空華 ー 日はまた昇る

小説の創作が好きである。私のブログFC2[永遠平和とアートを夢見る」と「猫のさまよう宝塔の道」もよろしく。

青春の挑戦 11

2021-06-26 14:10:14 | 文化
11
林原の別荘を夜の十一時頃、解散した。外は満月が美しかった。

平和産業は順調にスタートした。熊野と林原は映像課に、田島と飯田と遠藤はロボット課に、平和セールスは松尾に決まったし、会社独自で採用したのは途中採用が多かった。

次の平和セールスは大学と決まった。
前と同じように、ロボットと松尾と田島のコンビで訪問するスタイルは同じだった。何しろ、まだ実験段階なのだ。遠藤の主張した額から、電波が飛び出るミニロボットは今後のロボット課での研究課題で、親会社のルミカーム工業と協力してやることに決まった。
大学に学生の前で、ロボットの演説を見せたいと申し出たら、大学は快く引き受けてくれた。
その日は十一月を少し過ぎ、紅葉にはまだというような秋晴れの日だった。車を大学正門前の駐車場前に止め、ロボット、松尾優紀、田島は中に入っていった。
歩いている学生達がロボットを見ると、目を輝かせて来た。
中には、数人、寄ってきて大胆に握手を求める学生もいた。それでも、
「本物のロボットですか」と質問する学生もいた。


大学祭の途中だった。校内に入るとあちこちに、案内の看板が立っている。演劇とか歴史とかがあったが、松尾の心に飛び込んできたのは宇宙だった。三人は鉄筋コンクリートの校舎の中に入っていた。そう言えば、アリサが「銀河アンドロメダの猫の夢」という叙事詩を書いたということを聞いて、その概略を聞いたことがある。
中に入ると、教室がプラネタリウムのようになっていて、薄暗い中に沢山の星がまたたいていた。
一人の学生が声をかけた。「ロボットの登場ですか。工学部の方ですか」
「いえ、平和産業という会社のものです」
「平和産業。 会社の方ですか。とすると、そのロボットは本物というわけですね。
我々も宇宙人にはアンドロイドが沢山いるという想定の下に宇宙の物語を構想し、映像化してみますよ。
ごらんになりたければ、こちらの小さい教室の方に来て下さい。
「僕らは戦うのでなく、武器のない惑星の映像詩をつくっているのです」



大学は島村アリサの母校で、アリサはこの部会に書いた叙事詩の一部を映像化していたのだ。そのことを松尾優紀は学生から聞いて、驚いた。
その学生は島村アリサのいとこで、前から学園祭に映像詩を発表する相談をすることを考えていたと言う。
学生がロボットに向かって感想を聞いた。
「僕の考えと似ているではないか。世界から、核兵器を無くす、そのあまった金を増やし、福祉にまわせば、経済格差を少なくする。」
その学生は中肉中背の赤ら顔の純情そうな顔つきをしていて、「島村アリサさんね。たまに、母校を訪ねて、文学部をのぞいたり、宇宙科学をのぞいたりしていますよ。
あの、映像詩にした物語も文化祭のために、一部をお借りしているのですけど、いずれ完成したら、本にすると言っていました。
読んでみたいですね。武器を持って戦うのが常識という世界観に挑戦しているんですが」
「僕らの平和産業は核兵器を全地球になくすにしぼっています」と言った。
「核兵器を地球から無くすということに、反対の人はいない筈です。
みんなが同意できる所で、平和セールスをしようというのが、平和産業のビジネスです」
「面白いビジネスだけど 」
肝心の島村アリサさんの映像詩を見る所は、隣の小さい教室が使われていた。窓の方に、白いカーテンが垂れ、椅子がまばらに置かれ、十人近い学生が座っていた。松尾も田島もロボット菩薩も座った。
そのあと、柔道着を着た十人ぐらいの学生がぞろぞろ入って、椅子に座った。松尾優紀が驚いたのはその礼儀正しさだった。教室に入る時、椅子に座る時、全体のムード、見事なものだった。
しばらくすると、影像が流れた。その間に、女性の声でナレーションが流れた。




我々はトパーズの宝石のようなこの惑星アサガオの冒険を終えて、アンドロメダ銀河鉄道の駅に向かった。
黄昏の美しい時がこの排気ガスに汚れた空気の惑星にも訪れようとしていた。薔薇色の光は灰色がかってはいたが、それでもあの真紅の薔薇の花を思い出させる自然の荘厳さがあたりをおおっているのを感じた。青みがかった空気の流れがあり、風がそよそよと吹いていた。確かに頬には暖かい風ではあったが、何故か吾輩は心地よく感じた。
背後に広がる山にも廃墟のようなビルの並ぶ町にも明るい光の残りがぐるぐる渦を巻いていて、何か不思議な霊的なものが駅の方角に吹いているような気がした。
並木の間にガス灯が灯り、ふと聞こえる水音は何か銀河の流れの音のようにも聞こえた。
巨大なクジャクが羽を広げたように、駅は前方で待っていた。
不思議な鐘の音がこの夕暮れの束の間の憩いの時を告げているようだ。
いくつもの大きな星が輝き、我らの旅立つアンドロメダの大空に手招きしているようではないか。木の葉が広場の樹木から音もなく散り、宇宙の真理を語っているようだった。

物質と霊、物質と仏性、それが一つになったいのちに満ちた宇宙。孫悟空の持つ科学の如意棒をはるかにしのいだ永遠のいのちの力が我らの列車を引っ張るように、アンドロメダ銀河鉄道の駅へと導いていく。

駅の構内に入り、アンドロメダ銀河鉄道の雄姿を見た時に、ハルリラが豪快に笑った。
「この列車には、いずれ面白い男が乗る。それを今、魔法界からメールでキャッチした。そいつと話すのが良いという知らせだ」
「面白い男って、どんな人よ」
「さあ、それは会ってのお楽しみということだな。ただ、おそろしく背の高い男だから、すぐ分かるということしか連絡がきていない」


アンドロメダ銀河鉄道はいつの間に、出発していた。吟遊詩人と吾輩とハルリラの三人が座った椅子は実にゆったりとしていて、窓の外がよく見えた。
真紅の丸い恒星は今や遠ざかり、遠くの大空の一角はあかね色に染め上がり、列車よりの空にはもう銀河がちりばめられ、大きな星や小さな星が輝いてみえるのだ。


その時、隣の方の車両からやってきたのだろうか、背丈二メートルは超える、がっちりとした体格の大男が我々の前に現われた。ハルリラは「あの男だな。面白い男というのはきっとあの男だ」
吾輩も「なるほど。面白そうだな。君の魔法のメールは正確だね」
「そりゃそうさ」

その姿は何かを修行している行者のようだった。茶色っぽい粗末な、しかも、洗濯をしたばかりのように、綺麗な肌触りの服を着ていた。顔は小さな岩のようにごづごつして、目はアーモンド型に近く、口髭とあご髭が白のまじった薄緑の雑草のようにぼうぼうとはえている。
これは又、何族の人間なのか、見当がつきかねる。そういう人は吾輩のアンドロメダの旅の中でも珍しい。
車両のどこからか、「あ、シンアストランだ」という声が聞こえた。

シンアストランと呼ばれた男は立ったまま言った。
「そう愚かな戦争だった。地球はいつまでもつのかね。核兵器なんてものを沢山持っている国が争っているんだからね。何億年も栄えた恐竜が隕石の落下で一挙に滅びたように、そういう予兆があちこちのニュースでも感じられるじゃないか。戦車だの、ミサイルだの。戦闘機だの。はっきり言って、あれは人を殺す道具だぜ。あんな物騒なものに何百億円もかける人間って、はたして利口なのかね。」

その時、ハルリラが突然、「おじさん。ネズミ族だね」と言った。  
シンアストランはおやという顔をして、目を丸くした。
「そうなんだよ。よく分かったね。わしはネズミ族だ。わしは長い修行によって、普通の人にはどこの民族か分からないような姿になってしまったと思っていたが、見破られたか。ハハハ。ネズミ族は、アンドロメダ銀河では低く見られたり、恐れられたりする奇妙な感じになってしまった。今や、アンドロメダ銀河では、最も優秀な科学と武器を持っている惑星に住むヒトだが、宇宙に出ることには消極的で、まあ、一種の鎖国状態だな。物は豊かで、栄えてはいるが、広い宇宙に目を向ける大切さを忘れた息苦しい所があって、わしは飛び出し、アンドロメダ銀河の原始の森のある惑星に憧れ、そこで修行を積んだのだ。
こういう変わり種のネズミ族はけっこういる。例えば、惑星アサガオのニューソン氏のような科学の天才」
吾輩、寅坊の前に、大男シンアストランが巨木のように悠然と突っ立っている。
そして、小声で何かを歌っている。
【銀河の幻の松を今日見れば、蛍の群れに横笛の音かなし 】

吟遊詩人が立っている大男シンアストランに、「ここにお座りになりませんか」と我々の席の一つ空いている所を指さした。
「ありがとう。わしもそうしようと思っていた所だ。あんた方は地球の方だろう。地球も今は大変だな」
吟遊詩人は言った。「ネズミの惑星も大変なようで。一歩、間違えると、自滅する」
「ほお、よく知っていますな。あそこの情報は中々手に入れにくいのに」
「私はニューソン氏と少し、お付き合いしましたので。」
「ほお、ニューソン氏と。わしはあいつとは肌が合わないので、一度会ったかぎりだが、面白い話がありましたか」
「ネズミの惑星の様子を心配していましたね」
「ほお、どんな風に」
「ともかく物凄い科学文明の発達ですよね。今じゃ、原子力とニューソン氏の弟子達の努力によって、水素エネルギーの利用が可能になり、惑星と周囲の三個の衛星のエネルギーの需要をまかなえるようになっていた。しかし、一つの衛星で原子力発電所の大事故があり、沢山のネズミ族のヒトが死に壊滅状態になったけれど、そんなことに無頓着にさらに物質文明を進めようとしている。
確かに、惑星も残りの一個の衛星も十分に豊かな住宅地が生まれ、物凄く豊かなネズミ族の文明が栄えている。しかし、この衛星の中の領土の取り合いで、
惑星の四つの国が激しく対立し、国と国はいつ戦争するか分からない状態という。
どこの国も、武器の発達は凄いので、恐怖の均衡という状態にあるとか。

精神文化も衰え、人々は毎日、享楽的な生活にあけくれているとか。人と人はばらばらになり、金銭を積み上げることが人生の目的になってしまったような社会で、自殺者も地球の十倍とか。それでも、人口は増えて、その解決のために、もう一つ残された未開拓の衛星獲得競争が始まっているという話です。」と吟遊詩人はなめらかな調子で話した。


大男のシンアストランは手を合わせてから、目を半眼にして、大きな呼吸をした。
「吸う、吐くに集中する呼吸の瞑想ですね」と吟遊詩人は言った。
シンアストランは頷き、何度か吸う、吐くの瞑想をやり、急に目を大きくして言った。
「『吸う』と頭の中で、言いながら空気を吸い、『吐く』と頭の中で言いながら、空気を吐くと頭の中が空っぽになって、気分がよくなりますよ」
そこまで言うと、シンアストランはしばらく沈黙してから、喋り出した。
「ところで、地球も核兵器だの、気候温暖化現象だの大変のようですな。それに、最近、わしは文殊菩薩に会った。信じますか。
信じないなら、夢の中で会ったと言っておきましょう。菩薩は美しい顔に珍しい怒りの表情を浮かべていた。
プルトニウムは核兵器の材料になる。知っているだろうな、と菩薩はおおせだった。勿論、日本のもんじゅは発電のためにある。発電しながら、燃料のプルトニウムを増やしてくれる。だから、増殖炉で、夢の発電の筈だった、しかし、この二十年間まともに動いたことはなく、今や止まったままでも一日五千五百万円という高い維持管理費がかかっておる。一日の費用だぞ、今までに、おそらく何兆という金額が無駄にされているのだ。
知っておるのか。これだけの大金があれば、どれだけ福祉の方に金がまわせて、消費税なんか必要のない真の意味での豊かなゆとりのある国がつくれたではないか。
こんな無駄使いが許されるほど、かの国は富があふれているのか、と文殊菩薩はおおせだった。わたしの名前をつけるなど、ふとどきだと菩薩は怒りで頭から蒸気がのぼっておられた。」

「よく知っておられますね」と吟遊詩人が言った。
「わしはね。地球とアンドロメダ銀河で起きていることには詳しいつもりだ。特に地球で起きていることは我々アンドロメダ銀河に生きる者にとっては、おおいに参考にすべきことが沢山ある。原発の恐ろしい危険性は明白。プルトニウムは核兵器の材料にもなる。核兵器で恐竜のように、人類が滅びないように願っているよ」

なにしろ、第一次大戦の塹壕戦だけで、二百万人の若者の死んだのですからね。あれが悲惨な戦争の現実なのだ。それに、核兵器は兵士だけでなく、沢山の普通の民衆と子供をそうした戦火にまきこむ」とシンアストランは言った。
  アンドロメダ銀河鉄道の窓の外を見ますと、美しい風景が広がっていました。
緑色に光る銀河の岸に、柳の並木の細長く垂れた葉や焦げ茶色の太い幹のある緑の桜の葉が、風にさらさらとゆられて、まるで何かの踊りを踊っているようでした。他は、全て、真空のヒッグス粒子のような何かの輝きのようで、波を立てているのでした。
しばらくすると、アンドロメダ銀河鉄道の先の方で蜃気楼のような白い宮殿が立ち、その周囲に花火のようなものが上がったのです。白い宮殿におおいかぶさるようにして、大きな花のような広がりは赤・青・黄色・と様々な色に輝き、薔薇の花のようなひろがり、百合のような花の広がり、向日葵のような花の広がりと直ぐに消えてしまうのですけど、再びその花火のような美しい大輪の薔薇、菊、百合の花は白い宮殿をおおってしまうのです。全てが夢のようで、また蜃気楼のようで、時々、ピアノの音のような美しい音を空全体に響かせているのは、宮殿で何かの催しをやっているようにも思え、宮殿の周囲にも白いミニ邸宅が並び、おそらくは人々がその不思議な光景を鑑賞しているに違いないと思わせるものがありました。
そして、確かに、銀河鉄道の列車の周囲の下の方は何か透きとおったダイヤのような美しい水が流れているのかもしれないのだと、ふと吾輩は思ったものです。

何時の間に、シンアストランの行者がコーヒー茶碗を持って、そこに座っていました。
うまそうにして、珈琲を飲むと、満面に笑顔を浮かべて、彼は言いました。
「地球で死んだ人は、そのまま、銀河鉄道への旅に出ることがある。宇宙には、まだまだヒト族の理性では理解できない所がたくさんあるということだよ。どちらにしても、いのちは永遠さ。この永遠の旅で、人は自分の魂を磨く、これを知らないと、人は愚かになって、そして争い、みじめになる」
「魂を磨くのですか」
「そうさ。色々な試練にあって、自分の魂を美しくしていく、そういう永遠の旅だ。しかし、人間には親鸞がおっしゃったように煩悩というものがある。この煩悩の重さは大変なものさ。親鸞が言うように、まず自分の中にある悪と愚かさを見つける時に、人は天空から降りて来る素晴らしい光の衣に包まれ、本当の人間になれる。」
どこから飛んできたのか、美しい赤いインコがシンアストランの肩にとまった。
「わしのペットだ」とシンアストランは微笑した。



映像詩は終わった。The End が消えると白いカーテンが垂れているだけで、外の学園祭の喧騒が聞こえてくるばかりだった。
ロボット菩薩が立ち上がった。
「ああ、面白かった。僕もシンアストランのようになりたいな」
松尾優紀は苦笑した。
柔道部員が寄ってきた。
「おお、ロボットじゃないか」
「何で、柔道部員が練習をサボって、映像詩なんか見るんですか」とロボットが聞いた。
「ああ、いい映像詩をやるという噂を聞いたからよ。面白かった。シンアストランのように、我々柔道部員は強さだけでなく、jジエンツルマンとして道を求めないとね」
「敵と戦いがあって、強くなるのが柔道では」とロボットが言った。
「それは一般に流されているイメージだな。我々柔道部はちがう。敵という言葉を嫌うし、道を求めている。」
「すごいですね。私、菩薩が宣伝に来た目的は、この地球から核兵器をなくすということですが、その志と同じものを感じます」
柔道部員達はロボットが喋るたびに、「おう」と声をあげて感心している様子を身振りで示した。
  

そのあと、学生から「今日は島村アリサさんの父親が大学の教室に講演をすることで、招待されている。」と聞かされた。
まさに、松尾優紀にとって驚きであり、喜びであった。

島村アリサの父親が僧服を着て、学園祭に出てきたことは、何かの宇宙の奇跡のように、松尾優紀には思えたのだ。年齢は六十才前後の白髪の目立つアーモンド型の目をした優しさと知性を兼ねたような人物だった。僧が黒板の前に立つと、学生達は一瞬ざわついたが、急に静まり物音一つしない静寂が支配した。
学生は五十人ほどいたろうが、先ほどの柔道着姿十人ほどの学生が例の礼儀正しさで、最後に椅子に座った。その後ろに、松尾と田島とロボットは座った。

僧は机の上のマイクを使って、喋った。机の上には百合の花が一輪咲いていた。まさに、ソロモン王の栄華よりも、美しいと言われたあの百合が美しい白い羽を四方に伸ばしているかのようだった。

「皆さん  こういうことを考えたことがあるでしょうか。今は十一月で、紅葉を楽しむことが待たれるわけですが、十二月に入ると、クリスマスがきますね。今はとても盛んですが、
この日がキリストの誕生日であることはたいていの人は知っていても、キリストの言葉となると、知っている人は少ないでしょう。そのキリストの言葉の中に、仏教と非常に似ている言葉がいくつもあるのを知っている方はどれほどおられるでしょう。
人を愛せよというのは仏教の大慈悲心と同じで、こういうのは宗教の核心ですから、なんとなくそれらしいことを言っていると感じている人は多いのではないでしょうか。
それでも、仏教とキリスト教はまるで違う、異質のものであると感じられている方の方が多いのではないでしょうか。
私は道元を勉強して、座禅をしますが、最近、ふとしたことで新約聖書を広げ、キリストの言葉の中に、道元の禅の核心、仏性の説明に似ている言葉と出会い、驚きました。
これではキリストは自分の中に無位の真人を悟った天才的な禅僧と同じではないか思ってもそう間違いとは言えないのではないかということです。確かにキリストは神という言葉を使います。禅は使いません。
ある日、キリストは神のことをその方と呼び、こう言ったのです。「この方は真理の霊である。世はこの霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることが出来ない。しかし、あなた方はこの霊を知っている。この霊があなた方と共にあり、これからも、あなた方の内にいるからである。」
受け入れることができない人が実はその人の中に真理の霊はいらしゃるという、一見すると矛盾したことを言っているように思える。
こういう言い方は、道元の仏性だけでなく、禅の核心の話にもよくある。たとえばイメージとして、一番分かりやすいのは臨在禄にある。
「お前たちの身体に無位の真人「一真実の自己」があって、いつもお前のたちの口から、眼から、耳、鼻などに出入りしているぞ、その一真実の自己は形がなく目に見えないが、十方に貫き通している。それを働きに見ると眼では見、耳では、聞き、鼻ではかぎ、口では喋り、手では物をつかみ、足では歩き、その根源である一真実の自己は絶対的な無であるいかなる環境に置かれても自由自在である。」
「もちろん、キリストの言う真理の霊というのを臨済のいう一真実の自己と同じと考えることが出来るならば、キリストと臨済は同じことを言っていることになるし、道元の仏性はなにしろあの「正法眼蔵」という大著に詳しく書かれているくらいで、本来ことばで、言えないもので、言葉として言うと、概念化し、死物となってしまう。仏性は生きているし、不死である。
キリストの「真理の霊」も臨済の一無位の真実の自己も同じである。
くどいが、これを頭の上でイメージ化して理解するのは第一歩であり、哲学用語のように、概念となれば、死んだものとなる。まさに、生きた仏性、生きた真理の霊を知るためには、どうしたら良いか、これが宗教の修行の根幹にあるのでは。」

「質問どうぞ」
「あの、仏性の説明で何か分かりやすい適切な言葉がありましたら」
「うん、これは難しい。なぜなら、うっかりすると言葉で言えば、みんなイメージとか概念になってしまい、生きた生命が見えなくなるからです。そういう危険をおかして、私が今、あえて言うとすると、仏性は「無限の一なる生命」ということになるかと思いますが」
柔道部が手を上げて質問した。
「我々は柔道をやる時、道というのを大切にしています。先生のおっしゃる仏性は我々の思う道と似ておる気がするのですが、マルクスによれば唯物論が正しいと、その唯物論の上に、道あるいは先生のおっしゃる無限の一なる生命をつけ加えることが出来るのでしょうか」       

「出来ると思いますよ。それが本物になるかどうかはあなたの心に愛と大慈悲心が宿るかにかかっているのでしょうね。あなたは相手と組む時に、相手を敵と考えますか、そうではないでしょう。もうやっている時は一体になっていますよね。それが道なのでは」
時間切れとなり、僧は去った。
柔道部員は全員、立ち、「ありがとうございます」と頭を深々と下げた。

その後、すぐに、島村アリサが姿を現した。
大学の学生主催の喫茶室に入ると、
島村アリサは聞いた。
「どう、父の話。分かった。」
「なんとなくね」
ロボットは言った「僕は分かりましたよ。僕はいつも無ですから」
「映像詩の方はどうだった」
「あのシンアストランという大男の行者が何か、お父さまの言われる道元とキリストの言われる無限の一なる生命を体得した行者という感じがして、面白かったですね」と松尾は言った。
「柔道部員の質問は面白かったね」
コーヒーを飲んでいたがっちりした体格の私服の学生が松尾達に声をかけた。
「ありがとうございます。私は私服を着ていますが、柔道部員です。我々柔道部員は道を志すものです」」
ロボットが言った「柔道は強くなることを目指さすのでは」
「それは結果です。まず、道を目指すには礼儀を正しくすること、悪口を言わないこと、卑怯なことをしないこと。最近では堕落した宗教はこれが守られていないということを聞きますが、柔道の道はそうした人のマナーを最低限、抑え、そこから、より高貴な道に入るのです。これこそ、民主主義の柔道です。世評にあるような豪快な強さを誇るのは少なくとも我々柔道部の目指すものではありません」



ルミカーム工業から一キロの広い敷地に中古のビルを借りてスタートした平和産業も周囲は美しい庭園になり、里山に活動する企業のそれなりの体裁を整えたようになった。
その日は希望の象徴のような朝日に照らされたビルが姿を現すと、それに呼応したかのように、松尾優紀達は社長よりも早く、会社に顔を出し例の学園祭のことを話にするのだった。すると、会社に採用されたばかりの林原は目を丸くして興奮したように言った。
「平和産業を株式会社でなく、宗教法人にしたらどうだ。核兵器を地球からなくし、教えの核心を道元とキリストにすれば、これは一種の宗教だ。そうして、その柔道部の連中にも道を志すのはいいが、若いのだから、そこから、核兵器をなくすことに立ち上がる。
その彼らを平和産業に採用すれば、法人税を払わなくてすむ。」
「ま、無理だろうな。株式会社で出発しているのに、そんな夢みたいなことを官僚が認めるわけないだろう」と熊野が言った。
「しかし、世の中には中身が堕落した宗教がある。金と権力に目がくらんだら、宗教が宗教でなくなる。それを考えれば、わが平和産業の精神の高貴さ、法人税をまぬかれてもいいと思うがな」
「道元とキリストの話の中身が分からないで、思い込んでいると、同じ道に入るぞ。今の日本は金銭至上主義の社会だ。若いんだから、もっと、勉強することだ。」と田島が言った。
「おい、松尾君はその道元とキリストの話、分かったのか」と熊野が聞いた。
「宗教は堕落することがあるのは、歴史が示している。道元とキリストの話は何か新しい宗教の光と息吹が平和産業にあてられているような気がする。平和産業は昇る朝日のようではないか。それでなくては、核兵器ゼロをかかげるような、常識に反したことを言う企業なんてなりたたないよ。」
そう言った松尾優紀の耳に、「如来の室とは一切衆生の中の大慈悲心是れなり。如来の衣とは柔和忍辱の心是れなり。如来の座とは一切法空是れなり。」という言葉が響いたのは不思議だった。



    【未完】

休憩 【映画を見てのエッセイ 】

2021-06-19 20:11:57 | 文化
平和憲法に基本的人権があるからこそ、我々は安心して暮らしていけるということが、この映画「The pianist」を見るとよく分かる。

この映画を見ると、何故ユダヤ人があれほど差別されたのか。日本人から見れば不可解な感じがするのではないだろうか。ユダヤ人には偉大な人が出ている。
アインシュタイン・マルクス・ハイネ・スピノザ・フロイト

俗説を聞いたことがある。ユダヤ人は商才があり、富豪がおおかったので、ジェラシイから、憎まれたのではないかと。
しかし、殺された六百万人のユダヤ人の多くは普通の庶民だと思われる。
そうすると、二千年前のキリストの生きていた時代にまで、さかのぼって
考察したくなる、二千年前に、ベツレヘムの馬小屋にキリストは生まれ、成長して十二人の弟子に真実の神について教えたと私の記憶にある。
私の高校から大学初期にあたる文学仲間はどういうわけか、キリスト教会が好きだった。西欧文学の優れた作品はキリスト教の知識がないと、理解できないからかもしれない。ドストエフスキーやトルストイがその例になるかもしれない。
キリストは言われた。
「空の鳥をよく見なさい。種もまかず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。」
「なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどに着飾ってはいなかった。」
「私は道であり、真理であり、命である」
「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ優しい」

周囲のユダヤ人はキリストの教えを認めず、ローマの総督にキリストを引き渡し、十字架の刑に処せられた。
最初はキリスト教は迫害され、ローマ帝国のネロ皇帝はローマに放火にし、それをキリスト教徒のせいして、迫害した悪の皇帝として歴史に名を残している。
このように、キリスト教は初期に迫害されたが、徐々に帝国に広まり、ついに国教となった。そして、ヨーロッパ中世においては、ローマ法王は絶大な権力を持ち、ドイツ皇帝まで、謝罪のために、雪の中で土下座したと伝えられるようになった。
ユダヤ人はその間、ヨーロッパ各地に散らばったのでないかと思われる。

シェイクスピアの「ベニスの商人」ではシャイロックが商才のある金貸しのユダヤ人である。バッサニオが婚約の金がないので、アントニオに金を借りる。そのアントニオも自分の財産の多くは海の上の自分の商船の上にある、そこで、アントニオはシャイロックから、金をかりる。返せなかったら、肉一ポンドをシャイロックがもらうというような卑劣な約束をアントニオにさせる。
商船は嵐で沈没。シャイロックがアントニオの肉一ポンドをせまる。
そこへ、バッサニオの恋人が法官の変装して、「肉一ポンドとるのは、いいが血一滴取ってはならぬ」ということで、シャイロックは負ける、当時のイギリス人は喜んだという話が伝わっている。

ドレフュス事件も有名ですね。フランスのユダヤ系高級軍人がドイツへのスパイ行為という嫌疑をかけられ、南米の小島に流されたのである。ところが、これには真犯人がいた。それが分かると、文豪ゾラが彼を支持する人達と一緒に、フランス陸軍と対決したという話だったかと思う

これほど差別の目で見られたユダヤ人だが、スピノザは大自然の中に神を認める、偉大な汎神論の哲学を打ち立て、マルクスは現代人が科学に見る唯物論に労働者の経済学を打ち立て、アインシュタインは現代人の科学観の基礎をつくりあげたことは書く必要がないほど、有名である。
どちらにしても、キリストを神の子と認めないユダヤ人をあれほど憎んだナチスの事実は日本人には理解しにくいと思われるが、あれを見れば今の日本の平和憲法の基本的人権という考えがどれほど、大切なものかが分かるのではないだろうか。



【The pianist 戦場のピアニスト】の最初の場面はドイツ軍に占領される前のポーランドの首都ワルシャワである。
どこか函館に似ていると思った。勿論、今の函館は当時のワルシャワのような馬車もない。車もあのような旧式のものとは違う、現代日本の縮図のような綺麗な道路があり、車が走っている。
それでも、どこかあののどかなワルシャワの映像、ゆっくり走る路面電車を見ていると、今の函館を思い出してしまうのだ。ヨーロッパの古きよき時代のなごりがある。
ラジオ局でピアノを弾くシュピルマン。シュピルマンはユダヤ人である。

ドイツ軍のポーランド・ワルシャワ占領。第二次大戦の始まりである。


映画では、ユダヤ人に対する差別の命令が出る。例えば、腕にユダヤ人であることを証明する腕章をつける。所持金はいくらまで。公園に入ってはいけない。
今の自由な日本に慣れている我々には想像もつかない差別がドイツ軍からおりてくる。
今の日本は平和憲法によって、基本的人権として色々な自由が守られている。我々にその有難さを思い出させる場面だ。この自由はフランス革命によって勝ち取られたもられたものであることはご存知の通りである。
シュピルマンは訪ねてきた友人の妹に好意をよせる。しかし、ユダヤ人はゲットーに転居せよと言う命令が下される。
大きな通りを沢山のユダヤ人が行列をつくるようにして、ゲットーに移動している。この場面の写真は色々な関係の本で、実写として撮られて掲載されているので、見た方も多い筈である。この映画は実際にあった話であることが、ここからもうなづけられる。

小ゲットーはある程度裕福な家庭のユダヤ人。大ゲットーは貧しいユダヤ人、そしてユダヤ人警察。こういう差別的支配は、支配者がとる常套作戦。シュピルマンの一家は小ゲットーに行く。そして一家をささえるために、レストランでピアノをひいて金を稼ぐ。
やがて、そこでしばらくして見たものは恐ろしい。ドイツ軍が別のアパートに入って来るのが窓から見える。軍人はユダヤ人一家を脅し、一家に「立て」と命令する。テーブルの前に立つ一家。立てない車いすの老人。その老人に向っても、「立て」と言い、窓から放り出す。軍は多くのユダヤ人をアパートメントの外に出し、逃げるために走り出す人々を狩猟の的のように次々と射殺していく。その様子を窓からシュピルマンは呆然と見る。
これがあの素晴らしい高度の文化を生み出したドイツの軍隊のすることかと、私は絶句した。


ファウストを書いたゲーテを生み、カント・ヘーゲルのような偉大な哲学者がいて、芸術家ではバッハや、シラーの「百万の友よ、手をたずさえよう」という詩を音楽にした偉大なベートーベンを生み出した国ドイツから出てきたことなのか、何故だ。と問わざるを得なかった。

やがて、ゲットーから、ユダヤ人が列車で移送される。未来にどんなことが待ち受けているのかも知らずに、男も女も子供も老人も、家畜のように、つめこまれるのだ。シュピルマンだけ、不本意な形で、引きずり出され、結果としてユダヤ人警察に助けられる。
列車の中につめこまれる人々。それを推し進めるユダヤ人警察。それを監視するドイツ軍人。
シュピルマンは泣きながら、ゲットーの中、死体や家具などが散乱している道を歩いていく。
これはどういうことなのだろうか。シュピルマンだけが助けられる。彼は労働力としてドイツ軍人の前で、引きずり出されたのだろう。
あるいは、彼がポーランド第一のピアニストということを知っているユダヤ人警察の衝動的な行動だったのかもしれない。この映画全体に言えることだが、シュピルマンが一流の芸術家であったことが、彼の延命につながる場面がいくつかある。これもこの反戦と人間の悪を追求したこの映画の底に流れるものではなかろうか。

シュピルマンはかって自分が生計のためにピアノの演奏をしたレストランの滅茶苦茶になった椅子などが散らばっている中に入る。狭い地下の中から、隠れていたレストランの支配人に呼び止められる。
早く死ぬ方が楽かもしれないと思う二人。

しばらくして、周囲が落ち着いてくると、ユダヤ人労働者として働くために、何十人も一緒にゲットーの外に出ることが出来るようになる。そこで煉瓦壁をつくる仕事をさせられる。ポーランド人の市場が見える。ポーランド人もユダヤ人を助けると死刑だそうだ。そして、労働を終えて、整列させられる。
ドイツの将校が出てきて、六人ほど前に出させ、伏せをさせる。ドイツの将校が立ち、ピストルを出し、後頭部をねらって、殺していく。他の労働者に対するみせしめなのだろうか。ここでも、シュピルマンは助かるが、支配人は殺される。ここでは、運としかいいようがない。シュピルマンの音楽の才能とは全く、無関係。
それにしても、みせしめとしてこんな残虐なことをする軍人。これはユダヤ人は殺しても良いという命令が上からあるのだろう。人間の精神がここまで落ちることが出来るものかと絶句せざるをえない。人間の持つ悪の問題だ。地獄の問題である。

煉瓦づくりの仕事場で、シュピルマンは地下活動家マヨレクに出会う。マヨレクは言う。
「奴らは俺たちを絶滅させる気だ。俺たちは戦う」
シュピルマンは「僕も戦う」と言う。
それからはいのちをかけた地下活動に参加するシュピルマン。そして、ついにシュピルマンはマヨレクにここを抜け出して、親しいポーランド人に助けを求めに行くことを頼む。
「逃げるのはたやすいが、生き抜く方が難しい」とつぶやくマヨレク。



そういうことで、シュピルマンはある夕闇がたれる美しいワルシャワのビルの横道に立つ。
前の方に、清楚な女がビルの狭い入口から、抜け出て、歩いていく。シュピルマンは後ろからついていき、二人ともとあるビルの中に入る。そして抱き合う。
中の部屋では、男が全ての手筈を整えて、ここでは危険なので、点々と隠れ場所を変えて、安全な所に移動することを告げる。シュピルマンは風呂に入り、食事をすますと、即座に次の所に移動する。今の日本の町では考えられないような、詩にでもなりそうな、夜の静かで美しい闇の中の馬車。
次の場所では、そこで、部屋の壁の秘密の場所に一昼夜、閉じこもり、隠れ、そこを脱出していく。

路面電車。ドイツ兵の近くに立った方が良いと忠告を受け、シュピルマンは運転手のすぐ後ろの一角にドイツ人専用と囲いをされた場所に立つ。ドイツ兵二人と普通のドイツ人が一人、座っている。
つまり、ユダヤ人というのは、ドイツ人から見ると、外見からは少なくとも、ポーランド人かユダヤ人か簡単には見分けられないのだ。
いったい、それほど区別のつかない人間を何のゆえに差別して、ユダヤ人の場合は、射殺さえも許されているというのはどういうことか。
ヒットラーがユダヤ人絶滅の計画を持っていたことが下位の軍人にもあの時点で、浸透していたのであろう。何故、それほどまでに、ユダヤ人が差別されるのか、これは宗教的なもの、また、その長い歴史の中で、つちかわれてきたもので、日本人には中々、分かりにくい。キリストは十字架に貼り付けにされたが、それをローマ人に告発したのはユダヤ人である。そのあたりのことが、長い歴史に引き継がれたのだろうか。


次の場所では、緊急の時には、この住所を訪ねてくれと言われ、メモを渡される。シュピルマンは久しぶりにゆったりとした寝台の上で休むことが出来る。それから、ユダヤ人のゲットー蜂起。シュピルマンは部屋の窓から、ユダヤ人とドイツ軍の銃撃戦を見る。ユダヤ人の潜んでいたビルが火の海となる。火だるまになったユダヤ人が飛び降りる。そして、出てきたユダヤ人は皆、銃殺される。
シュピルマンの所にポーランドの女が訪ねてくる。

「彼らは勇敢だった。粘り強く戦った。ドイツ軍にとって、ショックだったと思うわ。ユダヤ人が反撃するなんて、誰も考えなかった。彼らは誇り高く死んだの。だからこそ、次は私達ポーランド人が立ち上がる。私達もドイツ軍と戦うの」とシュピルマンに言う女。


彼女が帰った後、しばらく経ち、食べ物を探そうと、台所の戸棚を開けていると、皿が落ち、大きな音をたててしまう。隣の家の女に気づかれ、「ドアを開けなさい」と言われる。
「開けないと、警察に言うわよ」
そしてシュピルマンは、身分証明書の提示を求められる。
同じポーランド人でも、シュピルマンのようなユダヤ人を助ける心優しく勇気のある女性と、ここの隣人の女のように、シュピルマンをユダヤ人であると見抜くと、権力に通報しようとする人がいる。
シュピルマンは逃げる。

こういう風にして、シュピルマンは最終的には、ドイツ軍の本部のある所のポーランド人にかくまわれる。ここが一番安全だと言われる。
しかし、ここでは、やがてポーランド人のワルシャ蜂起。アパートもドイツ軍に焼き払われる。ワルシャワの町は廃墟のようになり、そこを逃げ惑うシュピルマン。

そこで、この映画の重要な場面の一つ。ドイツ軍将校との出会いがある。
この映画で、この最後の場面がないとドイツに対するイメージがかなり悪くなる。
ところが、ドイツ軍の中にも、ユダヤ人のシュピルマンを理解して助ける人がいたのである。逃げ惑い、腹もへり、衣服もぼろぼろというみじめな姿で、ある廃墟の群れの中の一角にあり、焼け残ったビルの中の裏屋根の所で、食糧をあさっていると、かなり、階級の高そうなドイツ軍人が「そこで何をしている」と静かに問う。このドイツ人はこのあたりの最高指揮官であったようである。ピアノがこのビルの中にあったので、それを弾いていたのかもしれない。シュピルマンがピアニストであることを告げると、将校は弾いて欲しいと言う。シュピルマンの演奏に将校は感動して、食糧を与え、寒さにたえるためのオーバーを与え、もう少し、我慢すれば、ソ連軍が来て、君を解放してくれるという意味の情報まで知らせてくれるのである。やはり、この場面に、映像を見る者は、胸にぐっとくる感動があるのではないだうか。
「何と感謝して良いやら、言葉が見つからない」と言うと、将校は「神に感謝しなさい。生きるも死ぬも神のみ心だから」と。
事実、ドイツ軍は撤退して、ソ連軍が来て、シュピルマンは助かるのである。地獄からの脱出が出来たのである。

この映画の流れを見ていくと、ナチスや特高の人間性を無視した怖ろしい「悪」という固定したものがあるような気持ちになる。

しかし、それは間違いであると私は思う。仏教の考えから言えば、そういう固定したものはないのである。
「人間は信用できる。何故なら、仏性があるのだから」と思って、行動する人もいるのである。仏教から、言えば、人間の底は「空」である。色即是空の「空」である。


つまり、人間は自由である。ナチスのユダヤ人迫害はひどすぎる。ああいう悪の大きな流れが出来てしまうと、普通の個人は中々抵抗できない。それでも、抵抗するユダヤ人。抵抗するポーランド人。そして、ナチスの中にもユダヤ人を助けるドイツ人将校がいたのである。人間は自由である。

であるからこそ、ああいう悪の大きな流れができる前に食い止めることが大切なのではなかろうか。それが歴史の教訓である。
今の憲法で、我々は基本的人権を守られている。
憲法九条で、太平戦争後、七十年、日本は戦争で血を流すことを避けることが出来た。
こうした人類の宝が沢山書かれている日本国憲法のありがたさを我々は忘れてはなるまい。
人類の歴史を見て、ああいう素晴らしい日本国憲法をつくることは容易ではなかったのだ。
八十年ぐらい前に、ドイツのワイマール憲法がこわされて、ナチスが台頭してきたように、日本国憲法が改憲されたら、どういう方向に行くのだろうという不安が今の日本にはある。だからこそ、今の平和憲法は守らねばならぬのだと私は思う。


監督  ロマン・ポランスキー


青春の挑戦  10

2021-06-12 09:38:08 | 文化
10

五人の若者は発言したわけたが、 ミニロポットをつくるという動機はみな多少の相違があって どのように調節したら良いか、考える所 が誰しもあって五人の発言のあとしばらく沈黙が支配した。
それは重くるしいというような沈黙ではなく、むしろこの五人でやれそうだという了解を各自の胸にしみこますための時間のようでもあった。そして、この沈黙を破ったのは林原憲一だった。「みなさん、ウイスキイーでも酒でも飲んで下さい。 私は、あなたがたがいらっしやる前から一人で飲んでいたんですよ。
          
昼間飲むからといって焼け酒だなんて思わないで下さい。会社をやめてからデザインの勉強しているんですが、 デザインのアイデアは少々のアルコールが身体に人っていたほうがわいてくるんですね。 あまり飲みすぎてはいけないんですけど、 ほろ酔い程度ですといい着想がわいて くるんです。
どうです?みなさん。ミニロポットつくり、平和を世界にアピールするという良いア イデアをねるためにも、少々アルコールをいれましようよ。 もっともビールや酒の方がいい方もいるでしようね。酔わなくちゃ、平和産業なんていう夢が語れないじゃないですか」

林原はそう言って客につまみは何が良いか聞きだすと、 立ちあがって奥の台所の方に行った。残った四人 は応接室に飾ってあったモネの絵を見て、 たわいのない感想をのべあ っていた。 それは サン=タトレスのテラスといって港の見えるテラスを描いてある風景画だった。 モネの絵の中では写真に近いような描き方をしている作品だった。
「これがモネの絵なのかい。 モネって、 もっと、ほんやりした色を使ってい なかったかな」
飯田がちょっと不満そうな口調で、 モネの絵だと 言って、いやに感心していた遠藤に語りかけるよう に言った。遠藤はたいして詳しくもない絵画の知識を総動員してモネの絵について講釈した。そのうちに林原がビールとおかんのついた酒につまみを持ってきた。
「世界平和を作るには今の人間の価値観を変えなくてはね」
飯田は、遠藤のモネの講釈が終わりきらないのにモネにはまるで関心がないかのように別の角度から、ロボットの話にもどしてしゃべりはじめた。
「価値観とは」
「金儲けの価値観が世界中をおおっているじゃありませんか」
「マルクス主義を出すつもりなのかい」
「金銭至上主義が限界にきていることは確かだ」
「でも、ソ連はうまくいかなかったよね」
「あれだって、米ソ冷戦で、ソ連が核兵器などの兵器に金を掛けすぎたという意見を聞いたことがある」
「やはり、核兵器は莫大な金がかかる。世界中から、そんなもの、なくしてしまえば格差社会もなくなり、多くの文化を享受できる生活を営めるようになる。」
「どちらにしても、今は中国。
もうアメリカとの軍拡競争が始まっている。日本にとっては、北朝鮮が核兵器の開発をしていることが不気味だ。核兵器廃棄という夢のような挑戦に方向づけするには、並みの才覚では無理だな。
まさに、平和産業のミニロボットをこれらの国に輸出して、民衆の中に、核兵器廃止による福祉の増大がいかにお互いの国の利益と幸福になるか説かなくてはね」

窓側の机の上にあった一輪の花が窓から入ってきた風に花が揺れた。花が揺れ自然が揺れ、その内に松尾優紀の心が揺れて、突然、島村アリサ のことを思い出した。そして彼の心の中では、断古とした調子で島村アリサがこの平和産業のリーダーとして会社の成立に参加すべきだという考えが支配したのだった。随分、長いこと忘れていた島村アリサのことを、この時になって思い出したことにより彼は、あるなっかしさで胸かいつばいになった。
彼は酒を飲んでいたこともあり、 しばらくの間目をつぶり彼女の顔がまぶたに浮かぶのを楽しんでいた。中学時代に知りあって以来、彼の心の先生でもあった彼女、そしてその知恵の泉としての彼女と、ある心の接触を持った頃からもっと人間的な深いコミニケーションがはかられ ていたことを、彼はぼんやりと思い出した。
会社に入るようになってから会わなくなっ てしまった。それは彼女がすでに結婚しているというための遠慮もあった。それと会社という広い世界に接触し、忙しさの中で働いていくうちに彼女と接触するのは広島の原爆の映像詩をつくる時の音楽のアドバイス
を受ける時だけだった。それも、電話や郵便と日本で始まったばかりのネットだけの接触だった。彼は目をあけると、平和産業という会社設立のことで会話が進行している間に入って突然言った。
「今度の広島の映像詩で、音楽の方を助けてくれた平和産業の映像詩部門にふさわしい方がいるのですがね。そういうすばらしい女性がいるので、平和産業に入ってもらえるよう頼んでみようかと思っているのですが、どうかね」
熊野は目を丸くして松尾を見た。「そりや、大歓迎。女性の感性が必要な所は山ほどある。」
「旦那は弁護士。親父さんは寺の住職だけれど、我々の考えに近い」
近いというよりは、かって松尾の少年時代に向こうから、ある思想の流れが入ってきて、平和産業の方向が結実したこと思えば、源流は向こうのお寺にあったというべきか。
「中に入らなくても、平和産業の御意見番、旦那が弁護士だから、顧問弁護士を依頼し、間接的に彼女の協力を得るという方法もある。」

「 しつかりした女性か。 それなら大賛成。 おれ にも心あたりがいる。これも女性だ。ちょっと変わった女だが頭の切れる女性だ。まだ独身だが金もある。どうだい、」と林原が言った。
「熊野さん。あと残りの推薦社員二人は女性ということで。そうすりや、わが平和産業も、はなやいだ活気のある雰囲気になる。」林原はそう言って笑った。
「私の推薦する女性は禅宗やヨガに興味を持っていて、そうした宗教的世界をコンピューターを使って、絵画にしているんですよ。

もっとも彼女の考えによると、禅宗やヨガは宗教ではなく現実をより正しく見、より正しく生きる方法だなんて言っていますけどね。 ともかく、 おもしろい女性ですよ。
遠藤さんも一度話してもらえば気にいっていただけますよ。女としてでなく人間としてつきあえる数少ない女性ですよ。」
「へえー。 コン ピューターアートですか?それはおもしろいですね」
「彼女の場合は絵を描くのだよ」
「 わが平和産業にもその才能をいかしてもらえそう じゃありませんか。 ロポットのデザインは彼女にまかせましようや。」
飯田はそう言ってから、コーヒー茶碗を口にくわえ、視線を松尾の目に合わした。
松尾優紀は、電話を貸してもらい島村アリサに、映像詩プラスロボットとミニロボットのアイデアに関心を持つように話を進めてみた。ところが、電話にでてきた彼女は会社をつくるならば、ロポットよりも今まで彼女か構想をねりつづけ少しずつやり始めて いる映像詩の方か将来性が高いと いうことを言いだした。
「平和産業って、あたし初めて聞いたのよ。今の説明で少し分かってきたけれど、私はあたしで、すでに、NPO法人映像詩を立ち上げているのよ。それに、あなたも映像詩で広島原爆の悲惨さにそった映像をつくっていたじゃないの。それを発展させるというのは分かるけど、ロボットは私の頭の中になかったわ」
松尾は彼女にロボットの話をしていなかったのだ。
アリサは言った。「今あたしが考えている構想は、 それはすばらしいものよ。 あたしの考えている芸術はね、以前のと、ちょっとちがっているのよ。 つまりパソコンをつかって絵画をつくるのね。 そしてその絵画をつなぎきあわせ一つの物語をつくりあげていくの。 わかりやすくいえば、パソコンをつかってアニメ映画をつくるのよ。 アニメはこれからの芸術よ。 もう少し具体的に言いますとね、たとえばチェホフの短編をパソコンソフトを使ってアニメ風に表現するのよ。 それぞれの情景はチエホフの世界を表現し芸術作品として鑑賞にたえるものとし、 そして又、その情景にチエホフの文章を韻文化してその詩作品を画面に映し朗読するの。 そうね、 近松門左衛門の人形浄るりを思い出してもらえばいいわ。 そうあの人形浄瑠璃のような芸術作品をパソコンを使って作品化するの。
どう?おもしろいアイデアでしよう。 つまり総合芸術よ。
それに、 あなた方の平和産業は企業でしょう。私のはNPOよ。こういう仕事はNPOが向いていると、思うけど、ロボットはやはり大企業の応援がないとね。あなたは平和産業で頑張れば」
彼女はこんな風に話したあと、今からそちらに行っても良いかと松尾にたすねてきた。 彼は大変とまどったけれど、 口では彼女を歓迎すると答えたのだった。 ,彼は電話を切ったあと、 その内容をみんなに告げ、そして自分の感想もつけ加えた。
林原憲 一は、 あいかわらすウイスキイーの水わりをのんでいたが急に大声を出した。
「松尾君、 ねえ君、 その島村アリサさんという女の人はおもしろい人だね。 実におもしろい所に目をつけたね。 僕は美大でデザインを勉強した人間だから、 そういう話のすばらしさは直感的にわかるよ。そうだ。 アニメ風 にチェホフの小説を視聴覚芸術につくりあげる。 発想がおもしろいよ。 近松門左衛門の人形浄るりをイメージとする所などもおもしろい。 まさにそうなんだ。 映像詩こそ新しい総合芸術なんだ。 」
遠藤洋介は、 ちょっと遠慮がちに低い声で林原の方をむいて言った。
「 もうすぐここに島村アリサさんがいらっしやるのでしよう。ともかくアリサさんの話を聞いてみたいよ。そうだ、 島村さんが来るならついでに林原さんの知っておられる女性も来てもらえるといいね。 もちろん急ですから、 これるとはかぎりませんが一応、電話をかけてみる価値はあるのではないですか。 」
林原はそれを聞くと同時に立ちあがって言った。
「うん、 そうだね。 君川香奈枝さんと、今電話してみますよ。」
彼は電話のある玄関の方に出ていった。みんなは、 酒やビールをのみながら互いの顔を見あった。井口は、 ステレオに近づいて引きだしをあけ、レコードを取り出した。
「何かいいの、 あるのかい?」 熊野が声をかけた。 「ビゼーなんかどうだい。 酒のんでいるから、けいきの良いのがいいだろう。 」
ビゼーの音楽が部屋にひびきわたった。 しばらくして林原が入ってきて言った。
「すぐ来るって。 おもしろいぞ。 二人の女性が我々の仲間に人って芸術論や世界平和を訴える良い方法。こういうことついてのアイデアがとびかうことになる。 お、 ビゼーの音楽か。 今晩は宴会花ざかりとなりそうですな。」
松尾優紀は、 酒を少しずつロにいれながら、 島村アリサの顔を思い浮かべていた。 初恋の女性。 そして、 長いつきあいの間に色々なことがあった。 ,彼は今も彼女を愛していると思った。 しかしその愛は、 かってのように燃えるような激しいものでなく、 山の中でひそかにわいてくる小さな清水のように静かでささやかなものであった。 そして今、 ビゼーの明るく魂を高揚させる音楽に耳を傾けていると、再びかっての美しい乙女の姿をしたアリサが、 ろうそくの炎がそよ風にふかれて炎がゆれるように彼の脳裏の中で、あざやかな肖像画となったり消えたり時には波のようにゆれていた。松尾優紀は、酒のはいったコップを手に持ちながら急に立ちあがりながら言った。 「みなさん、今晩はすばらしい。 素晴らしい女性をゲストにむかえて、我々は談論に花をさかせることができる。昔、中国の詩人李白が言ったように、このように期待にあふれた青春の楽しい時を過ごせる日がそうあるわけではない。人生は短かい。 おおいに楽しもう。僕は李白のような形で人生の賛美をしようとは思わないが、 人生が生きるに値する素晴らしいものであることを知っているがゆえに、我々は酒をのみしばしの間夢を語る。青春の夢をかたる。 しかし、 これは単に夢に終わらない。夢はふくらみ、やがて現実の花となる 。どうですか、 みなさん。 二人の女性が来るまで、 しばらく時間があるでしようから、何かみんなで歌でもうたっていませんか。」
「それは良い、 歌おう。」熊野が拍手して大きな声でそう言った。 そして、彼は一人でナポリ民謡の 「帰れソレントへ」を歌い出した。 ビゼーの音楽はすでに終わっていたから、熊野の美声が部屋を支配した。
セミプロ級だと松尾は思った。 この歌は優紀の気持に ピッタリ来たから彼は感動した。目から激しい涙があふれてきたので、彼は半分ほ どはいっている酒をいっきに飲みほした。そして、すわりワイシャツのポケットからハンケチを取り出し目をふいた。
熊野は歌いおわると、松尾を指名し、 何か一曲歌うように言った。松尾は感動に震えている自分の魂の鼓動を他人に感づかれるのが恥ずかしかったので、感動を押さえるためにいさましい歌をうたおうと思った。彼がソーラン節をうたうと、 みんなも声を出し、ますます宴会の雰囲気になってきた。その時、呼びリ ンがなった。 島村アリサだった。車で来たのであろう。予想しなかったことに、横に旦那がいる。。予想以上にはやく来た。松尾は心臓がどきどきした。彼女は目がねをかけ、地味なプルーのスーツに身を包んでいたため、 ちょっとした学者風の女に見え、かっての花のような乙女の雰囲気は感じられなかった。林原と松尾が玄関で出迎えたのだが、彼女は愛想の よい微笑を浮かべ 「今晩は」と言った。
「主人を連れてきたわ。一人で来るつもりだったのですけど。主人も平和産業に興味があるみたいよ」
旦那は軽く「今晩は」といったきり、あとは殆ど沈黙していた。ただ、存在感はかなりある人だった。まるで護衛のようだと、松尾は思った。
彼女が部屋の中に入ってくるといつべんに雰囲気が変わった。今までの宴会ムードは急にしぼみクリスマスパーティのような清潔で明るい ムードが、部屋の中に立ち昇ったような気が松尾にはしたのだった。松尾は島村アリサをみんなに紹介した。彼女は一人一人に愛想のよい微笑と、てぎわのよい挨拶の言葉をかけ、なごやかな美しい夜につくりかえていくので あった。 まるで外交官のようだと松尾優紀は思った。 旦那は殆ど沈黙していた。ただ、目をきらりとさせると、目の底に知性を感じさせた。

彼女は、 ひととおりの挨拶が終わるとしゃべり始めた。
「みなさん、お楽しみの所を急におじゃましてすみません。 でも、あたしもぜひみなさんの楽しいお仲間にいれてもらいたしと願って飛んでまいりましたの。平和産業とNPO映像詩と手を組んで、平和のために、立ち上がる。
ここにいらっしやる松尾さんとは長いおっきあいで、 色々わたくしも彼のすばらしい芸術的感性から学ぶ所があったのです。 そこで今日、 久しぶりに彼からお電話をいたたき、 平和産業をつくるから参加しないかというありがたいみなさんのお言葉をうけたまわり、 はたと困ってしまいました。 と申しますのは、 そんな素晴らしいみなさんのつどいに参加できる喜びが深ければ深いほど、 今まで私が考え少しずっ始めている映像詩を 一層深めたいという欲望がふくらんでまいったからです。
それに、NPO法人は設立して今、まさに始まろうとしている所です。ですから、あたしの方が松尾さんをNPOに来て、あなたの広島映像詩をやってもらいたいと、誘惑してしまいましたけれど、皆さんを見ていると、平和産業を出発するほうが、松尾さんのために良いのではないかと思うようになりました。
それで松尾さんにロボットやミニロボ ット よりも映像詩のほうが、 将来性あるなどと申したのでございます。 今から考えると、 せつかくみなさまが真剣に取り決め実行しようと協議なさっていることに水をさすような発言で、大変申しわけなかったと思っております。 しかし、 考えは変わっておりません。やはり、 ミニロポットを成功させるには大変な資金がいると思います。やはり、平和産業はルミカーム工業のような大会社がバッグにありますからね。そんなユニークな平和産業なんていう会社が作れるのですよ。
それに比べNPO映像詩の方は少ない資金で始めています。
金がかからず芸術的にも新しい分野であるという思いで出発しました。平和産業が応援してくれると、嬉しいですね。
いかがです、 みなさん。 これから新しい会社をつくるというお考えならば、 今わたくしのやっている仕事をさらに大きくすることに力をかしていただけないでしようか。たしかに突然おじゃまして、 こんな話を持ち出すなんて虫の良い女とお思いかもしれませんが、 今の私はこの映像詩に熱中しておりますので、 私財をかなり投資してもみなさんに協力する覚悟ですが。 」
「平和産業とNpo法人で協力して世界の平和のために、立ち上がる。これはどうでしょう。」と林原が言った。 そして、ちょっと軽い徴笑をして彼はアリスに握手を求めた。 酔っているためとはいえ、 初対面の女性に握手を求める彼に、 松尾はいらだたし い嫉妬を感じた。旦那は微笑していた。 彼女は微笑して、 こころよく林原の手をにぎつた。 林原は得意そうな表情になって言い始めた。
「島村アリサさ んのおっしやるとおりですよ。 私は大賛成です。 ミニロボットよりも映像詩の方がはるかに良いです。これは間違いありません。 ミニロボットは島村アリサさんのおっし やるとおり、 大手の会社でないと、出来ません。平和産業はルミカーム工業という大会社がバックにいるのです。平和のために、こういう会社が応援することは珍しいことです。
そ こへいくと映像詩は、小資本でもすぐれた芸術性のある作品を生みだせますから、 充分大 資本と競争できます。 島村アリサさ ん、 あなたが来られたおかげで我々のグループもより良い見通しができるようになった。結論として、平和産業とNPO法人映像詩が協力して世界平和のために立ちあがりましょう」
島村アリサは笑顔でうなずいた。旦那はやはり微笑してはいたが、長い沈黙を破ることはしなかった。。
林原は君川香奈枝が急用で来れないという連絡を受けると、外食の寿司を注文した。食べている時は、先ほどの賑やかな話は少し静まり、ゆるやかな会話が続いた・

【 つづく 】






【久里山不識 】
「霊魂のような星の街角」   「迷宮の光」   「永遠平和を願う猫の夢」  をアマゾンより電子出版






青春の挑戦  9 [ 小説 ]

2021-06-05 20:06:10 | 芸術


9
外は秋晴れで、白い雲のかけらがゆったり動いていた。ポプラ並木の歩道を歩きながら、新聞記者の林原が真剣な表情で言った。
「松尾さん。 今日のことは記事にしますよ。 実におもしろい。 それであなた方にわたしの家に来てほしいんですよ。岡井さんとこと同じように、私にも息子がいましてね。上の長男と長女は仕事を持っているのですが、一番下の 私の息子なんですが、美大を出て広告会社に一度勤めたんですが最近、 そこをやめて家でぶらぶら遊んでいるのがいるんですよ。
今の話には飛びつくと思いますよ」

松尾は一人帰った。一人になりたかったのだ。田島とロボットは車で帰った。林原も車で帰った。松尾は広い公園を歩いたり、ベンチに座りながらこの日の出来事の中で、一番の収穫は何かと思った。
核兵器は政治家や軍だけにまかせておくだけでは、軍拡が進むばかり。一人一人が立ち上がるのは無理だろう、今のままでは、政治家集団に核兵器廃止を頼みたい所だが、それも見とおしが暗いとなれば、企業の一角に目を付ける。平和産業のように、企業という名の人の集まり、の一角に核兵器廃止の金字塔を打ち立てることにより、この金字塔がいくつにもなり増加していくことを願いながらという人の意表をつくのも一つの手段。
それは途方もない夢で、あることは分かっていても、若い彼の頭には、自分のやっていることが正しいと思う切ない気持ちがあった。それに、世界の一角で若い女性が気象温暖化で立ちあがり、国連にまで、波紋は届いたではないか。利潤追求の筈の企業も平和がなければやっていけないと、獅子のように雄たけびをすれば、獅子の雄たけびは世界を動かす。それが平和産業だ。何もしなければ、世界は滅びるという実感のある企業は立ち上がる。もはや、企業は株主だけのものではない。こういう考えが世界に広がれば核兵器の軍縮という奇跡が起きる。
松尾優紀はそういう希望を持った。核兵器は政治家と軍人にまかせておけば、軍拡が進むのはニュースを見ているだけで分かるではないか。
便利なネットを平和のために使えないのか。世界の核兵器を廃止することに反対の人はいない筈。それにしても、「偶然だな。岡井さんと林原さんの息子さんが失職している。その二人ともロボットに興味を持ちそうなことを自宅でやっている。」と松尾優紀は思った。
夕焼けが空に広がる頃、彼は故郷に向かう電車に乗った。

松尾優紀の頭の中に、平和産業に若い仲間を集めることが出来るではないかという思いは膨らんでいた。この気持ちを船岡工場長の家で道雄の家庭教師をした帰り、父親の船岡に伝えた。道雄の国語力が上がってきたことが船岡工場長の信頼をさらに高くしていた。
「それは良い。君を平和産業の有力スタッフに推薦しようと思っていた。仲間がいるなら、それの入社試験の係は君だ。須山社長に話しておくから、そのようになるだろう。」
須山社長は今度の事件で、安泰だった以上に、船山工場長の後押しでさらに、力を増したようだ。
ちょっとしたことで、広川取締役のことが出た熊野の話では、「広川さんは白沢さんと彼と親しい政治家に誘われてギャンブルにはまった。それで、今度は白沢さんぬきで、政治家に誘われて、行った時、一千万円を吸ってしまった。このすった額も大きいがはたして広川さん一人の責任なのか、そこが分からない。広川さんは日本に帰ると、返すつもりで、会社から金を借りた、そしてああいう結果になった。

気の毒だが、ギャンブルにのめり込んだのがいけなかった。白沢さんのように財産家とちがう。広川さんのようなサラリーマン重役にそんな大金を出せるわけがない。
誘われたという言い訳は大人の社会では、同情論はあっても、自らの責任を取らなければならないだろう。政治家はどうも巧みに、法の網をすり抜けているようだ。広川個人の問題にされてしまったようだ。どちらにしても、須山社長は安泰だ。平和産業も安泰だ。

松尾優紀は仲間を集めた。まず自分の会社の仲間である、遠藤と飯田と先輩の熊野に声をかけた。遠藤と飯田は、すぐに松尾の話に喜んでのってきた。
熊野に話しかけた時は、彼はまじめに松尾の話を聞いていたけれど、「ちょっと考えさせてくれ」と言った。
松尾優紀には、 平和産業はとりあえず、ロボット課と映像詩課と平和セールス課に人材を集めるようにと言われた。優紀の頭の中の人材の中には、自分の仲間と島村アリサが入っていた。
しかし何日かして熊野も平和産業の話はおもしろいから、 まだ参加するかどうかはわからないが、 話の仲間に い れてくれないかといって きた。それから岡井警部の息子。 そして松尾。 松尾は声をかけた仲間と一緒に、新聞記者の林原の息子憲一の家をたずねることにした。新聞記者の林原が 「息子を助けてくれるなら、別荘を使っても良い」 と言ってこの話にひどく積極的だったことと、別荘はルミカーム工業に近いということで、今の仕事を早めに終えた後、彼の別荘を根拠地にしばらく活動できるという話になった。
平和産業そのものは株主総会を終え、社長も部長、課長、アンドロイド課、映像詩課、平和セールス課などの組織も決まり、ルミカーム工業から一キロの広い敷地に中古のビルを借り、スタートすることになっていた。



新聞記者である林原の息子憲一は親父の別荘で、孤独な世界にとじこもりながら美大出身者としての自分の芸術論を磨いていた。松尾達に会った時、 憲一はすでにウイスキイーを飲んでいたらしく、 とたんに芸術論を始めて人を煙にまいた。
「映像詩とロボットで、世界中に平和をばらまく、核兵器をなくすですって。 まあ、 おもしろい話ですがね。ま、夢みたいな話ですな。ユーチュウブはもうすぐ日本に上陸しますよ。これは面白い。面白いが、見る人が限られますからね。ロボットの話もね。
それなら、僕の考えている反機能的なロポットが良いと思いますよ。もちろん、 看護ロポットなんて機能性がなくては話になりません。 ですから、僕の言っている反機能性というのは、必要な機能性は当然のこととしてあるんですよ。 その上に機能性をこえた反機能的なものを加えていくんです。 ですから一見した所、反機能的な作品で充分人間の精神を満足させてくれるんです。 それで いて人間の要求に応じた機能も立派にあるんですね。今の日本では機能性にひきずられたデザインが多すぎるので、人間生活が大変無味乾燥なものになって きていますね。平和論も同じ。パターン化した平和をその時期になると、叫ぶ、それも必要な大切なことは分かっていますが、もっと違う角度から、平和を言う。意表をつくような形で平和を叫ぶ、世界の核兵器をなくして、その金を福祉に回せと叫ぶ。最も、今の日本では一市民がうっかり言うと、差別されることがありますから、気をつけた方がいい」
松尾は驚いた。林原憲一の考えていることは、自分の考えている平和セールズにそっくりではないか、こんな偶然があるのだから、いやもしかしたら世界中にこういう考えをする人は少なからずいるのに、彼らは冬眠しているのかもしれない。
平和産業はそれを掘り起こし、大きな平和の声にしていく必要がある。特に大国の若者が核兵器は地球にいらない、その金を福祉に回せという風になれば、世界の政治家が動く。
「君のおやじさんが週刊誌に書いた記事を読んだ」と熊野は低い声で言った。
「白沢専務と広川取締役の関係ね。白沢は広川を巧みにギャンブルに引き込んだ。
白沢はルミカーム工業の創始者の家柄で資産は莫大だ。ギャンブルにも慣れている。ところが、広川取締役は貧しい家からのぼりつめた秀才。」と熊野は笑った。
「今の社会は資本主義社会ですよね。」と林原憲一は言った。「 人間は、 もともと動物ですから弱肉強食の本能を持っていて、 常にこの弱肉強食の原理は人間の社会に作用しているということですよ。 今は、 民主主義が説かれて、 すべての人はお互いに紳士的につきあうことを知っていますから、 見かけはこんな弱肉強食は捨てられたようですけど中々どう して人間のこの本能的な原理は根強いのです。
こうした洞察は、 心理的に落ちこぼれた人間でなくては わからない社会の原理なんですよ。 ですから、人は虎視耽耽と相手の弱点を見つけようとし、 そして自己の力に相手を屈服させようとする野心を持っているといえるんです。
広川さんは繊細な秀才型なんですよ。でも、船岡さんのような強力で誠実な実務家と手を組んで、途方もない平和産業に手を出そうとした。たちまち敵意を持った相手から駄目なやつだとレッテルを貼られ、それを宣伝されるんです。 こうした宣伝は、 効果的ですから今まで友人だと思っていた人ですら、 この宣伝にのせられ友情を裏切るということをやるんですよ。 そして、この有能な人間もこうした社会のレッテルを貼られると、そうした人間関係のしがらみの中でがんじがらめにされて動きがとれず、 ますます自己を落ち目にさして いくことになるのです。こうした相手をけおとそうとする悪意はいたる所にありますよ。
自分を守るのは自分であり、 自分の価値を知っているのは自分なのです。 機能性が社会にとって必要であることは認めますが、 機能性は科学の発展にともなっ て機械やロポットやコンピユーターにとってかわられていくではありませんか。 そんなに簡単に機械にとってかわられる人間の機能性などというものに人間の価値があると は思えません。 では、 いったい人間の価値とは何か これはむずかしい。 難問ですよ。 でも私はこう考えています。 人間はみな、 すばらしい宝を持っているのです。 その自分の宝を発見し、 その宝の輝きを隣人や社会にひろめていく方法を自分なりに知り、 それを実践していくことのできる人は、 価値のある人間だと思うのです。私はこう思った時、 私を疎外し、 私を歯車の地位に追い

やろうとした会社の機構に腹が立ち、自分の主体性をとりもどすことができたのです。私は会社をやめました。そして私は、もう一度デザインを勉強し、反機能的なテザインの必要性を考えたわけです。あなた方が、 ロボットで世界平和を叫ぶという考えはわかりました。私も今やっと自分なりのテザイン感がつかめた所で、さて何を始めるかという所に立って いるのです。あなた方の話にのせていただけるならば、この上なくうれしく存じます」

「映像詩の話も平和産業の重要な一角を占めています。」と松尾優紀言った。「僕は広島の映像詩を作ったのです。ま、見て下さい。」

別荘は、ちょっとした高台の上にある。窓からは、緑の林やまとまった家並みや川が見える。
家は木造の二LDKの一軒家で、そこにあるテレビは大型のものだった。松尾優紀は会社や中学校の職員室でやったように、映像詩を見せた。

岡井は微笑して言った「よく出来ている。原爆の恐ろしさがいかに、悲惨であるか、観念でなく現実として理解できます。ただ、問題なのはどれだけの人がこの映像を見るかですよ。見ても、行動に移すかですよ。結局、反戦映画を見て、次は娯楽という風な現代の流れでは、結局は力になるかですよ」
「ええ、ですから、ロボットを使って色々の人の集まり、組織を訪ねて映像詩を見てもらい、平和の波紋を広げる、それが平和産業の腕ですよ」

「ロボットがこの映像詩を見せて回るという事実を既にやっておられるわけですね。つくる場面では、ロボットと映像詩は違う場所でやるのでしょうけど、平和セールスということでは、一緒にやるのが効果的かもしれませんね。」

岡井は一瞬、宙を見るように視線を向けたあと、松尾に視線を合わせて言った。
「私は高校生の頃からの夢として何かものをつくってみたいという気持があったのですから、この夢の実現としては、あなた方のロボット平和論の話にのってみるのがいいです。映像詩も興味があります。平和産業、どうです。やりましょう。」



その時、遠藤洋介が岡井に握手を求めて言った。
「僕はこういうアイデアを持っているのですよ。ミニロボットを作り、額から電波を飛ばし、白壁に映像詩を映し、それから、平和演説をする。これだと、ロボットと映像詩の両方を持って飛び回る必要はないのですよ。ミニロボット一台でいい。これを世界中に売りまくれば、ミニロボットが多くの人に平和と核兵器の廃止を演説してくれる。これは前から考えていたことですが、喋るのは初めてなのですよ。夢がありますよね。僕は以前からヨガや禅に興味を持っ ているんだが、ヨガや禅をコーチするミニロボットなんていうのを作って、全世界に売りまくったら面白いと思っていた発想から出てきたアイデアなんですが。」
「平和産業ですよ。儲けることばかり、考えるのではなく、本気になって核兵器を無くすことを考えなくてはね。遠藤君のアイデアはいいが、売れなくてはね。多くの人はエンターテインメントを求めていますからね。世界中の皆が共感してくれるかどうかですよね」と技術者の田島が重々しく言った。

飯田が口はさんだ。 「また遠藤君は夢みたいなことばかり考えますね。ヨガの出来るロボットなんて出来るわけないでしょう。そりゃ、遠い将来にはできたとしてもね。坐禅できるミニロボットは出来るかもしれませんが、全然面白くないでしょう。でも、今回、初めて聞いた電波を額から飛ばすという話、これは面白いね。」
「ついでに、言わせてもらえれば」と遠藤は笑いながら言った。 「おれね、 こんな夢みたいなこと考えているの。 つまりね、 ダンスの出来るロボット、体操のできるロボット、 こういうロボットをつくって我々はロボットと一緒に自己の心身の鍛錬をするのだよ。 子供には家庭教師のできるロポット、 こうなるとロボットも人間なみだな。 どうですか。 松尾君。 君は夢想家で詩人だから僕の気持、 わかってくれ るだろ。」
松尾優紀は微笑して言った。 「そりやわかるさ。 でも実現可能な所で我々は商売するのだから、 その点も考慮しないとね。僕は最初は映像詩から出発しているから、原爆の恐ろしさを多くの人に訴える完璧なものをつくりたい。この間の作品は短いし、確かに今度アメリカから入ってくるユウチュウブに乗せるのにはいいかもしれないが、もう少し大型の映画に近いものもつくって見たい。
でも君の夢みたいに考えるくせ、い いと思うね。人間夢がなくちゃ。 ミニロポットをつくって、 このミニ ロボットに平和のセールスをしてもらうというのは映像詩を運ぶ必要がないからね。ただ、田島さんの心配するのは今直ぐにそこまでの技術力がないだろうということではないかな、近い将来、目指すミニロボットいうことでは、僕も大局としては、
賛成。ただ、今、僕のやっている、ロボットと一緒に、映像詩を持ち歩いて、平和セールスをするという儲からないビジネスも忘れないで欲しいね。
全世界に平和をうったえ核兵器をなくしていく運動、 これこそ、 現代人に課せられた最大の有益な仕事だと思う。具体的にはね。 菩薩や仏像の顔をしたミニロポットをつくるんだ。 もっと現代的な顔でもいい。平和を訴える真摯な顔だ。 それは芸術の域にまで達する顔である必要がある。 つまり僕の考えて いるミニ ロボットは芸術と科学の結合だよ。 コンピュータによって動かされるロボットであると同時に、 人間の心の底にうったえてきて感動を与え、 人々を平和にかりたてるような顔を持つ必要があるんだな。 これは確かにむずかしいしい、実現性に乏しいかもしれないが、 将来的には平和産業で考えていくアイデアとしてミニロポットはいいね。目標はそこにあると思う。 遠藤君の考えているようなダンスのできるロボットや家庭教師のできるロボットも素晴らしい夢だと思うが、 やはり平和産業は平和にしぼる。核兵器のない世界をつくる。


熊野はさきほどから腕組みをし、笑いもせず気むずかしい顔をしながら、 三人の話をまじめに聞いて いたが、 ついにがまんができないというような調子で声を出した。
「松尾君」 そう言った熊野の声 かあまりにも大きかったので、 みんなあきれたような表情で熊野を見た。 熊野は理論家だが興奮すると、 たまにこんな抑揚のある調子になることを優紀は思い出して苦笑した。
「松尾君、 君も遠藤君と同じように夢想家だな。ミニロポットをつかって平和をうったえるというのはアイデアとしてはおもしろいが、 そんなロボットがはたし て売れるのかね。 世界中に平和運動をもりたてていくために商品をとおして、 平和というのもわかるがね、 それは結局、 今うちの会社で君が中心になってやっている平和セールスと同種類のものだね。 悪いとはいわんが、 平和が商品となってしまうというのはなんだか寂しい気がするね。 平和ぐらい商品にしないで、 もっと純粋な人間の気持からうったえる方法はないものかね。僕はミニロボットをやるというのはおもしろいと思っている。しかし、それはあくまでも商売としての話である。商売は売れてもうからなくては、商売をしている者の生活がなりたたないのだし、その意味で、 ミニロボットは売れない予想がつく。それと平和を結びつけるのは 、ちょっと飛躍のような気もする。
平和は、署名運動や集会、デモ、国会や政府への請願それに大切な選挙という人間の主体的行動の中から、政治家を動かして平和を作り上げていく必要があるんじゃないのかね。

こういったからと言って、僕がミ=ロポットをつくってもうけることばかり考えているなんて思ってもらいたくないね。僕は、むしろその逆だ。 ミニロボットを生産し、それか売れるような土台がつくれたら、 平和産業という会社の組織を一種の原始共産制のような組織にして、利益は、公平に分配するというようなことを考えているんだ。
この平和産業は船岡工場長の発案なのだから、彼はこういう組織を理解できる。
株式会社のルールに基づいて社長をはじめ従業員が完全に平等であるような組織がつくれたら素晴らしい。そして、商品がどんどん売れてこの組織が大きくなっていけば、従業員は賃金が上昇し、働く意欲がわくだろうし、労働の中で完全な平等性を獲得できる。これが、俺の夢で、さきほど林原君が言っていたような能力の問題もこの組織で は完全に解決される。もっとも、 この株式会社そのものがもっと大きな日本 の社会の矛盾をしよっているのだから、こんなことは結局無理なんでしょうが、さっきからみんな夢みたいなことばかり言っているから、僕も自分の夢を言わせ てもらえば、組織を人間性の回復に役たてるような風にすること、 これこそ平和の問題とならんで、我々現代人 がやっていかねばならない重要な問題なんだ。組織の問題と平和の問題は結び付いている。現にここに集まっている人達で平和産業を立ち上げようとしている。」

それまで黙っていた飯田が、大声をたてて笑った。「 や、実に熊野さんらしい発想だね。 人間性の回復に役立つような株式会社か。しかし、大会社の幹部の連中がそんな話を聞いたら、目を丸くして会社は慈善事業じゃねえと言いそうだね。」
飯田はそう言っておかしそうに顔の表情を震動させた。それは笑っているというよりは笑いをこらえてい るというような感じだった。
松尾はお酒を半合ほど飲んで、少し夢見心地だった。そのせいか、心の中に詩でないような詩句が浮かんできた。
  
   お茶の香りと昇りあがる優雅な白い蒸気
   広島の中心部の座敷で、十人近い人がお茶の会をやっていた。
   ところが上空からB29が黒い円筒のようなものを落とした
   それが地上に物凄い光を放つ時
   その十人は消え、広島の町も焦土と化した。
   たった一つの核兵器がこれだけの威力を持つ
   今やそれが世界に何千とある。
   少し前の話だが
   インドとパキスタンが衝突しそうになった時
   思春期のインドの女の子達が「核戦争をしないで」と叫んでいた。
   そういう風に叫ばないと、核兵器を地上から、なくすなんて夢物語になってしまう
   どんな美しい花も虎や猫のような愛すべき生き物も焦土には生きていけないのだ
   国や組織のエゴが衝突する時
   まとまって良い筈と思うものもまとまらない
   軍は勝つだけを考えた組織だ
   最近は宇宙軍なんていうものも出てきた。
   政治家は話をまとめることをせず、自分の威信を高めるために、腐心する。
  
   核均衡論は主張する。
   同じくらいの核兵器を持てば、怖くて戦争できない。
   はたしてそうか。
   理性が万能ならばありうる。
   歴史を見ると、理性は感情に動かされ、戦争が起きるのは証明ずみだ。

                      【 つづく 】