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メタボ人の独り言

長崎散歩 和洋折衷の街 2

2010-03-21 | 街(都会)
長崎の街は、ごちゃごちゃしている。
土地が狭いため、所狭しと山の上までビルや家屋がある。

僕は、この街が好きだ。

浜町から中華街の方へ向かう。

すぐに
思案橋に向かう市内電車通りを横断する。
思案橋は坂本竜馬たちが飲んだくれた丸山の入り口近くにあった橋である。


龍踊りの大きな看板。電車。そして派手なすき家の看板。

洗練された美しさなどない交差点。

気に入った景色である。

それぞれ人々が横断歩道を渡って行く。
少しだけ
時の動きがスローモーション。 良い感じだ。


(2010.03.13 長崎市浜町付近にて)
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長崎散歩 和洋折衷の街

2010-03-21 | 街(都会)
長崎の街は、ごちゃごちゃしている。
土地が狭いため、所狭しと山の上までビルや家屋がある。

僕は、この街が好きだ。

浜町から中華街の方へ向かう。

すぐに
思案橋に向かう市内電車通りを横断する。
思案橋は坂本竜馬たちが飲んだくれた丸山の入り口近くにあった橋である。


龍踊りの大きな看板。電車。そして派手なすき家の看板。

洗練された美しさなどない交差点。

気に入った景色である。

それぞれの人々が横断歩道を渡って行く。
少しだけ
時の動きがスローモーション。 良い感じだ。


(2010.03.13 長崎市浜町付近にて)
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長崎散歩 銕橋(くろがねばし)

2010-03-20 | 歴史(近代)
長崎市の築町と浜町を結ぶ銕橋(くろがねばし)。

この橋の浜町側に、
坂本竜馬そして岩崎弥太郎ゆかりの土佐商会跡の記念碑がひっそりとある。

土佐藩は藩の経済活動のため藩営の土佐商会を設けた。
ここは、その長崎出張所の跡である。
長崎で藩の産物を売り、西洋の武器を購入した。
後に三菱造船所を興した岩崎弥太郎は、主任として駐在し、
坂本龍馬の海援隊もここを拠点に活動している。
このころ、「てつばし」はなく木製の橋が架かっていた。
竜馬は、この橋をブーツで歩いていたに違いない。

『ウィキペディア(Wikipedia)』

銕橋(くろがねばし)とは、長崎市の中島川に架かる橋。
河口から数えて6番目の橋で、築町と浜町を結ぶ。
「てつばし」の呼び名で親しまれている。
長崎一の繁華街、浜市アーケードの西側入り口に位置し、通行人が多い。
現在の橋は1990年に架け替えられた3代目で、欄干には「鉄橋」の銘が刻まれている。
初代「銕橋」は、明治元年にできた日本初の鉄橋とされている。


(2010.03.13 長崎市てつばしにて)
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人間は何を食べるのか?

2010-03-19 | 
クロマグロで日本中が大騒ぎ。
また、南氷洋でも調査捕鯨でひと悶着。
何故、このようなことが起きるのだろうか?
文化と文化の対立なのだろうか?

僕はそのように思はない。
人が贅沢になりすぎて思考が狂っているのが原因だ。

本来、人は動物であり、何を食べても良い。
ただ、長い歴史の中で、食欲の対象として人間を理性により外してきただけである。
他の動植物は何を食べても良い。動物の知能指数など関係ない。

ただ、その動植物が滅びぬよう食べ過ぎないことだけが条件なのである。

よってルールは、

1.人間を食わない
2.人間以外は何を食っても良い
3.人間以外の動植物を適切(滅びぬよう)に保存する

この3つしかない。

調査捕鯨と称して捕獲した鯨を、こそこそ食うことは良くないし、みっともない。
日本人として調査捕鯨は止めてもらいたい。

正々堂々と3つのルールを主張し、世界に認めさせるべきである。
決して日本の文化などではない。
食いたい人などいつでも変化していくものだから。





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長崎散歩 水神様

2010-03-19 | 歴史(近代)
久しぶりにカメラを街に持ち出した。
カメラがずいぶんと重い。

この水神様は、築町市場の西側の裏通りの奥にある。
散歩する人でないと出会うことはない。
井戸の横にある。
『ウィキペディア(Wikipedia)』によると
「農耕以外の日常生活で使用する水については、井戸・水汲み場に水神が祀られる。」とある。

この井戸や神様は、いつの時代のものだろうか?

東山手の下にも水神様がいた。

きっと
長崎に住んでいた人々は、水に苦労していたのだろう。


(2010.03.13 長崎市築町市場傍にて)


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