空華 ー 日はまた昇る

小説の創作が好きである。私のブログFC2[永遠平和とアートを夢見る」と「猫のさまよう宝塔の道」もよろしく。

男はつらいよ,寅次郎サラダ記念日と良寛

2020-11-23 13:50:40 | 映画「寅次郎サラダ記念日」

男はつらいよ  寅次郎サラダ記念日 山田洋次監督 

久しぶりに寅さんを見た。
サラダ記念日と言えば、短歌が日本中に一大ブームを起こしたことを思い出す。
駅前の大きなビルから、短歌の垂れ幕が商売とは無関係のような形で、日本古来の伝統文化を復活させる勢いで、優雅に垂れ下がっていたことを思い出す。
個人的には和歌といえば、良寛を思い出す。
例えば、【風は清し、月はさやけし、いざともに をどり明かさむ 老いの名残りに  】

寅さんが田舎のバスの停留所で、一時間に一本というバスを待っていると、ふとしたことから、そこで同じように待っている、八十近いお婆ちゃんと知り合う。彼女は夫に先立たれ、息子夫婦は東京に出て、帰ってこないという。
お婆ちゃんが御馳走するから、来ないかという。寅さんは迷いながらも、お婆ちゃんのことが心配ということもあり、彼女の家で夕飯を食べる。
お酒が入るから、歌も歌う。お婆ちゃんは喜んでいる内に、手を合わせ、死んだお爺ちゃんに話しかけている。
ふと、寅さんはお婆ちゃんが寅さんの背後にいるお爺ちゃんに話しかけているような感じがした。寅さんはぞくっとする。お婆ちゃんに誰もいないよ、と話すと、お婆ちゃんはそれを否定して、寅さんの背後の仏間にお爺さんが出て、彼女に話しかけているのだと言う。
そのお婆ちゃんの真剣で、いかにもそこにお爺さんがいるような話しぶりに驚くと同時に、
背後に幽霊でも出てきたのかという思いに、またぞくっとする。
寅さんの慌てぶりに見る方が思わず笑いを誘われる場面である。

やがて、そこに、車で訪問してきた女医【三田佳子】がお婆ちゃんを説得して、病院に連れて行こうとする。お婆ちゃんは女医の言うことを聞かない。ところが、そこに寅さんが来てお婆ちゃんに声をかけると、寅さんが行くなら病院に行くと答える。

これが寅さんと女医の出会いである。女医は旦那を事故で無くしている。それでも、辺地の医療に熱心に取り組んでいる。
「長く住み慣れた自宅で死ぬのが一番いいのよね」というまじめな医療な話にも、寅さんも同意するのはいいとしても、その答え方が「私は注射が嫌いですから。そんな風になったら、即死を望みます」という。その答え方が女医には面白い人という印象を与えたらしい。病院で、寅さんがお婆ちゃんの見舞いをしていると、お婆ちゃんはあの女医さんは旦那さんを亡くして寂しい思いをしている方です。なぐさめておやりという言葉を聞いた寅さん。女医から食事を誘われる。自宅はすぐそば。ちょうど、その時、姪ゆきが東京から、お見合い写真を持って来ている。
女医が借りている家で、食事をして三人が会話をしていると、これがまたこっけい。
「小諸なる古城のほとり雲白く遊子悲しむ」という詩の話がでたが、女医さんが「遊子って寅さんみたいな人をいうのじゃないかしら」と言うと、寅さんは藤村の詩と知らないで、「遊子」を「勇士」と勘違いして、謙遜して真田十勇士の話などして笑いを誘い、二人に面白い小父さんという印象を与える。
そして、帰るところは男らしいカッコよさ。
引き留める二人に、「女の一人暮らし、それでなくとも、噂の種ですから」と言って出る。
玄関を出ると、「寅さん、あたし、うっかりしていたけど、今夜 泊まる所、おありなの」
「一年中、旅暮らし。ねぐらを探すのには慣れていますから」と寅さんは言い、思わず夜空の月に気がつき、「いい月ですな。それでは」と言う。

寅さんはそのあと、静かに葛飾柴又に帰って来る。悩みがあるという寅さんのもらした言葉に皆の関心が集まる。妹のさくらの旦那ひろしさんが悩みの種を聞こうとする。
そこで「小諸なる遊子悲しむ」の話が出る
皆、寅さんの話から、困ったお婆ちゃんを助けた話と、医者の話しか聞かされなかったので、美人の話が出てこないのを不思議に思う。
そのあと、チンチン電車の終点が早稲田だと教えられ、早稲田大学に女医の姪ゆきに会いに行く。
大隈像のそばに立っていると、沢山の学生の中に、二人 走っている男がいるので、それを呼び止め、「何やっているんだ」と言う。「走って身体を鍛えている」と答える学生に
「頭を鍛えろ」と言い、「ゆきちやん知っているか」と聞くと知らないと言うと、「早稲田にいて、ゆきちゃんを知らないのか」と。
こういう珍問答をしながらも、西洋近代史にゆきが出る筈だと探し当てた学生は寅さんに教室を教える。

そのあとの寅さんと早稲田大学の教授との珍問答はさらに面白い。寅さんの奇妙な質問にも鷹揚とかまえる先生も立派だ。学生からは上手な落語か漫才を聞いたような楽しそうな笑いが教室の中に広がる。
【 寅さんが早稲田の杜にあらわれて やさしくなった午後の教室   】

女医は久しぶりに東京の母の元に来て、見合いの話を聞かされるが、断る。
そこに姪のゆきが来て、寅さと会ったと言い、今、柴又にいると言う。女医は寅さんのいる
柴又に電話して、寅さんを慌てさせる。
女医は寅さん一家を訪ねる
【  朝刊のようにあなたは現われて
はじまりという言葉かがやく 】
【愛ひとつ受けとめかねて帰る道
   長針短針重なる時刻 】
お婆ちゃんが危篤ということを女医の姪ゆきから聞き、ゆきのガールフレンドの男の車で信州の病院へ。
既に亡くなっていたと聞く、「お婆ちゃんが家であんなに、死にたがっていたのに」と悲しむ女医を慰める寅さん。
そのあと、寅さんはゆきがご飯の準備をしているのに、帰ると言う、そして
引き留める姪に「叔母様には困った時に、ちゃんと筋道をたててお話しできるような人が必要なんだ。ゆきちゃん、探してあげな」と寅さんは言う。
「その人が寅さんじや、いけないの」
「冗談いっちゃいけない。叔母様が聞いたら、怒るよ」
「寅さん、好きなんだ」と姪が言う。
ここでも、知性派の女医さんと無分別の巨人【仮にこう言います。他に適当な言葉が見つかるまで 】 寅さんのギャップを見る。

葛飾柴又では、いつものように、寅さんの噂話があるが、寅さんにタコ社長という風に言われている人が、「初めからつり合わないと思っていたよ」と結論を言ってしまう。



昔は身分違いの恋愛が燃えるという物語、ロミオとジュリエットみたいに敵同士の恋。
若きヴェルテルの悩みのように、婚約者がいるロッテに恋する悲劇、という色々なタイプの恋物語があった。
寅さんのこの映画では、恋愛の入り口で、自らシャットアウトしている。もっとも、ここで、恋愛という風になると、次の映画のストリーができなくなるという裏方の事情もある。
だが、山田監督は早稲田大学の珍問答に見られるように、知性派と無分別の巨人寅さんをぶつけていくところに、現代の物語を提出しているのではないかと、想像してしまう。
こんな思いに囚われると、やはり、良寛を思い出すのは私にとっては必然である。
良寛は子供と隠れん坊の遊びをする風変りなお坊さんと伝えられたようであるが、事実は
彼は寺なしの風変りな乞食坊主と当時の少なくない人に思われているところなど、寅さんと一脈通じるところがあると思われる。おそらく文字の読める人が少なかった当時の人には難しい漢詩を創作し、仏教の教えの深い所を歌う知と禅の巨人良寛を理解できなかったのではないかと思われる。
良寛はこの映画でいえば、早稲田大学教授と女医さんと寅さんを一つにしたような、強烈な個性の持ち主の人であると思う。現代は、本で良寛のそういう所を知る人が増え、愛好家も増え、良寛教といわれるほどであると聞いたことがある。

こうした良寛のような人がいたから、日本では、寅さんのような人が映画で絶大な人気を得て、銅像まで立つのではないかと、私は想像してしまうのである。

その証拠に、アメリカンドリームがついこの間まで信じられていたようなアメリカで寅さんが人気になったということを私は聞いたことがない。日系人の多いブラジルでも、人気が出てこないと聞く。



日本に寅さんのような人物が出てきたのは伝統の力であると思う。今の社会は寅さんと正反対の金銭至上主義の社会になって、余裕のない競争の激しい社会になってしまったけれど、日本人のどこかにこの寅さんのような人を懐かしむ文化が残っていると私は思うのですけど、いかがでしょう。
今の日本の文化に室町時代の影響が強いということを聞いたことがある。室町時代は禅宗の盛んな時代である。金閣寺、銀閣寺がその象徴のように思える。良寛は江戸時代における禅宗の歴史に残る大家だったのである。