一昨日の事である。
神戸の勉強会の帰り、妻に駅まで迎えに来てもらい、その帰りの出来事。
ちょうど、県道の横断歩道で、自転車に乗った小学生の子供が、横断を待っているのだった。
妻は、横断歩道手前で停止して、子供に
”横断するように”合図をするのだが、
子供は、対向車が止まってくれないため、代わりにこちらに
”どうぞ、行って下さい”
と合図するのだ。私たちの車の後ろの車も、左側から追い抜こうとする。
そうしていると、子供の横に、一台の車が止まり、その車の運転手も、
”渡りなさい!”と合図をするのだ。
やがて、対向車も止まり、子供が渡りはじめたら、その対向車の左側から、
止まった車の後ろにいた車が追い抜こうと飛び出してくるのだ。
子供はあわてて、横断途中に止まった。
あわや、交通事故になる寸前だ!
私たちの車が止まってから、わずか10数秒間の出来事。
「たったそれだけの停止時間、どうして”ゆずりあいの心”を持てないのだろう。
もし、自分の知っている子供、身内だったら、どうだろう?
道をゆずるだろう。横断するように止まってあげるだろう。
知らない子だから、どうだっていいのかな?」
妻と帰宅しながら、こんな事を話しながら、私たちは良かれと思って、停止したのに、パッシングされたり・・・と腹だたしい思いがした。
それと同時に淋しい気持ちにもなったが・・・