もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

韓国「顕忠日」と「金元鳳」を学ぶ

2019年06月26日 | 韓国

 韓国の朝鮮戦争戦死者を悼む「顕忠日」での文大統領演の要旨を、産経抄で読んだ。

 式典で文大統領が「金元鳳」氏を韓国軍のルーツとして賞賛したと報じられたが、顕忠日金元鳳」の両方とも知らなかったので調べてみた。
 金元鳳氏の略歴を年表風(ウィキペディア引用)に記すと、
1926年 黄埔軍官学校(中華民国;蒋介石校長)入学、社会主義思想を知り朝鮮民族革命党創設に携わる。
1932年 蒋介石の援助で朝鮮革命幹部学校を中国・南京市郊外に設置し、革命要員募集と養成を行なう。
1935年 米州韓人独立党を吸収し朝鮮民族革命党を再結成するも、主要メンバーの脱退などで間もなく分裂。
1937年 中華民国政府高官の会議である廬山会議に招待され、反日のための中朝統一戦線を模索。朝鮮民族革命党、朝鮮民族解放同盟などを糾合し、朝鮮民族前線連盟を編成。
1938年 訓練を重ねた青年たちを糾合して、朝鮮義勇隊を組織・編成し、司令官に就任したが、義勇隊の多くが八路軍(共産軍)に移動したため影響力を失う。
  以後、光復軍副司令兼第1支隊長、臨時政府軍務部長を歴任し、光復(大東亜戦争終戦)後臨時政府の要人たちと共に帰国。
1945年 9月8日、朝鮮人民共和国(韓国)内閣の軍事副将に選任
1946年 2月16日、民族主義民族戦線の共同議長に推戴。
1948年 南北連席会議で北朝鮮を訪問した後、韓国に帰還せずそのまま北に滞在し、最高人民会議第1期代議員として朝鮮民主主義人民共和国政府樹立に参加。
1950年 
朝鮮戦争勃発以後は、北朝鮮で政治活動をし労働相、朝鮮労働党中央員、最高人民会議常任委員会副委員長などの高い地位を経験
1958年 北朝鮮政府から労働勲章を授与されたが、後に(時期不明)失脚・粛清されたとされる。

 文大統領は、金元鳳氏を韓国軍のルーツと賛美したが、彼の略歴で見る限り反日闘士というよりも共産党闘士と呼ぶべきで、特に北朝鮮の建国や朝鮮戦争遂行に加担したことを考えれば、朝鮮戦争戦没者の墓前で賛美する人物とは思われない。北の政体に吸収される形での南北統一を目指すかの文大統領にとっては、格好の人物であり賞賛の対象であろうが、流石に韓国内でも疑問の声が上がっているようである。朝鮮戦争は、1950年6月25日に金日成の北朝鮮軍が毛沢東とスターリンの支援と同意を受けて、事実上の国境線となっていた38度線を越えて韓国に侵攻したことが世界的な共通認識であるが、6年前の調査では韓国高校生の7割が「朝鮮線戦争は韓国(国連軍)が仕掛けた「北侵」」と回答しているらしい。曖昧で不正確な歴史認識を持った尊大な国民を率いて、文大統領は韓国を何処に導こうとしているのだろうか。