小西文書に基づく高市大臣を巡る攻防は、本意を離れて今や首狩り族の様相を呈してしまい興味を失った。
「行政文書」とは呼べないメモ・覚書の類で、かつ相当数が作成者不明である文書(資料)が公人を攻撃する材料となるのであろうかという疑問を拭えない。
日本の歴史学会では、文字資料を第1級資料として尊重し当時の時代背景に基づく推論は一切排除されると聞いているが、今回の応酬を観る限り永田町でも同様であるような気がする。
総務省職員が放送法の運用や改正に関する検討を命じられたら、基本的な手法に則って考えられる限りのアウトプットを列挙することから始めるだろう。その場合、「何もしない」を最初に・・・最後は「国営放送(NHKではない)1局のみとする」まで多くの選択肢を縦軸に列挙し、それぞれの項目の利害・合憲性・社会に及ぼす影響・・・を横軸にしたマトリックス図を作成するだろう。以後の作業に当っては多くの資料を集めるが、中には根拠が曖昧な聞き書きや伝聞、何らかの意図を隠した働きかけなども混入することは避けられない。その検討結果を以って省内の合議・修正を経たものが、「放送法の運営に関する総務省の総意」として大臣のレクチャーなどに使用され、大臣が同意すれば、それが「総務省・大臣の公式見解」となるものと思う。
小西文書は、いわば検討過程で収集・作成した雑多な資料に過ぎず、なにより作成者が不明なものが多いことを考えれば、総務省の総意はもとより総務相の公式見解とはとても呼べない物で、ひそかに恣意的・悪意を込めて捏造された「文集」が正鵠であるように思える。
文集の真贋・真偽はともかく、小西議員が文書を振りかざして追及したのは、「放送法の適用評価を現行の”局単為”から”番組単位”に拡大する懸念」であり、報道の自由を守るという社会正義であったが、いまや高市大臣の首狩りという低次元のお家芸に変質している。
小西議員の問題提起時には、報道ステーションやサンデーモーニングは紛れもない偏向番組と思っている自分でも、倫理規定を番組単位にまで拡大することは危険で言論統制・弾圧の前兆と捉えていたが、問題がタイムリーなものではなく総務大臣時代の旧聞を今に持ち出したことに加えて文集提供者に関する暗い噂が取り沙汰されるに及んで、攻撃の本意は「高市大臣が進めるセキリュティ・クリアランス潰し」ではなかろうかと推測している。
セキリュティ・クリアランス如何によっては、出世街道から外される官僚は少なくないだろう。高い秘密情報にアクセスできない人物が管理職に登用されることも無いだろうし、現在の管理職でも職に留まれない人間も出てくるだろう。かって文科省事務次官を事実上更迭された前川喜平氏のような胡乱な人物が権勢を握ることも無いだろうし、小西議員に文集を提供した官僚が管理職に留まれるとは思えないが。