空華 ー 日はまた昇る

小説の創作が好きである。私のブログFC2[永遠平和とアートを夢見る」と「猫のさまよう宝塔の道」もよろしく。

明珠の町

2022-05-12 20:09:17 | 文化


今日は。今回は三十数年前に書いた私の長編小説から拾った散文詩になりそこねた文章の紹介です。脱原発をテーマにしたこの長編は本にして、一流の芸術家 武満徹氏から礼状をもらったもので、私にとって、記念碑的作品です。ご紹介する文に至る簡単なあらすじは、主人公が親友のいる明珠の町に来て、その家でしばらく滞在している時の様子を書いたものです。



明珠の町

彼はお茶の専門店で買った新茶の封を切って急須に入れた。中に絹のような緑茶の若葉がさらさらと音をたてて落ちた。入れ過ぎたかなと思ったが、まあ大丈夫だろうと考え、ちょっと首をかしげた。
 彼女は、陽気だった。軽い歌が彼女の喉の奥の方で歌われ、それは静かな部屋の中に十九世紀のレコードの様にやさしい音の流れとなって、澄んだ小川を流れる笹舟のような神秘な乗り物となって空気の中をさまよっていた。彼はその楽しげな彼女のピンク色の頬を見、急須の中にポットから流れ出る湯の上空に立ちのぼる湯気の白さを何ということもなしに見詰めた。湯気は魔法の国の雲のように感じられ、壊れた目覚まし時計のようなじいーっという湯の音が心地良かった。
「壁にかかっている油絵は、あなたが描かれたの?」
 彼女の視線が室内の調度品を描いたやや黄色味を帯びた油絵とカーネーションを描いた水彩画にそそがれた。
「ええ、こちらへ来てから描いたものです。うまくいきませんでした。なにしろ、絵は始めてからまだ日が浅いので、満足なものが描けませんよ。ハハハ」

 彼は改めて自分の絵を見、自分でも上手下手の評価をくだせないでいる、やや粗雑な感じのする描き方に不安を感じていた。カーネーションは今は部屋の隅の花瓶に挿してある。それを見た時はその美しさにはっと心をうたれたものだ。キリストの言われた「野の百合は宮殿より美しい」というにふさわしい美しさだった。生き物の美しさは人工の美しさがいくら頑張っても到達できない自然の神秘ないのちの深さを感じる。それで、思わずカンバスに向かい、絵にしたのだ。
油絵は窓から見た庭とその向こうに見える夕日の落ちる丘のような山という風景である。
彼女の視線が絵から彼の瞳に向けられ、その慈愛に満ちた深い瞳は彼に安堵の気持を与えて、今度は湯飲みの花模様に眼差しが移っていった。彼女は、そうして視線を徐々に移動させながら、さりげない調子で言った。
「日が浅いにしては、大変おじょうずな絵だと思いますわ。でも、正直言いますとすごくうまいというよりは、何か心の底を洗われるようなポエムを感じさせる面白い絵だと思います」
 彼女はその時、彼の方にきらりと光る知的な瞳を向け、やさしく微笑した。
「そんな風に言われると、大変うれしく感じるのですけど、絵にはそんなに期待していないんです。ただ、心の中にストレスがたまって来た時、そのもやもやした気持ちを吐き出すのにいいんです。カンバスの中に、様々の色をぬりたくっていくと、不思議に自分の心が洗われていくのです。小説を書いてもそういう効果はありますが、小説の場合の方は少々プロ意識を持っていますから、うまく書けないとむしろいらいらしてしまうことがあります。その点、油絵の方は本当に趣味ですから、へたに描けてもそれなりに憂さ晴らしになるものです。どうです。貴方も描かれてはいかがです」
「私はだめなんです。子供の時代から、文章を書いたり絵を描いたりするのは苦手なんです。小説を読んだり、展覧会に行って絵を鑑賞するというのは、随分経験を積んだつもりなのですけど、でも、自分自ら創作してみようなんていう野心を持ったことは、ついぞありませんのよ。最初から自分にはそんな才能はないのだとあきらめているのでしょうね。」 

 窓の外には、五月のさわやかな青磁色の空が広がり、綿のような白雲が棚引いていた。彼はポットから再び急須に湯を注ぎ込み、花模様のついた二人の白い湯飲みにお茶を入れた。その温かい湯気のぬくもりが顎のあたりをゆらゆらなめていくのを感じて、五月の空を眺めた。
「本当に素晴らしい天気ですわね」
彼女はうれしそうな視線を湯飲みのお茶にそそいだ。
「僕はなぜか唐の都長安を思い浮かべます」
彼は唐突な調子でそう言った。
「長安ですって?」
彼女は驚いたように目を大きく見開いて、彼を見詰めた。
「そうです。唐の都長安です。僕はこの明珠の町に来た時から、長安のことを時々考えるのです。確かに、ここは長安に比べればはるかに小規模な町です。
しかし、千五百年前の国際都市長安が大規模であったことを除けば、ひどくエキゾチックで、しかも文化と魅力に富んでいるという点では、明珠の町は長安によく似ているのです。小さくともある種の謎を秘め、魅力があるのです。この部屋で、あなたのような方とお茶を飲み青空を眺めていると、なぜか長安の都がありありと目に浮かんで来るような気がするのです。
 花のような美しい季節。長安の都は、様々の人々にあふれ、活気を呈している。若者も乙女も純な瞳に輝き、音楽か舞踏に身をまかせている。最高の宗教の深みと平凡な生活の彩りが、さながら絵巻物のように長安の空と大地をカンバスにして描かれるのです。
 とまあね。こんな風に想像するのです。古代ギリシャのアテネでもなくローマ帝国のローマでもなく、まさしく唐の都長安でなくてはならないのです」
彼はちょっとした詩的気分を味わっていた。彼女はちょっと笑った。屈託のない健康な笑いだった。
「あなたはやはり詩人ですわね。最近は実務的に物事を考える生活に慣れしまっているので、そんな話を聞いていると、やはりとてもうらやましくなったりうれしくなったりしますわ。
 私はすっかり現実的な人間になってしまったみたい。今は、憧れの都などというものはなくなってしまいましたし、明珠の町も見慣れているせいか、そんな深い詩情を味わうなんていう、高級な精神状態になることは最近滅多にありませんわ 」
「随分謙遜されるのですね。あなたの魅力は、そうやって謙遜される純な雰囲気にあるのですよ。ご主人の木村君は、そうしたあなたの心の気高さに惚れ込んだのでしょう。あなたは相当芸術にも造詣が深いそうじゃありませんか。作詞作曲もいいものを書くというし、ピアノの腕もかなりのものだという話じゃありませんか」
 彼女は手を口にあてて笑った。それはさもおかしくてしかたないという風に部屋の中に響いた。
「昔、十代の頃はあたしも少しは詩人だったかもしれません。でも、芸術ってそんな甘いものでないことが最近、ようやく分かってまいりましたわ。あれはやはり才能がないと駄目ですよ。確かに、作詩・作曲は一時熱中して量の上では相当つくりましたが、人に見せられるのはそのうちいくつ、あるかしら」
彼女は一瞬 顔を曇らした。
「芸術がはてしなく、奥が深いということ僕にも理解出来ます。なにしろ、ゴッホは気が狂ってしまいましたからね。ゴッホだけではありません。ドイツ詩の最高峰であるヘルダーリンも後半生は精神を病みました。それに近い芸術家は沢山います。僕はそれでも芸術は素晴らしいし、人類の生み出した最高の文化だと思うし、芸術家を尊敬します」
「それはあたしも同じですわ。優れた芸術は生きる希望を与えてくれますもの」
「ある哲学者が言ってましたけれどね。芸術というのは神仏を直感的に表現することだと言っているのを考えてみても生易しいものではありませんね。僕も途中で挫折するかもしれません」
「本が売れてるそうじゃありませんか」
「ええ」と彼は生返事をした。そしてちょっと黙りこくった。彼は創作の展開の上で人物描写に行き詰まっている所があったので、その点の彼女の意見を聞いてみたいと思った。
「所で、お聞きしたいのですけど、僕は小説を書く時、人物の書き方が下手だといわれるのです。あなたなら人間というものをどういう風に描きますかね」
彼は自分が東京から送った小説についての彼女の詳しい批評はまだ聞いていなかった。明珠の駅で最初に会った時、そのことが話題に出て面白い小説だとほめてくれた時は嬉しかったが、それ以後 聞いたことはない。自分の小説の人物描写についての感想をふまえて、人間についてどう彼女が考えているのか喋って欲しいと彼は期待した。
彼女はちょっと真剣な表情になった。そして言った。
「難しいわね。今 あたしの頭の中にひっかかっているのはパスカルの言う繊細の精神ですわ」
彼は彼女が何を言い出すのか少なからず興味を持った。
「繊細の精神?」
彼はそうまるで独り言の様に言った。
「人間には繊細の精神と幾何学の精神を持つ二種類の人間がいるということですわ。御存知?」
「ええ、昔 読んだことがあります」
「この繊細の精神でとらえられる宇宙に興味がありますの」

 彼はその時、突然小説の構想が浮かんだ。彼は頭の中に浮かんだアイデアが気に入ったので空想の翼を広げたかった。彼女との会話を打ち切るのも悪い気がしたので、彼女の湯飲みにお茶を入れたり、自分も飲んで、適当に彼女の言葉に相槌を打っていた。
 彼のアイデアは、今まで歴史小説を書きたいと思っていた延長線上にあった。それは唐の都長安を描いてみようというものだった。そして今、彼女が喋っている繊細の精神と幾何学の精神の対立を描いてみれば面白いと思った。確かに彼女の言う様に彼の人生経験から言ってもこの繊細の精神を持つ人間と幾何学の精神を持つ人間の対立は深いと思った。物事を全て論理と理性で割り切って人生を渡っていく幾何学の精神の持主には今までも少なからず反発を覚えたものだった。そして今の日本が繊細の精神を持つ人間を非能率的な人間と断定してそのナイーブな魂の素晴らしさに気がつこうとしないし、気がついても軽蔑していることに腹を立てたことが何ども今までにある。だからこそ、彼の好きな長安の都を舞台にしてこの二つの精神の対立を書くことに興味があった。なにも唐の都、長安でなくても良いはずなのに、その時の彼の空想は昔の長安に空想の翼を広げたのだった。
 一体なぜ彼が唐の都長安にひかれるのか、彼自身よく分からない所があった。彼は、今まで自分が身につけてきた教養の多くは西欧的なものであるということを認めていた。そして、中国については、大した知識もないし、勉強もしていなかった。それでも、長安に惹かれるのは漢詩を読んだせいかもしれない。
唐の都長安は彼の心の奥底で長い間生きていた。この都で生きていた人々の喜びや悲しみは、どんなものであったのだろう。彼と同じような境遇で生きた男もいたに違いない。もちろん、時代や生きた場所に大変な違いはあるが、必ず彼にとって魅力的な人物がいたに違いない。その人は大変魅力がありながら、人生の苦悩を味わっていたに違いない。そうした埋もれた人生を発掘したいと彼は思った。
「きっと、あなたのように繊細の精神に富む女の方が、唐の都長安にはたくさんいたのですよ。ですから、長安は魅力なんだ。あなたのように純で清楚な人が、今の時代には大変少なくなってしまった。それに比べ、昔の長安にはたくさんいたのですよ。恋愛というと、ロミオとジュリエットなどのように西欧的なものしか思い出さない傾向にありますが、
それはおそらく片寄った見方でしょう」
 話題が又長安にもどったことに多少の物珍しさを感じたような瞳をちらりと見せた夫人は、再び静かな微笑に立ち返っていた。
「それは買いかぶりというものですよ。私が今誇りに思っているのは、二人の子供達だけですわ。自分の子供は、誰にとっても宝でしょう。その点では私の場合も同じです。ですが、今の私にとって、理絵と正武は私の生き甲斐であると同時に、私に様々のことを教えてくれる先生でもあるのです。二人とも、まだ幼く何も知らない子供達ですが、私の目から見ますと実に神秘的なんです。何もない所から一個の生命を形づくり、数年の歳月の間に人間としての歩みを始めました」

 


【久里山不識】
1 三十年以上前に書いて、本にした長編小説の長い文章の中から、推敲すれば散文詩になりそうな場面を拾ってみました。 【推敲すれば】ですけど、今、体調が悪いので、推敲する時間がとれず、少し手を入れる程度で、掲載します。長編ですから、散文詩の候補はいくつもあります。いくつも紹介して、面白そうだとなれば 長編小説全体を推敲しながら、長編を中編ぐらいにまとめることも考えねばなりませんけど、それをやるのはやはり、体調が回復してからということになるかと思います。
今回の文で、パスカルの幾何学的精神と繊細の精神の対立というのは文芸のテーマとしては面白いテーマと思います。
今の日本では、幾何学的精神の持ち主の方が優遇される傾向にあるのかもしれません。繊細の精神が軽く見られるというのは、今の日本に広がっていると思います。だから、ネット中傷なんかがはやるのかもしれません。
世の中全体が、長い時間の実務を要求するからでしょう。長時間労働と激しい競争が原因と思います。その点、ブログに花や鳥や大自然を撮る人、絵を描く人、優れた音楽を聞く人、詩を書く人それに、自然の中を歩く人は繊細の精神を無意識に磨いている方だと思います。
この本を作った当時はインターネットもブログもありませんでしたので、三十年以上前の私の場合、いきなり本にするのがベターだったのです。昔は宮沢賢治のように、出版社に原稿をいきなり持ち込む例もあったように聴いています。賢治の場合は断られ、無名のまま死んだようです。自費出版もしたようですが売れなかったようです。
あの有名な「銀河鉄道の夜」も死後、認められたと聞いています・

2  年相応の故障のため、三月下旬までお休みします。よろしくお願いします。




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