狐塚古墳(福岡県前原市)で見かけた「キマダラヒカゲ」である。
古墳に植えられているどんぐりの木で蜜を吸っていた。
ひょっとすると「サトキマダラヒカゲ 」かも知れぬ。
僕の子供の頃には、この分類はなかった。
(2008.08.03 朝 前原市にて)
古墳に植えられているどんぐりの木で蜜を吸っていた。
ひょっとすると「サトキマダラヒカゲ 」かも知れぬ。
僕の子供の頃には、この分類はなかった。
(2008.08.03 朝 前原市にて)
狐塚古墳(福岡県前原市)で見かけた「コムラサキ」である。
古墳に植えられているどんぐりの木で蜜を吸っていた。
アカタテハとゴマダラチョウもいたが写真を撮ろうとしたら逃げられてしまった。
残念。
(2008.08.03 朝 前原市にて)
古墳に植えられているどんぐりの木で蜜を吸っていた。
アカタテハとゴマダラチョウもいたが写真を撮ろうとしたら逃げられてしまった。
残念。
(2008.08.03 朝 前原市にて)
曽根丘陵(福岡県前原市)には、弥生時代から古墳時代にかけての遺跡で構成された「曽根遺跡群」がある。
この平原(ひらばる)遺跡(1号墳)は、丘陵の中央部西側にある。
墳丘墓は、14m×12mの四隅が丸い方形周溝墓で、2世紀から3世紀にかけて造られたと考えられている。
発掘調査で、おびただしい鏡や装飾品が出土して、伊都国王の墓で、そして副葬品から女性ではと考えられ興味をそそる。
墳丘墓の近くでセミの抜け殻を見つけた。このセミの先祖も2000年前からここに棲み、弥生人たちの暮らしに溶け込んでいたのだろうか?
平原遺跡の説明HPへのリンク(著作 前原市)
伊都国王都周辺遺跡地図HPへのリンク(著作 前原市)
(2008.07.27 2008.08.03 早朝 前原市にて)
この平原(ひらばる)遺跡(1号墳)は、丘陵の中央部西側にある。
墳丘墓は、14m×12mの四隅が丸い方形周溝墓で、2世紀から3世紀にかけて造られたと考えられている。
発掘調査で、おびただしい鏡や装飾品が出土して、伊都国王の墓で、そして副葬品から女性ではと考えられ興味をそそる。
墳丘墓の近くでセミの抜け殻を見つけた。このセミの先祖も2000年前からここに棲み、弥生人たちの暮らしに溶け込んでいたのだろうか?
平原遺跡の説明HPへのリンク(著作 前原市)
伊都国王都周辺遺跡地図HPへのリンク(著作 前原市)
(2008.07.27 2008.08.03 早朝 前原市にて)
釜塚古墳(福岡県前原市大字神在)を散策した。
団地の南側の広場にこの古墳はあった。
古墳は、保存のためよく整備されている。
加布里湾を望む標高約5mの低地に築造され、直径は56mで福岡県では最大の円墳である。美しい古墳だ。
石室は日本で横穴式石室が作られ始めた頃の特徴的な形態で珍しいものとのことである。築造時期は、石室の形態や出土した埴輪から古墳時代中期(5世紀中ごろ~6世紀)と考えらている。
釜塚古墳HPへのリンク(著作 前原市)
伊都国王都周辺遺跡地図HPへのリンク(著作 前原市)
古墳の説明板
石見形木製品(木の埴輪)の説明
古墳の周りには幅8mの周壕があり、この周壕を渡り土堤(土橋)で渡っていたことが調査で判明している。
古墳は2~3層で構築されていたが現在5層となっている。
古墳の頂上から可也山を望む。
(2008.08.03 早朝 前原市にて)
団地の南側の広場にこの古墳はあった。
古墳は、保存のためよく整備されている。
加布里湾を望む標高約5mの低地に築造され、直径は56mで福岡県では最大の円墳である。美しい古墳だ。
石室は日本で横穴式石室が作られ始めた頃の特徴的な形態で珍しいものとのことである。築造時期は、石室の形態や出土した埴輪から古墳時代中期(5世紀中ごろ~6世紀)と考えらている。
釜塚古墳HPへのリンク(著作 前原市)
伊都国王都周辺遺跡地図HPへのリンク(著作 前原市)
古墳の説明板
石見形木製品(木の埴輪)の説明
古墳の周りには幅8mの周壕があり、この周壕を渡り土堤(土橋)で渡っていたことが調査で判明している。
古墳は2~3層で構築されていたが現在5層となっている。
古墳の頂上から可也山を望む。
(2008.08.03 早朝 前原市にて)
曽根丘陵には、
平原遺跡と銭瓶塚古墳、狐塚古墳、ワレ塚古墳の3基の古墳とで構成された国指定遺跡「曽根遺跡群」がある。
このワレ塚(われづか)古墳は、この丘陵中央部の西側にある全長約43mの前方後円墳である。
後円部が盗掘により大きく割れているように見える。
この古墳も、古墳時代中期(4世紀~5世紀)にかけて築造されたと考えられている。
埋葬施設については、発掘調査が行われていないため不明とのことである。
伊都国王都周辺遺跡地図HPへのリンク(著作 前原市)
古墳の説明板
古墳の横方向からの状況。
(2008.08.03 早朝 前原市にて)
平原遺跡と銭瓶塚古墳、狐塚古墳、ワレ塚古墳の3基の古墳とで構成された国指定遺跡「曽根遺跡群」がある。
このワレ塚(われづか)古墳は、この丘陵中央部の西側にある全長約43mの前方後円墳である。
後円部が盗掘により大きく割れているように見える。
この古墳も、古墳時代中期(4世紀~5世紀)にかけて築造されたと考えられている。
埋葬施設については、発掘調査が行われていないため不明とのことである。
伊都国王都周辺遺跡地図HPへのリンク(著作 前原市)
古墳の説明板
古墳の横方向からの状況。
(2008.08.03 早朝 前原市にて)
曽根丘陵には、
平原遺跡と銭瓶塚古墳、狐塚古墳、ワレ塚古墳の3基の古墳とで構成された国指定遺跡「曽根遺跡群」がある。
この狐塚(きつねづか)古墳は、この丘陵の東端部にあり、銭瓶塚古墳の東側である。
直径33mの大きな円墳だ。
塚の上に登ると大きな岩があった。
この塚の主体部には竪穴式と横穴式がある。この岩は何に使われていたのだろうか?
柄の表面には、一部葺き石が残っている。
川原石のように見える。
この古墳も、銭瓶塚古墳と同様に古墳時代中期(4世紀~5世紀)にかけて築造されたと考えられている。
伊都国王都周辺遺跡地図HPへのリンク(著作 前原市)
塚頂上にある大きな岩。
塚の表面に残る葺き石。
古墳の案内板
丘陵の真ん中を南北に延びている道路に案内板がある。銭瓶塚(ぜにがめづか)古墳の東100mにこの古墳はある。
古墳の説明板
(2008.08.03 早朝 前原市にて)
平原遺跡と銭瓶塚古墳、狐塚古墳、ワレ塚古墳の3基の古墳とで構成された国指定遺跡「曽根遺跡群」がある。
この狐塚(きつねづか)古墳は、この丘陵の東端部にあり、銭瓶塚古墳の東側である。
直径33mの大きな円墳だ。
塚の上に登ると大きな岩があった。
この塚の主体部には竪穴式と横穴式がある。この岩は何に使われていたのだろうか?
柄の表面には、一部葺き石が残っている。
川原石のように見える。
この古墳も、銭瓶塚古墳と同様に古墳時代中期(4世紀~5世紀)にかけて築造されたと考えられている。
伊都国王都周辺遺跡地図HPへのリンク(著作 前原市)
塚頂上にある大きな岩。
塚の表面に残る葺き石。
古墳の案内板
丘陵の真ん中を南北に延びている道路に案内板がある。銭瓶塚(ぜにがめづか)古墳の東100mにこの古墳はある。
古墳の説明板
(2008.08.03 早朝 前原市にて)
三雲地区(福岡県前原市)の西側に瑞梅寺川と雷山川にはさまれた小高い丘が南北に延びている。
これを曽根丘陵という。
ここには、弥生時代から古墳時代にかけての遺跡が点在している。
平原遺跡と銭瓶塚古墳、狐塚古墳、ワレ塚古墳の3基の古墳とで構成された国指定遺跡「曽根遺跡群」がある。
この銭瓶塚(ぜにがめづか)古墳は、この丘陵の中央付近にあった。
帆立貝式の前方後円墳だが、前方部、後円部を道路造成の際に破壊されており前方後円墳には見えぬ。
この古墳は、埴輪等の出土品の状況より4世紀から5世紀にかけて造られたと考えられている。
埋葬施設については発掘調査が行われていないため不明とのことである。
伊都国王都周辺遺跡地図HPへのリンク(著作 前原市)
古墳の案内板
道路が丘陵の真ん中を南北に延びている。道路のすぐ横に古墳はあった。
古墳の説明看板
(2008.08.03 早朝 前原市にて)
これを曽根丘陵という。
ここには、弥生時代から古墳時代にかけての遺跡が点在している。
平原遺跡と銭瓶塚古墳、狐塚古墳、ワレ塚古墳の3基の古墳とで構成された国指定遺跡「曽根遺跡群」がある。
この銭瓶塚(ぜにがめづか)古墳は、この丘陵の中央付近にあった。
帆立貝式の前方後円墳だが、前方部、後円部を道路造成の際に破壊されており前方後円墳には見えぬ。
この古墳は、埴輪等の出土品の状況より4世紀から5世紀にかけて造られたと考えられている。
埋葬施設については発掘調査が行われていないため不明とのことである。
伊都国王都周辺遺跡地図HPへのリンク(著作 前原市)
古墳の案内板
道路が丘陵の真ん中を南北に延びている。道路のすぐ横に古墳はあった。
古墳の説明看板
(2008.08.03 早朝 前原市にて)
端山(はやま)古墳は、前原市(福岡県)にある。
その住所は、「前原市 大字 三雲 字 塚廻り」である。
良い住所だ。ほっとする。
先ほど散策した築山古墳は、写真の左側のこんもりした林で、南へ100m程度しか離れていない。
端山(はやま)古墳は、4世紀はじめに造られている。
ここも、まだ、埋葬施設(主体部)の発掘は行われていない。
伊都国王都周辺遺跡地図HPへのリンク(著作 前原市)
既に前方部はないが、広がりが少ない前方部のようである。後円部は、3段構築とあるが2段に見える。
とても美しい。
(前方部から後円部を望んだ写真である)
古墳の説明看板(1)
古墳の説明看板(2)
右手の山が「可也山」である。
(古墳の東側より撮影)
(2008.07.27 2008.08.03 早朝 前原市にて)
その住所は、「前原市 大字 三雲 字 塚廻り」である。
良い住所だ。ほっとする。
先ほど散策した築山古墳は、写真の左側のこんもりした林で、南へ100m程度しか離れていない。
端山(はやま)古墳は、4世紀はじめに造られている。
ここも、まだ、埋葬施設(主体部)の発掘は行われていない。
伊都国王都周辺遺跡地図HPへのリンク(著作 前原市)
既に前方部はないが、広がりが少ない前方部のようである。後円部は、3段構築とあるが2段に見える。
とても美しい。
(前方部から後円部を望んだ写真である)
古墳の説明看板(1)
古墳の説明看板(2)
右手の山が「可也山」である。
(古墳の東側より撮影)
(2008.07.27 2008.08.03 早朝 前原市にて)
福岡から長崎へ単車で向かう。
いつもはR34号線だが、今回はR202号線を通る。目的は、前原市と唐津市の遺跡を散策したいからである。
まず、築山古墳と端山古墳を散歩した。
築山古墳は、前原市三雲地区(福岡県)にある。
川原川と瑞梅寺川にはさまれた肥沃な水田の中にあり、北に海、南に山地を背負っている。
かつて、この付近一帯は、魏志倭人伝に書かれている伊都国の中心地である。
古墳は、こんもりと木に覆われ、後円部には神社がある。
この古墳の前方部は失われているが、調査によると帆立貝型の古墳である。
古式の前方後円墳であり、築造されたのは4世紀末と見られている。
まだ、埋葬施設の発掘は行われていない。
弥生時代の有力国である伊都国の次の世代の権力者の墓なのだろう。
やはり伊都国王と称していたのだろうか?
この古墳からは、糸島富士と呼ばれる可也山がよく見える。
朝鮮の伽耶と関係があるのだろうか?
伊都国王都周辺遺跡地図HPへのリンク(著作 前原市)
この古墳は、弥生遺跡(三雲)の中心地にあり、すぐ北側に隣接して端山古墳がある。
古墳の説明用の看板である。
古墳の後円部には石段を登ると神社がある。
(2008.07.27 2008.08.03 早朝 前原市にて)
いつもはR34号線だが、今回はR202号線を通る。目的は、前原市と唐津市の遺跡を散策したいからである。
まず、築山古墳と端山古墳を散歩した。
築山古墳は、前原市三雲地区(福岡県)にある。
川原川と瑞梅寺川にはさまれた肥沃な水田の中にあり、北に海、南に山地を背負っている。
かつて、この付近一帯は、魏志倭人伝に書かれている伊都国の中心地である。
古墳は、こんもりと木に覆われ、後円部には神社がある。
この古墳の前方部は失われているが、調査によると帆立貝型の古墳である。
古式の前方後円墳であり、築造されたのは4世紀末と見られている。
まだ、埋葬施設の発掘は行われていない。
弥生時代の有力国である伊都国の次の世代の権力者の墓なのだろう。
やはり伊都国王と称していたのだろうか?
この古墳からは、糸島富士と呼ばれる可也山がよく見える。
朝鮮の伽耶と関係があるのだろうか?
伊都国王都周辺遺跡地図HPへのリンク(著作 前原市)
この古墳は、弥生遺跡(三雲)の中心地にあり、すぐ北側に隣接して端山古墳がある。
古墳の説明用の看板である。
古墳の後円部には石段を登ると神社がある。
(2008.07.27 2008.08.03 早朝 前原市にて)