王の時代のイギリスが大英帝国の階段を上っていく時に生きたシェイクスピアの生活環境というのは綿密に考証されているのだろうから、この映画を見る楽しみの一つはそうした舞台背景にもある。
しかし、なんといっても全体を見て中々 楽しめる良い映画に仕上がっているのはやはり、下地に「ロミオとジュリエット」という優れた劇が織り込まれているからだろうと思われる。よくある、有名な小説の映画化とは違う。これがこの映画のアイデアであり、面白い企画だと思う。
つまり、この映画では本物のシェイクスピアが登場する。そして、彼が真剣に愛した女性が登場するのだ。ただ、この女性はどうも架空の人物と考えられる。だいたいシェイクスピアの様な天才がどんな生涯をおくったのか詳しいことは分かっていないと聞くが、それでもあれだけの劇を書ける人にそれ相応の恋愛が実際にあったと空想する方がむしろ自然だ。


1953年のロンドン。芝居熱が花ひらき、二つの芝居小屋がはりあっていた。
一つはシェイクスピアが劇作家として所属していたヘンズロー設立のローズ座。テムズ川の対岸にあった。もう一つは人気役者バーベージのいるカーテン座。ここにはシェイクスピアと才能の上では肩を並べる天才マーロウがいた。彼は若くして死ぬ。一説によると、酒場の喧嘩にまきこまれた不慮の死とも言われる。
ローズ座は資金難で、シェイクスピアの次の作品が期待されていた。この映画に出てくる
シェイクスピアの恋人役 ヴァイオラ嬢は 大商人の娘。芝居好きで、役者になりたいと思う程。ある日 トマス・ケントと男の名を名乗り、観客のいないローズ座に顔を出し、詩を朗読していると、シェイクスピアが影でそれを聞いていて、ケントに声をかける。
ちょうど、役者が不足していた時で、シェイクスピアはケントが少年と思い、後を追いかける。
当時 女は役者になれず 声がわりをしていない少年が女の代わりをした。シェイクスピアは ケントを追いかけて、町からテムズ川に、そして、舟でケントの館つまりヴァイオラ嬢の家にたどりつく。
ヴァイオラ嬢のパーティーに出席してヴァイオラ嬢を見初めて彼女とダンスを踊るところなど ロミオとジュリエットの出合いの場面そっくり。
シェイクスピアはこういう体験をもとにして、あの劇の場面を書いたのだと見る者に想像をかきたてる。シェイクスピアは真剣にヴァイオラ嬢に恋しているのに、彼女を巨大な持参金つきの美しい娘として、ある貴族が父親と勝手に話を進め、女王の許可のもとに妻としてしまう。ここにシエイクスピアの恋の悲劇がある。その貴族にパーティの場面でナイフを首につきつけられて、パーティを追い出される。

私はオリビア・ハッセーがジュリエット役の映画の仮面舞踏会で歌われる歌をふと思い出した。私の心に響いたあの歌は忘れることが出来ない。
歌詞はシェイクスピアのソネットによく出てくるテーマにある若さと無常である。光陰は夢の如く過ぎ去る、若く美しい花はやがて色あせて散っていく。甘い青春の香りが漂う美しい季節がきたら、乙女よ恋をしよう、そこでこそ人のいのちを燃やし、愛の花を開花させることが出来るという様な印象の歌はこの劇の全編を貫く神秘な糸である。
さて、シェイクスピアは 館のバルコニーに出る。あれこそ、有名な名作のバルコニーの場面を再現したのだろう。
ヴァイオラ嬢は「ロミオ、ロミオ」とつぶやき、「ヴェローナの若者」と言い、「シェイクスピアの喜劇」と独り言を言う。{そうだ、最初は喜劇として書かれようとした台本がいつの間に悲劇に変っていく}
そして、下で聞いていたシェイクスピアが「ヴァイオラ様」と答える。会話はかなり違うけどあの有名な場面の会話を思い出す人は多い筈。シェイクスピアはヴィオラ嬢の乳母に大声をたてられ、一目散に逃げ、自分の部屋に戻ると一気に筆が進む。「ロミオとジュリエット」の完成に向かって。 
 Shakespeare In Love
監督 ジョン・マツデン
主演 グウイネス・パルトワロウ
       ジョセフ・ファインズ

 

ロミオとジュリエットの有名なバルコニーの場面。この場面はこの「恋におちたシェイクスピア」という映画の様に、もしかしたらシェイクスピアがヴァイオラ嬢との恋を経験して、創作したのかもしれない。
さて、本物のではこうなっている。{ 訳は坪内逍遥から、ただし、ごく一部に読みやすくした所があります}
Romeo. But soft , what light through yonder window breaks?
や、待てよ! あの窓から洩るる光明は?
It is the east and Juliet is the sun!
あれは 東方 なればヂュリェットは太陽じゃ!
Arise fair sun and kill the envious moon
ああ、昇れ、麗しい太陽よ、そして嫉妬深い月を殺せ、
Who is already sick and pale with grief
That thou her maid art far more fair than she.
あいつは腰元の卿の方が美しいのを悔しがって、
あの通り、青ざめている。
Be not her maid since she is envious,
あのやきもち屋に奉公するのはよしゃれ
Her vestal livery is but sick and green
あいつの衣服は青白い嫌な色ぢやゆえ
And none but fools do wear it. Cast it off.
あほの外は誰も着ぬ 脱いでしまや
It is my lady, O it is my love!
おお、 ありゃ 姫じゃ。 恋人ぢや!
O that she knew she were!
ああ この心を知らせたいな
She speks, yet she says nothing . What of that?
何やら言うている。いや、何も言うてはいぬ。 言はいでもかまわぬ
Her eye discourses, I will answer it.
あの目が物を言う あの目に返答しよう
I am too bold. ' Tis not to me she speks.
ああ こりゃあんまり厚かましかった 俺に言うているのではない
Two of the fairest stars in all the heaven,
大空中で最も美しい二つの星が
Having some business, do entreat her eyes
To twinkle in their spheres till they return.
何か用があってよそへ行くとて その間 代わって
光ってくれと姫の眼に頼んだのぢゃな。
What if her eyes were there, they in her head?
もし眼が星の座におり、星が姫の頭に宿ったら、何とあろう!
The brightness of her cheek would shame those stars
姫の頬の美しさには星もはにかまうぞ
As daylight doth a lamp. Her eyes in heaven
日光の前のランプの様に。しかるに天へのぼった姫の眼は
Would through the airy region stream so bright
大空中を残る隈もなく照らそうによって
That birds would sing and think it were not night
鳥どもが昼かと思うて さぞ さえずることであろう
See how she leans her cheek upon her hand.
あれ 頬を掌へもたせている
O that I were a glove upon that hand,
That I might touch that cheek.
おお あの頬に触れようために あの手袋になりたいな
Juliet Ay me.
ああ ああ
Romeo She speaks.
物を言うた。
O speak again bright angel, for thou art
おお、今一度 物言うて下され、天人どの! 
As glorious to this night, being o'er my head,
頭上にこの夜 光り輝いておいやる姿は
As is a winged messenger of heaven
羽のある天の使いが
Unto the white -upturned wondering eyes
驚きあやしんで 目を白うして
Of mortals that fall back to gaze on him
後ろへ下がって見上げている人間共の上に
When he bestrides the lazy-puffing clouds
静かに漂う雲に乗って
And sails upon the bosom of the air.
虚空の中心を渡っているよう
Juliet O Romeo,Romeo,wherefore art thou Romeo?
おお、ロミオ、ロミオ! 何故 おまえは ロミオじゃ。
Deny thy father and refuse thy name. 
父親をも、自身の名も棄ててしまや。

 

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