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北陸(金沢)写景 3    うれしい! 金沢城の早朝散歩

2015-12-05 | Weblog

   presented by minato-cafe breath(港カフェ ブレス) in fukuoka 


早朝、近江町市場(おうみちょういちば)を抜けて金沢城を散歩した。

「金沢城」は四百数十年前に本願寺の金沢御堂として創建され、前田利家により本格的に築城された加賀百万石の本城とのこと。
城内は整備され、とても広々としています。
この時期でしたが紅葉も楽しめました。

城内は早朝散歩の人が多く、その行きかう人たちからのプレゼント。
「おはようございます!」。
1日の始まりが、とても楽しく嬉しくなりました。
金沢の皆さん ありがとうございました。


    

    

    

    


続く   小松空港から福岡へ

(2015.12.01)
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北陸(金沢)写景 2    新鮮! 金沢 近江町市場

2015-12-05 | Weblog

presented by minato-cafe breath(港カフェ ブレス) in fukuoka 

旅先では、よく市場へ出かける。
市場には、その街の歴史や雰囲気が特に凝縮されているように思う。
金沢には、有名な近江町市場(おうみちょういちば)がある。
夕方と早朝に訪ねた。

この市場の始まりは1721年。以来、約290年、金沢の食文化を支える「市民の台所」として親しまれてるとのこと。
確かに市場は、新鮮な魚介類や野菜で溢れ、とても賑わっている。

①やはり蟹でした 

鮮魚店が多く、その店頭には蟹で溢れている。

  

②鮭

店先に吊るされた鮭



③早朝 準備中の市場

7時前の市場は暗い。その中で、小さな氷を沢山積んだ台車が、慌しく鮮魚店へと向かっている。店先にその氷がスコップでひかれていた。
市場の中を、通学する子供たちが通って行く。日常の景色がそこにあった。

    


続く  金沢城の早朝散歩へ

(2015.11.30~12.01)
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北陸(金沢)写景 1    冠雪 美しい山並み

2015-12-05 | Weblog

presented by minato-cafe breath(港カフェ ブレス) in fukuoka 


11月下旬 金沢へ出かける機会を得た。
2度目の金沢。
前回の旅行では1枚の写真も残していない。
記憶にあるのは、初めての通風発作を起したことだけ。
今回は、福岡を出発してからの記録を残すこととした。

①福岡空港(ANAとIBEXのコードシェア便)

前回は、羽田から大型機だったが、今回は、福岡からボンバルディア社の小型ジェット機に搭乗した。
天候もまずまず、殆ど揺れず、福岡空港から小松空港まで1時間10分の快適な旅だった。



②小松空港着陸前(近くに見える雪山)

九州の山にはまだ雪はない。北陸は山頂近くが冠雪し、美しい。


③小松空港着陸前(北陸新幹線)

眼下を新幹線が通過していく。



続く  金沢 近江町市場へ

(2015.11.30)
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博多写景  糠塚池 「小径」

2011-05-28 | Weblog
糠塚池(ぬかつかいけ)西岸の小径。

東側からの朝陽を浴びると、小さく美しい空間が楽しめる。

心地よい。

 

(2011.05.08 糠塚池にて 福岡市)



片縄山の北麓。

その中腹に糠塚池(ぬかつかいけ)はある。


直径が50m程度の小さな池だ。

かつて農地の灌漑用に沢を堰き止め造られた池だが、今はその存在すら忘れられている。

この池の南側に山からの流れ込みがある。

静かでなかなか良い池である。





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今回の大震災と貞観地震について

2011-03-26 | Weblog
マスコミ報道で、過去に同様の大災害があったことを初めて知った。

学会では、2008年に「石巻・仙台平野における869年貞観津波の数値シミュレーション」として発表されている。

行政による地域住民の避難訓練の方法や原子力発電所の運営方法に、この論文が示した陸地に数Kmも入り込む巨大津波のことを何故、反映させなかったのだろうか?

大きな疑問が残る。




過去の歴史文献にも、大地震と大津波の様子が記録として残っている。

陸奥国府を襲った貞観年津波(じょうがん)

3代実録(日本紀略、類聚国史171)の貞観11年5月26日(西暦869年7月13日)の記録に、 次の注目すべき災害の発生が記されています。
「陸奥国地大震動。流光如晝隠映。 頃之。人民叫呼。伏不能起。或屋仆壓死。或地裂埋殪。馬牛駭奔。或相昇踏。 城郭倉庫。門櫓墻壁。頽落顛覆。不知其数。海嘯哮吼。聲似雷霆。驚濤涌潮。 泝徊漲長。忽至城下。去海数千百里。浩々不辧其涯俟矣。原野道路。惣為滄溟。 乗船不湟。登山難及。溺死者千許。資産苗稼。殆無孑遺焉。」


(貞観地震の断層モデルに基づく津波のシミュレーション動画)

<iframe title="YouTube video player" width="480" height="390" src="http://www.youtube.com/embed/RW9tBLJu90Y" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(Wikipediaより)

この大津波をひき起こした貞観地震(じょうがんじしん)とは、貞観11年5月26日(869年7月13日)に東北地方太平洋沿岸(三陸沖)付近で起こった巨大地震である。
津波堆積物調査から岩手県沖 - 福島県沖、または茨城県沖まで震源域が及んだ連動型超巨大地震の可能性が指摘されている[1]。地震の規模は少なくともM8.3以上であったと推定されており、多賀城と推測される陸奥国城下が壊滅的被害を受けたとされ、津波で平野が大海原になり、溺死したのは約1000人と『日本三代実録』に記録されている。
記録通り仙台平野に海が溯上した痕跡があるが、この痕跡はこの地震以外にも複数存在することが分かっている。その痕跡から判断した場合、超巨大地震による津波により仙台平野が水没するという現象が約1000年ごとに繰り返されているとされる。
約数十 - 百年ごとに起こる三陸沖地震に含まれるという考えから貞観三陸地震、上述の津波被害の観点から貞観津波ともいわれる。

(毎日新聞の報道より)

福島第1原発:東電「貞観地震」の解析生かさず

 東京電力福島第1原発の深刻な事故の原因となった、大津波を伴う巨大地震について、09年の国の審議会で、約1100年前に起きた地震の解析から再来の可能性を指摘されていたにもかかわらず、東京電力が対策を怠っていたことが分かった。今回の事故について東電は「想定外の津波だった」との釈明を繰り返している。だが、東電側が審議会の指摘をないがしろにしたことが、前例のない事故の引き金になった可能性が出てきた。

 指摘があったのは09年6月、原発の耐震指針の改定を受け電力会社が実施した耐震性再評価の中間報告書について検討する審議会だった。産業技術総合研究所(茨城県つくば市)の岡村行信・活断層研究センター長が、869年に発生したマグニチュード(M)8以上とみられる「貞観(じょうがん)地震」を取り上げ、「非常にでかいもの(地震)が来ているのがもう分かっている」と、東電が考慮していない理由を問いただした。

 翌月の会合でも、この地震が、04年のスマトラ沖大地震のように幅広い震源域が破壊された可能性が高いことを指摘し、東電にスマトラ沖地震のような「連動型地震」を想定するよう求めた。東電側は「まだ十分な情報がない」「引き続き検討は進めてまいりたい」と答えるにとどまった。

 古文書によると、貞観地震は宮城県沖で発生、津波で約1000人が水死したとされる。産業技術総合研究所などが05~09年、宮城、福島両県で、海岸付近の土砂が津波で運ばれた「津波堆積(たいせき)物」の分布を調べたところ、当時の海岸線から数キロ内陸まで浸水したことが判明。福島県内でも、同原発の約7キロ北の現・浪江町請戸地区で現在の海岸線から約1.5キロの浸水の痕跡があった。同規模の津波は450~800年程度の間隔で、過去に繰り返し起きた可能性も浮かんだ。これらの成果は学会や論文で報告されている。

 ◇「『想定外』は言い訳」
 東電の武藤栄副社長は25日の会見で「連動した地震による津波は想定していなかった」「(貞観地震を参考にした)地震や津波の予想について共通見解を出すには至っていない状況にあった。学会として定まったものがなかった」と釈明した。東電のこれまでの対応に対し、岡村センター長は「原発であればどんなリスクも当然考慮すべきだ。あれだけ指摘したにもかかわらず、東電からは新たな調査結果は出てこなかった。『想定外』とするのは言い訳に過ぎない。もっと真剣に検討してほしかった」と話す。【須田桃子、藤野基文】








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大震災への応援メッセージ from 中国

2011-03-26 | Weblog
今回の東北・関東大震災で亡くなられた人々に深い哀悼の意を表します。

被災された方々には国内からの応援メッセージに加え、海外からも多くの応援メッセージが届いています。


中国からのメッセージを紹介します。


東日本大震災 国籍や肌の色と関係なく、すべての命に惜しまぬ支援を(中国紙) 2011.3.14 14:52 (4/4ページ)

新京報(中国)

中国では2008年にマグニチュード(M)8・0の四川大地震が発生し、8万7千人以上が死亡・行方不明となったが、同紙は「破壊力は四川大地震の20倍超」と報道。日本を含めた世界各国の救助チームが四川大地震の被災地に駆け付けてくれたことに触れ、今度は中国が日本に支援の手を差し伸べるべきだと主張し、「このようなときは国籍や肌の色と関係なく、すべての命に対し惜しまぬ支援を送ることが大事だ」と強調した。

その上で、強い地震にもかかわらず、都市部で全壊した建物が少ないとみられることから日本の建物の耐震能力の高さを称賛。公園や体育館などに避難する市民たちがきちんと行列をつくるなど混乱がなかったことを高く評価し、「常に地震や津波の脅威にさらされる日本の高い防災意識の表れだ」と指摘している。

そして日本の対応について中国を含めた各国が学ぶべきだと主張し、「災害の経験は被災者だけではなく、全人類が記憶すべきものだ」と強調した。

一方で同紙は、東日本大震災の直前に雲南省など他の地域で地震が起きていたことに触れ、「地震予知の研究は国際社会の協力が必要で、その体制構築を急がなければならない」と指摘し、こう結論づけている。

「自然災害はいつも人類社会の最も脆弱(ぜいじゃく)なところを襲ってくる。対抗するために私たちは危機感を共有し、力を合わせなければならない」(北京 矢板明夫)
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大震災への応援メッセージ from タイ国

2011-03-26 | Weblog
今回の東北・関東大震災で亡くなられた人々に深い哀悼の意を表します。

被災された方々には国内からの応援メッセージに加え、海外からも多くの応援メッセージが届いています。


タイ国からのメッセージを紹介します。


「前を向いて歩こう日本」 タイ紙が激励 2011.3.16 17:34

「前を向いて歩こう日本」と書かれた、16日付のタイ英字紙ネーションの紙面(共同)

16日付のタイ英字紙ネーションは1ページを割いて東日本大震災で甚大な被害に見舞われた日本を激励、「前を向いて歩こう日本」と日本語、英語、タイ語で表記し、復興を願った。

中央に日の丸を印刷した紙面は、被災者へのお見舞いの言葉とともに、タイ国内各銀行で受け付けている寄付金の口座番号も記している。(共同)
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大震災への応援メッセージ from 中国

2011-03-26 | Weblog
今回の東北・関東大震災で亡くなられた人々に深い哀悼の意を表します。

被災された方々には国内からの応援メッセージに加え、海外からも多くの応援メッセージが届いています。


中国からのメッセージを紹介します。


中国紙「破壊度は四川の20倍」詳報  2011.3.12 12:20

東日本を襲った今回の大地震について、地震多発国の中国も関心が強く、中国紙、新京報(電子版)は「強い地震と大津波が日本を襲う。破壊度は四川大地震の20倍」と詳しく報じた。

中国メディアは特に原発被害への関心が高い。
中国の核安全問題専門家の分析を掲載したメディアもある。「中国の緊急救助チームはすでに準備完了し、出発命令を待っている」と中国国内の支援態勢を伝えるメディアもある。



日本批判の書き込みが多いことで知られる中国のインターネットには、地震の被災者を気遣うコメントが多く寄せられている。

「四川大地震のときに日本は支援してくれた。今回は中国の番だ」

「かんばれ、日本人」

「みんなで力を合わせて天災に打ち勝とう」と激励している。

日本の災害を喜ぶコメントもあるが、「おまえは中国人の恥だ」と批判が殺到している。
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大震災への応援メッセージ from 韓国 

2011-03-26 | Weblog
今回の東北・関東大震災で亡くなられた人々に深い哀悼の意を表します。

国内からの応援メッセージに加え、海外からも多くの応援メッセージが届いています。


韓国からのメッセージを紹介します。


1面で哀悼の意を表す記事を掲載した14日付ソウル新聞

ソウル新聞が1面に異例の日本語で「深い哀悼の意を表します」  2011.3.14 02:27

 韓国紙のソウル新聞は14日付早版で、東日本大震災を受け、1面に韓国語とともに日本語で「深い哀悼の意を表します」との見出しを掲載、記事で早期の復興を「心から祈っている」と激励した。韓国紙が1面に日本語でこうした文章を掲載するのは極めて異例。

 経済紙の毎日経済は同日付早版の1面に科学技術部長のコラムを掲げ、日本が一日も早く大きな災難を克服し「失われた20年を抜け出し、りりしいかつての経済大国の姿を取り戻すことを祈る」と呼び掛けた。

 韓国が過去に「日本から忘れることができない傷を受けた」としながらも、日韓交流が活発になったことを歓迎。「苦しいときの友こそ真の友だ」と強調した。(共同)

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被災者の方々の生活の質を守るために!

2011-03-18 | Weblog
不幸にも地震、津波、火災そして原発の恐怖に見舞われている被災者の方々が、日本で最も劣悪な生活を強いられています。

もしも被災者の方々が現地での生活にこだわりがないのであれば、
まずは、全国の宿泊設備(旅館・ホテル・会社所有の宿泊設備)で過ごし、再び地元での生活が可能となるまでその宿泊設備で過ごされることはいかがでしょうか?

国土交通省(官公庁)の統計資料によれば、30万人が全国の宿泊施設で快適に過ごすことが可能と思われます。

十分、税金で対応でき、被災者の方々のプライバシーも守られ、私たちも自分たちの手の届くところで被災者の方々をより厚く暖かく支援ができます。
例えば、医療や介護も全国の地域に分散されることでより高度なサービスを提供できることとなり、また、宿泊施設のある自治体が小学生・中学生・高校生の自由な転校を認めることで、彼らの教育を受ける権利も守ることができます。

国民の皆さん そして 主権者を代表する議員の皆さん方 この提案はいかがでしょうか?




以上の提案根拠は次の通りです。


全国の宿泊施設における延べ宿泊者数は、

夏期(07月~09月)が、11500万人。
秋期(10月~12月)で、9500万人。

この季節差で、宿泊者数の差が2000万人あります。
この差分を宿泊可能数としました。
この2000万人分の宿泊可能数を90日(3月分)で割り算してみると、1日当り 22万人の宿泊数となります。

この数字に空室率の増分、被災地域の減分を考慮しても1日当り20万人分は確保できると考えます。

家族の方々を一部屋にすれば、30万人は快適な生活ができるのではないでしょうか?

宿泊設備側から見ても、空室が解消するだけですから長期間宿泊のボリュームディスカウントも効き、格安の料金設定が可能になると思います。
質素な食事を3食準備し、1日一人当たり2000円で提供していただければ、
「30万人宿泊」で一日分当たり「6億円」となり、現地でのアパート等の仮住居が完成するまでの滞在期間を半年として、その滞在費用は、総額で約1100億円となります。

また、被災地から宿泊施設までの旅行費は、各交通機関の空席率を最大限に活用して、更には交通機関の好意により無償で対応できるのではと考えます。

一人当たり30万円程度の被災見舞金を準備しても、まだ総額で2000億円程度です。


子供手当ての26000円支給を予定する2011年度以降、必要な財源の毎年5.3兆円と比べても、はるかに少ない金額だと思います。


国民の皆さん そして 主権者を代表する議員の皆さん方 この提案はいかがでしょうか?

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福岡写景 福岡市美術館  黄色のカボチャ

2010-12-04 | Weblog
大濠公園の横に福岡市美術館はある。

公園から緩やかな階段を登ると広いテラスがあり、そこにこの作品はがあった。
巨大で派手な水玉のカボチャだ。

ネットで画像検索した。

草間 彌生(くさま やよい)氏の作品であった。

人により好みは分かれるのだろうが、僕は好きである。


高校生の頃、帽子に太い黄色の線(きなせん)が巻いていて、それを得意げに被っていたこと。
それにイエローサブマリンも思い出した。
もともと黄色が好きなのだ。







何年ぶりだろうか?
大濠公園(福岡市)へ一人で出かけた。
前に来たのは、末娘が小学生の頃なので10年ほど前のことだ。

公園の南側にある福岡市美術館の横から公園に入って行く。

大きな池の周りでは、
様々な人々が秋の午後から夕暮れを楽しんでいた。


(2010.11.07 大濠公園 福岡市)
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福岡写景 大濠公園を楽しむ人々 - 06

2010-11-28 | Weblog
一人の女が、池際にあるベンチに腰掛け福岡タワーを撮り、その横を犬を連れた男が通り過ぎていく。

それぞれの時間が無関係に過ぎていく。




何年ぶりだろうか?
大濠公園(福岡市)へ一人で出かけた。
前に来たのは、末娘が小学生の頃なので10年ほど前のことだ。

公園の南側にある福岡市美術館の横から公園に入って行く。

大きな池の周りでは、
様々な人々が秋の午後から夕暮れを楽しんでいた。


(2010.11.07 大濠公園 福岡市)
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草花写景 ノウゼンカズラ 

2010-11-23 | Weblog
早朝の郷ノ浦港(ごうのうらこう)

港を散歩していた時に咲いていたノウゼンカズラ
この花を僕は初めて見た。
後で調べてみるとありふれた草花とある。
こんな鮮やかな花なのに、何故今まで目に付かなかったのだろう?
少々不思議に思う。







(2010.07.27 長崎県壱岐市にて)
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棚田写景 大村湾沿いにて - 11

2010-11-17 | Weblog
この日の早朝、
大村湾沿いに県道37号線を大村市から諫早市に向かって走っていた。

海岸から稲穂であふれた棚田が山に向けてせり上がっている。
僕は車を止め棚田の中へ入っていった。


(対岸から見た棚田)



(2010.10.14 諫早市浜の前にて)
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対馬写景 元気一杯の子供たち

2010-11-14 | Weblog
「万松院」 からの散歩帰りに見かけた登校中の子供たち。

表情もとても明るくそして元気に登校していた。
見ている僕も元気にさせてくれる島の子供たち。

島の先人がそうであったように、伸び伸びと育ち、アジアで活躍する人間になってもらいたい。



(2日目の行動)

翌朝、僕は早起きし、まだ薄暗い中、町の西側の山裾にある 対馬藩主宗家の菩提寺 「万松院」 へ散歩に出かけ、夜明け前後の寺を楽しんだ。
この寺を訪問することは、今回の旅行の中で一番楽しみにしていたことだ。

若い頃、ここで暮らしていたが、万松院へは一度も訪れたことがない。
興味のはるか彼方の対象外であった。
今思えば本当に惜しいことをしていたものだ。


(対馬での晩飯)

対馬では厳原町にある川沿いのホテルに泊まった。
夕食は名物の「石焼き」で新鮮な魚を食し、地元の焼酎「対馬やまねこ」を飲む。
上手い料理と酒に満足した。


(対馬への思い)

35年ほど前に学校を卒業したばかりの僕は、対馬(厳原町)で企業へ就職し、ここで2年半程を過ごした。
車の免許も島で取得した。
自動車教習所では、島の若者たちから優しくその仲間に入れてもらい、僕たちは皆で、島を南北にドライブした。
上坂で漁火を見たり、仕事が終わってから近くの海岸で泳いだり、美しい砂浜を求めて曲がりくねった山道を比田勝近くまで泳ぎに行ったりなど本当に懐かしく楽しい記憶である。
皆、元気だろうか?
島で暮らしているのだろうか?
再び会い、それぞれの人生を話し、そして聞き、旧交を未来に向かって温め直したい。


(2010.11.02 万松院 対馬市にて)
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