空華 ー 日はまた昇る

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たそがれ清兵衛

2020-12-06 11:14:43 | たそがれ清兵衛


映画「たそがれ清兵衛」の見どころはやはり、たそがれ清兵衛が藩命により、果し合いに行く直前だと、私は思います。


その日の夕方、お蔵奉行がやってきて、堀将監家老の元にきてくれという。この奉行は人間はよさそうである。しかし、堀家老はひどい奴というのが、人相にも言葉にも出ている。
江戸で謀反があり、幕府に知られずに、上意討ちで始末したことは知っておるなと、清兵衛は言われる。
そのさい、切腹を命ぜられた善右衛門は 忠勤をつくしてきた自分が切腹するのはおかしいと抗議して、屋敷にたてこもり、追手としてきた目付を一刀のもとに切り殺してしまう。
なにしろ、善右衛門は藩内に敵なしという一刀流の達人である。
清兵衛は、善右衛門を明日、打ち取れと言われる。これは藩命であると。断ると、お役御免、藩外追放であるとも言われる。
しかし、清兵衛は昔は少しは剣の使い手と言われたこともあるが、今は生活に追われ、剣の道に励んでいないから、無理であるから、ほかの方にこの仕事はまわして欲しいと言う。
しかし、お上は駄目だと言う。
それでは、せめて一か月の剣の道の鍛錬の期間が欲しいと清兵衛は言う。
家老はそれもならぬと言い、怒り出す。
この辺りは、命令は絶対という、つまり現代のブラック企業を思い起こす。
仕方なく、清兵衛は引き受けて、彼のことを心配するお蔵奉行がもし万一の場合は、認知症の母と、二人の娘のことは藩が面倒を見ると言う。清兵衛はそれを聞き、安心しましたと覚悟を決める。
まあ、ひどいものですな。
下級武士の生活の貧しさもひどいが、無理難題の命令も藩命となれば、断ることは出来ない。


そして、翌朝、清兵衛は現場に向かう。そのわずかの間に、幼馴染の朋江を呼び、兄からの縁談を引き受けなかったことを謝り、無事に帰還したら、自分の妻になって欲しいと今までの思いを打ち明ける。しかし、朋江は数日前、会津のご家中との縁談があり、引き受けてしまったと告白する。
その時、玄関に迎えの役人が二人来ている。
「どうかご無事でお帰りください」と言い、清兵衛が果し合いのために、玄関を
出る場面、これは名場面でしょうね。
藤沢周平の小説にはこういう結ばれない愛というのがクローズアップされるようだ。
「蝉しぐれ」もそうだったと記憶している。


清兵衛は出ていく。現場には役人が数人いて、「相手はけだものみたいな状態になっている」と言う。玄関さきに目付の死体がころがっている。
「ごめん」と清兵衛はその貧乏屋敷に入る。
中に、男が酒を飲んでいて、「やはり清兵衛か」と言う。この一刀流の使い手とたそがれ清兵衛のやりとりは面白い
「まあ、酒を飲め」と言われた清兵衛は「藩命により、あなたを殺しに来た。刀を抜いて下さい」と言う。しかし、男は刀を抜かず、清兵衛を人情話に持っていく。どれほど自分は藩のためにつくしたか、分からないのに、藩の抗争の犠牲になって、こうやっている。清兵衛は禄高いくつだと言われ、清兵衛は「五十石」と答える。
それでは食うのがやっとだなと言われ、清兵衛もつい剣に訴える気持ちを失い、自分の貧しい生活を披露して、実は父から譲られた大刀も売り払い、これは竹光なんだと言う。
男は驚き、「俺をそれで切ろうとしたのか。俺を馬鹿にしたな」と怒る。そうではないと弁解する清兵衛のことを聞かずに、男は大刀で切りかかる。清兵衛は逃がしてやりたいという気持ちを持つようになったせいか、中々刀を抜かず、
抜かないで、相手が大刀を家の中で振り回すのをよける。
しかし、大刀は家の中では意外に使いにくい。清兵衛は小太刀で勝負を挑もうとしていたのだ。何故なら、清兵衛は小太刀の名人だったのだ。ついに清兵衛はその小太刀を抜く
清兵衛も傷つき、危なくなる。
ついに、一刀流の善右衛門は 家の中で大きく太刀を振り回し、清兵衛に切りかかる

しかし 大刀は家の天井のかもいにはばまれる、その瞬間 清兵衛の小太刀が
一刀流の男の腹を切る。



そして、家に戻ると、子供たちが待っていた。右手で下の子をかかえる。まだ余裕の勝利者の安堵感。
そこに上の子の呼びかけで、朋絵が出てくる。
彼女は言わずとも、先の義務の婚約を破棄して、死んだかと思っていた清兵衛を待っていたのだ。これは感動的だ。

そのあとは上の娘が語り部になり、幼馴染の朋江が清兵衛の妻となり、語り部の母となった幸せは三年と続かなかった。
そのあとにきた、戊辰戦争で賊軍となった藩の兵士として、父は官軍の銃で撃たれて死んだという。
その後の明治維新では、出世した友人が、「たそがれ清兵衛」は不運な男だったというが。娘の私はそうは思わない。きっと幸せであったに違いないと、清兵衛と朋絵の眠る墓で語り部の長女、今は初老の女が田舎の風景の中で墓に一人ひざまづく。

見終わった時の、静かな感動と人生の不思議さ、多くの人生の中の一つの魅力ある人生が散ったことを一輪の美しい花が散ったのであろうか、それとも、美しい音楽が鳴り響き、消え去っていく寂しさがわが心に風のごとくふきすさんだのであろうか。




さて、「たそがれ清兵衛」とみんなから、清兵衛が言われた由来をちょつと言っておこう。そうすれば、この清兵衛の見どころにまで行く、そのクライマックスにのぼっていく、物語の雰囲気がよくわかると思うので。

映画では、藩内の争いは平侍の清兵衛には殆ど無関係に、遠い世界の出来事として、噂として清兵衛の耳に入るという風に見える。


映画の最初の方では、お蔵役の仕事を終えた清兵衛を同僚が酒に誘うが、それを断り、たそがれ時になると、ひたすら家路に急ぐ姿が紹介され、家には労咳で死んだ妻の後に残されたのは二人の幼い娘、それに認知症の母が待っている。母は清兵衛の顔すら、時々忘れる。
「どなたですかの」
「井口清兵衛でがんす」
ああ、息子の顔を忘れてしまうとはと嘆く清兵衛。
現代の高齢化社会の認知症の問題を意識的に山田監督がとりあげたのであろう。

映画では、認知症の母と二人の幼い娘という生活をみかねた叔父がやってきて、縁談を勧めるが、清兵衛は断る。


この幼い娘が映画での重要な語り手になっているのだが、彼女の話によると、川に魚釣りに行くのが楽しみではあつたが、その頃、凶作で飢え死にしたお百姓の死体がよく流れてきたと回想している。

清兵衛は京都から帰ってきた親友の飯沼と話をする。飯沼は京都の騒乱ぶりを話し、いずれ天下は動くと言い、京に行かないかと誘う。しかし、清兵衛は武士で駄目なら、百姓になると言い、清兵衛を見込んでいる飯沼から変わっていると言われる。その妹の朋江が千二百石の大家に嫁いだが、その相手がひどい酒乱で、なぐる蹴るという暴力を朋江にするのだった。兄の飯沼は、見かねて、離縁させ、今は、彼の家にいることを清兵衛に打ち明ける。

清兵衛が家に戻ると、家には、その幼馴染の朋江が来ていた。久しぶりの歓談のあと、清兵衛は朋江を兄の家に送って行くと、家の中では、その酒乱の元夫が朋江との離縁のことで、兄を非難し、せめたてている。
清兵衛は見かねて、口出しし、喧嘩になり、成り行き上、果し合いを引き受ける。飯沼から死闘はご法度だと言われた清兵衛は考えてみると言って、帰る。



さて、翌日の果し合い。棒切れで相手をする。相手は大刀。そして、相手に傷を負わせずに、清兵衛が相手をたたきのめすという見事な勝ち方で終わる。この話は、清兵衛の方で沈黙していても、どこからか噂としてもれる。

そんな清兵衛の元に、朋江はよく来るようになり、子供たちも楽しみにするようになる。
語り手の娘の話によると、一緒にお祭りに行った時の楽しさは忘れられないと。

武家は商人や百姓のお祭りに参加しないという習わしがあったが、朋江は関係のない顔をしていたし、武家の暮らしはお百姓の暮らしがあって、成り立っているということを娘に教えてくれたそうだ。


さて、ある日、釣りに出た飯沼と清兵衛。飯沼は、藩主が一か月前に亡くなったと告げる。三男を擁立しようとしていた堀将監一派が大きな力を持つ可能性があることをほのめかす。江戸に行く前に、飯沼は親友の清兵衛のもとに、妹の朋江を再婚させようと説得する。

しかし、清兵衛はこんな貧しい暮らしに朋江は耐えられないと言って断る。川には、凶作の犠牲者の死体が流れているのを見た清兵衛たちは釣りをやめる。
それから、朋江は来なくなる。不思議に思う子供達の心を語り手が伝えてくれる。

その内に、家老、堀将監が江戸から戻り、藩主の死を伝える。改革派と堀将監の抗争は噂になるが、平侍の清兵衛達には関係のないことで、藩主の死が伝えられたその日は早々と仕事を終えて帰宅する。
ある日、清兵衛は飯沼の家を訪ねるが、朋江の姉が出てくる。
江戸おもてでの飯沼の様子を聞く。江戸では家老が変わり、切腹だの斬首だのということがあったので、清兵衛は心配していたが、手紙では何事もないようですと聞くと、安心したと姉に言う。清兵衛が帰ると、奥の部屋から出てきた朋江がおいかけてご挨拶をしなければと言うと、姉は「若い女がひとかどの侍と立ち話をするなど、みっともないことだ。それにあんたには縁談がすすんでいるのだから」と叱られる。

清兵衛の家では、内職の苦しい様子が紹介される。虫かごをつくり、商人から五百五十文と言われると、手間賃をあげてもらえないだろうかと頼む清兵衛、親方に話だけはしておくという商人。



このあとに、この映画の見どころ、清兵衛と一刀流の使い手、善右衛門との果し合いとその勝利、そして幸せではあるが、短い家庭生活が訪れるというわけである。

映像も素晴らしい。貧しさの中にもその独特の映像美が輝く。しかし、本当は映像でなくても、我々の日常の至る所に、美はころがっている。それを気づかせるかのように、平凡な暮らしの中に美を表現している。ともかく、良い映画であると思う。




【参考】
監督  山田洋次
真田広之、宮沢りえ、田中泯、小林稔侍、岸恵子、丹羽哲郎

日本アカデミー賞最優秀賞

原作   藤沢周平

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