空華 ー 日はまた昇る

小説の創作が好きである。私のブログFC2[永遠平和とアートを夢見る」と「猫のさまよう宝塔の道」もよろしく。

銀河アンドロメダの猫の夢想 31 【満月】

2018-12-29 09:34:34 | 芸術

 移動するには石炭で動く蒸気自動車か馬車しかない。路面電車をつくれという意見もあるが、今のところ、電気の技術の開発のめどがやっとたった段階で、実現は無理のようだ。伯爵は四頭立ての馬車と、エンジンに石炭という蒸気自動車の両方を持っているようだったが、この日は我々の希望もあって、馬車で行った。

 

町は広い自動車道路に大量の排気ガスを吐き出す大型の奇妙な蒸気自動車があふれ、空気は淀んでいるようだった。馬車は大通りをしばらくゆっくり行き、途中で横の広い通りに入り、そこから川のそばの通りを走った。そこは車は通行禁止になっているようだったので、馬車は少し速めに走った。川は汚れていて、いくつもの廃棄物が浮かんで見苦しかった。

 

吾輩は葛飾北斎や歌川広重の絵が好きだったから、もう少し町の美観を考えた街づくりができないものかと思ってしまうのだった。

 

吾輩の好きな絵がまぶたに浮かんだ。満天に星という美しい夜に、大きな緑の松の枝が青色の川面に下がっている。あたりは、素晴らしい江戸の静けさが漂っている。木造の橋の上の方に、満月がある。月の下は隅田川の美しい青色が広がり、橋の上には提灯を持つ色々な人たちが行きかい、沖合には漁り火が点々と並んでいる。

しかし今は銀色の弓形のレインボーブリッジと高いビルの見える綺麗な川に変身している。

 どちらに比べても、馬車で走るこの惑星の道は薄汚い煉獄の街角のようにも思えてくる。

 

 伯爵の話によると、建物はみな会社などで、外から入ることは出来るが、実際の店舗や企業そのものは地下に多く存在しているようなものだという。

確かに、この町は地下の街なのだ。外は移動に使うだけというのも、強い紫外線と暑さの二つで、地上は使えないわけではないが、長い歴史の過程で、地震が少ないこともあって、地下は安全というイメージが定着したといういきさつもあるようだ。

 

監獄は町のはずれにあった。比較的刑の軽い者が入っている所ということだった。伯爵はいつもの正装で出かけた。吟遊詩人と吾輩と若者モリミズがあとに従った。

銀河鉄道の乗客の観光の一環という触れ込みだった。伯爵は案内役。一番軽い監獄なら、それもそんなに不自然ではないと伯爵は言った。以前にもこの監獄は観光客が見に来ている。

 

馬車から外に出ると、熱い風が我輩の頬をなでた。何かキーという鳥の声が聞こえ、どんよりした雲の下をインコのように赤い小さな鳥が飛んで行った。外は、厳しい日射からくる暑さ。何かもやっとした黄色みを帯びた悪臭を放つ空気の流れがあちこちに漂っていた。

 

 トパーズ色の:堅固な監獄の入口を入ると、日射がなくなり、ほっとした。汗が噴き出してきたので、ハンカチを出して、手でぬぐった。

例のサルの彫刻があった。茶色の肌をしたサルは威厳のある顔つきをして、大きな石の門の上に座っていた。

サルはハルリラに微笑した。少なくとも吾輩にはそう思われた。

「ようこそ」という声が聞こえる。  

空耳のような静かな口調だった。だが彫刻にそんなまねができるはずはないと吾輩は思ったが、ハルリラはうれしそうに豪快に笑った。

 

受付の所に、兵隊が三人いた。上官らしい口ひげをはやした鹿族の青年兵士が薄手のカーキ色の制服を着て、立っている。

「身分証明書を」

「わしを知らんのか」

「知っております。ウエスナ伯爵閣下です。身分証の提示は規則ですので」

「分かった」と伯爵は言って、胸のポケットから証明書を出した。

「どんなご用件で」

「猫族の娘が逮捕されているとか。」

「はい、確かに」

「アンドロメダ銀河鉄道の乗客だろう。どんな犯罪を犯したのか」

「ああ、そうなんですか。私はそういうことは聞いておりません。鹿族の男と喋っていたとかいう容疑なんです。」

「その鹿族に何か問題があったのか。君も鹿族だろ」

「はあ、そうなんですが。彼はパンを大量に万引きしたというのですよ。何か仲間がいるらしく、そいつらにも持っていこうとしたふしがあるので、その鹿族の男も逮捕しました」

「彼女は」 

「取材とか言っていますけど、まだはっきりしていません」

「そうか。彼女に会わせてもらえんかな。こちらの方は、アンドロメダ銀河鉄道での友人なのだ」と伯爵は我々を紹介した。

吟遊詩人と吾輩は銀河鉄道の印となるカードを見せた。

「閣下のお頼みとあれば、」

我々はそういうわけで、地下に入って行った。堅固なドアを兵士はガラガラと音をたてる大きな錠を使い、開けると、薄暗い廊下がずっと続き、その廊下ぞいに独房があるらしかった。廊下の中も日差しがないだけ助かるが、熱いことに変わりなかった。

その廊下を過ぎ、さらに急な階段を降りると、次の廊下と独房が続いた。独房のドアには、青いプレートがあり、番号が書いてあった。

「猫族は地下三階になっています」

そこの廊下の入口に来ると、猫の写真が飾ってあった。

 

 吾輩は猫族のヒトでなく、猫そのものの写真になんとも言えない郷愁を感じた。

317号です」と兵士ははっきりした口調で言った。

「この独房は地下何階まであるのかね」と伯爵が聞いた。

「地下五階です。ただ、地下五階は兵隊の寝室にもなっています。我々も交代すると、そこで休めます」

なるほど、この国では、地下深い所の方が高級だということだ。地下の方が冷房がなくても自然の涼しさがあるということなのだろう。

 

「君等は自分の部屋を持っているわけか。酒は好きかね」

「好きですが」

「買うのはどこで買うのか」

「地下のドアから抜けると、地下街に出ますので、そこから五分ほどに酒屋があります」

「そうか。彼女のドアを開けたら、この金で飲んでくれ」

「え、でも、それをやると、勤務違反になります」

「他の兵隊分の酒代も渡しておく」

「はあ、でも」

「彼女の容疑は鹿族の男と喋っていたということだろう」

「はい、そうです」

「取材なのだよ。そんなことで、銀河鉄道の乗客を逮捕すると、宇宙鉄道法にひっかかって、あとが面倒なことになる。

よく、相手を確かめて、法律に基づいて逮捕することだ。裁判所の令状も必要なのだぞ。ただ、怪しいというような主観で逮捕してはいかん。それが法の精神というものだ。

この国もカントの平和憲法にある基本的人権を根付かせる必要がある。そうは思わんか」

「カントの平和憲法。基本的人権。初めて聞くので、勉強しなければならないと思います」

「そうだ。素晴らしい憲法でね。カント九条のことも宇宙インターネットを使って勉強したまえ。宇宙で、あれほど平和の尊重を具体的に定めているのはまれだと思う。カント九条は地球にある日本国憲法九条をそのままそっくり取り入れたものだ。両方とも宇宙の宝となる素晴らしい条文だよ。基本的人権については、今度、警察署の署長会議がある時に、わしから言っておく」

「分かりました」

 

 兵士は鍵でドアを開け、伯爵から金をもらい、敬礼をして、地下の下の方に行ってしまった。

虎族の若者モリミズが最初に独房の中に入った。「ああ、良かったね」と言った。独房の中はベッドがあり、彼女は毛布の上に黄色っぽい囚人服を着たまま横たわっていたが、モリミズを見ると、飛び起きた。

「あら、あなただったの。あたしは取材していたのよ」

「監獄で」

「そうよ。この惑星の監獄がどんな風か取材していたのよ。不可解なことをやっているのよ。近くで死刑囚の執行がされると、鐘がなり、それが連絡の合図でオオカミ族の看守が来て、ドアの細い窓からピストルの弾を一発打ち込むのよ。脅しよね。脅しでも、弾にあたって死んだり、怪我することがあるのだから、悪質よね。でも、この間、不思議なことがあったのよ。鐘がなったあと、ドアの前にすらりとした美しい女の人が立っていて、看守を平手打ちにしたのよ。それから、ドアの窓から、私の方を見たの。緑の目をした神秘に輝く色よ。あたし、あんな素敵な目を見たことがない。看守は慌てて、ピストルをうったけれど、方角違いで弾は天井の方に行ってしまったわ。」とナナリアが言った。

「魔界の知路だ」とハルリラが言った。

「面白い人ですね」と我輩は言った。

「面白いものか。魔界の女だぞ」

「どうして魔界と断定するのですか」

「思い出してご覧。最初に彼女を目撃したのは、邪の道だった。それに、彼女の豊かな金色の髪の毛の下に隠れてよく見えないが、二つの小さな銀色の角がある。」

「何か深いわけがあるのだよ」と吟遊詩人は言った。

詩人は優しい微笑をしていた。ウエスナ伯爵が厳粛な顔をして、ナナリアの前に出て言った。

「看守のピストルのことは、知らなかった。けしからん話だ。それはともかく、君が無事でよかった。皆、心配していたのだ」

「あら、すみません。ご心配かけまして。ありがとうございます」

 こうして、我々は馬車で、伯爵邸に戻った。

それから、夕食どき、ウエスナ伯爵が珍しく、顔を出した。

「皆さんは、隣のカナリア国に避難するお気持ちはありませんか。ここしばらく、動乱の嵐の時が来る。既に、巌窟王とお嬢さんはカナリア国に行っている。あなた方もいかがですか」

吟遊詩人は同意した。

伯爵はさらに言った。「ともかく、この国の民衆は貧しい。我々が立ち上がらなければ、いつまでもこの国の貧しさは続く」

吾輩は伯爵のその言葉を聞いて、良寛の和歌をふと思い出した。

「夜は寒し麻の衣はいと狭し

    うき世の民になにを貸さまし」

ひどく寒い思いをしている良寛はその中で貧しい民衆を救えない自分を嘆いているのだろうか。吾輩はこのひどく暑い国で、そんなことを考えた。

我々は巌窟王の後を追うようにして、カナリア国に一旦、避難することになった。カナリア国へは海を渡らねば行けない。カナリア国は大統領制で、民主主義の国である。

ウエスナ伯爵は革命勢力の指揮官の一人なので、とどまることになった。

海は地中海のような感じで、ちょうど、イタリアからエジプトに渡るような船旅に似ていると吾輩は思った。カナリア国はロイ王朝の二倍近い広さがあるということも宇宙インターネットの情報で知った。まあ、ロイ王朝にすれば、隣の大国で、隣に逃げた者を追うことは出来ないのだろう。

 それまでは恋の勝負では、軍配は吟遊詩人に上がるかと、吾輩は期待もした。一方、このシクラメンと吟遊詩人が結婚することになれば、カナリア国にとどまり、吟遊詩人の旅は終えるわけで、吾輩とハルリラのアンドロメダ銀河鉄道の二人旅となる。それも寂しいと複雑な気持ちはこの上もなかった。

それから、もう一つの人間関係もややこしい。

吾輩と若者モリミズ。そして監獄から助け出された取材中の猫族の娘ナナリア。これは三角関係なのだろうか。吾輩の気持ちしだいなのだろう。虎族の若者が懸想していることは確かだ。

吾輩の胸にも長い旅の中で、ふとめぐりあった一輪の花という趣がある。吾輩にはやはりあの良寛の貞心尼を待つ和歌が思い出される辛さがあった。

「君や忘る道やかくるるこのごろは

      待てど暮らせど訪れのなき」

そばにいるのに、良寛と似たような心境というのも何か奇妙な感じがしたが事実だった。それにしても、吾輩の胸の中では、結論は分かっていたのだ。

モリミズとナナリアのことは彼らにまかせ、吾輩は、吟遊詩人の気持ちだけを心配している、それが取るべき道なのだと。

 

 カナリア国に渡ることになった。

ハルリラの船の上での行動が吾輩の心をひいた。地球よりも小さいが黄金の色に近い満月がさえわたり、降るような星の光と夜の闇の中で、ハルリラは奇妙なことに珍しく剣をぬいて突きの練習をしていた。船の甲板の上には、夕涼みに出ている人が二・三見かけるだけで、誰もハルリラのことを気にしている風にも見えなかった。

ただでさえ暑い気候なのに夜とはいえ。そんな宙を突く練習をすれば汗をかくだろうと、吾輩は思った。思った通り、ハルリラはハンカチを取り出し、時々額の汗をぬぐっている。

そして又、剣で宙を突く。運動不足を補うためという理屈も思い浮かんだが、ハルリラの心の中で、何か嵐が吹き荒れていることを感じた。

 

吾輩は彼に声をかけて近づき、月光の元で、波の音を聞きながら、ハルリラと肩を並べ、静かに語った。

「運動もいいが、汗をかくだろう」

「ふふう。夜の船の上の剣の突きは気持ち良い。それに月の光がわが心を洗う」

 「何か悩み事でもあるのかい」

「悩み事。ハハハ。その悩み事をこの剣で一突きして、つぶしているのよ」とハルリラは笑った。豪快な笑いだった。満月がハルリラに微笑しているとも錯覚した。彼の魔法だろうか。波の音も気持ち良かった。

 何故か、吾輩の頭に、ナナリアの清楚な姿が浮かんだ。吾輩にとっても同じ猫族、宝石のように彼女の存在は輝くのだった。

 

               

                    【つづく】

 

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銀河アンドロメダの猫の夢想 30 【魔法界のアート】

2018-12-26 12:44:01 | 文化

 

 しばらくそこに滞在していると、カナリア国から十八才の娘がやってきた。

我々は伯爵と若者モリミズと一緒に、波止場に出迎えに行った。暑い風が海から吹いていて、日差しも強烈だった。湿度が低いので、摂氏四十八度という猛暑の中でもなんとか歩けるが。

ともかく町が地下につくられる理由が分かる。

彼女は巌窟王の娘であるから、ヒト族だった。しかし、吾輩は彼女に会うまではそのことを忘れていたようだ。ヒト族の娘の特徴は鼻と目と口元のバランスが良いということだ。それが細面の顔という額縁に綺麗におさまっているし、黒髪の美しさは虎族の黄色よりはさらに美しいと思ったほどだ。

それに、彼女の場合、悲しみに耐えてきた気高い美しさがあった。

 

彼女は伯爵の叔母の家に、ソロ弁護士と一緒に案内された石炭のエネルギーで冷気を送られた地下の邸宅だった。そして、伯爵と叔母の家は近かったから、伯爵は 巌窟王と娘の心身の心構えが出来た一番体調の良い時を見計らって、二人を対面させる手筈をとったようだ。なにしろ、十五年も会っていない親子だ。そういう細かな配慮をする中にも、吾輩は直感するものがあった。ウエスナ伯爵と娘との間に、男女にある微妙なある種の引力が働いていると。

そこまでなら、吾輩は別に珍しくもない、当然の姿と思ったのだが。

不思議なことに、吟遊詩人の顔つきに不思議な憂いの表情が時々浮かぶのは例の慢性胃炎かと思うようにしていたのだが、今度の場合はそうではないらしい。

詩人にとっても、久しぶりに見るヒト族の娘だけに、何か郷愁以上のものを感じたとしても不思議はあるまい。

まあ、こういうことには、吾輩の出る幕ではないが、三角関係となると、厄介なことが起こりはしないかと案じられる。しばらく注意深く見守るしかあるまい。

 

ある日、シャンデリアの輝く広間で、我々が歓談している時に、上の入口から執事に案内されて、トパーズ色の光に包まれて、ヒト族の娘が頑健な弁護士ソロと一緒に入ってきた。反対側の下の階段を昇り、やってきたのが巌窟王だった。巌窟王は既に、十五年の辛苦を耐えて病弱にはなっていたが、しっかりした足取りで広間に立った。

 

吾輩から見ると、左手にヒト族の娘、右手に巌窟王が殆ど同時に立ったのだから、予期していた出来事とはいえ、少し驚いた。吾輩の前にいたウエスナ伯爵が立ち、娘の方に行った。二人は挨拶を交わした。

その間に、巌窟王は娘と伯爵に近づき、娘も巌窟王に近づいた。

 

 華やかな薔薇などの花の模様のあるステンドグラスから洩れて来る光が巌窟王と娘の背後から、何とも言えない天国のような明るい空間をつくり、ここが地下であることを忘れてしまう程だった。

互いに一メートルほどの間隔になった時、足を止めた。

「シクラメンか」とカーキ色の厚手の服に青白い顔の巌窟王は震える声で言った。

「はい。そうです。お父さま。シクラメンです」と絹のように軟らかな紫の服を着た彼女は涙声だった。

「わしが父だと分かるか」

「はい。直感で分かります。三才で別れたので、かすかな記憶しかありませんけど、確かにあなたはお父さまです。よくぞ、ご無事で」

「わしは覚えているぞ。そなたの幼い顔、やわらかで小さな身体をこの手で何度も抱きしめたことを」

「森の中で遊んだことをかすかに覚えております」

「そうか、そこは川が流れていた。釣った魚は最高にうまかった」

「あたしも食べましたの ?

「食べたの何の。母親より食べたぞ」

「ああ、お母さまは何とお気の毒」

「そうさな。わしが逮捕されるのをソロと一緒に阻もうとして、兵士に刺されてしまった。ソロも危なかったが、彼は身のこなしが素早く剣をよけることが出来た」

「ああ、可愛そうなお母さま」と娘は言いながら、涙を流し、巌窟王の胸にひしともたれかかった。巌窟王はしかと娘のシクラメンを抱き留めた。

 

 こうしてしばらく、二人は抱き合い、かすかな言葉の交換の中に、二人の愛の絆の深さを確認しているかのようだった。

伯爵は我々の座っている広間の大きなテーブルに二人を案内した。

 

「これで、無事、親子の対面はできた。あとは、一刻も早く二人でカナリア国に渡ることですな」と伯爵は言った。

「今の時期に、故国を去ることは悲しい。監獄の地図が出来、革命の嵐の時に、仲間の政治犯三十人が助かるのをこの目で確認したい」と巌窟王が言った。

「いえ、それはなりません。そのためにこそ、娘さんがあなたを迎えに来たのです。あなたは十五年の疲労をしょっておられる。監獄の地図も書いた。十分、職責をはたされたわけで、騒乱が起き、危険なことが起きる前に、カナリア国へお渡り下さい。あなたを支持する昔の患者の市民もそう願っています」

「お父さま、そうなさって下さい。そのために、あたしが海を渡って、お迎えに参ったのです」

 

ウエスナ伯爵は吟遊詩人の意見を聞いた。詩人の見識を高く評価していたのだろう。

「私はフランス系アメリカ人と普通、言っているのですが、母は日本人です。しかし、父方の先祖にはフランス人の血も入っているのです。ですから、子供の頃、フランスの話はよく聞かされたものです。今、この惑星のロイ王朝で起きていることは、地球の歴史の中でも最も劇的なあのフランス革命に酷似しているのです。

ですから、私の話も参考になると思います。

革命の動乱になりますと、巌窟王のように市民に尊敬されている人はロイ王朝からすると、眼の上のたんこぶですから、攻撃の標的にされます。それに巌窟王は身体が弱っておられる。この革命に参加することは娘さんの保護者の立場から言っても避けるべきでしょう。」

 

そのあと、しばらくして、二人の親子は、娘は旅の疲れを癒すために、父は身体を休めるために、執事に案内されて部屋の方に行った。

弁護士のソロと伯爵はしばらくカナリア国の政治状況が安定していることを話し合っていた。

カナリア国はいい。温暖化現象は惑星全体に及んでいるが、カナリア国は緯度が高いために、こちらよりも気候はやや穏やかで住みやすい。

それでも、一年中、多少の波はあるが、三十度近い。そのように、気候もこちらに比べると穏やかで住みやすい。今頃は熱帯植物ハイビスカスに似た赤い燃えるような花が咲き乱れているに違いない。それに優れた文化を持つ。民主主義が確立されている。

ただ、個人のトラブルはどういうわけか増える傾向にあるから、ユートピアというわけにはいきませんと、ソロ弁護士は豪傑笑いをした。

 

 吾輩は吟遊詩人の憂いに沈んだ顔を見た。その顔は、巌窟王がいつ故国に帰るか、数日たったにもかかわらず、はっきりしない。それが憂いと悲しみと喜びを交錯することを加速させたようだ。

その間にも、虎族の若者モリミズはスピノザの講師として招かれ、外へ出る機会が多かったのだが。

 

ある時、その会合で、ウエスナ伯爵がスピノザ論を言っているような所を吾輩は耳にした。勿論、吾輩達は出席が許されているわけではないから、これは偶然のいたずらとも言えよう。それから、吾輩の猫族の耳の良さ、感度の高さというもので、この時ほど、猫に生まれたことの幸運を思ったことはない。

壁の向こうで、ウエスナ伯爵は言っていた。

「モリミズ君のスピノザ論によると、全ては神の変身したものであるけれども、個人、個人、そして、森羅万象の物質という風に現象してしまうと、そこに大きな川の流れにあちこち渦が巻き起こるように、激しい動きが起こるという話だ。

熊族のロイ王も虎族の貴族も鹿族の多くの人もみんな神仏の変身したものであるにもかかわらず、みなその出身を忘れ、争うようになる。その争いの元はエゴと一体になった欲望だ。神仏は一つ。だからこそ、人間も一つのいのちの流れ。そこに差別や、格差があってはならない。格差の固定化をもくろむのは、既成秩序の中で営利をむさぼる連中が執着を起こしているからだ。

個人のエゴが激しくなると、本来の神仏は一つ、ワンネスを忘れてしまい、人間と人間の関係がどんどん壊れ、自己のことばかり考えて、他者を傷つけるようなことを平気でするようになるそうだ。

今度の軍備の増強も、武器製造会社の欲望によるものだ。マゼラン金属の取締役フキという女がロイ王朝に武器を売り込もうとしている。」

吾輩はフキという名前で、ティラノサウルスホテルで見た、あの宝石で顔じゅうを飾ったような金持ちの虎族の女性を思い出した。

伯爵は話し続けていた。

「カナリア国を攻めて、何の意味がある。互いに軍拡を進めて、そんなことに大金を使うなんていうのは愚の骨頂。戦争になれば、苦しむのは庶民。カナリア国の優れた文化を理解し、ロイ王朝の歴史や鹿族の文化についても相互の理解を深めてもらえれば、軍備なんて最小限ですむ」

吾輩は思った。武器には人を殺したいという意思と魔性がある。これは猫の直観である。

伯爵の声はさらに吾輩の耳に響いた。

「そんな大金があれば、福祉施設の充実、町で言えば、病院や学校、託児所を増やし、路面電車をつくることを考え、天才ニューソン氏の提唱する水素社会にする方がどれだけ、庶民のためになることか」

 

壁の向こうから聞こえた伯爵の話は、少し、聞き取りにくい部分があったが、

そんな風な内容だったと思う。

こんな風にウエスナ伯爵のもとには、毎日十名近い人達が来て、何やら密談しているようだった。

ロイ王朝を倒す決行の日が迫っていることを我々は感じていた。我々は庭園を散歩して毎日を過ごしていた。

娘はどうなるのだろう。どうも気のもめることだった。

もしも、革命が失敗すれば長い監獄行きか、死刑が待っている。そういうことであれば、娘を安全な所に避難させるのが、普通のやり方だろうが、巌窟王の判断がにぶっているのか、それとも海を渡る天候の具合を見ているのだろうか。確かに、ここしばらく天候がよくなかったことは確かだ。

 

巌窟王が隣のカナリア国に避難する、という考えが浮かぶとなると、我々はどうするのだろう。危急の時に、アンドロメダ銀河鉄道の素晴らしいイラストの入ったカードはロイ王朝の兵士に役に立つのか、あの虎族のヒットリーラの時は金のコートが役に立ったが、今度はどうだろう、その辺も吾輩の関心事だった。

 

 巌窟王と娘がカナリア国に出発した翌日の昼、虎族の若者モリミズが大慌ての様子で、そしてちょっと青ざめた様子で「ナナリアがつかまった。やはり、もつと強く言っておくべきだった。あれほど、この惑星には来るなと言っておいたのに。取材って、何の取材だ。彼女の職業は何なのだ」とちょつとヒステリックな調子で言った。

吟遊詩人が「どうしたのですか」と問うた。

「あの銀河鉄道にいた猫族の女の子ナナリアがいましたよね。あれがこの惑星に降りましたよね。それで、つかまってしまったのです。あの子には、この惑星は危険だから、次の惑星に行きなさいと言って、同意してもらったから、あの駅で降りるとは思わなかった。駅で出会った時に、強く引き返せとでも言うべきだった。取材とか行っていたけれど」

と若者モリミズはかなり取り乱したような感じだった。

「何かそういう職業についておられたのですか」

「いいえ、私は彼女の職業についてはよく分からない」

そこへウエスナ伯爵がやってきた。

「どうしたのだ」

彼は説明した。

 

「取材で、猫族となると、ABC監獄に入っている公算が高い。あそこは守りがそう固くはない。うまくすれば、看守を買収 出来る。なんとか、助け出すことは出来るだろう」と伯爵が言った。

「本当ですか」と若者モリミズが言った。

「出来る。君もついてくるか」

「はい」

「わたしも一緒に行かせて下さい」と吟遊詩人。

 

 「あのABC監獄には、サル彫刻が雨の日も風の日も番をしているのです。あの猿と話するためにも、僕も行きますよ」とハルリラが言った。

「サル彫刻が」

「サル彫刻が私に魔法のメールを送ってくるのです」

「何て」

「会いたいって。奴は魔法界から、ある使命をおびてABC監獄にいるのです。あそこの兵士に聞いてみれば分かりますよ。いつの間にか、門の所に、サル彫刻があったと言うに決まっています。あまりに気品があるから、狐につままれたとね。魔法に、彼らは幻惑されやすいですから」

 

「サル彫刻の使命は」

「監獄に入っている政治犯がいるからこそ、よその惑星から来た我らのような武者に知らせる役目をおっている。伯爵に聞いてみて下さい」

「うん」と伯爵は言った。「何か気のようなものを感じた。ナナリアさんのことを考えた時、ふとABC監獄の建物が目に浮かんだからな。ハルリラ君の言うことは当たっているのかもしれないな」

「あの猿は」とハルリラは言った。それから、ちょつとした沈黙があって、そのあと、急にはきはきした声で言った。

「宇宙の目に見えない真実が形を取って、猿という彫刻になる、そんな感じがするのです。これは魔法界の最高の秘術と言われ、私もその中身については皆目分かりません。ただ、そういう事実があるということしか。

宇宙には真実がある。その宇宙の真実から舞い降りてきたとしか言いようがない。稀有の魔法界の芸術品です」

 

「そりゃ、いい。あの猿は君となら話をするかもしれない」と伯爵は言った。

「当然しますよ」とハルリラは笑いました。彼のような武人には珍しいような朗らかな美しい笑いでした。

大切なことは目に見えないと教えてくれた童話を吾輩はふと思い出しました。そんな思いで、吾輩は皆と一緒に猫族の娘ナナリアさんを助けに行くことになったのです。

 

                     【つづく】

 

 

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銀河アンドロメダの猫の夢想 29 【巌窟王】

2018-12-22 09:28:05 | 文化

 

 

 

   明るい日差しが窓に輝くと、朝になっていたのです。銀河鉄道の窓からは、もう下界は緑の広大な高原のような所が見えて、あっという間に、町並みがひろがり、するりと駅の構内に入って行きました。

やはり、この惑星アサガオはトパーズの宝石のような美しい色に恵まれた大地でした。

「トパーズ。トパーズ」

オペラ歌手が歌うような神秘な音色の声がトパーズ駅の構内に響きわたっています。

駅そのものがそのような宝石めいた石でつくられた巨大なものでした。

吾輩は京都の駅を思い浮かべました。似たような感じもありましたが、やはり人ははるかに少ないものでした。

 

ここは熊族のロイ王朝だと聞いていましたが、鹿族の方がむしろ多く、その他、虎族、猫族などがいるのでした。温暖化が進み、暑いだけでなく、紫外線がひどく強い土地柄だというので、鉄道の中で、アンドロメダ銀河のデザインがされたTシャツとサングラスを購入して、改札を出ました。

 

時計台の鐘の音が聞こえてきます。駅の外に出ようとしながら、ぼんやりその美しい音色に耳を傾けていると、「モリミズさん」という黄色い声がします。虎族の若者が振り向きました。声の主は、あの猫族の女の子ナナリアではありませんか。ここには降りないと聞いていたので、吾輩は少し驚きました。

 

 吾輩も猫族ですので、こうしてすらりと立っている美しい猫族の女の姿を見たのは初めてのような気がして、はっとしました。

黒い大きな目に大きな黄色い耳が少しゆらゆらしていました。きびきびした身体ぜんたいの動き、体はふっくらとして丸みを帯びていて、気品のあるデザインにあふれた紫の薄手の服を着ていました。

黄色い豊かな髪の毛は後ろに形よく束ね、どこからともなく匂ううっとりするような香り、まろやかなみずみずしい肌、しなやかな腰は少し官能的でもある。それでもどこかに猫が獲物を追う素早さと人の世のビジネスを感じさせる勢いがあり、耳はどんな情報も逃さないというしたたかさを持っているようだった。

吾輩は虎族の若者モリミズが思慕するこの女性をティラノサウルスホテルのレストランでもアンドロメダ銀河鉄道でも姿を見てはいたが、この時の印象はまた格別だった。初めてこの場で見る思いがして、なにやら恋の炎に焼かれる蝶の思いがするのだった。

 

 「え、惑星アサガオを取材するのかい。危ないからやめなさいとあれほど言ったのに」と虎族の若者モリミズは言った。

「それじや、又ね。どこかで会うかもね」

彼女には迎えの車が来ているのでした。

 

若者モリミズが我々を案内してくれました。駅を出ると、ひどい日射で我々は三人ともあわてて、バッグからサングラスを出してかけました。駅の前に大きな寒暖計があり、それは四十九度をさしていました。

湿度は低いのは助かるが、酷暑に加えて不快なのは何かもやっとした黄色みを帯びた悪臭を放つ空気の流れがあちこちに漂っていたのです。

「これは変な空気の流れですね。吸うと、気分が悪い」

「なるべく、この黄色い空気は吸わない方がいいです。地下街に行けば、もう少し空気がいいです。

ここのエネルギー源は石炭なのです。この石炭で冷房をしているのです」

 馬車が来た。我々は中に乗り込み、外の風景を見ながら、町の感想を話していた。移動の手段は馬車と自転車のようだが、最近、ちらほら見かけるようになったのは石炭で動く車で後ろからもうもうと排気ガスを出す汚染は市民に評判が悪いようだった。

「ガソリンはないの」

「惑星アサガオは、石油がとれません。エネルギー源は石炭しかないのです。

おまけにこの暑さ。冷房に石炭を使うのです。

家の中は勿論、外は暑いし、摂氏五十七度を記録したこともあります。オゾン層が薄いので紫外線が強いし、皮膚ガンや白内障が多発しています。

今は外の暑さや紫外線を避けるために、町は温度の低くなる地下街に出来ているのですが、それでも快適な温度に保つには石炭のエネルギーで調節をしているのです。

ただ、困るのは、石炭の排気ガスは外に出しますから外気がさらに汚れることです。

この惑星の石炭の埋蔵量は膨大で、今のように使っても千年はもつだろうと言われています。しかし、問題はこの排気ガスなんです。」

若者モリミズは一息ついた。

 馬車の窓の外は廃墟のような古びたビルの群れと馬車で殺風景だった。彼はまた話し続けた。

「庶民はこの地上の暑さと空気の悪さに、困り、重税をかけられ、熱中症だけでなく、色々な感染症の病気が多く、餓死者も出る始末です。

そして、最近では消費税を導入した。これが庶民の怒りをかっています。

 それに、二酸化炭素が原因と言われているが、まだ原因不明の所のある惑星アサガオの温暖化が進むと、惑星の異常気象による大雨と干ばつなどで地上は住みにくくなり、さらに、氷河が解けて海の水面が上昇し、もうすでにいくつもの町が水没して、庶民の不安をかりたてているのです。

 

ウエスナ伯爵が考えているこの国の改良策は、大統領制による民主主義の確立は当然としても、海と湖と川は幸い、綺麗で魚も豊富ですから、あとはエネルギーを水から取るために、水素に変えるということで、天才ニュソン氏の研究成果を使えば、水素社会にすることが可能だというのです。

 ところが、この天才ニュソン氏の家柄がネズミ族ということで、そういう下賤の生まれの意見に誇り高い熊族のロイ王朝は耳をかさない。表面上、研究に時間と金がかかりすぎるという理由をつけていましたが。重大なことは金を新兵器の開発と軍拡に使いたかったのが本音のようです。それでやむを得ず、ウエスナ伯爵の保護のもとで、天才ニュソン氏の研究も進められてきたわけで、これがロイ王朝とウエスナ伯爵の確執を生んだと言われています。」

 

吾輩は猫であるが、地球の人間、つまり天の川銀河では、ヒト族と言われている人達ももとはと言えば、あの恐竜時代にはネズミのような動物だったというではありませんか。

吾輩は猫族の次にヒト族に愛着を持っていたから、天才ニュソン氏を差別するロイ二十世に嫌悪の感情を持ちました。

 

ウエスナ伯爵の邸宅は地球のイメージからすると、変わったものでした。田舎は少しは空気がいい筈なのですが、ここまで多少の汚染空気が流れて来るせいと、紫外線とこの外の暑さから逃れるためでしょう。

この奇妙な邸宅のイメージを吾輩の身体で表現すると、猫の頭だけが地上に出て、顔の一部と胴体と足は土の下にあるという比喩が当たっているかもしれません。

邸宅の玄関とニューソン氏の水素研究室の入口が地上に並んでいる。そして、広い宝石トパーズの黄色い玄関を入ると、深い地下から冷房のきいた宮殿に通じる階段があったのです。宮殿と言っても、豪華な地下の涼しい部屋がいくつもあるということでしょうけど。

 

 庶民は川の魚と冷房に関連する若干の工場そして、近くに広大なトパーズの産地がありましたから、そういうものの産業に従事して、生きていたのですが、伯爵領に収める税金と王様に収める税金という二重の税金に苦しめられていたのです。

勿論、ウエスナ伯爵がここを世襲してから、この税金を全廃しました。これには、親族からの抗議だけでなく、王様からも叱責があったようですが、庶民は事実上の市民になれたわけで、ウエスナ伯爵に対する尊敬の念は高まっていました。

 

地下の宮殿の入口には、トパーズ色の宝石のように輝く巨大なドアがあり、そこから入ると、天井からはシャンデリアが輝き、美しい風景画がいくつも飾っている大広間に我々は通されました。

大きなテーブルがあり、その前の椅子に座り、我々は待ちました。

窓には、見事な薔薇などの花や銀河の模様の入った巨大なステンドグラスがあって、部屋の奥からはモーツアルトのセレナードのような音楽が流れているのでした。

「僕の家もここの伯爵家と同じ家柄だったのですけど、貴族を嫌い、その頃の宇宙移住計画で今住んでいる惑星に移り、平民として暮らしています。ですから、この伯爵家にも貴族を嫌う血が流れているのかもしれません。ウエスナ伯爵はそういう方です」と若者モリミズが言った。

 「ロイ王朝は庶民に受け入れられていないとか」と吟遊詩人が言った。

「なにしろ。貧しい人々に重い税金をかけ、若者が住む家もなくネットカフェーにあふれ、そこから工場に働きに出るような政治をやっているのですから、庶民は怒りますよ。特に、消費税。魚はここの民の主食のようなものですから、これにまで消費税をかければ、豊富な魚まで、貧しい庶民は食べられなくなってしまう。その危機感がある」

 

ウエスナ伯爵が出て来た。虎族だけあって、吟遊詩人と同じくらいの背の高さで、貴族だけにふっくらした堂々たる体格、色つやも良く健康そのものという感じである。鼻の下の黄色い口ひげは濃く、大きな丸い目は穏やかである。

彼が席に着くと、同時に給仕のボーイがやってきて、テーブルの上に、ご馳走と飲み物をならべて行く。

 「あの件はうまく行ったのですか」と若者モリミズが聞く。

「うん、一昨日、決行してうまく行った。彼を釈放させたのはちょっとしたトリックが必要だった。わしの伯爵の地位も利用した。」と伯爵は満足そうな顔つきで言った。「なにしろ、彼はわしの子供の頃の侍医でもあったからね。

わしの病気が難病で、彼でなくてはなおせないとロイ王に説得したのだよ。

彼がもともと監獄に拘留されたのはヒト族だったことも関係している。熊族はヒト族に偏見を持っている。

それに、彼は優れた詩人でもある。ロイ王朝を揶揄する詩を十編ほど出したというだけのことさ。「ロイは空の空なるかな」という詩が一番、人気が高かったな。

彼は庶民にも人気の高い医師であったから、拘束された時は、皆、驚いたよ。

詩を書くのはこの国の文化だったのに、ロイ王朝は自分の悪口を書いた詩を許さないとしたわけでね、拘留が十五年にもなっていた。

しかし、わしはロイ王を説得したよ。

彼は十五年の牢獄生活でかなり、病弱な状態になっているので、もう詩は書けないと。

ともかく釈放され、今はここで休ませてある。彼は巌窟王だよ。最近は監獄の地図を書いているのさ。何しろ巨大な監獄だ。強盗などの犯罪人は周囲に、真ん中の方に三十人ほどの政治犯が入れられている。

革命の時には、監獄にいる我らの仲間の政治犯のみを解放しなければならないから、これが意外と難しい。普通の犯罪人は解放するわけにはいかない。

それにあの監獄は天下一品の堅固な造りだから、地図があればそういう人達を助けるのにも役に立つ」

「監獄の地図を知っているのですか」

「彼はね、何と独力で、あの監獄を脱出しようと地下に穴を掘り、廊下の方に出ているのだ。

しかし、監獄の周囲は深い堀に囲まれ、周囲には衛兵が常に番をしているし、土の所に出ると、獰猛な番犬がうろちょろしている。

堀には暑さに強いワニが沢山いる。それで、出られないと知ったあとは、夜中、眠っている兵士に気づかれないように、細かい地図をつくり、自分の監獄に戻ると、ラテン語で地図を言葉に変えて暗号化したのだという。それをブロントサウルス教の聖典に詩で書いていたのだそうだ。

看守には地球のラテン語なんて暗号みたいなものだからね。

今、それを元に、記憶と一緒にして監獄の正確な地図を書いている。」

 

我々はその巌窟王に会わせてもらった。

 その時は、庭園の眺められるテーブルの上で、地図を書いているらしかった。横にブロントサウルス教の聖典があるらしく、時々、めくっていた。

我々が入ると、もう話は通じていたらしく、微笑した、確かに落ちくぼんだ眼額にきざまれた深い溝のような皺、長い老化した白髪。中肉中背の彼の体には老いと長年の疲労が刻まれていたことは一目で分かった。

 

「空の空なるかな。」

と巌窟王は弱々しい声で言った。

「お分かりかな。わしの前世は王族だった。わしは先頭にたって、戦い、勝ち、大きな城を気づき、ありとあらゆるぜいたくをした。しかし、これが何になろう。空しい。それだけだ。

そこで、この国に生まれ変わると、わしは人のいのちを助ける医師になる決心をし、その通りになった。しかし、地球の有名な詩句からヒントを得て、ロイ王のことを書いた詩を書いただけで、監獄だ。娘との別れは辛かった。」

 「地図はできましたか」と伯爵が聞いた。

「おお、もうすぐ完成だ。わしと同じ目に会った三十名の政治犯を釈放してやってくれ」 

「前世では王族 ? 」と吟遊詩人は巌窟王に聞いた。

「そうだよ。王様のどんな栄耀栄華も神仏の前には、空の空なるかなだよ。このことをロイ王も分かってくれたらな。ただ、それだけの詩を書いただけさ。

 

 伯爵と我々の食事に巌窟王も招かれた。

「地図はほぼ完成だな。あの監獄は堅固でね。まあ、わしも穴を八年かけて掘った時は、これで脱獄できるという喜びに躍り上ったものだ。しかし、毎晩のようにそこから、外に出る道を探したけれど、絶望的になった。外に出るのは不可能だったのだ。

それで仕方なく、監獄の地図を書くことにせいをだした。しかし、書く所がない。しかし、監獄には、熊族の民族宗教であるブロントサウルス教の聖典が一冊だけ置いてあるんだな。

そこに地図を書くわけにいかんから、看守の絶対に分からないラテン語で詩を書いた。その中に、監獄の地図の暗号を入れたのさ。

 

問題はペンだよ。これは看守にもらったよ。この看守は以前に、彼の胃が悪い時に随分面倒を見てやった。だから、わしにはよくしてくれた。ペンをくれたのだよ。勿論、他の看守に見つかるとヤバいから、普段はトイレの横に隠して置いたけれどね。」

「大変なご苦労がおありだった。その地図は今度の決起で、仲間を解放する時に役に立ちますよ」

「ところで、お嬢さんがカナリヤ国からこちらに来るのですよ」

「いつ」と巌窟王は驚きと喜びの二重の深い感情を皺だらけの頬ににじませた。

「数日以内ですね。なにしろ。海を渡らなければなりませんし、カナリヤ国からの馬車は厳しく検問されますから、すんなりというわけにはいかず、いくつかの宿を泊まってまいります。でも、ご安心下さい。一緒に警護するのは、あなたに仕えていた秘書のあの屈強な男、ソロですから。」

「おお、ソロ君か。わしが捕まった時は、兵士にくってかかった男だ。わしの信頼できる男だ」

「今はカナリヤ国で弁護士をしております」

食事はおいしいものだった。巌窟王の心をなぐさめようと、テーブルの真ん中には美しいランの花が豪勢に沢山咲いていた。

果物の入っている皿も、様々な料理の入っている見事な花模様の椀も上等なワインもこの愉快な晩餐会をもりたててくれるようであった。

 

巌窟王は寄って来ると、

「ハハハ、わしがロイ王に突きつけてやった詩はな、地球という惑星から仕入れてきたものなのだ。」

「ぜひ言ってみて下さい。知りたいものです」

「おお、君はヒト族ではないか」巌窟王は初めて気がついたように、吟遊詩人の肩に手を置いた。吾輩とハルリラは猫族と分かったせいか、巌窟王はただひたすら、詩人を見詰めていた。

「分かりますか」と吟遊詩人が言った。

「分かる。分かる。このアンドロメダ銀河では、ヒト族は少数民族だ。」

ワインをカップ三杯ほど一気に飲むと、微笑した。「これを飲むと、生気が生まれるのだよ。なにしろ、地下の監獄に十五年もいた。ごつごつとした岩に囲まれた不潔な狭い部屋にそんなに長い事、孤独にいると、声も出しにくくなる。しかし、このワイン三杯で回復する。不思議なものだ。記憶力もね、鮮明に覚えている所と、抜け落ちる所がある。まあ、まだらな記憶というわけだ」

「今のご気分は」

 

 「まあ、監獄から出てきた後では、最高だね。なにしろ、ここには地球の詩人がいる」

又、一杯、ごくりと飲むと、「始めるか」と言った。

「空の空、空の空、いっさいは空である

日の下で人が労するすべての労苦はその身になんの益があるか

世は去り、世はきたる。

しかし地は永遠に変わらない。

日はいで、日は没し

その出た所に急ぎ行く

風は南に吹き、また転じて、北に向かい

めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る

 

わたしは魔界のメフィストの甘い誘惑の言葉に動かされ

強い権力と富を得て、王となった。華やかな宮殿、美しい女、色とりどりの花園、ブドウ畑、様々な樹木を生い茂らせ、水を注いだ。

私は金とダイヤモンド、エメラルド、そうしたあらゆる宝石が瑠璃色の大地のあちこちから、顔を出し、四方から、美しい滝が落ちるようなミニ自然をつくった。そして、牛と羊を飼い

わたしは多くの働き手を得て、わたしの思うように動かし、わたしも働き、その労苦によって富は富を生んで、宮殿の町はさらに、華麗になった。しかし、気がついた時は、

宮殿の外の村は荒れはて、多くの人が重い税に苦しみ、病気になり、住宅が壊れ、路頭に迷い、あちこちで人が倒れ、宮殿の町の中に入ろうとする人々を衛兵がこばんでいた。

わたしはそれを知り、今までの労苦の空しさを知った。

悪魔メフィストのあざ笑う笑い声が聞こえるようだった。一切は空であると。」

 

最初は地下から響くような声が、話す内に高揚し、生命力が附加し、まるで無から銀河が誕生する宇宙の物語のように、彼の詩句に富んだ声はしだいに生き生きとなり、「皆、空であって、すべて風をとらえるようなものである」と急に奈落に落ちるような響きで、我々を見回した。

 

 吟遊詩人と伯爵が拍手した。

「その空は魔法界でも聞いたことがある」とハルリラが言った。

「仏教の『空』とはまるで違うよね」と吟遊詩人は言った。

「どういう風に」と吾輩、寅坊は聞いた。

「説明すると長くなるな。ともかく、まるで違う」と詩人は笑った。

「王の栄耀栄華の空しさは風をとらえるようなものであることを、わしの詩で知らせたかった」と巌窟王は言った。

「仏教の『空』はもっと生命の肯定的な面があるよ。あの詩句の『空』は空しいという風な感じがある。キリストの『野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。

しかし、言っておく。栄華を極めたソロモン王でさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった』という教えにも似通っている。「空」は栄華とぜいたくの空しさを言っていると思う。つまり、ソロモン王のどんなに華やかで贅沢な暮らしも野に咲く一輪の百合の花の美しさにかなわないというようなところかな」と吟遊詩人が言った。

「その通り。わしはこういう風に、熊族のロイ王朝のロイ二十世に、庶民が苦しい思いをしている中での王の栄華の空しさを詩句で突きつけてやったのだ。地球の日本にあると聞く、戦争は絶対にしてはいけないという憲法九条のあるような素晴らしい日本国憲法を取り入れて、カント九条として平和主義と国民主権と基本的人権を守るような国づくりをするように提言したつもりだったが、受け入れられなかった。しかし、ウエスナ伯爵がいずれ、立ち上がり、そういう国をつくってくれるだろう」と巌窟王は笑った。

 巌窟王は「ところで、こちらの皆さんはアンドロメダ銀河鉄道で知り合った仲間と聞いているが」

若者モリミズがヒョウ族の若者にナイフをふりかざされたいきさつを手短に説明した。

「そうですか。それは助かりました。」と伯爵が言った。「怪我でもされたら、スピノザの講師を失うところでした。虎族のティラノサウルス教も熊族のブロントサウルス教も私は気にいりませんし、庶民もそうです。どちらも強者のための宗教ですからね。

親鸞の教えはこちらでは、かすかに耳に届く程度で、取り敢えず庶民が力を得るような宗教哲学が必要なのです。」

「庶民には民族宗教みたいなものはないのですか」

「ありますよ。でも、一番の欠点は、権力には従えというのが長い習俗として残っていますから、これではロイ王朝を倒せないのです」

                  

 

                                                               【つづく】

 

  (ご紹介)

久里山不識のペンネームでアマゾンより短編小説 「森の青いカラス」を電子出版。 Google の検索でも出ると思います。

長編小説  「霊魂のような星の街角」と「迷宮の光」を電子出版(Kindle本)、Microsoft edge の検索で「霊魂のような星の街角」は表示され、久里山不識で「迷宮の光」が表示されると思います。

 

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【アマゾンの電子書籍はパソコンでも読めます。無料のアプリをダウンロードすれば良いのだと思います。 】

 

 

水岡無仏性のペンネームで、ブックビヨンド【電子書籍ストア学研Book Beyond】から、「太極の街角」という短編小説が電子出版されています。ウエブ検索でも、書名を入れれば出ると思います。

 

 

【久里山不識から】

九月十五日【2015年】の東京新聞には、私がいつも感銘する文章をお書きになる経済評論家の内橋克人氏がご自身が経験された戦争と憲法九条について書いてありましたので、この場に、それを掲載させていただきます。

 

「言わねばならないことがある。戦争にはルールないと。神戸大空襲の一九四十五三月十七日、私は盲腸(虫垂炎)を患い、自宅から離れた病院にいた。

命拾いしただけでない。身代わりになった人がいる。

家で一人になる姉のために「おばちゃん」と呼んでいた近所の女性が来てくれた。空襲で裏庭の防空壕に避難。私がいつも座っていた場所にいたおばちゃんを、不発の焼夷弾が直撃した。父親が壕を掘り起こした時、おばちゃんはもう亡くなっていた。

その年の六月五日の空襲では、目の前で多くの方が亡くなった。疎開先でそうした様子を話すと、地元の子は小銃を担ぐ格好をして「B29なんてパンパンと撃ってしまえばいいんだ」と言った。

体験をしない人は分からない。

安倍晋三首相らも同じだ。今、「戦争を知らない軍国少年たち」が安全保障関連法案を成立させようとしている。

この法案は戦争に直結する。後方支援などと言っても、戦闘と区別できない。

彼らの話は戦争のリアリティーが全く感じられない。絵空事だ。

 安倍政権は軍需産業による成長戦略を描き、米国とともに軍・産複合体をつくるのが最終目標のようだ。

武器輸出三原則を変え、武器の輸出入を事実上、解禁した。

経済界の欲望にも沿ったものだ。

戦後は憲法九条がラムネのふたのようになって、軍需産業育成という強者の欲望を抑えていた。

だが今、ふたが抜けそうだ。強者に寄り添う政権でいいのか、国民は金もうけさえできればいいのか。戦後七十年の今年、それが問い直されている。」

 

 

【物語の参考】

記憶の不確かな巌窟王が歌いあげた彼独自の詩句ですが、その土台となったのは地球の旧約聖書の「伝道の書」です。

【「空の空、空の空、いっさいは空である

日の下で人が労するすべての労苦はその身になんの益があるか

世は去り、世はきたる。

しかし地は永遠に変わらない。

日はいで、日は没し

その出た所に急ぎ行く

風は南に吹き、また転じて、北に向かい

めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る   】

ここまでは伝道の書の文章を引用しています。欧米人やキリスト教徒なら、たいてい知っていると思われる人生を深く見た詩文です。人の世は空しいから、神の言葉を聞けということでしょうか。

そのあとの長い詩文は、巌窟王が前世に王族であったことをふまえ、目の前で統治しているロイ王をいさめる詩句をつくったものですから、巌窟王の独自の詩句となります。 

 

 

 


銀河アンドロメダの猫の夢想 28 【レモンの歌】

2018-12-20 10:34:23 | 文化

 

   それから、さらに夜になると、寝台車に行くものもいる。我々三人は若いので、やわらかな絹のようなソファーの自分の席で、そのまま寝る。それでも、吾輩、寅坊はまだあまり眠くない。時々、目をつむったり開けたり、あたりの様子をうかがう。目をつむると、やわらかな緑の柳が清流にかかり、岸辺には花が咲いている。吾輩には眠る前に、時々、こうした幻影が現れることがあり、これが楽しみなのである。

 

物音で、目をあけると、今までに、そのあたりにいた沢山の乗客はすっかりいなくなり、いるのは我々三人とライオン族のおまわりさんとヒョウ族の若者と虎族の若者モリミズと猫族の娘ナナリアだけになった。

鼻歌が聞こえて来る。かすかな声だが、どうもおまわりさんの鼻歌のようだ。

 

レモンよ! 君の瞳に愛と死を見る奥の深さ

おお、やわらかな黄色の毛を身体にまきつけて

僕の日記に嵐を吹き起こす

熱情の恋人よ。涙の嵐に吹き荒れる緑の風景

 

おお、夜はそこまで訪れた。海の衣ずれの音と共に

やさしくふりかかる君の黄金の髪

おお、そして神秘に光る町の灯のような君の瞳

僕は大森林の芝生の上で君とたわむれ、笑う。

これこそ、人生。

 

永遠のやさしい月夜の晩に僕はレモンに魅入り

愛の深まりの中で夢を見る

 

 ライオン族のおまわりさんの声はそこで急に小さくなり、聞こえなくなってしまった。

吟遊詩人が微笑して、「レモンで思い出したが、僕にはこの有名な詩がすきだな」

彼の声も珍しく小さかった。

おまわりさんに遠慮したのだろうか。

 

そんなにもあなたはレモンを待っていた

かなしく白く明るい死の床で

わたしの手からとった一つのレモンを

あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ

トパアズ色の香気が立つ

その数滴の天のものなるレモンの汁は

ぱっとあなたの意識を正常にした

あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ

わたしの手を握るあなたの力の健康さよ

あなたの咽喉に嵐はあるが

かういふ命の瀬戸ぎはに

智慧子はもとの智恵子となり

生涯の愛を一瞬にかたむけた

 

詩人川霧さんはふとそこでやめた。おまわりさんの声が再び聞こえたからだろう。何て言っているのだが、はっきり聞き取れない。

「月夜の砂漠の中に彷徨う隊商のように」だけがやっと聞こえた。

ちょっと見ると、ライオン族のおまわりさんの目に涙が光って、鼻水が流れるような感じがあった。

 吾輩の耳は猫の耳であるから、聞こえは抜群にいいが、二人の詩の最後まで聞こえなかったのは残念だった。吾輩の胸にも響く吟遊詩人の詩は、高村光太郎の「レモン哀歌」である。おまわりさんの方は分からない。何で逞しいライオン族のおまわりさんがその詩を歌い、かすかな涙を光らせていたのかは勿論、分からない。ただ、人間というのはどんなに強そうに見える人でもそうした一片の悲しみの詩をかかえていることがあるのだろうと、吾輩は思った。

それでも、吾輩は何か素敵なものを見たような気がしてしばらくぼんやりしていると、すると、ライオン族のお巡りさんの鼾が聞こえて来た。

 

そのすきをついたのか、ヒョウ族の若者が猫族の娘の所に行き、

「ねえ、付き合ってくれよ」とねこなで声で言う。

「ここで、お話するくらいならいいわよ。でもあたし、ティラノサウルス教って苦手なの」

虎族の若者が来て、「おい、あまりしつこくするなよ。悪いだろ」

「なんだと。お前が出るまくか」

「それに彼女のブログは匿名なんだぜ。何でそれを虎族の小母さん達に喋っちゃうのさ。悪いと思わないのかい」

「うるせえな。ティラノサウルス教よりスピノザ協会の方がいいって書いてあるから、虎族の小母さんの心の栄養にいいと思っただけだよ」

「君はティラノサウルス教なんだろ」

「そうだよ。しかし、あれはヒットリーラが一時心酔した強者の哲学だからね。もう少し、弱い人の立場に立った慈悲の心があった方がいいと思っているよ」

「なるほど。そこまで分かっているなら、彼女の邪魔をするべきではなかったな」

「何だと。貴様」

ヒョウ族の若者はナイフを振り上げる。

「腕力じゃ、僕に負けるからって、ナイフを出すとは。彼女がおまわりさんを呼ぶわけだよ。ところで、おまわりさんは寝ているな」

 

ここでハルリラが立ち上がり、素早くヒョウ族の若者が持っているナイフを取り上げる。ハルリラの動作の敏捷さに驚いた。

「やめたまえ」

ヒョウ族の若者もこの猫族の女の子ナナリアが好きだったのだろうが、彼の恋慕の情の嵐は理性の壁を破ってしまったと思える。以前から、虎族の若者とヒョウ族の若者でこの恋人ナナリアの取り合いがあり、一編の恋愛確執の物語があったのだろう。吾輩、寅坊はそういうことに興味がないでもなかったが、その時はただ、状況をはらはらして見ているばかりだった。

 「おまわりさん」とナナリアが声を上げた。おまわりさんは驚いたように目を覚まして、ラグビーの選手のように物凄い勢いで「逮捕だ」と雄叫びをあげながら飛んで来て、ヒョウ族の若者の手首をつかんだ。なるほど、先祖がライオンだけある、居眠りからダッシュまでの変わり身の物凄い敏捷さには百獣の王の血が流れているようだと、猫である吾輩は思った。

こうして、ライオン族のおまわりさんは男を逮捕すると、別の車両に連れて行ってしまった。

 

「ここにすわりませんか。モリミズさん」と吟遊詩人が言った。

虎族の若者モリミズは「ええ、ありがとうございます」と言って、「綺麗ですね」と窓の外を指さした。

何時の間に、月は窓わくから見えなくなり、代わりに、見えたのは、青白く光る銀河の岸に、銀色の空を背景にした色とりどりの薔薇の花が、もうまるで一面、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした。

 

アンドロメダ銀河鉄道の先の方で多くの鳥達が飛びたったようなのです。

天空に舞い上がる極楽鳥のような色とりどりの小柄な鳥の本当の名前は分かりませんが、熱帯にいる赤いインコ、青いインコ、黄色いインコのような不思議な美しさを持っています。

それがピアノの音のような美しい音を大空全体に響かせて、それから舞い上がり、キラキラ光る星を飾るさまは、まるで江戸の隅田川の空に上がった花火のようです。

確かに、周囲の下の方は何か水晶のような美しい水が流れているのかもしれないと、吾輩は思ったのです。

たえず、ピアノ・ソナタのような、美しい響きがまるでそれが列車の音であるかのように聞こえるのでした。何という美しい音楽だろうと、吾輩は思わず思ったものです。

虎族の若者は満足そうに、吾輩と吟遊詩人とハルリラのそばに、空いている一か所にゆったりと座りました。

  

「すごいね。さすがにハルリラさんは武士だね」と吾輩は言った。

「おまわりさん居眠りしていたから、心配してずっと見ていたんだよ。娘さんが危ないと思ってね」とハルリラが言った。

「助かりました。僕も空手二段の腕前があるのですけれど、ナイフを出されると、やはりこちらも相当怪我をする覚悟がいりますからね。それにしてもライオン族のおまわりさんは呑気ですね。それに比べあなたの敏捷なこと」と虎族の若者モリミズが言った。

「相手がナイフを持っていましたから、ちょつと気を使いました。でも、刀を出す相手とは思いませんでした。そんなことをしたら、武士として失格ですからね」とハルリラは言った。

ちょつとした沈黙があった。

「どちらへ行かれるのですか」とモリミズが吟遊詩人の方に声をかけた。

「この次は、惑星アサガオでおりようと思っているのですよ」と吟遊詩人は答えた。

                   

「ああ、あそこですか。僕もそうですよ。ご案内しましようか。」とモリミズは言った。

「君には、ナナリアさんがいるのではないですか」と吟遊詩人は微笑した。

「あの子は惑星アサガオではおりないと思いますよ。なにしろ、あそこは今、革命の動乱期ですからね。僕が危険だから、この惑星は飛ばして、次の惑星で降りるように説得しました。

惑星アサガオは熊族の王朝が長く続き、ロイ二十世という王様が専制的に支配しているのですが、これがまた税金問題で国民を苦しませていましてね、国民はあの消費税には我慢がならないと色々不穏な動きがあるのですよ」

「それで、虎族の君がそんな所に行って、何か目的でも」

「ええ、惑星アサガオの民衆には、鹿族が多いのですが、これが貧しくてね。明日のパンさえ、手に入らない、中には餓死者が出るあの国の首都のお城では、お姫様が『パンがないなら、ケーキを食べればいいじゃないの』と言いながら、王様は消費税を二十パーセントに引き上げるなんて言っているんですよ。

貴族の中には虎族やライオン族がいましてね、僕の遠い親戚の虎族の伯爵から僕は呼ばれているのですよ。彼は貴族でありながら、この熊族のロイ王朝の政治のやり方に反発していましてね。ウエスナ伯爵というのですが、彼はインターネットで地球のスピノザを勉強していたものですから、僕がスピノザ協会に入ったと言ったら、喜んで僕を招待してくれたわけです」

「熊族の王朝にまで、やはりテイラノサウルス教があるのですか」とハルリラがモリミズに聞いた。

「や、あれは伝統的に虎族の宗教ですから、ロイ王朝は熊族ですからね、ブロントサウルス教でしょう」

「それはどんな考えのものなんですか」と吟遊詩人が聞いた。

 

「あれは草食系のせいでしょうかね、なにしろ、紙が好きなんですな。お札をどんどんすって、インフレにして、消費税などの税金を増やして、貧しい庶民を困らし、富んだ貴族や大金持ちや富裕な商人からは税金をとらないのですよ。おまけに、貧しい庶民にまわす福祉の金は、軍事力を誇示する戦車をつくる金に化けてしまうというわけです」

その時、向こうから、猫族の女の子ナナリアの声が聞こえた。モリミズを呼ぶ声だ。

「それじゃ又。惑星アサガオに降りる間際にご案内します」と言って、モリミズは離れた。

 

吾輩はしばらく寝た。詩人もハルリラも寝たのだろう。

 

ふと吾輩が目を覚ました時は、ハルリラの寝息が聞こえるくらいあたりは静かでした。アンドロメダ銀河鉄道はどのあたりに来ていたのでしょうか。星の輝く中に黒い森のようなものが続くかと思えば、その横を見えないアンドロメダ銀河の川が音もなく、トコロテンのようにやわらかく、もっと透明な流れとなっているようで、不思議な大きないのちの水があらゆる星屑とすれ違いながら、その時出すみかん色の美しい光はたとえようもないものでした。

 時々、なにやら吹く野原の風のような音がまるで弦楽器の響きのように、聞こえては消えていきます。

 「ああ、この次の惑星アサガオは波乱の舞台のような感じもする」と吾輩はロイ王朝のウエスナ伯爵がどんな人か想像しながら、そんな独り言を言うのでした。

大きな向日葵や柳の木のようなものがまるで並木道のようにえんえんと続くではありませんか。向日葵、菜の花、柳のようなものが星のように輝き、

向こうにトパーズという宝石のような黄色みがかった惑星アサガオがゴムまりほどに見えてきました。

吾輩は殆ど歓喜の声をあげました。なにしろ、地球の京都では、あの主人の銀行員が我輩にゴムまりをなげつけて、吾輩がごむまりにじゃれるのを子供のように、喜び、腹をかかえて笑ったのを思い出したものですから。あれでは、どちらが猫か分かりませんね。

 

どちらにしても、今の吾輩はどういうわけか、猫族の人間として、服まで来て、さっそうとアンドロメダ銀河の旅を続けているのです。

これほど、生きる喜びを感じる時はありません。

それにしても、ハルリラは静かな武士です。顔も優しい感じがしますが、腕はかなり太いです。筋骨隆々としたエネルギシュな肉体が服の中に隠されていることがなんとなく感じられる外見です。

吾輩はつくづくハルリラの顔を見ると、どうしても仏像広目天を思い出してしまうのです。

 

「銀河がこんなに美しいのは目に見えない何かを隠しているからだ」と思いました。「何だろう。それは。」

どこからか、銀河のはての丘陵から何かの旋律が聞えてくるようでした。

「そうだ。いのちだ。目に見えないいのちを銀河は持っている。」

 

ふと、気がついた時はもうゴムまりではなく、バレーボールほどの大きさに惑星はなっていて、相変わらず、トパーズのような少し黄色みがかった巨大な宝石のように思えたものでした。

「銀河は目に見えないいのちを持っている。だから、こんなに美しいのだよ」

と吾輩、寅坊は虎族の若者の目を見ながら、そう言った。

そう言って、吾輩はこんな風に言ったのは、映画を見たあとの吟遊詩人のいのちの講釈が我輩の無意識の海の中に入っていて、それが噴水のように言葉となったのだなと思った。

なにしろ、自然は神の現われだとスピノザは言っていた筈だと虎族の若者は言っていた。

 

何時の間に、吟遊詩人もすっかり寝て、気持ちよく目を覚ましたと見え、すがすがしい目をして、吾輩に向かって言った。

「僕はここに杜甫の詩集を持っている。」と吟遊詩人はややふるぼけた小型の薄い本を見せた。「それから、この首にかけているヘッドホーンを耳の方にあてると、僕の好きなバッハやベートーベンが聞こえてくる」と言って、微笑した。

吾輩は、吟遊詩人はいのちの話をするのだなと直感した。

「杜甫の詩を読んで、そこに展開する千年前の不思議な絵巻物のような光景を頭に浮かべて感動する時、そこにいのちを感ずる」

「それに」と吟遊詩人はヘッドホーンをなでながら、「これは素晴らしい。最近はベートーベンをよく聞くんだが、そこに宇宙のいのちを感ずる。芸術は知識でもない、技術でもない、ただ素直に聞き、感動することさ。ロダンは感動こそ、芸術のいのちというが、こういう素晴らしい音楽を聞いて、感動した時もそこにいのちの躍動を感じる。これは絵でも詩でも同じこと」

吾輩は吟遊詩人が映画の感想を言った時と、似たことを言っていると思った。あの時には、虎族の若者モリミズがその席にはいなかった。

吟遊詩人は吾輩の心を読んだのか、優しい目を吾輩に向けて、微笑して、さらに話した。

「寅坊君が言うように、銀河は目に見えないいのちを持っている。だから、こんなに美しい。その通りさ。勿論、銀河のような巨大な宇宙ばかりでなく、可憐な花を見ても風に揺れる植物を見ても、いのちを感ずる。いのちというのは形がない、目に見えない、しかし、我々の肉体が単なる物質の集合体でないと我々が知っていて、「いのちがある」と誰でも言うように、いのちというのは、感ずる心がある人には、いたる所に、いのちがある。

僕はトラカーム一家で過ごしていた時、何冊かの歴史の本を読んだが、その中でも「安土桃山時代」と「明治維新」は面白かった。貧しい百姓の出から、信長に仕え、天下をとり、その豊臣の天下も結局、徳川に譲らざるを得なかった歴史の動きは実に面白い。明治維新も同じ。下級武士たちが動きだし、やがて、長く続いた徳川政権を倒す、このあたりの人々の動きを見ていると、そこに不思議なドラマ、つまり、歴史物語といういのちを感ずる。

いのちはいたる所に感ずることが出来る。

星の輝き、空気の心地よさ、風の梢を揺らす音、小鳥の声いたる所にいのちを感ずることが出来、そして、いのちをささえているのは愛であり、大慈悲心である。これを不生不滅の霊性と言っても良い。そういう風に、いのちというのは不思議なものだよ。」

 

                    【つづく】

  

 

 

 

【久里山不識より】

 

この素晴らしい大切な「いのち」を傷つける行為がこの地球で行われてきたことは大変残念なことです。その筆頭が「戦争」でしょう。

この恐ろしい戦争を経験して平和になっても、人は人を平気で傷つけることが行われているのはちょっとニュースを見ただけで分かります。

禅では、人は仏性であるとか、もっと深い言い方では、無仏性であるとか言い、白隠和尚などは仏と人間は紙一重であると言い、人間の中に素晴らしいいのちの宝があることを示していますが、どうもこの百年間ぐらいの戦争などの歴史を見ていると、親鸞が言う「人は愚かな悪人で救いようがない、それを助けようとなさっているのが阿弥陀仏だ、阿弥陀仏の回向によって仏の世界に導かれていく」という方が現代には相応しいのかと思ってしまうことがあります。阿弥陀仏って、な~になんて、最近の仏教離れの人に聞かれてしまいそうですが、私は難しい話は横において、

「大慈悲心に満ちた宇宙の不生不滅のいのち」と言って、そう間違いはないと思っています。

 

そのいのちを傷つける行為は日本国憲法によって、禁止されています。私達の「いのち」は 日本国憲法によって守られているのです。例えば、基本的人権。

 

さて、いのちを傷つける悪の象徴たる戦争ですが、下記の記事が目にとまりましたので、掲載させていただきます。

ハ月十五日【2015年】の東京新聞の朝刊に九十三歳の瀬戸内寂静さんの特に若い人たちへのエールが掲載されていました。

長い珠玉のような文章の最後の方にこんな言葉がありました。

「安保法案が衆院で可決される結果は想像していたわよ。それでも反対しなきゃならないと思ったの。いくら言ってもむなしい気もするけれども、それでも反対しなければならないの。歴史の中にはっきり反対した人間がいたということが残るの。そのときは「国賊」だとか言われても、どちらが正しかったかを歴史が証明する。一生懸命、小説を書いてきて分かりました。

若い人が立ち上がってくれたことは本当に力強いことです。

法案は参院でも可決されるかもしれない。

もしそうなったとしても力を落とさないでほしい。

立ち上がったという事実はとても強い。

負けたんじゃない。いくらやってもだめだとは思わないでほしい。

闘い方が分かったんだからこの次もやっていこうと思ってほしいわ。運動に参加した人は、その分の経験が残ります。

若い人たちは行動する中で自分が生きているという実感があると思う。

未来は若い人のものです。

幸せも不幸も若い人に襲い掛かるんだから。

われわれはやがて死んでいく人間だけれども経験したことを言わずにいられない。法案を通した政治家も先に死ぬのよ。残るのはあなたたち。闘ったことはいい経験になると思います。むなしいと思われたら困るのよ。どっかでひっくり返したいね。

いい戦争はない。絶対にない。聖戦とかね。平時に人を殺したら死刑になるのに、戦争でたくさん殺せば勲章をもらったりする。おかしくないですか。矛盾があるんです。戦争には。」

 


【ご紹介】

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【参考】レモン哀歌全文

そんなにもあなたはレモンを待っていた

かなしく白く明るい死の床で

わたしの手からとった一つのレモンを

あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ

トパアズ色の香気が立つ

その数滴の天のものなるレモンの汁は

ぱっとあなたの意識を正常にした

あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ

わたしの手を握るあなたの力の健康さよ

あなたの咽喉に嵐はあるが

かういふ命の瀬戸ぎはに

智慧子はもとの智恵子となり

生涯の愛を一瞬にかたむけた

それから山巓でしたやうな深呼吸を一つして

あなたの機関はそれなり止まった

写真の前に挿した桜の花かげに

涼しく光るレモンを今日も置こう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


銀河アンドロメダの猫の夢想 27 【窓の月】

2018-12-17 13:49:47 | 文化

   アンドロメダ銀河では、たくさんの星が蛍の群のようにゆらめき、流れていく中で、日光菩薩、月光菩薩が美しい幻のように舞い、きらびやかにそして慈悲に満ちた光を放っている。どこからか、ハレルヤの歌も聞こえてきた。ハレルヤ。ハレルヤ。猫である吾輩は ハレルヤという言葉を聞いた途端、よく京都で吾輩の主人の銀行員が好きだったヘンデルの曲を思い出した。でも、アンドロメダ銀河で聞いた曲はヘンデルの「ハレルヤ」にどこか共通のものを感じはするが、歌詞はまるで違うものだった。

皆、しばらく呆然と、窓の満点の星に気をとられているようでした。

 

ハレルヤ

星の光あふれる蝶の舞いよ、あなたは宇宙の舞踏

宇宙にあふれるいのちの舞い

月の光あふれる小鳥の舞いよ、あなたは大きないのちの流れ

ハレルヤ

 

ハレルヤ

その大きないのちを何と呼ぼう

父とも母とも違う、昔の人は神と呼んだ

東洋の人は仏と呼んだ

 

吾輩は目をつむって、さらに耳をすますと、目の前に花園が広がった。幻影だろうか。

最初は深紅の薔薇園から、紫陽花のような青い花と様々な色の花が流れるように見える。

 

ハレルヤ

名前で、百合を見ている人は百合の真実を見ていない

名前で、薔薇を見ている人は薔薇の真実を見ていない

脳から見た世界は美しい複雑系の模様のようだ

それでは宇宙の崇高ないのちを何と呼ぼう

 

ハレルヤ ハレルヤ

今のヒトは宇宙の真実に名をつけたいと思う

名前がない、これが人の病を深くする

しかし、名前があっても、それが真実のいのちを見失わせる

名前で争うからだ。

悲しみ、苦しみ、

そして、脳から見た世界は争いに満ちている

 

ハレルヤ ハレルヤ

何と呼んだらよいのだ。

ヒトは争わないで、平和をつくるために

いのちの宝をヒトは何と呼ぼう

ハレルヤ

 

ハレルヤ

自我を忘れる時

見えて来る光

それは今、ここに存在する

名前のない形のない目に見えない宇宙生命は今、ここに存在する

ハレルヤ  ハレルヤ

 

ヒトは何かで争っている

それでもヒトに武器など必要ない

我らは仏性という兄弟なのだ

ハレルヤ  ハレルヤ

ただ息をして、心を愛で満たして祈れ

そしていのちに感謝して、深く祈れ

ハレルヤ  ハレルヤ

 

 ハレルヤが終わり、急にシーンとなり、「君は心の綺麗な人だ。珍しい人だよ」と虎族の若者の声が吾輩の耳に聞こえた。

猫族の娘ナナリアはわけもなく頷いた。

「心が綺麗と言われても、何も考えていません。ただ、ハレルヤがあんまりすばらしかったので」とナナリアは答えた。

「だから綺麗なのさ。普通の人は何か考えている。僕は君を見た時から、本能的に惹きつけられていた。無心なの」

「無心って」

「つまり、自分の頭であれこれ思うじゃない。蝶の舞いや、ハレルヤ・コーラスのような歌を聞いて何か考えることがあるじゃない。故郷のことを思い出したり、あれこれ思ったり」

「蝶の舞い。ハレルヤ・コーラスのような歌。そうですね。美しいですね。そういう風景に淡い光が射しているような意識だけあって、そこに「あたし」という自我が消えて、いなくなった気がしたことがあったみたい」

「なるほど、やはり、君は珍しい人だ」

吾輩はこの会話も気になっていたし、虎族の若者の動きも気になった。

 

窓の外の見える風景の範囲に、急に満点の星空一杯という風になると、虎族の若者が目を覚ましたように立ち上がった。

 

 若者は、虎族の奥様「チロ」さんの後ろを回って、我々の方に歩いて来て、「座ってよろしいですか」と聞いた。

「どうぞ」とハルリラが言った。ハルリラの隣に若者が座ったので、必然的に彼は吾輩の正面にいることになる。吾輩の隣の吟遊詩人はヘッドホーンをはずし、首にかけ、銀河鉄道の窓の外を眺めている。

 虎族の若者はハルリラに向かって「虎族の小母さんから、逃れるには、

ここがいいね。ところで、君は聞こえて来る歌声のような人だね」と言った。

「俺? 」とハルリラは目を丸くした。ハルリラは驚いたのだろう。

若者がナナリアのような妖精に言う言葉なら、理解できるが、若者のハルリラのような武人に対する礼儀の奇妙さに、吾輩、寅坊は目を丸くしたのだ。ただ、あとで知ったことだが、虎族の青年が好意を持った初対面の刀を持った武人に、こういう挨拶が見られるのはその頃の習慣だったらしい。

「ところで、君さ」と明らかに、吾輩の目を見て言った。

「吾輩 ?」と答えた。

「そうだよ。君と彼女は同じ猫族じゃないかい。耳がいいから、あの話、聞こえたろう、どう思う」

「あの話」

「彼女は匿名でブログに流している。本当に親しい人、数人しか知らない筈だ。

それが今はこの銀河鉄道の皆にナナリアさんのブログが知られている。

こんなことは普通起きないよね」

と虎族の若者は言って、しばらく目をつむって、今度は目を大きく見開き、思い切ったように、「ヒョウ族の若者はどうして知ったのだろう。無理に聞いたんじゃないかな」

 

「どうかしら」といつの間に、虎族の奥様「チロ」さんは我々の前に突っ立っていた。

虎族の若者はそれを無視したように言った。

「僕にすら、彼女は教えていないんだぜ。僕はたとえ、知ったとしても、そんなことをあちこち人に喋らない程度の礼節は心得ている。そんなことをやるから、ヒョウ族の奴はきらわれるんだよ。ライオン族のおまわりさんだって、僕のために来たなんて思われると迷惑な話で、ヒョウ族の若者のために来ているんだよ。

僕はストーカーなんてしないからね。あいつはそういう陰険なことをやるから、ストーカーだなんて思われて、あの猫族の女の子がおまわりさんに頼むことになるのよ」

「そうかもね」とチロさんは言った。

 相変わらず、ピンクのカーディガンを着たチロさんは立ったまま、座っている虎族の若者に声をかける。彼はがっちりした体格で黄色い口髭をはやして、つぶらな瞳をキラキラさせていた。

「あなたは何でティラノサウルス教に入らないの。ヒョウ族の子が入っているというのに」

「それはティラノサウルス教がよくないと思うからさ。スピノザの方がいい」

「親念はどうなの」

「親念。ああ、大統領演説で名前を知ったくらいだ」

「ティラノサウルス教には、虎族の三分の一がこのグループに入っているのよ。良い教えに決まっているじゃないの。あなたは虎族なんでしょ」

「虎族だって、ヒョウ族だって、猫族だって、同じヒトさ。ヒトは自由な意思で、自由に自分の考えをつくることが出来る。それに、君達も大統領演説を聞いただろう。ティラノサウルス教は間違った教えだったから、ヒットリーラはああいう演説をしたのじゃないか。猫族を差別するなんていうのは真理に反するよ。真理には全ての人に対する愛がないとね、

だから、長時間労働をなくし、大きな経済格差をなくしていこう、差別をなくそう、自由と平和と福祉を大切にしよう、それから世界の軍縮を進めるためにも、カント九条を世界に広げて行こうというスピノザ主義の考えに共感するのさ」と言って、彼は立ち上がった。

虎族の若者はチロさんをやり過ごし、吾輩の前の方の入口に近い所に座っている美しく可憐なナナリアに、近づいた。さすがに、チロさんはそのまま自分の席に戻り、むっつりしていた。

 

吾輩は耳をすました。猫の聴力は地球のヒトの三倍あるとはよく知られたことだが、こういう時には役に立つ。そういう風に、聴力にはひどく自信があるので、彼らの話も興味があるので、耳をすまして、無理に聞いてしまった。

時々、ハルリラが「何 聞いているのさ」と聞くと、吾輩は「しいっ」と指を口にあて、「あとで教える」と黙らしてしまう。

吟遊詩人はヘッドホーンで何かを聞きながら、窓の外の星空を眺めている。

 「ここに座っていいかい。虎族の小母さんがうるさくて」と虎族の若者モリミズ君。

「いいわよ。でも長くいると疑われるわよ」とナナリア。

「誰に」

「ライオン族のおまわりさん。トイレに行ったんじやないの」

「ライオン族のおまわりさんはヒョウ族の若者を見張っているんだろ。君はヒョウ族の若者に自分のブログを喋ったのかい」

「あら、喋ってないわよ」

「そうだろうな。僕に知らせないくらいだから」

「あなたなら、教えてあげてもいいわよ」

「それはありがたいが、君のブログは虎族の小母さんにもれて、このアンドロメダの列車の多くの人は知っているぜ」

「どうして、あたし、喋ってないのに」

「ヒョウ族の若者が君のことを徹底的に調べ上げたのだよ。勿論、ブログも隅から隅まで、調べたんだと思う」

「そんなことで分かるの」

「君と少し、趣味の会話などしているだろ。それを手かがりに調べ上げるのさ」

「恐ろしい人ね」

虎族の若者モリミズは「僕は」と言って黙った。

「分かっているわよ。おまわりさんは、あのヒョウ族の若者がストーカー行為するから来ているのよ。自宅にいた時にも、押しかけてきたりしたんだもの」

「何でそんな奴と知り合ったのだよ」

「町の図書館で雑誌、読んでいたら、声をかけてきたのよ」

「ふうん」

「そういうことはよくあるわよね」

「うん、まあな。僕と君が知り合ったのはスピノザ協会だよね。スピノザの汎神論、つまり自然イコール神という考えからすれば、僕は神が変身と進化をなしとげてきて、今の僕という存在がある。そういう風に神を知ることによって、自然と、騎士道精神は守るようになる」と虎族の若者モリミズは微笑して言った。吾輩は彼が「エメラルド」という虎族の小母さんが言っていた騎士道精神をここで使ったのが、何故かおかしかった。

騎士道精神は魔法界だけでなく、虎族の教養ある一部の人達にも浸透している価値観のように思われた。

 

 「おまわりさんは ?

「食堂車に行ったのじゃないか。よく頻繁に立つライオン族のおまわりさんだよ」

「あたしを守ってくれる役目なのに」

「君が頼んだのだろ」

「わたしは個人的なおつきあいは困ると言っただけなのに、ヒョウ族のあの人はしつっこいわ。ストーカーよ。あたしは取材で、この列車に乗っているのに、あの人はくっついてくるんだから。

それにしても、地球という惑星のことを少し取材してみたら、地球も大変みたいね。純粋な子供の中にいじめが目立つのは、大人の社会に格差だの、ブラック企業だの、一部の親の子供虐待だの、金銭至上主義だの、大人の社会の一部にまともでない所があるからよ。

この間は身体障害のある人の施設で沢山の人が、元職員に殺されたんですって、みんな生きる価値がある筈なのに、勝手に変なことを言って、あんな怖ろしい事件を起こすなんて。少し狂ってるわ。

社会に余裕がないのね。競争が激しいし、格差も激しい。長時間労働が習慣化して世の中の雰囲気は表看板は美辞麗句で飾られるんだけど、中身は歪んでいる。だから、いじめが起こるのよ。

地球の兵器の発達も少し異常よ。軍縮しないと、今に大変なことになるわよ。軍縮すれば、お金を福祉にまわせ、消費税なんて必要なくなるのに。もう少し、大人の社会をまともにしなくてはね。どう、そう思わない ?

 

虎族の若者モリミズは地球の知識はないらしいが、スピノザ協会に言及した。

「スピノザ協会がそういう社会の悪い所を一番、問題視しているよね。僕は同感だ」

 

「おまわりさんがいたんじゃ、彼もしつこくは出来ないだろ」

「でも、あのおまわりさん、ひどくのんびりしているわ。そういう人をわざと派遣したんじゃないかと思って。だって、警察署の幹部って、たいてい虎族でしょ。猫族を守ることなんかあまり真剣に考えていないのよ」

「君は虎族に偏見を持ちすぎるよ。少なくとも、ぼくは君が虎族に抱いているような人間じゃない」

「どんな風に違うっていうの。虎族ってエリート意識が強くて、猫族を嫌っているじゃないの。それなのに、あなたは」

「僕はそういうことにこだわらない。人間は平等さ。先祖が誰だって、いいじゃないか。文化の違いがあるのは認めるけど、それを使って交流して、お互いを高め合うことがたいせつなのじゃないかな」

「それはあたしもそう思うわ。スピノザ協会もそう教えているわ」

「そうさ。全ての人は神が変身し進化してきた存在だから、平等さ」

吾輩、寅坊はそれを聞くと、京都の吾輩の主人が「すべての人は仏性を持つ。衆生と仏は水と氷りのようで紙一重だ」という江戸時代の白隠の詩を口ずさんでいたことを何故か思い出した。

 

ヒョウ族の若者が帰ってきた。中々鋭い目つきをしたヒョウ族の若者だ。

虎族の小母さま達の所は挨拶だけして、吾輩のずっと背後の席に座ったらしい。

どさりと音をたてて座った。何か、乱暴で、投げやりな気持ちが見え隠れするような気がしたのは吾輩の思い過ごしか。

そこから、あの猫族の娘が見やすいのかどうかは分からないが、かなり離れているとは思う。何か、視線が彼女に向けられていると思うのは吾輩、寅坊の思い過ごしか。

 

 夜になると、食堂車に行くものもいる。我々三人はそこを動かずに、その席で食べていた。窓の外に大きな黄色い丸い月が見えた。地球の月とどこか違う、どこが違うと指摘することよりも、吾輩の耳には、良寛の俳句「盗人に取り残されし窓の月」が響いた。月を見れば、見るほど、何故か、吾輩の耳に「盗人に取り残されし窓の月」という俳句が繰り返し聞えて来る。

「月は花みたいだね」とハルリラが言った。

吾輩は何か嬉しくて、笑った。ハルリラも微笑していた。

吟遊詩人は食事を終えると、ヴァイオリンを弾き出した。彼の好きなチゴイネルワイゼンだ。甘く美しく、ちょうど車窓を流れる月のようだった。

  

 

                      【 つづく 】

 

 

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