G7広島サミットが始まった。
サミットは19日、岸田総理が広島市の平和記念公園に現地集合する各国首脳を出迎えるという演出で始まった。
その後、首脳は原爆資料館を見学の後、原爆慰霊碑の前に一列に並んで献花し・黙祷を奉げたが、各国首脳は何を考えたのだろうか。参列者はバイデン大統領(米)、スーナク首相(英)、マクロン大統領(仏)、トルドー首相(加)、ショルツ首相(独)、メローニ首相(伊)にライエン欧州委員会委員長(独)、ミシェル欧州理事会議長(白:ベルギー)であるが、大東亜戦争/第二次世界大戦の勝者と敗者、中でもヒロシマの下手人アメリカと同盟参戦した英仏加日に対して広島に匹敵する被害を受けた独、大戦末期に対独参戦することで勝者の一端に名を連ねたイタリアにあっては、おのずから違った感慨を持ったのではと推測している。更には、核保有国の米英仏・米との核共有によって実質的に核武装している伊独白に対して、核の傘にのみ依存している日加という図式も考える必要があるのではと思っている。
セレモニーの報道ではお決まりである慰霊碑の大写しがあって、そこには「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」が刻まれている。聞くところによると、碑文の主語は「日本人」ではなく「全世界の人々」とされているが些かに牽強付会の感がある。碑の建立地が国連等の国際機関であるならばそのように読めるであろうが、日本の主権下の土地であれば誰もそうは思わないだろう。何より、今もって原爆投下の正当性を公式見解としているアメリカとアメリカ国民は主語に含まれるとされることや原爆使用を過ちとすることに難色を示すであろうし、韓国が世界各地に立てた慰安婦像に対して多くの日本人が、韓国の「性奴隷解放のシンボル」という主張に忌避感ないしは違和感を以て拒否することと同根であると頷かざるを得ないように思う。
岸田総理は今回のサミットで「核なき世界への連帯」を共同宣言に盛り込みたいとされているようであるが、力の均衡こそが紛争局減・低減の原理と認識している首脳には届かぬ思いであると思うととみ、もし議長国と平和公園に対する忖度から文言が載ったとしても、実質的な効果は期待できないとも思っている。
平和公園の慰霊碑文と趣旨に対して、「言い続けることが大事」という意見が多いが、1952(昭和27)年の慰霊碑建立時には米ソ2か国であった核保有国も現在では9カ国になっており、核開発疑惑国や核共有国を含めれば優に20カ国以上にもなるだろうし、近年でも韓国が核共有をアメリカに懇請するとともに核開発さえ辞さない世論とも報じられている。
核兵器は終末兵器としていた指導者が共有していた人知・理性も、プーチン氏や金正恩氏によって危うく成りつある。
碑文に忠実なあまり核に対する国会論議まで封じる日本、中華知識人は「百年河清を俟つ」と黄河流域住民を皮肉ったが、今では「百年核清を俟つ」と対日本嘲笑に変化するかもしれない。
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