![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/cf/0e77ca6c032f076bced2061194aa1576.jpg)
三雲地区(福岡県前原市)の西側に瑞梅寺川と雷山川にはさまれた小高い丘が南北に延びている。
これを曽根丘陵という。
ここには、弥生時代から古墳時代にかけての遺跡が点在している。
平原遺跡と銭瓶塚古墳、狐塚古墳、ワレ塚古墳の3基の古墳とで構成された国指定遺跡「曽根遺跡群」がある。
この銭瓶塚(ぜにがめづか)古墳は、この丘陵の中央付近にあった。
帆立貝式の前方後円墳だが、前方部、後円部を道路造成の際に破壊されており前方後円墳には見えぬ。
この古墳は、埴輪等の出土品の状況より4世紀から5世紀にかけて造られたと考えられている。
埋葬施設については発掘調査が行われていないため不明とのことである。
伊都国王都周辺遺跡地図HPへのリンク(著作 前原市)
古墳の案内板
道路が丘陵の真ん中を南北に延びている。道路のすぐ横に古墳はあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/c7/e3155a13e8e4111bc980ad2d9e1c4154.jpg)
古墳の説明看板
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/7b/50b80d818bf25040a0fc7ceb5cf28840.jpg)
(2008.08.03 早朝 前原市にて)
これを曽根丘陵という。
ここには、弥生時代から古墳時代にかけての遺跡が点在している。
平原遺跡と銭瓶塚古墳、狐塚古墳、ワレ塚古墳の3基の古墳とで構成された国指定遺跡「曽根遺跡群」がある。
この銭瓶塚(ぜにがめづか)古墳は、この丘陵の中央付近にあった。
帆立貝式の前方後円墳だが、前方部、後円部を道路造成の際に破壊されており前方後円墳には見えぬ。
この古墳は、埴輪等の出土品の状況より4世紀から5世紀にかけて造られたと考えられている。
埋葬施設については発掘調査が行われていないため不明とのことである。
伊都国王都周辺遺跡地図HPへのリンク(著作 前原市)
古墳の案内板
道路が丘陵の真ん中を南北に延びている。道路のすぐ横に古墳はあった。
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古墳の説明看板
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(2008.08.03 早朝 前原市にて)
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